風の精霊(1)
―― ゴオォォォ!
一陣の風が吹き、あたしの周囲の砂を勢い良く巻き上げた。
うわ!?
両腕で顔をガードして砂埃から身を守る。
防ぎ切れない砂が鼻や唇の隙間から入り込み、あたしは派手にむせた。
うえ! ま、また砂が目に入った! いててて! げほっ!ゲホッ!
咳き込みながら薄っすらと目を開けて状況を確認すると、そこにいつの間にか銀色の男が立って空を見上げていた。
銀の髪。銀の瞳。
いえ、銀色というよりもムーンストーンに微粒子の銀の粉を混ぜたような、そんな不思議な淡い輝きだった。
柔らかな空気の動きが、その男から独特の香りを運んでくる。
風の臭い、自然の香り、その感触。
銀に輝く髪を風になびかせ、彼は物悲しそうにずっと無言で立っている。
両手を天に向けて、何かを深く悼むようなその切ない表情を見て、あたしは思い至った。
これが風の精霊? 水の精霊が言ってた、はぐれた仲間?
仲間の精霊の死を悼んでいるの?
そのとても悲しげな姿を見て、あたしの胸も痛んだ。
やっぱり精霊にとっても命は大切なんだ。
そうよね。だってこの世にたったひとつしか無いものだもの。世界は違えど、その価値は決して変わらないものなんだ。
でもあの水の精霊は毅然とした態度だった。
自身の命の終焉を悲しんではいたけれど、取り乱してはいなかった。
なぜなら崇高な使命感と希望があったから。
仲間を救いたい。その一心。
そしてその気高い希望を託されたのは、あたしと、この銀色の…。
銀色の精霊が、まるであたしの思考に反応するかの様にこちらを向いた。
不思議な質感の肌色と銀色の髪が、風に緩やかに吹かれて絶えず光を放っている。
真っ直ぐにこちらを見つめる同色の瞳が美しい。
水の精霊は華奢で可憐でたおやかだったけれど、この精霊はシャープに整った顔立ちと、すっきりした体躯で。
例えるなら、そう、切れ味の良いナイフを上品な細工の鞘に収めている。そんな印象だ。
醸し出す雰囲気は真逆だけれど、どちらの精霊もやっぱりとても綺麗で魅力的。
思わず見蕩れるあたしに向けて、精霊の形の良い唇が動いて第一声を放つ。
「おいこら、そこの人間」
あたしは、その妙に不機嫌そうな声にビクッと体を震わせた。
あ、あたし? あたしの事?
「そう、お前だお前。人間」
「……」
「ぼうっとするな人間。事情は知ってる。さっさと行くぞ」
「じ、事情って、どの? なんの?」
「お前と水の精霊の会話は風に乗って聞こえてきていた」
事情って、あたしが人間の身でありながら水の精霊の力を継いだ事か。
あたしは自分の両手を広げて、まじまじと眺めて見た。そして全身をあちこち隈なく点検してみる。
うーん、別に何がどう変わったとも思えないんだけれど??
手は二本、足も二本、胴体も頭もひとつずつ。
尾びれも無いし、水掻きも無いし、ウロコも生えてない。
エラも…無いわね、やっぱり。ふむ。
いきなりシーラカンスみたいな姿になってたら絶望ものだから、ひと安心ではあるけど。
あたし本当に継承したのかしら?
ぺたぺたと手の平で全身を確認作業してるあたしに、風の精霊がぶっきらぼうに言った。
「そんな事しなくても、お前はちゃんと継承してるさ」
あたしは疑問の目を精霊に向けた。
そう、なのかしら? でも実感も変化も全然無いんだけれど。
あったらあったで困るけど。
それにしてもこの精霊、なんだかずいぶん機嫌悪そうね?
「あたし、これで本当に精霊になっちゃったの?」
「正確に言えば、肉体は人間のままだ」
「人間のまま?」
「水の力を使えるようになっただけの、ただの人間なのさ。お前は」
『ただの人間』
いや、嬉しいけどさそれは。
自分が人外生物の仲間入りしたわけじゃないって事は、素直に嬉しいんだけれど。
でもさ、なにか感じない? 棘を。
この精霊のあたしに対する言葉と態度の端々に。
さっきからずっと、こう、ナイフの切っ先でツンツン突っつかれてる様な不快感を感じるんだけど。
そもそもこの人って風の精霊で間違いないの? 人じゃないけど。
「ねぇ、あなたが水の精霊が言ってた風の精霊なの?」
「当然だろ。分かりきった事を質問するなよ人間」
……。
「どの世界でも人間ってのは、本当に愚かな生き物なんだな」
…ムカ。
「あぁ、お前は完全に人間ってワケでもないか。言うなれば半人間だな」
…ムカムカ。
「つまり出来損ないの精霊って事だが、まがい物でも無いよりマシだ」
ムカムカムカッ。
「行くぞ、まがい物の半人間。神殿に向けて出発だ」
「ちょっとあんた! いい加減にしなさいよね!!」