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 あぁそうか。そういう事なら。


「はじめまして。相原 雫です」

「……なぜそういう発想になるのだ?」

「え? だって近視なんでしょう?」

「お前という女は、まったく」


 ヴァニスは何ともいえない複雑な表情になって、肩を震わせながらクツクツと声を忍ばせて笑った。

 何だかものすごく楽しそうな、今まで見た事も無いような笑顔だった。

 国王としての威厳と自信に満ちた顔でもなく、マティルダちゃんに向ける頼れる兄としての顔でもない。

 ただの普通の青年のような、そんな顔をして笑っている。


「お前を、雫の事をもっと良く知りたいと思う」

「あたしを、知りたい?」

「お前は初めて会った時から特別、かつ強烈であった」


 強烈……。果たして褒め言葉の意味なんだろうか。それは。

 まぁでも、確かに強烈としか表現のしようが無いのかも。


 初めての出会いは剣を挟んでの一騎打ち(と、あたしは思ってる)

 その時から一貫してタメ口全開、無礼千万。

 王家の象徴である高貴な馬には悲鳴を上げて逃げ回り、料理ひとつに目を丸くして興奮しながら食らい尽くす。

 あげく血だらけになって運ばれるし。見ていて飽きないのは確かだろう。

 楽しいかどうかは別として。


 そう言うとヴァニスは声を上げて愉快そうに笑った。

 白い歯が印象的に見えた。


「いちいちもっともだな。お前の言う通りなのだが、その全ての理由でもあり、そのどれも理由では無い」

「え?」

「説明が出来ないのだ。自分でも。なぜこんなにもお前の事が気になるのか」


 静まっていたあたしの鼓動が、再びトクンと鳴り始める。


「なぜなのか答えられない。なのにどうしても気になってしまう。お前が、お前だけが特別なのだ。余にとって」


 その言葉を聞いた瞬間、あたしの胸に強い衝撃が走った。

 思わず見開く両目が、ヴァニスを通して別の存在を見ていた。


『雫、オレにとってお前だけが特別な人間なんだ。失いたくない』


 鮮明に記憶が甦る。

 あぁ、ジン。あたしの想う銀の精霊。

 あたしを救う為にヴァニスに戦いを挑み、打ちのめされてしまった。

 あたしを幸せにしてくれたあなたと同じ言葉を、そのヴァニスの口から聞くことになるなんて。

 なんて皮肉なんだろう。


「こんな気持ちは初めてだ。これが惹かれるという気持ちなのか、分からない。初めての事で判断がつかない」

 どこか思い詰めたような真剣な表情が、さらに近づいた。

「だから、知りたい。お前を。自分の心を」


 黒い瞳の芯に、あたしの顔が映るほどにふたりの距離は近い。

 あたしの心臓は苦しいほど激しく鳴り続ける。

 この展開に戸惑っている? 困惑している? 恥ずかしがっている? それとも嫌悪している?

 嫌悪? 何に対して? ヴァニスに? それとも。


 ジンという想い人がいながら、胸を激しく鳴らせて頬を染める自分自身に?


「知るために、余に捧げよ。お前の唇を」


 あたしの心臓が跳ね上がった。

「ヴァ、ヴァニスだめ。待って」


 さらに接近しようとしてくるヴァニスの両肩を、とっさに掴んで押さえる。


「待たぬ」

「待って。だめよ」


 話す吐息の熱がお互いの唇をくすぐる。

 ヴァニスの広く硬い感触の肩を押し止めても、無駄な抵抗だとは分かっていた。

 逃げられない。どうにもできない。

 ヴァニスの熱を感じながらただ心臓を跳ね上がらせて、拒否の言葉を繰り返すだけ。


「余はずっと不安だった。このまま二度とお前が目覚めなかったらと。だから余はもう待たぬ」

「ヴァニス、だ……」


 黒く熱い瞳が閉ざされ、ヴァニスとあたしの距離がゼロになる。

 彼の唇があたしの拒否を封じ込めた。


 重なり合う唇。

 強く押し付けられて、あたしの手がびくんと震える。

 ヴァニスの香りに包まれ、ふたつの柔らかい体温が混じり合った。

 広い胸に覆われ、体重を感じて、あたしは呼吸すらままなら無い。


 顔を振って拒絶しようとしたけれど、ヴァニスはそれを許さない。

 より強く重ねてくる唇。しっとりとなめらかな皮膚の感触。

 彼は確かめている。そして求めている。


 そっと唇が離れ、あたしは深く息を吸った。

 大きく胸が上下する。激しい呼吸が苦しい。

 泣きそうな顔でヴァニスを見上げた。

 ヴァニスは熱に浮かされたような目であたしを見下ろしている。


「説明がつくような答えが欲しかった。だがもはや説明など不要だ」

「ヴァニス……」

「お前は余のものだ」


 そう言って再びあたしにキスをする。

 あたしの唇を味わう様に啄ばむ、彼の唇。

 両腕を掴まれ、体を押さえつけられて身動きできない。

 篭もった声を口の端から漏らしながら、あたしは困惑し、翻弄され続けた。


 やっと離してくれたヴァニスはとても幸福そうな表情だった。

 切ない溜め息をつき、優しげな目であたしを見つめている。

「お前は余のものだ。雫」

 その言葉を繰り返した。


 あたしがあなたのもの? いえ、それは。


「だめよ。だめなの」

「何がだめなのだ?」


 穏やかで幸せそうなヴァニスの声に、今までとは別の意味で心臓が激しく鳴る。

 罪悪感が込み上げて、ヴァニスの顔をまともに見られない。

 でも、ちゃんと言わなければ。


「あたし、好きな人がいるの」


 ごめんなさい。あたしはジンのことが好きなの。

 気付いたばかりの気持ちだけれど、だからこそ大事にしたい気持ち。

 あなたがこんな風にあたしを想ってくれるなんて思わなかった。あなたはとても素晴らしい立派な人だけれど。

 でもあたしの気持ちは、あなたには無いの。


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