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32 幕間 結菜その2

 夕方に水を汲みにいったきり弟が帰ってこない。


 まさか魔物に襲われたのでは……。結菜はつい2時間ほど前の自分を責めたくて仕方がなかった。

 明日の朝ごはん用の水を汲み忘れていたことを、ポロっと零した際に、弟が、じゃあぼくが汲んでくるよ、と出かけてしまったのだ。

 一瞬、もう暗くなるからとの言葉がでかかったが、その言葉を事前に予想したかのように、弟は「ぼくはもう一人前の男だから。強いんだよ」と両手を腰にあてて宣言した。


 思わずクスりと息を漏らした結菜の反応に、弟がぷうっと頬を膨らませる。

 そうして、通っている道場の兄弟子トップを倒したことを、結菜は聞かされた。


 そんなにも強くなっていたのか。弟が言及した兄弟子トップは、将来、村の護衛をまかされる逸材との呼び名が高い。

 だが……少々ずる賢い。正直に言えば、護衛をまかせるには人格面で不安がある人物である。

 胸騒ぎを覚えたが、今日ぐらいは弟をヒーロー扱いしてあげよう。

 

 ――じゃじゃじゃ、じゃあ、おおお、お願いしちゃおうかな、この村の勇者の卵くん。

 結菜のセリフに小躍りしながら、任せて! と小さな胸をドンっと叩いて水を汲みに行った。


 夜を迎えたこの世界は、墨汁をまいたよりも暗い。

 通常ならば余裕で帰ってこれる時間を過ぎても、弟は帰ってこなかった。


 どどどど、どうしよう……。

 この世界で、夜に女が出歩くなど、自殺行為に等しい。村でも毎年誰かしらが、何らかの用事で出かけた際に、翌朝死体で発見されている。もちろん着衣が乱れた状態で。もしくは肉体の原型もとどめずに。

 実際に、ついこの前も、結菜の顔見知りの若い女が、惨殺されたばかりであった。


 結菜が躊躇するのは当然であった。

 しかし、彼女は戸外へと駆け出した。

 他の女同様に躊躇はしたものの、それは一瞬だった。次の瞬間には、弟を失いたくないとの『心配と愛』が恐怖心を駆逐した。


 故に、結菜は息を乱しながら駆けていく。結菜達がよく水をくむ井戸へ向けて。

 途中、何人かの村人に、「こんな夜更けに危ないぞ」と忠告された。だけど、それどころではない。心臓が早鐘を打つ。お水なんて翌朝早くに汲めばいい、そう言えばよかった。それどころか、『この村の勇者の卵くん』なんて言葉を弟にかけなければよかった。


 そうしてたどりついた井戸。

 彼女は声を失った。


 弟が血まみれで倒れていた。


 ――う、ううううう、嘘……。

 結菜は弟を助け起こした。ぐにゃりとした体躯。力をこめることさえできないようだ。

 意識を失いかけていた弟が、虚ろな目を結菜に向けた。「お姉ちゃん……」甘えるような幼な声。その声はあっという間に魔界特有の突風にさらわれてしまった。結菜に抱かれたまま、弟の首がガクリと木偶人形のように折れ曲がる。小さな、小さな命の灯火が消えた。


 ――――あああああああああああああ―――っ!


 結菜の咆哮が辺りに響き渡る。

 その声を耳ざとくキャッチした兄弟子トップ達が、ぞろぞろと結菜と、こと切れた弟のもとに集まってきた。


 弟を抱きしめたまま兄弟子トップたちを睨みつける結菜。

 兄弟子トップ達は鬼畜の顔つきを結菜に向けた。弟を殺したことに対して一切の良心の呵責も覚えていなさそうだ。あまつさえ、そのガキが調子ぶっこいたからだ、などと冷たく言い放った。


 結菜を囲む鬼畜の輪が狭まっていく。

 そうして――輪が崩れた。真っ先に結菜にむしゃぶりつくように飛びついたのは、くだんの兄弟子トップだった。


 結菜の覚悟は決まっていた。

 この兄弟子トップを弟が倒したと聞いたときから、報復があることを予想した。だから、迷いもなく結菜は胸もとからダガーを抜いた。横凪に一閃する。


 兄弟子トップはまさか自分が殺られるとは微塵にも思っていなかったのだろう。

 え? と、口を開きかけ、声にならない声を発することもできぬままに、絶命した。


 束の間の静寂が、崩れた輪の中に落ちた。


 まさか結菜が懐刀としてダガーを所有しているなんて。しかも、急所を的確につくように兄弟子トップの喉ぼとけを鋭敏に切り裂き絶命たらしめたなんて。

 状況を冷静に受け止められない兄弟子トップの取り巻きのうち、誰かがポツリと呟いた。


「魔女だ……」


 その震えるような言葉を呼び水にして、周囲は一斉に結菜を魔女と呼び始める。

「魔女だ!」

「ここに魔女がいる」

「魔女が現れた!」


 この世界において、魔女は火あぶりの対象だ。

 騒ぎを聞きつけた村人達がすぐに集まり、恐る恐る結菜に近づき、囲み、結菜の体に縄を巻いた。


 結菜は抵抗しなかった。

 父も、母も、そして最愛の弟まで亡くした今、彼女を支える力の源は何もない。生きる意志は心の中からとうに消えていた。


 翌日の魔女裁判で、おまえは魔女かとの問いに結菜はコクりと頷いた。一切の躊躇いもなく。

 夜、弟が息絶えた時刻と同じ頃、彼女の身体は紅蓮の炎に包まれていた。


 ――かかかか、神様、もしいらっしゃるのならば、来世は父と母と弟と一緒に幸せに生きたいです。どどどど、どんなアクシデントに見舞われようとも、それが叶うならば、わわわ、わたしは本望です。


 結菜を火あぶりにした炎は3日間消えなかったという。炭にはいつ付着したのかが分からぬ血痕がいつまでも残っていた。


 後日、その村には疫病が流行り、魔女裁判にかかわった者達と、兄弟子トップとその取り巻き達は全員苦しみ死んだ。


 なお、結菜の弟の名前をアオといった。


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