6 アクシデントの血糊マドンナ・結菜
そうして迎えた放課後。
いそいそと教科書をしまい、ちゃっと教室を出て部活へ急ごうとする魔王に、1人の女子生徒が立ちはだかった。
ん?
すっきりした鼻梁にパッチリ目、口元は艶やか、セミロングの髪と相まって清楚な面立ちの超ド級美少女だ。
しかし、肘と膝には負ったばかりと思われる擦り傷がある。うっすらピンクに染まる頬には赤茶けた血の跡もあった。
秋月結菜。
別名・アクシデントの血糊マドンナ。
事件や事故、不運に巻き込まれる体質の少女だ。
「お、遅くなっちゃった。きょ、今日は碧人君が、ふふふ、復帰する日なのに。はあっ、はあっ……」
駆けてきたのか、息と声を細かく吐きながら喋る結菜。
「と、途中で、ひ、ひき逃げに遭っちゃって……、バ、バンってぶつかられて、ゴ、ゴロゴロと横断歩道を転倒させられちゃって……い、痛みがひくまで、う、うずくまってたら、こ、こんな時間になっちゃった……はあっ、はあっ……」
口から溢れた血が結菜の顎をつーっと伝っていく。血の雫がぽとっと床に落ちた。
(ひき逃げって……車だよね?)
クラスメイト達は不思議でならない。
(車にひかれてバンっ&ゴロゴロで、何故にうずくまる程度で痛みがおさまるの?)
「い、痛みがひくまで、だ、誰も通りかかってくれなくて……はあっ、はあっ……」
(ここ、そんな田舎じゃないよね……? 人口50万人越えてる市だよね?)
これも毎回だが、彼女だけはどうしてか重傷にならずに助かる。
誰かと一緒に彼女が事故に遭うと、せいぜい彼女は掠り傷を負う程度。しかし、その誰かは病院送りになる。
彼女と一緒にいると事故に遭う確率が高まるためか、性格・容姿・家柄・頭脳すべてが温和・良好・優秀・明晰であるが、彼女には友達が少ない。恋人もいない。
『そんなの関係ぇねぇっ!』
結菜の顔面と心根に惚れて告白やアタックを試みる男子生徒はいるのだが、口説いている最中で事故に見舞われる。
結菜の顔面偏差値はこのヒューマン世界において高レベルだ。しかし、魔王にとっては普通である。
千年もの長きに渡って魔界を統べていた魔王だ。
抱いた女の数も多いが、中には歴史上最強クラスの顔面女子も含まれる。校内1やミス・ジャパン程度の美しさで心を動かされる魔王ではなかった。
魔王が結菜を無視して教室を去ろうとする。
「あ、碧人君! ま、ままま待って! はあっ、はあっ……!」
結菜が魔王を引き留めた。
「久しぶりだな」
ヒューマンの世界で使われるコミュニケーション円滑フレーズを魔王は口にする。これが魔界であるならば、「どけ」の一言だ。機嫌が悪い場合は、何も言わずに相手を消滅させたであろう。
結菜は輝く瞳で魔王を見つめている。眦にうっすらと涙の蕾があった。
挨拶し、さっさとこの場を去ろうと考えていた魔王。しかし、ふと足を止めてしまった。
アイドル級美少女(ヒューマン基準)の顔に血がこびりついている。それはシュールだ。
何となく、眼前の少女はツインテールが似合いそうだなと思った。実際に、魔王は結菜の髪に手を伸ばしそうになった。
ツインテールを見てみたい、そんな軽い気もちだ。
が、これを唐突にしたらこの世界ではアウトになる。学習済みの魔王は、ぐっと欲望を堪えた。(ただ、魔王はもともとツインテール・フェチではない。そのため、どうしてそう思ったのかは自分でも分からなかった)
目を見開いた結菜は、続けてニコッ、と幼児のような無邪気さで破顔した。
「あ、あああ碧人君、な、なんか雰囲気変わったね。はあっ、はあっ……」
何気ない感じで彼女が次の言葉を紡ぐ。
「げげげげ、ゲームに出てくる、ままま『魔王』みたい」
魔王は吸った息を吐き出せずに凍りついた。思考が一瞬ストップする。しかし、流石は魔界を治めた過去を持つだけあって、行動は速かった.。すぐに透視を試みる。
相手の正体を暴く技術である。
ヒューマンになったとは言え、この手の簡易魔術ならば可能だ。ただ、魔界にいた頃よりも暴き出す正体の解像度が落ちる。
もしも刺客ならば、結菜の顔の後ろに、暗殺者の顔が炙りだされる。
(……)
どれだけ透視に集中しても、結菜はヒューマン基準で美少女な女子高生のままであった。
「ど、どどどうしたの? 碧人君。わ、わたし……、良いこと言っちゃった? はあっ、はあっ……」
(良いこと言っちゃった? じゃなくて、変なこと言っちゃった? だよね、そこは)
そう。
結菜も早坂同様に空気を読むのが苦手なのだ。
本人は読んだつもりでも、読みきれていない。
「もう今日は、あ、あああ碧人君に会えただけでう、嬉しくてヘトヘトだから、か、帰ることにするね。はあっ、はあっ……」
とてとてとてと結菜は廊下を歩き去っていく。
(嬉しくてへとへとなんじゃなくて、ひき逃げされたからヘトヘトなのでは? そもそも車にひかれたらヘトヘトどころで済む?)
教室の窓から湿気を孕んだ風が吹き込んだ。魔王の前髪を嬲る。
ふと、記憶にない懐かしさが込み上げた。
不思議な感情であった。




