31 幕間 結菜その1
◇ 幕間 結菜 ◇
秋月結菜は転生者である。
しかしながら、彼女にその認識はない。この世界で、生まれた時からアクシデントの血糊マドンナであり続けている。(ただし、本人は『アクシデントの血糊マドンナ』と呼ばれている認識さえも欠いている。
これには深いふかーい理由があった。
転生前の結菜は不幸であった。
魔界で最下層のヒューマンとして、村はずれの粗末な家でひっそりと暮らしていた。
父母は戦争の犠牲者であった。自称勇者パートⅡが魔王城へ進撃する際の、魔物との小競り合いに巻きこまれて命を落としたのだ。
以来、結菜は、まだ幼い弟の面倒をよく見ながら、細々と暮らしていた。
村で一番の美人として有名なため、結菜は男からの目を引いた。
中には力づくで結菜をモノにしようと画策する輩もいたが、彼女の父が目を光らせて彼女に害が及ばぬようにしてきた。懐刀として、この世の悪を断ち切るといわれしダガーを、父はどこからか手に入れ、念のため娘の結菜に渡してもいた。
しかし、その父はもういない。
結菜の身近には、七歳になる弟だけがいるのみだ。当然、周囲に男の影がチラつくようになってきた。
――ねえ、お姉ちゃん。最近、目つきの悪いオジサンをよく見かけるんだけど。
弟が心配そうに結菜に話しかけた。
だが、結菜は天然のお人よしである。
――おおお、お父さんとお母さんが亡くなったから、ききき、きっとわたし達を守ろうとしてくれているのよ。
――そうかなあ……。
弟はあくまでもリアリストであった。目につく男どもの目は、守衛を司る善意からはかけ離れたものであることを、幼くして知覚していた。そう、飢えた魔物に近い目の輝きを孕んでいるとも。
弟は剣術を学ぶようになった。お姉ちゃんを守る。
弟は既にいっぱしの男だった。
――お姉ちゃん、何かあったらぼくを呼んでね。ぼくがお姉ちゃんを守るから。
村で評判の剣術道場から帰ってきた弟。今日もたくさんしごかれたようで、手足はあざだらけだ。結菜は冷水に浸した麻の切れ端を絞り、弟の傷にあてた。
――あああ、ありがとう。たたた、頼もしいな。
にこっと微笑んだ結菜を見て、弟は姉と血が通っているにもかかわらず、ドキりとした。そうして、夜、眠りに落ちる前、もっと強くなってお姉ちゃんを守る! と決意を漲らせながら、瞼を閉じるのであった。
しかし、実際のところ、弟は剣術道場でいびられているだけであった。
評判の道場とはいえ、剣術をはじめとした武術は新人にきつくあたる。それが年少者であればなおさらであった。パワハラ・スポハラといった概念などおよそ存在しない世界である。
稽古と称し袋叩きにされる弟。
だが、弟はめげなかった。なにせ、お姉ちゃんを守る、それが彼の心を何度も奮い立たせ、兄弟子に打たれ床に沈められても、必死の形相で立ち上がり、木刀を構えた。
いつしか、そんな荒修行に揉まれた成果が目に見えるようになってきた。
きっと太刀筋などに天性の才能を持っていたのかもしれない。
床に沈むまでの時間が長くなり、いびる兄弟子どもの体力がもたなくなってきたのだ。
そうして、ある日、渾身の一撃が兄弟子の面を捉えた。
うがあああああっ!
その日、床に沈められたのは弟ではなく、いびる兄弟子達のトップに立つ者だった。
道場内に静かな間が落ちた。
兄弟子の子分や道場生達はハラハラした様子で、ひっきりなしにお互いを見合っている。
このままで済むはずがないからだ。
後ろ足で道場から逃げだす者もいた。
おそらく、この後に訪れるのは――リンチ。
予想どおり、兄弟子の取り巻き達が弟を囲んだ。一触即発の雰囲気に誰もが声を出せない。息をするにも、音を立てないように誰もが細心の注意を払った。
と――、
よくやったな。
意外にも、ぶ厚い唇を持つ悪人面の兄弟子トップがにこやかな表情をした。弟に握手を求める。強くなったな、と。
嬉しい弟は、はいっ、と大きな返事をし、兄弟子トップの握手に応じた。弟と兄弟子トップとの距離が縮まったとき、兄弟子トップが囁いた。
おまえに俺の必殺技を教える。
え! と色めき立つ弟。認められた証と捉えたのだ。
今夜、村はずれの井戸に来い。とっておきの秘技を教えてやる。
罠である。
しかし、僅か七歳の弟は、罠を見破るには幼すぎた。




