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 ほんのわずかに見えていた希望の光が遠ざかる。

 するりと指の先から逃げて、今は跡形も無い。

 なぜこんなにまでも救いようが無い?


 絶望によって異世界に飛ばされ、失意の底に落ちたあたしが出会った人達は、全員が揃って善人だった。

 水の精霊もモネグロスもジンも。イフリートもノームも。

 ヴァニスもマティルダちゃんも国民の皆も。

 みんなみんなあたしに優しく親切にしてくれた。誰一人として悪人なんていない。それは間違いの無い事実だ。


 なのに、どうしてこんな事になってしまう?

 皆が善人なら、皆が等しく救われてもいいはずなのに。

 どうしてこんなにまでも、どうしようもない事情が世界にまかり通るんだろう。


 世界って、生きるって、なに?

 あたしは信じていたのに。真実とか、正義とかを信じていたのに。


 ……信じる?


 あたしは、ふと思った。モネグロス。砂漠の神。

 そう、神。

 まさか、モネグロスも?


 モネグロスも神として人身御供を受け取り、命を奪い続けていた?

 そしてそんな事をしながら、人間のあたしにあんなに優しい笑顔を向けていた?


 あたしは、ゾッとした。

 そして痛烈に受け止める。信じること。そして『無知である』という事を。


「雫、どうした? 顔色が悪いぞ?」

「ちょっと、眩暈がするの」

「大丈夫か?」


 ヴァニスが立ち上がり、あたしの顔色を覗き込む。

 あたしは口元に手を当てて頷いた。

 でも本当は具合が悪い。軽い吐き気がした。


 人身御供の件についてきっとモネグロスには……神側には、神側の言い分があるんだろう。

 あちらの世界でも昔は、人身御供が実際に行われていたし。

 人身御供に捧げられる事を名誉とする地域も実在した。

 決して一方的ではなく、神と人の双方で成り立つ儀式だった。でも。


 でも心情的に拒否反応を示してしまう。

 理屈で理解しても感情が納得できない。どうしても、どうしても考えてしまう。

 これは神による残虐行為だって。

 非力な人間は可哀想な被害者なんだって感情を覚えてしまうの。


「無理をするな。もう横になれ」

 ヴァニスに肩を抱かれるように支えられ、ベッドに体を横にしながら重い溜め息をついた。

 叩きのめされた感じだわ。


『みんな仲良くしましょうよ。きっと出来るわよ。さぁ手を取り合って!』


 そんなお気楽なあたしの発想を誰かに鼻で笑われているような気がする。

 世の中はそんな単純じゃないんだって。

 確かに、道はどこかにあるのかもしれない。

 でも、あるからといって見つかるとは限らない。

 何もしないで諦めるのが嫌だから一歩前へ進んでみたけれど。

 進んだ先は道じゃなくて、崖っぷちだったような気がする。


 こんなんであたし、道を見つける事ができるんだろうか?

 片っ端から目くらめっぽう突進して行って、勢い余って崖から落下してたら世話無いわ。そんな時間も無い。


 そうよ。どっちが悪いとかこっちが被害者とか、また堂々巡りしてる暇は無い。

 もう迷ったりしないわ。そのせいで大事なことを見失えない。


 モネグロスやジン達に会わなきゃ。今聞いた話をみんなに伝えるんだ。

 あたしひとりが……ううん、人間側だけが抱え込んで、悶々悩む問題じゃないんだもの。

 それぞれの種族が自己完結してないで、もっとオープンな姿勢をみせ合うべきよ。

 そうすれば妥協案が見つかるかもしれない。


 基本的に今まで、「みんなで何とかしよう」って提案が一度も出されて無いのが問題なんだわ。

 種族内だけで完結しちゃ駄目なのよ。

 意見と利益のゴリ押し風潮から、ちょっとだけ目を逸らして。

 それぞれが譲歩できる点を提示すれば、なんとかなるんじゃない?


 そうよ! 大岡越前『三方一両損』よ!

 この方針でいけばいいんじゃないかしら!? いや、さすがは日本の誇る名奉行だわ!


「どうした? また急に顔色が良くなったようだが?」

「ええ! あの、ちょっと聞いて欲しい事があるの!」


 あたしはベッドに仰向けになったまま興奮して話し出した。

 ヴァニスは上から覗き込むようにしてあたしの顔を見ている。


「あのね、昔、大岡越前守って有名人がいたのよ」

「ほう?」

「いってみればまぁ、名裁判官みたいな人で有名なんだけど」

「うむ」

「その人の、逸話が……」

「……」

「あの……ヴァニス?」

「なんだ?」

「ちょっと、顔、近すぎない?」


 ベッドの端に腰掛けたヴァニスの顔が急接近している。

 仰向けのあたしの、ほんの頭上20センチ。

 緩やかにウェーブした髪があたしの額や頬に触れて、黒い真っ直ぐな瞳があたしを凝視している。


 あたしの心臓は激しく動機を打った。

 ベッドの上でこんなに接近されて、頬が思わず赤く染まるのを止められない。

 まるで視線に縫い付けられたように、あたしも視線を逸らせなかった。

 ヴァニスから。微塵も。


「お前の顔が見たいのだ」

「み、見えるでしょ!? こんな接近しなくても!」


 近視かあんたは!

 って考えて、ふと思った。ひょっとしたら本当に近視なのかも。

 そういえばこちらの世界の人間って、メガネかけてるの見た事ない。

 この世界に近視や乱視や老眼が存在しないってわけでもないだろう。だとしたらメガネが存在して無いんだわ。


 国王の執務なんて、長時間大量の書類との格闘だろうし。近視になる要因が大よね。

 それじゃ今までこの人、あたしの顔がろくすっぽ見えてなかったとか?

 それで今回、良い機会だからちゃんと見て覚えておこうと?


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