(10)
「だから、あなたの気持ちは受け入れられないわ」
「雫」
「ごめんなさい。もっと早く言うべきだったのに」
「雫、無駄だ」
「でも本当にありがと……え?」
無駄? 無駄って何が?
変わらず幸せそうな表情のままのヴァニスを、首を傾げながら見上げる。
「たとえお前に懸想する相手がいようと、それはもはや関係なかろう」
……いや、大ありでしょう?
というより、むしろそれが最重要課題でしょう?
「なぜ関係ないの?」
「お前は今、余と口付けを交わした。乙女が初めての接吻を交わす。それすなわち永久の愛を受け入れ、そして捧げる事にほかならない」
「……えっ?」
「お前は今まさに、余と永遠の契りを交わしたのだ」
「ええぇっ!?」
永遠の契りぃっ!?
そんなのってあり!? なに!? こっちじゃキスひとつにそこまで重要な意味があるわけ!?
結婚式での誓いのキスと同ランクなの!? 今のが!?
あたしは大慌てで首を横に振った。このまま話を進められたら堪らない。ちゃんと誤解を解かないと!
「待ってヴァニス! ちょっと文化の壁の問題が!」
「雫。異世界から舞い降りた乙女よ」
「そう異世界! それよ! そこが問題で!」
「やはりお前が余のさだめの女であったか」
聞いてない!!
なんか、一方的に感動的シーンに突入してる!
どうしよう! このまま怒涛の流れに持っていかれそうな気がする!
「あたし、そんなつもりは無かったの!」
「恥ずかしがるとは愛い奴だ」
「じゃなくて! そもそも初めてのキスでも無かったし!」
「ははは。貞淑な未婚の乙女が、すでに接吻を許しているはずがあるまい」
通じてない!!
完全にあっちとこっちでかなり深刻なすれ違いが生じてる!
しかもそれに全然気付いて無い相手との、すっごく虚しい会話になってる!
どうするこの溝っ!
「あ、あの! ヴァニス!?」
「なんだ?」
「ちょっとあなた、さっきからなにしてるの!?」
「おまえの寝具を剥ぎ取っている。そして余もベッドに上がりこみ……」
「……」
「こうして、お前の体の上に乗り上げている」
どうしてそんなことを?
と、聞くほどさすがにあたしも子どもじゃない。そんなの聞かなくてもよく分かる。
だから余計に焦ってパニックになってしまうのよ! ちょっとどうするこの展開!
油断した! 完全に乗っかられてしまった! 体重を乗せられて、もう身動き不能!
身じろぎしようとしても、どうにかヒジから先がジタバタ動く程度。足先が虚しくシーツを掻く。
世界と種族の存亡よりこっちが優先なの!? 明らかに順番間違ってない!?
と、とりあえずこっちの問題を丸め込まないと! それも早急に!
「今は世界の問題の方を優先すべき時だわ! 先ずはあたしの意見を聞いて!」
「話ならば後でもできる」
「後って何の後!? てか、あたしの意見は完全無視!?」
「お前の望みならば叶えたいとは思うが。なんといってもお前は、余のさだめの女であるからな」
「定まって無いわよ! まだ全然!」
ヴァニスの両目に、今まで見た事もないような艶が宿っている。
あたしはジリジリと全身が痺れるような焦燥感を感じ、息を呑む。
どうしよう、本当に待ったなしだ。どうやってこの場を切り抜けよう!?
「世界の転換期に計ったように異世界から来訪し、余の心を奪った乙女よ」
切羽詰ったあたしの心情を知ってか知らずか、ヴァニスの声に熱がこもる。
「余は知った。お前こそが、人身御供の運命から解き放たれた最初の王族を産む女なのだ」
う、産むって!
なんか今このシーンで聞くと、すっごい生々しい単語なんですけどそれ!
「それがお前がこの世界に来た本当の理由だ」
「人の出産予定を勝手に決め付けないで!」
「余が決めた事ではない。これはさだめだ」
「だからまだ定まって無いって! 全然なんにも!」
「知っている。定めの不確かさはな。だから」
ヴァニスの指が合図のようにパチンと鳴った。
突然、煌々と照っていた室内の明かりがフッと消えた。一気に暗闇になる。
「今宵、さだめを確実なものにする」
真っ暗な中、あたしの顔の上から囁くような艶やかな声が降って来た。
全身が硬直する。頭の中は「どうしようどうしよう」だけがエンドレス。
額の髪の生え際に汗が浮かぶ。心臓はもう爆発しそうだ。
ヴァニスの固く大きな手があたしの寝間着の胸元をあらわにしようとして、慌てて抵抗する。
でもヴァニスの服の背中あたりを引っ張る程度の事しかできない。
「雫、逆らう事は許さぬ」
ヴァニスが耳元で熱く囁き、あたしは思わずビクンと震える。
一見細身なわりに筋肉質な体格が、服の生地を通して伝わってくる。
その重み。動き。体温。お互いの息。
生々しい。全てが生々しくて、あたしはわけも分からず翻弄される。
素肌が室内の空気に触れて、皮膚に男の指の感触を直に感じた。
どうしよう。どうしよう。誰か、誰かなんとかして。
どうにかして。あぁ、どうにか。
どうにか……されて、しまう……。
首筋や、はだけられた肩を何度も上下していたヴァニスの唇と舌が、耳朶に到達した。
思わず小さな声が出てしまい、唇を噛み、体を固くして痺れに耐えた。
ヴァニスはそんな反応を確かめるかのように、何度も何度も繰り返し耳元を優しく噛み続ける。
どうしても、声が……出る。
そして耳元には、甘く温かい囁き声が。
「雫。お前だけが余の特別な女だ」
あたしは両目をカッと見開いた。