54 正門がちょっぴり開いていた
声は続く。どれだけ魔王を苛んでも、今までの業が魔王を許してくれる気配はない。
魔王は頭を振る気力さえ失った。呆然とその場で立ち尽くした後、ぺろっとカーテンをめくった。
窓枠の外、遠くに浮かぶ月は赤黒い。
それは冷え固まった血を連想させた。
直後、逃れられないサダメが魔王に重くのしかかる。――おまえは――生まれついての『魔王』だから――……。
衝動から、魔王は2階の自室の窓から飛び降りた。
これで傷を負えたなら、どれだけ楽だったか……不幸にも、魔王にとってこれしきのことは、跳び箱五段を跳び、着地をするようなものだ。
この身体が……強靭すぎる身体が、魔王の証。そんな身体を転生後も持つ自分が嫌だった。
(吾輩は……魔王から、逃れられない――)
魔王は駆けだした。魔王という汚れたヴェールを、どこかに脱ぎ棄てたい。
(吾輩は、もう、魔王になんてなりたくない。もう、魔王でいたくない! ……勇者に(いい人)になりたい……!)
オリンピッ100メートル走金メダル選手を遥かに凌駕する速度で走っていく魔王。
幹線道路を走るバスを追い抜く。爆走トラックをぶっちぎる。歩道を歩く酔っぱらったミニスカねーちゃんのスカートを風圧で巻き上げても止まらない。もはやヒューマンの目で認識できるスピードではなかった。
ひゅんひゅん切り替わる景色の中、どれだけ走っても背後から迫る赤黒い月。魔王は更に速度をあげて走る。逃げる。魔王という現実から、全力で逃亡する。
そうしてたどり着いた場所。
キボコーだった。
ヒューマン転生後の魔王は、こことメンタルクリニック、家以外にはほとんど行ったことがない。土地勘がないのだ。
通学できなくなっていたにもかかわらず、無意識のうちにここを目指していたことに、当の魔王は驚いた。
(この世界における吾輩のアイデンティティは、ここ【キボコー】なのか……)
時刻は夜11時を回っていた。宿泊部屋のない校舎は闇の中に沈んでいた。誰もいるはずがない。
しかし――、ざっざっざっざっざ、と音が聞こえた。細かく吐き出される息も。
一般のヒューマンでは聴きとることができないレベルの音量だ。
(誰かがグランドで走っている)
よく見ると、正門がちょっぴり開いていた。




