(3)
全力疾走した後のような汗がダラダラと背中から伝い落ち、激しく胸を上下させる呼吸が鎮まらない。
もうヘトヘトだわ。起き上がる気力も体力もゼロ。
ほんとにあのまま発狂死するかと思った。水の力が無かったらきっとそうなっていたと思う。
はあぁ、今さらながらゾッとするわ。
「ノームごめんね、勢い良く上から落っことしちゃって。あたしもう余裕もへったくれも無かったもんだから」
「ごめんなさい。ごめんなさいしずくさん」
「え?」
「わたし、全力でしずくさんを守るってやくそくしたのに。ごめんなさい!」
しくしくと泣き出すノームを見ながら、思い出す。
あぁ、そういえば城に潜入する前にそんな風に約束してくれたっけ。
あたしは床に倒れながら、泣いている親指姫のようなノームを眺めた。
やっぱり大きくなってないなぁ、なんて事を考えながら。
「守ってくれたじゃないの。そのせいでこんな箱にずっと閉じ込められてたんでしょう?」
「しずくさん、でも」
「ありがとうノーム。それとごめんね、あたしのせいで」
への字にキュッと結ばれたノームの唇がフルフルと震えた。
そして可愛らしい顔をクシャクシャにして、ふえぇ~と再び泣き出す。
ふふ、相変わらず可愛いねぇあんたは。
本当にこの子が無事で良かった。ノームに何かあったら、またイフリートがブチ切れて暴走しちゃうしね。
あたしは微笑みながら、苦労も吹っ飛ぶ思いでノームの無事な姿を見ていた。
と、ひとしきり泣いていたノームが急に泣き止む。
そして驚いたような表情のまま固まってしまった。
「しずくさん!」
「なに?」
「みんなが、みんなが城に来ています!」
「みんな? みんなって」
……!!
あたしはガバッと床から上体を起こして叫んだ。
「ジンがこの城に来ているの!?」
「はい! ジンもモネグロスも、イフリートも!」
「何で分かるの!?」
「わたしに呼びかけてきています! 場所は、声が聞こえてくる場所は、ええと……」
「場所は!?」
「庭です! 庭の植物に頼んで、こっそりこちらに呼びかけてもらってるんですよ!」
ジンーーーーー!!
あたしはノームを胸元に突っ込み、飛び上がるように立ち上がった。
布団の山にタックルしながら突き進み、部屋を飛び出す。
そして庭を目指して無我夢中で通路を疾走した。
ジンに会える! ジンに会えるんだわ! 今すぐ行くわ! 待っててジン!
「ノーム!」
「はい! しずくさん!」
「ところで中庭ってどっち!?」
「わたしもよく分かりません!」
あたしはピタリとその場に立ち止まった。
そして結局さっきの花束みたいに、ノームをアチコチかざして行ったり来たり迷い進む。
お、お願いジン! ほんとに今すぐ行くからちょっとだけ待ってて~!
迷った末にようやく庭に辿り着き、あたしは左右をキョロキョロと見渡した。
夜の庭は城からの明かりのお陰で真っ暗闇なわけじゃないけど、やっぱり見通しは悪い。
あちこちから生えている植物に突っかかりながら、ジンの姿を求めて夢中で探し回った。
ガサガサとドレスを引っ掛け躓きそうになりながら、どんどん進んでいく。
ジン! ジンどこにいるの!?
懸命に凝らす視界の端に、キラリと光る銀色を見た気がした。
ドキンと心臓が跳ね上がり、あたしはその場に立ち止まる。
草を踏む音がして、高く太い樹の幹の陰からそっと人影が現れた。
銀色の髪を緩やかに風に靡かせるその人物の姿を見て、あたしの胸に表現しきれない大きな感情が膨れ上がる。
「ジン!!」
「雫!!」
あたしは無心でジンに向かって走り出した。
ジンもあたしに向かって駆け寄ってくる。
胸元からノームが勢い良くぴょーんと飛び出して、ジンの後ろから駆けて来たイフリートが差し出す手の中に飛び込んだ
「イフリート! あいたかったです!」
「ノーム! 我は非常に心配した!」
手の平にノームを包み込んだイフリートが、その手を自分の胸に大事そうに引き寄せた。
あたしとジンは、ぶつかるように抱きしめ合う。
背中に回ったジンの両腕が強く強くあたしを包み込み、あたしも負けずにジンの首の後ろに回した両腕に力を込めた。
胸が、一杯。
嬉しすぎて、安堵しすぎて、もう言葉にならない。この気持ちを言葉で表現するなんて不可能よ。
……もう、泣きそう、よ。
あたし達はしばらくの間、声も無く抱きしめ合っていた。
「雫。雫、雫、雫」
「ジン、会いたかったわ」
「オレもだ。ずっと雫に会いたかった」
ジンがあたしに頬擦りした。重なるジンの頬とあたしの頬。
その滑らかで軽やかな、不思議な感触にうっとりしてしまう。
「雫、心配したんだぞ。大丈夫だったか? 怪我は?」
「うん大丈夫よ……ってジンこそ大丈夫だったの!?」
あたしは慌てて頬を離して、まじまじとジンの全身の様子を確認した。
「あの時大怪我してたでしょう!? あれからどうしたの!?」
「お前が無事で良かった。おそらく精霊の長がお前の怪我を治してくれたんだろう」
「それよりジンは!? ジンこそ満身創痍だったじゃないの!」
「オレは自前で治せるからな。風の治癒力がある」
そう言って笑ったジンの顔には複数の深い傷跡が残っていた。
服もあちこちが破れたままで、そこから傷跡が覗いている。まだ全然完治して無いんだわ。
無理も無い。あんなに手酷い攻撃を受けたんだもの。しかも自分の仲間である風の精霊達から。
「雫、あの時助けてやれなくて済まなかった。それに、迎えに来るのに時間がかかった。本当に済まない。許してくれ」
あたしは目に涙を溜めて首を横に振った。
体も心もズタズタに傷付けられたジン。
なのにまだ傷も癒えていないのに、怪我をおして来てくれた。あたしのために。
「不安だったろう? もう心配ない。オレがいる」
ジンが優しく微笑んだ。
「二度とお前を放さない。離れない。雫」