36 ピッチは大歓声に包まれた
相手ボールで試合が再開される。
詰められた差を再度広げたいヤマコーは、カルロスにボールを集めた。
しかし、
「遅い」
千年に渡って魔界を牛耳った魔王の潜在能力は伊達ではない。ヒューマンに転生してもなお、並みのヒューマンの遥かに上をいくアジリティを有する。
カルロスからあっさりとボールを奪取した魔王は、視線をゴールへと向ける。
ぱっと見で5、6人の敵選手が視界に入った。
「ふ」
魔王は笑んだ。ゴールまでの道筋がピッチ上に浮き上がった気がした。
魔王はドリブルを開始する、1人抜いた、2人抜いた。
風が魔王の耳たぶをびゅんびゅん掠める、3人抜いた。
ヤマコーのディフェンスラインが崩れた。魔王は突き進む。
ヒューマンにしては体格の良い者が立ちはだった。魔王がキレッキレのフェイントをする。体重移動についていけない相手は尻もちをついて後方へ倒れる、4人抜いた。
「行け行け、碧人ぉ!」
チームメイトが叫ぶ。
観客席からは歓喜とも悲鳴ともつかぬ大音声。
ボールと一緒に魔王は駆け抜ける。5人抜いた。
あとは――、ヤマコーのゴールキーパーとの1対1だ。
聴覚を鋭敏にする魔王。
ベンチで待機している間に、敵と味方の足音はすべて頭に叩き込んである。
襲撃時の足音で敵・味方を区別する能力は、魔界では必須スキルだ。たかだか20人程度の選手の足音をインプットするなど、魔王にとっては折り紙で鶴を作るよりも容易い。
味方の足音はまだ遠い。
対して敵は、2人が左後方から迫ってきている。右後方からも敵の足音があった。
独走をかました魔王は、己が敵に囲まれ、孤立無援であることを悟る。次にとるべき行動を何パターンか脳内で叩きだす。この間、僅かに零コンマ数秒。
ゴールキーパーが魔王との距離を詰めるために、前方へ体重をかける。
と――、魔王はボールをふわりと浮かせて蹴った。
ループシュート。
ゴールキーパーは、ボールに反応することさえできない。頭上を山なりに越えていくボールを見送るだけ。
バスッ
ゴールネットにくるまれるボール。
ピッチは大歓声に包まれた――。
♨□■走れカルロス□■♨
カルロスは激怒した。
まさか日本にこれだけの選手(魔王)がいるなんて。
近年レベルが上がっているとは言え、日本のサッカーを舐めていた。
カルロスには、サッカー王国・ブラジル出身者としての誇りがある。
スラム街のストリートでボールを蹴り、ある日、サンパウロFCの育成部門からスカウトを受けた。
けれども、サッカーは残酷だ。ブラジルどころか数多の国から、サッカー猛者がサンパウロFCには集まってくる。
己の力量を悟ったカルロスは、先月、ブラジルを発ち、海を越えたこの日本の地にやってきた。出発の直前、夕闇に紛れて神に祈りを捧げた。その時ナニカガあった気がするも、今は思い出せない。
ただ、背中に激痛が走るや、直後やさしい温もりに包まれた。
カルロスは直感した。今、神と対話している、と。そのための背中の痛みならば、甘んじて受け入れよう。
神がパラパラとぶ厚い本をめくる音。聖書だろうか。ただ、本を開き慣れていない感じもしたが、この際このことには目をつむろうと思った矢先だった。
『ンジャ、テンセーネ。ナニカアッタラ、テキトーニタイショシナサイ』
聞いたことのない言語だった。魂がその言語を覚えている気がした。これはきっと神の言語に違いない。神が後押ししてくれている。曾祖父が生まれた国・ジャパンで再出発したい。
強く願ったのも束の間、カルロスはいつしかヤマコーにいた。まさに神のお導きだ。
カルロスには父も母もいない。ガールフレンドもいない。
パクったバイクで地元を走り回る妹と、二人暮らしだ。
日本でサッカーを通じて成功し、金を稼ぎ、妹と平穏無事に暮らす。
その夢を壊す奴――碧人(魔王)。絶対に……ユルサナイ。
////////////////// ブラジル サンパウロ とあるスラム街にて //////////////////
なお、時を同じくして、身元不明の死体が見つかった。
その容貌がカルロスに似ていることは、まだ誰も知らない。




