57 魔物襲来!
女鹿の視線を追って振り返ろうとした魔王は、
「なっ!」
急激に高まった殺意と、攻撃を察知。
振り向くよりも先にすること――魔王は女鹿を突き飛ばす。手荒いが、緊急の安全確保のために、やむを得ない。
同時に、魔王自身は身を捻りながら跳躍し、相手を視野に入れる。
相撲取りがゾンビ化したサイズでゴリラ感たっぷりの魔物・リキシ―が襲いかかってきた。筋骨隆々の腕をしならせ、張り手を放つ。
ゴオンッ
ショベルカーがアスファルト路面を砕くような音。リキシ―の掌底が地面を割り、石砂利が弾け跳んだ。
「ちいいいいいいいいっ」
ヒューマンの世界に慣れ、敵の接近感知を怠っていた己の不甲斐なさを嘆く魔王。
頭頂に茶色い髪の毛を1本短く生やしたリキシ―は、既に追撃態勢をとっていた。その場で垂直に跳び、アッパーするように掌底で魔王の顎を狙う。
何故に魔物が魔王を襲うのか? いや、そもそも何故ここに魔物が現れるのだ?
疑問を抱くも、今は深く考えない。
魔界においてリキシ―は中級レベルの魔物だ。腕力は上級モンスターに匹敵するも、ゾンビゆえに知能が足りない。そのため、総合点では上級になれない。
空中に逃れたものの、ヒューマンに転生した魔王では、リキシ―を倒せるかは未知数だ。現に、魔王はなすすべもなく5メートルほどの跳躍から落下しかけている。
空洞のようなリキシ―の眼窩に赤い光が宿る。
一発破砕。リキシ―が得意とする攻撃の構えをとった。
「ちいいいいっ!」
叫びはもう己を嘆かない。鼓舞だ。
魔王は重ねた両手を下に、リキシ―に向ける。攻撃呪文を唱え――ようにも、魔力が漲る気配はない。
「ちいいいいっ!」
3度目の咆哮。
呪文が無理ならば、碧人の身体をもって肉弾で応戦する。
魔王は左足を自身の頭より高く振り上げ、踵落としの姿勢でリキシ―に突っ込んだ。
リキシ―が突き上げる掌底と、魔王が振り下ろす踵が打ち合わさる。
ヒューマンの殴りあいでは発生しない風圧が打撃点から波状に広がった。
気絶している女鹿がハリケーンに煽られた丸太のようにゴロンゴロンと転がっていくも、助ける余裕はなかった。
「くっ……」
本来の魔王であればリキシ―などデコピン一発で瞬殺できる。
だが、悲しいかな今は大空碧人の身。魔王が転生したことによりそれなりの身体能力が備わっているものの、中級モンスター相手は想像以上にキツかった。
リキシ―の掌底が魔王の踵を徐々に押し上げていく。
勝利を確信したリキシ―が、ブモモモーと雄叫びをあげる。
荒い鼻息が魔王の顔にかかる。
(……)
イラっときた。
(そもそも魔王に触れることさえ叶わぬ分際で、あろうことか吾輩に臭い鼻息を――)
ブッ、ブモモモモ……ブモモ……ブモモモモ……?
動揺するリキシ―。掌底がじりじりと下がっていく。
魔王はリキシ―の丸い頭を、気づかぬうちにサッカーボールとみなしていた。サッカーのヒールキックの練習をしているのだと。すると、不思議と足に力が漲ってきた。
ブモモモモモモモモモモモモォオオオオオーーー……ッ!
「だりゃあああああ――っ!」
およそ魔界を統べる者としてふさわしくないかけ声とともに、発憤した魔王は残る右足までをも振り上げ、落とした――両足踵落とし。ヒット!
ぶちゃっ――(リキシ―の肉体が潰れる音)
ふぁさっ――(リキシ―の一本しかない髪の毛が抜ける音)
相手がやられる際の効果音を、魔王は久しぶりに耳にした。




