9 おまえだったら、伝説の女魔王と結ばれて、最強になれるんじゃねー
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走り終えた魔王。不可解な気分に襲われていた。履いている砂埃まみれのローファーを、見るともなしに見ていた。
どうしてあんなことをしたのか?
おまえの分は吾輩が走る、なんて……。
「碧人、サンキュ」
ふくらはぎ痙攣男が魔王に礼を言う。まだ足をひきずっていた。
軟弱者め、魔王は喝を入れるため、ふくらはぎ痙攣男を睨もうと……。
どこまでも透きとおるような笑顔を、彼は魔王に向けていた。
「退院直後の碧人に助けられるなんて、オレ、一生おまえに頭あがらないよ」
ぽり、とふくらはぎ痙攣男が後頭部を掻く。なはは、と弱々しい笑い声をあげ、彼は本当に頭を下げた。
脳裏で魔界での過去が過ぎった。
ふがいなさを見せた配下は、見せしめとして公開処刑に処した。
気の緩みは魔王軍の士気の劣化だ。体制崩壊の綻びである。だからして、魔王は冷酷に対応してきた、はずだ。
「……、まあ、仕方がない、だろう……」
魔王は彼にぷいと背を向けた。
きつく唇を噛む魔王。その肩にぽんと手を置かれた。
「おかえりだな、碧人。いやーいい走りだ。入院してたのにおまえ速くなったな」
ふくらはぎ痙攣男が、やっぱり後頭部を掻きながら、魔王にサムズアップした。
魔王は黙り込んでいる。
そもそも、背後から肩に手を置かれた時点で、魔王はいっぱいいっぱいだった。
どうしてかというと――、
ふくらはぎ痙攣男の醸しだす雰囲気が、魔王の亡き兄にあまりにも似ていた。
兄、イグノアリウスは、魔王とは腹違いだった。
大魔王の息子であるにもかかわらず偉ぶらない兄は、飄々と風になびかれているような男だった。
それは、イグノアリウスの母が大魔王の側室であったがためであるかもしれない。ゆくゆくは正室の子・魔王が魔界を治め、イグノアリウスが配下となるのは既定路線のこと。
しかし、魔王が玉座について暫くの後、反旗の狼煙があがった。反乱である。
魔王の治世で力を失いつつあった元重鎮の魔物が、イグノアリウスを焚きつけた。
魔界であまねく情報網を張っていた魔王は、即座に元重鎮を捕え、処刑した。
問題は、捕縛されたイグノアリウスである。
魔王の兄とは言え、今回のクーデターで首領に担ぎ上げられた。
生かしておくと後に禍根が生じる。イグノアリウスを含め、縁者全員に処刑命令が下った。
処刑の前、収監されているイグノアリウスに、魔王は会った。
蜂起に加担しなければ、一族として過不足のない生活を送れたバカ兄。そのツラを最後に見てやろう。さぞ、兄は魔王を恨んでいるだろう。
だが――、
魔王の顔を見たイグノアリウスは、後頭部をぽりっと掻きながら破顔した。
「いや~、まいった。おまえ強くなったな。敵わなかったよ。おまえだったら、伝説の女魔王と結ばれて、最強になれるんじゃねー」
言い伝えは古くから魔界にあるものだった。
〝魔王と処女魔王とが結ばれ、偉大なるチカラが生まれる〟
馬鹿らしい口伝である。魔王の他に魔王は存在しない。しかも、処女ということは女の魔王だ。そんなことは断じてあり得ない。
(死の直前に至ってなおホラ話を真に受けるとは……担がれて当然の器量しか持ち合わせない兄だったか)
失望する魔王が去る際、イグノアリウスはサムズアップした。
「おまえ、いい魔王になれよ~」
夜を待たずにイグノアリウスは処刑された。
反省を感じさせない〝サムズアップ〟が問題視された。
魔王がイグノアリウスに会いにいかなければ、彼はその生命をもう一夜長らえることができただろう。
魔王は処刑を見物しなかった。
執行報告を受けた魔王は、玉座で小さく頷きを示した。ただ、それだけだ。
小鳥がさえずりを止め、どこかへと羽ばたいていった。
なお、古からの魔界の言い伝えには、続きがある。
〝指どうしを突き合わせる者が危険を炙り出し、長い髪を二つに結んだ者による黄金色の光がチカラを助ける〟
己さえいれば最強・最恐と自負していた魔王には響かなかった言い伝えである。
「スパイク履いてきな~」
魔王が履くローファーを、ふくらはぎ痙攣男が指さす。魔王は口を結んだままだ。
彼が言葉を続けた。
「なんか久しぶりに会ったらさ、また一緒にボール蹴りたくなってきたよ。おまえ、いいフットボーラーになれよ~」
魔王は――こっくりと一度だけ頷き、グランド脇にあるサッカー部の部室の方へ向かった。
また一緒ではない。初めて一緒にボールを蹴るのだ。
野暮な言葉を吐かずに済んだ。魔王は人知れず安堵していた。




