その七、エンゲージ
崩れかけた遺跡の中、少女は拳を握りしめて、それを床に叩きつけた。
「そーれっ」
華奢な腕に小さな拳だ。
しかし、ちょっと気が抜ける可憐な掛け声とは裏腹に、やたらと頑丈で魔力では破壊出来ない床は、ドゴーンッ!!と音を立ててあっけなく割れ崩れた。
「あわわっ」
足場が無くなって慌てる少女を、ひょいと青年の腕が抱きかかえる。青年は魔術で空中に浮かんでいた。
「あれ?ジオ」
「少し力加減を間違えたようですね?真理」
これまで破壊してきた魔法陣は、床に罅を入れ効力が無くなってから、ジオが魔術を叩きこんでいた。粉微塵になり復元も叶わないほどに。
「だって、うう…ごめんなさい」
ジオこそがこの魔法陣を破壊したかっただろうに…と、しゅんと落ち込んだ真理の顎をすくって、ジオはちゅっとキスを落とした。
「真理が怒ってくれて、嬉しいです」
「はわわわわ」
ぷしゅーと湯気でも噴き出しそうなほど赤面した真理に、この子もうすぐ十六歳になるのに大丈夫なのだろうか?と内心で首を傾げる。
彼女が十六歳になったら、もう色々と我慢するつもりは欠片もないのだが……
「あれ、ジオ…静香さんは?」
「あそこです」
結界の魔法陣の内側…考古学を専攻している赤毛の青年が、真理の羽織っていたマントを抱え青ざめて震えながら立っていた。
横ではその双子の姉が、契約書片手に呪文を唱え結界を維持している。
キャスとキャステスである。
そしてその後ろには、二人を守るために雇われたロマッドが真理の視線に手を振った。
真理は少しむくれた。まさかジオが静香さんを他人に預けるとは思わなかったからだ。
友人を認めてもらったようで嬉しい気分もあるが。
そんな思考を読んだのか、ジオは「真理の友達ですからね」と微笑む。
嫉妬よりも嬉しさが勝った真理は、ふにゃりとむくれていた顔を笑顔へと変えた。
考古学専攻で、この遺跡の国を滅ぼした呪いの原因を理解しているキャステスに、その原因そのものである白骨死体を預けている点で、何かが違う…が、耳が良くて二人の会話が聞こえているロマッドは、一流の傭兵で危険を察知する能力にも長けていたので口を噤んだ。
すっかり完全に崩れ落ちてしまった遺跡に、キャステスは「あはは」と気の抜けた笑い声を上げた。
考古学者を目指しているキャステスにとっては、これは貴重な過去の資料の崩壊であった。
「幻の帝国首都神殿…が」
「でも凄い空気が澄みだしたわよ」
「それはマリーがあの白骨死体にキスした時からじゃないか…マリーの怪力にも驚いたけど、あんな呪いを祓えるスキルも持ってるなんて…」
「あ、でもあんたが呪われても、祓わせてもらえないだろうから気をつけなさいよ」
考古学者の死亡の原因第三位が呪いだからと、キャスはにっこりと笑う。
「でも召喚魔法陣って、怖いね。あんな呪いを吐き出す死体を呼び出しちゃうなんて」
辛うじて持ち出した資料を見ながら呟いたキャステスに、ゴンッと拳が振り下ろされた。
…だいぶ手加減はしていたが、それでも頭をかかえて蹲ったキャステスは涙目で巨体を見上げた。
「ロマッドさん~っ、なにするんですかぁ」
「あん?見習いとはいえ、考古学者が資料を鵜呑みにしてどーすんだよ。それにありゃあ勇者召喚の魔法陣だ。あれは生きてる人間しか召喚できないんだよ」
ロマッドは資料を汚い物を見るような目で一瞥して、吐き捨てるように言った。
「あれは召喚したら、対象に害意の無い人間にしか入れない。つまり死にかけの人間が召喚されて、誰も入れなかったから死ぬまで放置された勇者の姿だ」
入れなかったら入れなかったで、まったく知らない奴でも呼んできて、治療してやればよかったのに…と、ロマッドは腹立たしげに呟く。
ロマッドは傷ついた者を見捨てるような人間が心底嫌いだ。
「そんな…ひどい」
「マリーちゃんはひと目で分かったんだろーな、じゃなきゃ…あんな呪いの固まりに駆けてって抱きしめて、泣いたり口づけたりしないだろ」
勇者を見殺しにした者達は困っただろう。呪いを発する死体、その呪いは目に見えるほど凄まじい物だった。事情を知ってる者は当然、知らない者でもあの陣の中には入れなくなる。つまり死体はそのまま放置だ。
滅びても自業自得である。
「魔術特化タイプの勇者だったんだろうな…」
ロマッドの呟きに、双子は一時は預かった白骨死体を抱えた二人の方を見る。
大切そうに白骨死体を抱えて、ジオの膝の上に座る真理を見やり…キャステスは切なそうにため息をついた。そんな弟をキャスは呆れた眼差しで見る。
勝ち目などないのに、諦めきれない弟はアホだと思うのだ。
「ジオがマリーちゃんの行動を止めないとは思わなかったが、あんなスキル持ってたならな~…でもあいつ結構独占欲強いのに、よく許したよな…」
白骨死体相手とはいえ…と、ロマッドは呟いた。
少し離れた場所で、白骨死体を抱えた真理とその彼女を膝の上に乗せたジオは、しみじみとした気分で崩壊後の神殿を見る。
「静香さん、これからどうします?」
真理は元とはいえ、彼女の呪っていた地に彼女を埋葬するのは嫌だと呟く。
「そうですね…」
ジオは前世の自分の死体を見て、考える。確かに『自分』としても、ここに埋葬されるのは何か嫌だ。
しかし白骨死体を運ぶのは、ちょっと外聞的にもいただけない。
「あ、そうだ」
一つ、思いついて…ジオは魔術を展開させた。
白骨死体は光り輝いて、小さく圧縮される。
「えっ」
「うん、成功」
「宝石?」
二粒のイエローダイヤが白骨死体の代わりに現れたのに、真理は驚く。
「『私』だよ。これでお揃いの指輪を作るから、ここに嵌めてね」
左手の薬指に口づけられ、真理は真っ赤になった。
こうして幼な勇者はしなやかな女性へと成長してゆき、青年魔術師の妻となって、末長く幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。