35 「ぷっ」「ぷぷっ」「ぷぷぷっ」
サッカーで、相手ゴールに一番近いところにポジションをとるのがフォワードだ。その中でも中心となるのが、俗にトップとも言われるセンターフォワードである。
大空碧人こと魔王は、センターフォワードだ。
大雑把に説明すると、試合中の魔王は二つの役割を担う。
第一に、ゴールを決める。
第二に、攻撃を押し上げる。
第一のゴールを決めるは説明不要だろう。フォワードが点を取らないでどうする、だ。
第二の攻撃を押し上げるの典型例は、攻撃の起点となるポストプレーである。
フォーメーションの一番先端にいるフォワードがボールを受け、敵に取られないようにボールをキープする。
味方の上りの塩梅から、サイドの選手もしくは真ん中でポジションを取るボランチの選手にボールをパスする。
サイドの選手にボールが渡ると、一気にゲームが動く。俊足のサイド選手が高速ドリブルでライン際を駆けあがる。敵の陣地内、深くえぐった場所からクロスをあげ、味方が頭や足で合わせてゴールを狙う。
今、魔王に求められていることは、ゴールを決めること。もしくは、攻撃を押し上げる起点になることだ。
後半は残り10分を切っている。2点ビハインドを跳ね返すには、3点が必要だ。
キボコーはさっそく魔王にボールを集めることに専念した。
相手のプレス(寄せ)がきつく、容易にボールが魔王に渡らない。中盤でのボールの奪い合いが熾烈を極めた。
(くっ……)
魔王は何度か下がってボールをもらいに行きかけるも、その都度、キャプテン藤堂が目で魔王を制した。起点となるフォワードが下がると、攻撃ラインが下がってしまう。
センターフォワードは時に孤独である。
味方を信じてパスを待つ、もしくは小競り合いの末のこぼれ球に反応する。
そのパスが、――来た。
ボールを受けた魔王はその場で反転する。
敵選手が素早く寄せてくるのをひらりとかわした魔王は、即シュート体勢にをとった。
ゴールまでは40メートル。シュートをするには遠い。
しかし、魔王は打つ。
(打てば入りそう――)
そういった感覚は『ゴールへの嗅覚』と呼ばれる。フォワードに最も必要なものだ。
迷わず魔王は左足を振り抜いた。
「え!?」
味方でさえ意表をつくシュートだ。
一方の敵は、ここから狙うのかよ、とおったまげる。
重く鳴り響くキック音で二重に驚いた後、シュートスピードで三重に驚き、ゴール右隅へと驀進するボールのコースに四重で驚いたヤマコー面々は、横っ飛びをしたゴールキーパーがセービングできないシュートを決めた魔王に心底驚愕した。
「っしゃあっ!」
ガッツポーズを決める魔王。
しかし、ピッチ上には静寂があった。唖然とした表情で皆、魔王を見ている。
審判でさえ笛を吹くのを忘れていた。まさに異様な静けさ。
にわかに不安になった魔王は、
「……吾輩、間違ってる?」
ルール違反を犯した可能性に怯えた直後、試合会場が、揺れた。
歓声、拍手、賞賛の声、ため息、嘆き、喜び、この世に存在するすべての感情が一つに集まった音響は、ただひたすらに地響きのようだった。
応援する者を鼓舞し、敵対する者の意気を消沈させる。そして、中間的立場で観戦する者には興奮をもたらした。
「碧人ぉおおっ!」
キャプテン藤堂が恥も外聞もなく魔王に飛びついた。魔王は慌てて抱きかかえる。
すぐに魔王の周りに笑顔の部員達が集まってきた。
「よくやった碧人!」「ゴラッソだよ! 異次元すぎるっ!」
次々と魔王にしがみついてくる輩。
魔界で配下の者が魔王に喜びをあらわす際は「嬉しゅうございます」と床に土下座をする。それが魔王への感謝のあらわしかただった。魔王に触れるなど、不敬罪もいいことだ。
「碧人、最高! あと二発頼む!」
誰かが魔王にヘッドロックをかけてじゃれついた。魔界ならば即刻打ち首だ。
「碧人ぉおおおっ!」
また誰かが魔王に抱きつく。これも不敬罪で瞬殺対象……。
「もう一点行こうぜ」
「――」
一度彼らを己の身体から引き剥がした。
何かを我慢するように無口かつ無表情を暫く保つ魔王。
やがて魔王は一歩さがり、背を向けた。
「あいつ何やってんの?」
ぽかんとする部員達。
魔王の肩が細かく震えだす。魔界ならば、魔王の逆鱗に触れたと思った配下の者が処刑を意識して逃げ出すタイミングだ。
ずずずずずずずずずずずずずずずっ
豪快に鼻を啜る音の直後、魔王の肩と背中が大きく波打った。
「えぐっ、えぐっ……」
魔王は嗚咽を噛み殺した。
泣くなっ! 脳裏では大魔王が厳めしい顔つきで叱責する。魔王はぎゅっと拳を握る。
情けない奴めっ! 大魔王が目を逆立て――プツッと映像が途絶えた。
ハアハアと荒い息を吐く魔王。どこかすっきりしていた。
そうして一言。
「逆転するまで気を緩めるな」
王者にふさわしい威厳ある声色で魔王が部員達を振り返る。
「ぷっ」
誰かが吹き出すや、それが、
「ぷっ」「ぷぷっ」「ぷぷぷっ」
と連鎖した。皆が大爆笑した。
泣き腫らした魔王の目はウサギのように赤く、鼻水を垂らしていた。
「碧人、おまえそんなストイックだったっけ。もっとチャラくなかったかぁ」
「もちろんだよ碧人、気張ってこうぜ」
「キャラ変わったよな。俺は今のおまえのキャラが好きだな」
魔王を囲むヒューマン達の輪は、どこまでも温かく、居心地の良いものだった。




