崩壊の兆し(1)
城から出たいという要望は聞いてもらえなかった。
いくら懸命に頼んでも、涙交じりで哀願しても、頑として聞き入れてもらえない。
アルプスの少女ハイジに出てくるロッテンマイヤーさんみたいな初老の侍女長が
「雫様を城から一歩も出すなとの、王のご命令でございます」
ってセリフを無表情に繰り返すだけ。
ヴァニス、あたしの次の行動を見越していたのね。先手を打たれてしまったわ。
それならヴァニスに直談判しようとしたけど、それも出来ない。
どうやら昨夜の一件が、このロッテンマイヤーの耳に入ったらしくて。
『病み上がりの御婦人相手に、少々自重なさいませ』
とかなんとかヴァニスに苦言を呈したようで、しばらくの間謁見は許可されないような手配になっていた。
「雫様は大事な御身体でございます。ようく御療養なさいませ。王にもしっかりと申し上げておきましたから」
って優しい言葉を無表情に、扉の前で仁王立ちしながら言われてかなりビビッた。
いるのね。こっちの世界にもお局様って。国王陛下も逆らえないのか。
日本の大奥みたいにガチガチにシステマチックでは無いみたいだけど、基本的に女の世界はどこも似たり寄ったり。
お局様に逆らうのはほぼ不可能だろう。
それでも幽閉とまではいかなくて、多少の自由は許されていたから、チャンスを狙っていっそ脱走してやろうかとも真剣に考えたけれど。
さすがロッテンマイヤー、抜かりは無い。
あたしが部屋から出る時は、侍女がベッタリ張り付いてマークしていた。
一人になれるのは部屋の中にいる時だけ。
しかも見舞いと称して、たくさんの貴族たちが顔を売り込みに来るし。
どうやら御手付き候補の噂が完全に広まってしまったらしい。
どうにも手の打ちようが無いままイライラと日数だけが過ぎていき、やがて城内の雰囲気がざわめき出して、侍女達の動きが慌ただしくなる。
部屋の用意とか、新しい寝間着の用意とかの会話の内容で、ピンときた。
ヴァニスが言ってた「次回」の準備だわ! 相応の手順ってやつを整えているんだ。
どうしよう。あたしこのままじゃ順当に御手付きコースまっしぐらだわ。
もういっそヴァニスに暴露しようか? あたし、実はキスどころかアッチの方もすでに回数こなしてますからって。
それくらい強烈な打撃を食らわさないと、ヴァニスの幻想はもう粉砕できない気がする。
あたしは窓辺に頬杖をつき、夜空を見上げて深い溜め息を何度もついた。
『……さん』
ん? 何か聞こえた?
あたしはキョロキョロと辺りを見渡した。
『……さん、……さん』
なにか、小さな小さな音が聞こえる?
なに? どこから聞こえるの? 音が小さすぎて分からない。
『……さん、しずくさんっ』
……この声は!?
『しずくさん、聞こえますか? わたしです、ノームです!』
ノームの声!!
「どこ!? どこにいるのノーム!?」
あたしは夢中で叫んで、慌てて口を手で覆った。
大声出したら扉の向こうで張ってる侍女に気付かれる!
『あぁよかった! やっと気づいてもらえましたぁ!』
半べそかいてるような声に、あたしはひそひそと答えた。
「ノームどこ? 姿を見せて」
『わたしはしずくさんのいる部屋にはいません。幽閉されていますから』
「え? じゃあどうやって?」
『その子の、その花の力をかりて、声だけをとどけているんです』
花? あ。
あたしは窓辺に飾られている花を見た。
あの襲撃の時の女の子が「助けてくれたお礼に」って、あの後花束を届けてくれた。
それを侍女に頼んで飾ってもらっていたんだ。
……よぉーし! やったあ!
あたしはグッと握りこぶしを握って密かに歓喜した。
『切り花になっては、命はながくありません。その子の最期の力です』
「そ、そうなの?」
『間に合ってほんとうによかった!』
確かに花束から、かすかな声が聞こえてくる。
最期の力を振り絞っている花自身の声のように聞こえて、あたしは心から感謝した。
ありがとうお花さん! あなたのお陰よ! 本当に本当にありがとう!
「ノーム無事なの? 大丈夫? 今どこにいるの?」
『わたしは……の奥のへやに……』
「ノーム? どうしたの? よく聞こえないわ」
『たぶんもう……時間……無……』
「ノーム、聞こえないのよ!」
『この花を持って、わたしの声がきこえる方角へすすんでくだ……』
そこでピタリと声が止んでしまい、あたしは花瓶をガクガク揺すって訴えた。
わあぁ! お願いお花さんしっかりして! あなただけが頼りなの!
と、とにかく急がなきゃ! でもどうやって部屋から出るの!?
扉の外にはヤモリのようにベッタリ侍女が張り付いているし!
あぁもう! なにが乙女よ! なにが御手付きよ! そもそもそのせいで余計な混乱が!
……そうだわ! ひょっとしたらうまくいくかも!?
あたしは急いで扉に駆け寄った。
そしてコホンと咳払いし、息を落ち着けながらゆっくり扉を開ける。
扉の外の若い侍女がこちらを向いた。
「ねぇちょっと、聞きたい事があるんだけど」
「どうなさいましたか? 雫様」
「その、あたし、よく知らなくて不安で」
「? なにがでございますか?」
「もうすぐ迎える事になる、ヴァニスとの時間の事なんだけど」
怪訝そうな侍女の顔が、次の瞬間あ!っというようにパッと赤らんだ。
そしてモジモジしながら小声で答える。
「ヴァニス王様とのお時間、と申されますと、そのぉ」
「えぇ、つまりこの間の、その続きの事なの」
「つ、続き、でございますか?」
侍女の顔がますます赤く染まる。
あたしは素知らぬ振りで無知な乙女の芝居をした。
「あたしは、ただ黙って一緒のベッドで眠ればいいのよね?」
「え!? あ、ええそうだと思い、ますけど」
「じゃあどうしてヴァニスは、あたしの服を脱がせたのかしら?」
「え゛っ!? そ、それは、その」
「なぜあたしの体の、あちこち恥ずかしい部分に触れる必要があるの?」
「そ、そのぉぉぉ」
侍女は真っ赤になって無言で俯いてしまった。
こんなセクハラおやじ紛いな事したくないけど、背に腹は変えられない!
「またあんな事されたら、あたしきっとまた呼び鈴を鳴らしてしまうわ」
「そ、それはちょっと」
「ひょっとして、ただ一緒に眠ればいいだけとは違うの? 教えて。あたし何をすればいいの? ヴァニスに何をされるの?」
侍女は赤い顔と潤んだ目でオロオロ視線を泳がせる。よし! もう一押し!
「ヴァニスは言ったの。できるだけ優しくするって」
「……」
「でも初めての時はどうしても痛むって」
「……」
「すごく衝撃を受けるだろうけど、力を抜いて耐えろとか」
「……」
「その際には声を出してもかまわない、いやむしろ出された方が燃え……」
「そ、その件に関しましては侍女長より説明がございます!」
侍女は両手で『ちょっと待った!』の意思表示をした。
「王のご寵愛を受ける婦人に作法を説明するのは、歴代侍女長の職務なんです!」
「まぁあのロッテンマイ、いえ侍女長が?」
「えぇ! 図解入りで準備万端、懇切丁寧、アフターケアも万全で!」
「まぁすごい」
「あの方はプロですから! それに関して年季入ってますから! 私なんかより、そりゃもう素晴らしい説明と手ほどきをして下さいます! 今呼んで参ります!」
「ぜひお願い」
「承知いたしました!」
侍女は一礼してわたわたと廊下を小走りに去って行く。
その姿が見えなくなるまで見送り、あたしは急いで部屋に引き返して花束を腕に抱え、侍女と反対の方向へ向かった。