第10話:勘違いがくれた甘くて、ちょっとだけデレる日常
屋上でのチョコレートフォンデュ&キィ乱入事件から数日。
クリスマス交流会の喧騒も過ぎ去り、蒼葉学園には年の瀬の落ち着いた空気が戻ってきていた。特殊状況対応準備室(仮)も、いつもの(比較的)静かな放課後を迎えている。―――ただし、部屋の中の空気は、以前とは明らかに違っていた。ソファには蓮が座り、凛は自分のデスクで書類に目を通し、キィは窓際でお絵描きをしている。一見、何も変わらない風景。だが、蓮と凛の間には、言葉にしなくても分かる、意識の矢印が飛び交っている。
「それで、キィさん」
凛が、淹れたての紅茶をキィの前に置きながら、静かに、しかし有無を言わせぬ迫力で切り出した。隣では、蓮が読んでいた(フリをしていた)文庫本を閉じ、腕を組んでキィを見ている。その目は「さあ、洗いざらい話してもらおうか」と語っていた。どうやら、尋問タイムが始まったらしい。
「先日のクリスマス交流会での、一連の不可解な現象について、詳しく説明していただきたいのですが。よろしいですわね?」
凛の口調は穏やかだが、有無を言わせない。最近起こった妙な偶然の数々――密室状態、都合の良い雨、図書館での本棚崩壊、そして極めつけの屋上でのロマンチック(?)演出。蓮も凛も、薄々、いや、かなりはっきりと、その背後にキィの存在を感じていたのだ。まさか、その全てが繋がっていたとは思っていなかったが。
「うぐっ…」
キィは、蓮と凛からのダブルの圧力に、観念したように小さな肩をすくめた。そして、ぽつりぽつりと、自分の壮大な『ラブラブ大作戦』について白状し始めた。
「…だって、レンとリン、いつもケンカしてるけど、本当はすっごく仲良しだと思ったんだもん…」
二人の仲をもっと進展させたくて、石ころパワーでちょっとだけ『お手伝い』したのだ、と。密室も、雨も、本棚も、チョコレートフォンデュも、すべては二人を「もっとラブラブにするため」だったのだ、と涙目で訴えるキィ。
蓮と凛は、顔を見合わせた。そして、どちらからともなく、深いため息をついた。
呆れた。心底呆れた。予想はしていたが、まさかこれほどまでに盛大で、かつ見当違いな勘違いに基づいた作戦だったとは。あまりのことに、怒る気力すら湧いてこない。むしろ、ここまで来ると、ある種の感心すら覚えてしまう。
「…はぁ。お前のその善意は、時として戦略兵器並みの破壊力を持つな…」
蓮が、疲れたように呟く。
「キィさん、あなたの気持ちは…まあ、分からなくもありませんが、方法はもう少し慎重に選ぶべきです。それに、人の感情というのは、そんなに簡単に操作できるものではありませんし、すべきでもありません」
凛が、諭すように、しかし優しく言った。その言葉には、自分たち自身の揺れ動く感情への自戒も含まれていたのかもしれない。
「ごめんなさぁぁぁい!」
キィは、ついにわっと泣き出してしまった。
結局、キィにこってりとお説教(主に凛が担当し、蓮は的確すぎるツッコミでキィの心を抉る)をした後、この『勘違い大作戦』はようやく、本当の意味で終結を見た。
だが、部屋の中には、以前とは明らかに違う空気が流れていた。
キィの暴走(という名の全力応援?)のおかげで、蓮と凛は、互いの意外な一面を知り、数々の(迷惑な)ハプニングを共に乗り越え、そして、互いへの特別な感情をはっきりと自覚してしまったのだ。それは、非常に気まずく、むず痒く、そしてどこか心地よいような、複雑な感情だった。
後日。
特準室には、新しい日常が訪れていた。
蓮は相変わらずソファで読書をしているが、時折、凛の横顔を盗み見ていることに自分でも気づき、内心で舌打ちしている。凛も、書類整理をしながら、蓮の些細な言動――例えば、彼が飲むコーヒーが以前より少し甘くなった気がする、とか――が妙に気になってしまう。口喧嘩はまだするけれど、それはもう、互いの距離感を確かめるような、じゃれ合いに近いものへと変化していた。
「あら、日陰君」
ある日の放課後、凛が蓮の机の上に置かれたマグカップを見て、悪戯っぽく微笑んだ。それは、蓮にいいかなと選んで(凛が個人的に)持っていた、あの猫のイラストが描かれたマグカップだった。なぜかクリスマスの屋上にも都合よく用意されていたそれを、いつの間にか蓮が普段使いするようになっていたのだ。
「そのマグカップ、ずいぶん気に入っているようですわね? この猫、どこかの誰かさんみたいに、少し捻くれているところが可愛いと思いませんこと?」
「なっ…! べ、別に! たまたま手に取っただけだ! それより、お前こそ、その犬カップはなんだ」
蓮は、顔を赤くしてそっぽを向きながら、凛が使っているマグカップを指差す。それは、プレゼント交換で蓮が凛に(偶然)渡した、あの気の抜けた表情の犬が描かれたマグカップだった。こちらも、いつの間にか凛の愛用品になっている。
「ふふ、これは使い勝手が良くて。それに、この犬、どこかの誰かさんみたいに、少し不器用なところが愛らしいと思いません?」
「…誰のことだ」
蓮は、むっとしながらも、どこか嬉しそうな凛の表情から目が離せない。互いに、相手を想ってマグカップを使っているということを理解してしまっている事実が、妙にくすぐったい。
またある時。
蓮が、特準室の冷蔵庫にこっそり隠していた(つもりの)新作の高級プリンを、凛が見つけてしまう。
「…日陰君。これは、また『市場調査』ですか?」
凛の揶揄うような視線に、蓮はたじたじだ。
「ち、違う! これはだな…その…頑張った自分へのご褒美だ!」
「あら、何を頑張ったのかしら?」
「……いろいろだ!」
蓮がしどろもどろになっていると、凛は小さく笑って言った。
「…まあ、いいでしょう。今日は特別に、見逃して差し上げます。ただし…」
凛は、自分のデスクからスプーンを取り出すと、にっこりと微笑む。
「そのご褒美、私も少しだけ、お裾分けしていただいても?」
「なっ…! しょ、しょうがないな…! 本当に、スプーン一杯だけだぞ!」
蓮は、顔を真っ赤にしながらも、結局プリンを凛に差し出す。そんな二人の様子を、キィがソファの後ろから「(えへへ、やっぱりラブラブだー)」と満足げに(そしてまだ勘違いしたまま)見守っていた。
キィの勘違い大作戦は終わった。
だが、その勘違いがくれたものは、決して悪いものばかりではなかった。
互いの意外な一面。共有した秘密。そして、言葉にはまだなっていないけれど、確かに育まれた特別な感情。
蓮と凛の関係は、まだ友達以上、恋人未満。
でも、そこには確かな甘さと、お互いの「好き」を少しずつ認め合えるようになった、温かい空気が流れている。互いが使うマグカップのように、知らず知らずのうちに、相手の存在が日常に溶け込んでいる。
「ねぇねぇ、レン、リン!」
キィが、突然何かを閃いたように声を上げた。
「今度はね、『ドキドキ☆二人っきりで真冬の雪山遭難大作戦』っていうのはどうかな!? きっと、もっとアツアツになれるよ!」
その言葉に、蓮と凛は、同時に顔を見合わせ、そして深い、深いため息をつくと、声を揃えて叫んだ。
「「…………頼むから、もう本当に、何もしないでくれ…………」」
二人の切実な願いが、冬の特準室に木霊する。
彼らの甘くて、ちょっとだけデレる新しい日常は、どうやら、この先も小さな嵐(主にキィ)に見舞われながら、ゆっくりと進んでいくのだろう。
だが、そこには確かな温かさと、これから始まるかもしれない、もっと素敵な、そしてきっと相変わらずドタバタな未来への予感が満ちていた。
おわり




