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8 そんな、吾輩が……いや、まさか


 放課後。

 サッカー部の練習に合流する前、魔王はゆっくりとその練習風景を眺めた。


 そもそも部活動というものに馴染みがない。

 魔界では、己の武術を磨く『鍛錬』があるにはあったが、稀なものだ。脳筋のオークが重い斧をぶんぶん振り回すぐらいである。

 魔物は生まれながらにして一定の魔力や攻撃力を有する。種によってそれらの値は千差万別で、勇者の冒険譚で耳にするレベルアップなどは存在しない。

(なお、魔王は規格外である。只でさ強いのに、鍛えるほどに強靭さを増す)

 ドラゴンに生まれし者は、生来の火炎を吐き、厚い鱗に守られた守備力は一級品だ。

 しかし、低級魔物・スライムは、実戦経験を積み重ねてもスライムの域を越えられない。


 それだけに、この世界。

 ヒューマンは、鍛えるほどに、生まれ備えた能力値を上げる。その論理において、魔王は親近感を覚えていた。


 部活動がもたらす効果を知った魔王は、部員達の一挙手一投足を値踏みするように観察する。

 身体能力が優れた者はいない。スライムにさえ劣るだろう。

 所詮はヒューマン……だがしかし――。


 魔王にとって不思議でならないものがそこにはある。

 まず、能力値がバラバラだ。

 例えばスライムは、押しなべて均一な攻撃力、防御力、知性、素早さを持つ。

 しかし眼前のヒューマンは、ある者は他者よりも走る足が速い。シュート力も違う。能力値が各人でそれぞれ異なっている。

 だがそれ以上に、魔王にとって解せないもの――


「ファイッ! オーっ!」

 部員達は今、グラウンドを走っている。400mトラック×30周の計12kmをランニングしてから、ボールを蹴る練習に入るようだ。

 12km。魔王にとってはお遊びみたいな距離だ。


「声出そうぜえっ!」「おうーっ!」

 トップを独走するヒューマンのかけ声に、周回遅れの者が歯を食いしばり応える。

 小賢しいドラマの演出。魔王は唾を吐きかけた。


 ――と、

 後続グループで駆けていた者がペースを落とした。倒れそうになる。

 周囲が気づき、大丈夫か? と声をかけた。先輩大丈夫っす。応答するも、彼のふくらはぎは痙攣していた。

 どう見ても大丈夫ではない。魔王は内心笑いそうになる。これ以上走れないことは明らかだ。

 ちょっと休んでろ! いや大丈夫っす! おまえそこ前にケガしたとこだろ。平気っす。身体を大事にしろ! 自分が走りやめたら全員で完走できません!

 クソ茶番。

 冷めた感情で、魔王は、ヒューマンどものやり取りを眺める。それなのに……いつしか拳をギュッと握っていた。

 いいんだよ、ケガを押してまでやり遂げるな。おまえがケガを引きずる方が俺達には辛い。先輩! 俺がおまえの分まで走る。先輩!

 沈みゆく赤い夕陽を背景に部員達が血潮を漲らせる。じゃかじゃーんと壮大な効果音が流れそうな雰囲気。


 なんだ、これは……。つん、と目の奥と鼻に何かが集まる。つ、と魔王の頬に雫が伝った。

 今まで抱いたことのない感情に、魔王は襲われた。


 涙。


 そんな、吾輩が……いや、まさか。

 ぶんぶんと首を激しく振る魔王。

 吾輩は魔界に君臨していた王だ。感動に身を投じるなぞ、ありえぬ。他者への憐れみは寝首を掻かれうる。沸いた感情を打ち消そうと、魔王は首を振り続ける。


 しかし、


 衝動的にその場から駆けてだしていた。あまつさえ、魔王はこうも叫んだ。

「おまえの分は吾輩が走る!」

 バックパックを投げ置き、制服姿のまま400mトラックを魔王が走り始める。


 一瞬、ぽかんとした空気が生まれた。

 だが、サッカー部キャプテンである藤堂武光が、

「みんな、碧人にならえ!」

 と気炎を吐くや、ドドドドと怒涛の勢いの足音が校庭内に溢れた。



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