この万年筆で、私の第一歩を書く
※本作はざまぁ要素は控えめで、
一人の女性が自分の足で立つまでを描いたヒューマンドラマです。
「きみの姉だって……富豪に嫁ぐんだろう」
「でも! 二十も上の、後妻としてよ!」
「政略結婚なんて珍しくない。世の中の女性のほとんどがそうだ」
「でも……婚約してたのよ。幸せそうだったのよ……」
「俺は、君が同じ目に遭わなくてよかったと思ってるんだ」
「……!」
「あなたも……同じ事を言うのね……」
そして、姉は売られるように、嫁いで行った。
元婚約者と私に、得意だった刺繍を残して。
私は、その刺繍入りのハンカチを握り締めて誓った。
「男に人生を左右されない生き方をする」と。
――それが、十九歳の夜だった。
◇◇◇
私の家は、特出したものもない、男爵家だ。
小規模な鉄鉱山がある。
そして、父はその鉱山を放置していた。
だが、うちに出入りしている商人が話していたことがある。
『宝の持ち腐れだと』
父は、平和なこの時代において、鉄を軽視していた。
華やかな王都の貴族に合わせて見栄を張り、その分、領地の収入源は減っていく。
昔、祖父が言っていた言葉を思い出す。
――人に勝る財産はないと。
ならば、私が手に入れてみせる。
父が不要だと切り捨てた、その財産を活かし、この領地を豊かにしてみせる。
他人の金を当てにするような状態ならば、先は既に見えているだろう。
ただの没落だ。
◇◇◇
「今の男爵家を立て直したいの。鉄鉱山。これを活用した方法を思いつける?……ノア。元領地管理官」
「今の私は、ただの無職の平民ですよ」
「それは父の愚かさの表れね。祖父に重用されていた、優秀なあなたに聞いているのよ」
祖父の時代から働いていた人物で、信用できる。
しかし、実直で融通が利かない性格は、父とは壊滅的に合わなかったのだろう。
「……面白い問いですね。ですが、期待はしない方がいい。男爵は、鉄を流通させる気はないようですよ」
「ええ。だから、父に気づかれないように。領地には、祖父の代からの優秀な職人がいるでしょう?」
「引退した者も多い。今は細々と日用品を作っているだけでしょう」
「会いたいの。女の私では、出来ないことも多い。
……でも、それはあなたも一緒でしょう?ノア。
優秀なのに、平民というだけで軽んじられる」
「現場を見るなら、五日は欲しい。――そして、あなたを見極める時間も」
「ええ。もちろん。簡単にいくなんて思ってないわ。でも……やらなければ始まらない」
「現場は甘くありません。彼らは、誇りを裏切られたと思っている。それは、生き様を否定されたということです。
……それでも、行きますか」
「まずは、話し合ってみないと」
「今さら何の用だ」
領地の工房で門前払いを受ける。
やはり職人たちからの視線は冷たいものだった。
「帰ってくれ。遊びに付き合ってられん」
親方は、こちらに背中を向けたままだった。
ポケットに手を入れて、刺繍の感触を確かめる。
――こんな所で引いちゃだめよ。
「ただの視察よ。それすらも拒否されるのかしら」
「……ふん。勝手に見ていけ」
相手にされなくても、今は仕方がない。
一番若い職人が私の後ろをぴったりと付いてくる。
「お嬢さん、みんなピリピリしてるから、あまりウロウロされると困るというか……」
フィンと名乗った彼を無視するわけにはいかない。
仕方なく、離れた所から作っているものをメモしていった。
『鍋、釘、フライパン……』
万年筆で書き留めていく。
「ちょ、ちょっとそれ、貸してください!鉄ですよね?」
フィンが、私から万年筆を取り上げてマジマジと観察している。
視線は特にペン先に注がれていた。
「え、えぇ。そうね、確かにこれも鉄製品だわ……」
「兄貴!兄貴!……これ、どうですか」
「……作れるの?」
私は彼らの顔を見た。
「あぁ。形だけなら出来る。うちの技術なら、もっと良い物になる」
「……万年筆。これ、いけるかもしれないわ。
まだ、そこまで流通していないのよ。父が見栄で買ってきたものだけれど」
「オレ、やってみたい、親方!」
「……俺は関わらん。やるなら勝手にしろ」
「じゃあ、俺たちだけでやってみましょう」
1週間後、また工房に訪れてみた。
中では職人が鉄を打つ音が響いている。
「どう?試作品は出来たかしら」
私に気づかないくらい熱中している職人たち。
小さなペンを持ち上げて相談し合っているようだ。
「……駄目だな。もう少し、強度を上げないと」
「ペン先が少し引っかかるな」
「いや、もう一度。もう一度チャンスをいただければ、必ず」
「やっぱり難しいかしら……」
「それに、意外と楽しいんですよ、こんなに小さい物を作るってのも」
「そう、じゃあ任せたわ」
出来上がった万年筆。職人たちが息を呑んだ。
「少し貸してください。……ふむ」
ノアが無言で、出来上がったそれを紙に滑らせる。
ガリガリという音がした。
インクが入っていないとしても、これでは……。
「試作品としては、上出来だと思います。ですが……目指すは普及ですよね?これでは厳しい」
――グッと黙り込む職人たち。
重苦しい空気が漂う。
「おい。職人なら、諦めるんじゃねぇ。やるって言ったのはお前らだろう。
――どれ。力を込めると少し歪むな……」
「親方……」
「もう一度だ。自分の腕で見返してやれ」
「出来た!出来ましたよ、お嬢さん!」
一番若い職人のフィンが、息を切らせて屋敷を訪れた。
職人たちが胸を張る出来だという。
それを聞いて、私とノアは急いで工房に駆けつけた。
「完成品を見てください!」
紙の上を、音もなく滑る音。
それが答えだった。
◇◇◇
完成品を前にして、商人を呼び寄せた。
エルンスト商会の商会長だ。年の頃はだいぶ若く見える。
前に、男爵家に出入りしていた。
――私に聞かせるように、あの言葉を呟いた人物だ。
「あなた、うちの鉄を『宝の持ち腐れ』だと言っていたでしょう。宝かどうかを見極めるのも、商人の仕事じゃないかしら」
「……鉄で万年筆?」
彼は、それを手に取り、丁寧な手つきでペン先に触れた。
そして胴軸をじっくりと眺める。
「今はね。装飾だけで見栄を張る時代、もう終わってるんですよ。実用的な物を好む、裕福な庶民も意外と多い」
「じゃあ、あなたの考えは?――私は、これが売れると思っているの」
「重すぎる。これでは売れません」
「……。」
工房の職人たちの顔を思い浮かべ、そっと目を閉じた。
「――しかし。素晴らしい加工技術ですね」
紙の上でペン先を何度も滑らせながら、彼は話を続けた。
「中身のインクと胴軸の真鍮は商会で用意します。加工はそちらに受け持っていただきましょうか」
そこで商人は机に手をついて身を乗り出した。
「そうすれば、今の世の中を驚かせられる」
私とノアは顔を見合わせて、一拍置いてから聞いた。
「つまり?」
「答え?簡単です。彼らに聞けばいい。
――試作品、売ってみましょう。裕福な平民層に」
◇◇◇
私はフィンに頼み、職人たちを屋敷まで連れてきた。
「まあまあ。ちょっと来てくださいよ、親方」
「話ならここで聞く」
「作った物には責任を取らないと。仕事ですよ」
ノアが、彼らの前で扉を開ける。
目の前では、作った万年筆が使われていた。
次々と、書類に文字が走っていく。
「どうです?これがあなた方の成果です」
職人たちに向けて言葉を続ける。
一番の功績をあげた人たちに、それを使う現場を見せたかったのだ。
親方は、机の上のそれをじっと見ていた。
「売り出す前のテスト用に配ったのよ。――使い心地はどう?」
「これ、書きやすいですね」
「前の羽根ペンより安定します」
次々と意見がでる。
商人が言った通り、これは世の中を驚かせられるかもしれない。
そんな確信を持てた。
◇◇◇
「ノア。次の段階よ。
父の目の届かない所で静かに進めたいの」
「ええ。その意見には賛同します」
私とノアは頷きあった。
父に事業を取り上げられると、すべてが無駄になる。
「まずは、鉄鉱山を新たに発掘するのは危険です。既に掘られて、放棄や廃材になったものを使いましょう」
「ええ。帳簿はどうしましょうか」
「男爵は数字を確認するだけです。それに、これは男爵家主導でない方がよろしいでしょう。帳簿には載せません」
「新たに商会を作る、と?」
「いえ、販売は引き続きエルンスト商会を通します。ですが、こちらが主導権を握りましょう」
私たちはその後話し合いを重ね、工房が加工を、エルンスト商会が販売を担う形で整えた。
そしてその統括として、私が率いる形で合意した。
◇◇◇
「大丈夫ですか?」
「ええ。……覚悟は出来てる」
ポケットの中で、刺繍入りのハンカチを握り込む。
扉をノックする音のリズムが、わずかに崩れた。
一度深呼吸をして、執務室の中へと入る。
窓際の椅子に座った父。
こうして顔を合わせるのは久しぶりだった。
「こちらの売り上げをご覧下さい」
私は父の前に、万年筆の売り上げを書き付けた帳簿を開いた。
「先見の明がある貴族や商会からは、既に投資も受けています。これを男爵家主導に移すには、新しい風が必要だと思いませんか」
「……それは」
「お父様が手を付けなかった鉄鉱山と工房です。
ちなみに、私が主導しているのでお父様には権限がございません。――ご決断を」
私は、一枚の書類を机の上に乗せた。
当主を譲る旨が記載されている。
その上に、そっと、万年筆を置く。
「サインをお願いします」
さらさらと流れる音。
「……書きやすいな」
「ええ。一つとして無駄なものはなかったんですよ。お父様。これが、その証です」
父は、椅子に体を預け、目を閉じていた。
中央に入り浸り、洒落た服を身に着け――。
しかし、他には何も持たない人になってしまった。
幼い頃のこと、祖父の顔、さらには嫁いだ姉を思い出した。
それを押しやり、足を前へ進める。
「お疲れ様でした」
「……ここからが本番ね。頼りにしてるわ」
◇◇◇
一年後。
商談のために参加した夜会。
『鋼鉄の女』と影で言われているマレッタが、その声にゆっくりと振り返った。
「挨拶もないなんて不躾ですね。どちら様でしょうか?」
「俺だ、サミュエルだよ。幼馴染の」
十九歳のあの日と変わらない彼の声。
そして彼女は、もうあの頃の自分ではなかった。
助けを求めるだけだった少女は、今――。
手元で、扇をパチリと閉じて、男に向き合った。
その視線は強く、何もかも射抜くようだった。
「あら、サミュエルだったのね。万年筆の専属契約のお話かしら。
――貴族にとっては、信頼と契約が一番ですから」




