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予知夢が繋ぐ愛~ラリサとアーネスト

作者: 塙瑶花

 

 ラリサ・バージェスは時々予知夢を見る。ただしそれは、家族や自分に関わることだけだ。


 最初は、五歳の時だった。バージェス伯爵家の領地へ視察に赴いた父親のディミテルの馬車が古い橋を通り過ぎようとした時、その橋が崩れてその馬車が濁流にのまれる夢だった。

夢とは分かっていても、あまりにもショックで、それから二日ほどは熱を出して寝込んでしまった。


 だが、夢に見たその日は刻々と近づいている。ラリサは夢が本当になるとは思わなかったが、やはり父親に知らせるべきだと思った。

 ディミテルもラリサの元気のない様子を心配していたので、彼女の言うことに耳を傾けた。


「それはどんな場所だった?」


「お父様の馬車は、両側に紫の花が咲いている山道を進んで古い橋を渡っていたの。下を流れる川はとても濁っていた。

一緒に乗っている黒いお髭のおじさんが『この橋はレイラ橋と言います。普段はとても美しい川なんですが、三日前の大雨で増水してせっかくの景色も台無しです』って言ってた。

そして、前の方の橋げたが傾いたと思ったら、橋がどんどん崩れて行って馬車が川に......わ~ん」

ラリサは顔に両手を当てそれ以上は涙で話すことができなかった。泣き声を聞いた母のイリーナが駆け込んできて、ラリサを抱えた。


「すまない。ラリサには刺激が強すぎたようだ。だが......」


 ラリサは行ったことのない場所を正確に話した。一緒に行く領地の補佐官の容姿もラリサが会ったことのない人物だった。

 ディミテルはしばらく考えた後、その日程で領地の視察へ赴くのを止めた。

領地の管理官には、レイラ橋は通行止めにして、川の様子や天候が落ち着いたらその橋を補強するようにと通達した。

 その後、領地から橋はかなり傷んでいて誰も犠牲者が出なかったのが幸いだったと手紙が来た。


 ディミテルは、偶然かも知れないがラリサの夢のことはあまり公にしない方が良いだろうとも思った。

「ラリサ、今度、この間のような夢を見たらお父様だけに教えてくれるかい?」

「はい、分かりました」


 その後は、母のイリーナが公爵家のお茶会に出席した時にメイドが熱いポットを持って転び、その湯をイリーナが浴びて腕にひどいやけどを負うと言う夢を見たので、これもディミテルに伝えた。

 

 それを聞いたイリーナは公爵家のお茶会で侍女たちを良く見ていたところ、一人だけ少し足を引きずっている若い侍女がいた。彼女に近寄りそっとどうしたのかと聞いたところ、今朝、不注意で階段を踏み外したのですと答えた。

「今日は熱いポットを持たない方が良いわ」と助言した。

 それで誰も被害はなかった。


 それからは

弟のライリーが木登りで足を滑らせて足首を折ると言う夢。

ディミテルが、仕事上の貴重な書類を無くすると言う夢。

それを全て未然に防ぐことができた。


 小さな出来事については夢を見ることはない。どうもラリサの人生に関わることだけのようだ。


 十五の時にデビュタントとして王宮の夜会に出ることになった。

楽しみにしていたのに、それを打ち砕くような夢を見た。



 * * *

 

 その夜会でラリサは父親から離れ、ボールルームの絵画や彫刻などをゆっくり見て回っていた。後ろから足早に誰かが自分の方向に近づいてくる音がした。何かしらと振り向いた途端にワインを頭から浴びせられた。

「あなたね。私のスタンに言い寄っている女は」

 驚いたラリサの前にいたのは見たことのない女性だった。萌えるような赤い髪をきれいに結い上げた美しい人だ。だが、ここは怒るべきだ。


「あなたはどなたですか? 私はバージェス伯爵が娘ラリサと申します。なぜこのようなことをなさるのですか? スタンと言う人など知りません!」

「まあ、しらばっくれて。そのピンクの髪が何よりの証拠よ!」

「私の髪はローズゴールドです。ピンクと言うよりブロンドに近い色です!」

「いま、ラリサと言った? ピンク頭の名前はたしかリリアだったような......」

「ですから人違いです。ドレスを弁償してください!」

「紛らわしい髪色をしているあなたが悪いんじゃない! 失礼するわ」

そう言って、彼女はさっとその場を去って行った。


 * * *



 その内容をディミテルに告げて、その特徴をもつ女性を調べてもらった。その人はどうやらパセット公爵家の長女、十七歳のヘレン嬢らしい。スタンレー・ファウラー侯爵令息と数年前から婚約しているという。

 いずれにしてもその夜会に出なければいいのだが、すでにドレスも発注し、母のイリーナも楽しみにしているので欠席するわけにはいかない。

とにかく、父親とは離れないこと。王室関係者に挨拶をして父親と一曲を踊り、すぐにその場を辞するということで、問題はなんとか回避した。


 さて、デビュタントをした後に、婚約話が持ち込まれた。

その絵姿を見た夜にラリサはまた酷い夢を見た。

なにせ縁談の相手が、ラリサに向かって「お前は私の大事な義妹を虐めた。そんな女とは結婚できない。婚約は破棄する」と言っているのだ。


 同格の伯爵家だし悪い話ではなかったのだが、その夢をディミテルに詳しく話した後、ディミテルは「娘は幼くてまだまだ伯爵家の奥方にはなれそうもない」とその縁談を丁寧に断った。


 次の縁談で見た夢は、『私は以前の婚約者を深く愛している。お前を愛することはない』と冷たい眼差しでラリサに告げる夢。

 さらに次の縁談では、『僕には愛人が二人ほどいるけど、君も愛するよ。心配しないで』と言ってラリサに覆いかぶさってくる夢を見た。



 こんな風に相手の本性が見えてしまうのなら結婚しても幸せにはなれないだろうと思い、ラリサは王宮や図書館に勤める道、或いは家庭教師になる道を模索し、自立しようと決心した。


 そんなある日また舞踏会に出席することになった。デビュタント以来いろいろ理由をつけて夜会や舞踏会は避けていたのだが、ディミテルが推進している郵便事業と隣国の第三王子が主導している郵便事業が提携を結ぶことになった祝いだというのだ。当然ラリサの欠席は認められない。

 

 そしてまた夢を見た。

 

 

 * * *

 

 マロウ・モリス伯爵令息と名乗る男性が舞踏会場から続く庭の一角でラリサの前に跪きこう言っているのだ。

 

「君に一目ぼれをしてしまった。私と結婚して欲しい」

「私が誰か分かってそうおっしゃっているのでしょうか?」

「もちろん、貴女はバージェス伯爵家のラリサ嬢だ」

「一目ぼれされるほど美人ではないと思うのですが」

「そんなことはない。美しいローズゴールドの髪、湖のような青い瞳、優しい面差し。すべて私の理想だ。お願いだ。ぜひ私の求婚を受け入れて欲しい」


 場面は変わる。

そのマロウ伯爵令息がどこかの飲食店にいる。

その前にいるのは見たこともない人だ。彼がマロウに強い調子で話している。


「お前の恋人のエマが大切と思うなら、バージェス伯爵の娘と婚約しろ」

「どういう意味ですか?」

「なんの見返りもなくお前の借金の肩代わりをしたと思うのか?」

「それは......」

「バージェス伯爵の娘と婚約するだけでいい。結婚しろとは言っていない。そうすればお前はバージェス伯爵家に出入り自由になるはずだ。そこで伯爵の娘の秘密を探って欲しい。そして今回の提携事業の詳しい契約書と今後の事業計画書を手に入れるんだ」

「そんなこと出来るわけがない!」

「そうか。実は今、エマを預かっている。言うことを聞いた方が良いと思うがな。計画通り進まない場合は借金を返してもらうか、エマに金を稼いでもらう」

マロウは泣きそうな顔を両手で覆って

「うっ、分かった。やるよ」


そして見知らぬ男は店の階段を上っていき、右の個室に入った。部屋の前に護衛と思われる男達もいた。

その商人風の男は部屋に入るなり、声を上げた。

「閣下、上手く行きそうです」


 閣下と呼ばれた人物は、暖炉の前の肘掛椅子に座って後ろ姿しか見えない。

右手に飲みかけのワインを持ち、左手は椅子の肘にかけられていて、その中指に紋章の付いた指輪が見えた。

「それは良かった。お前には随分便宜を図ってやっているから働いてもらわないとな」

「はい」


 * * *

 

 

「......という夢なのよね」

ラリサは父親の執務室でディミテルと話し合っている。


「つまり婚約を断ると、エマという娘が危ない。婚約を受諾するとラリサの秘密を探られ、大切な書類が盗まれる。書類は本物をどこかに隠し、偽物をこの執務室に置いておけばいい。ラリサの事は私とイリーナも気を付けよう。だが、婚約が破棄になるとお前に傷がつく」

「エマさんが無事ならそれも仕方がないわ。どうせ私は結婚する気はないし」

「それはそれで寂しい気もするな」

「ライリーに期待して!」

「ところでその指輪の紋章はどんな形だった?」

そう言われて、ラリサは紙に書いてみたが

「う~ん、少なくともこの国の貴族の紋章ではないな」



 その一週間後、件の舞踏会でラリサはマロウ・モリス伯爵令息に会場に続くバラ園に誘われた。エマという娘の安全のためにはこうするしかないと、彼の後について行った。

 

そして、夢の通りのプロポーズではあったのだが、マロウが言い終わると同時に後ろから声がした。


「すまないが、それは駄目だな。私とラリサは愛し合っていて、この舞踏会の後に婚約することに決めている。君の入る余地はないよ」


 彼はラリサの腰を引き寄せ耳元でこう言った。

「話を合わせて。ついでに私のことをアーネストと呼び捨てにしてくれ。恋人同士に見えるだろ?」

そう言えば、プロポーズの場面で夢は終わっていたので、ラリサはその後のことは知らないのだ。


 アーネストと言えば隣国ニーヴァの第三王子。年齢は二十一か二十二。デビュタントの時に我が国の王室関係者の横に並んでいたのをチラッとだけ見た気がする。あの時は公爵令嬢の襲撃を躱すことだけしか考えていなかったから、彼の髪がダークブロンドだったとしか覚えていない。


 ラリサの胸中は疑問と驚きに満ちていたが、王子ともあろう人がこのような行動をとるのは何か思惑があるのだろうと彼に従うことにした。

 

「アーネスト、遅かったわね。もう少しで彼の求婚を受け入れるところだったわ」

棒読みになったのは仕方がない。どこかの小説に書いてあった言い回しを真似しただけだ。


「お偉方がなかなか離してくれなくてね。ラリサ、浮気は駄目だよ」

そう言ってラリサの頬、いやかなり唇に近い所にキスをした。


キスもさることながら、こんなに男の人と密着することなんて今までになかったから、ラリサの頭の中は混乱の極みだ。体が硬直して身動きができない。


 マロウは呆然とそれを眺めている。

「ああ、そうだ。マロウ・モリス伯爵令息とやら、君の知り合いがそこに来ているよ。ウディ、連れてきて」

通路の方を見ると、アーネストの側近らしい若い男性が可愛らしい女性を連れて来た。

彼女はマロウを見た途端に駆け寄り抱き着いた。


「エマ! 無事だったんだね」

「お金持ちのお屋敷でメイド見習いをさせられていたの。許可が下りるまでそのお屋敷を出てはいけない、もし逃げたらマロウの命はないって言われて......」

「心配したよ!」

そう言ってマロウは彼女を抱きしめた。


それを見てラリサは思わず小声で言ってしまった。

「エマさんに何事もなくて良かったわ......」


その呟きを聞いたアーネストの腕にまた力が入った。

「君は何を知っている?」

鋭い視線をラリサに向けた。


 ラリサはどう答えていいか分からずに、さらに固まってしまった。

するとアーネストはラリサの脇と膝下に腕を回しラリサを横抱きにして言った。

「ウディ、控室で空いているところに案内してくれ。ラリサ嬢の靴擦れが酷いようなので手当をする」

「はい、ではこちらに」

「あ、あのー、重いでしょう? 降ろしてください。逃げませんから」

だが、アーネストは無言でラリサを控室まで運んだ。


 控室のソファにラリサをそっと降ろすと、アーネストはその隣に腕と足を組んで座った。

「ウディ、ドアの外で待っててくれ」

「了解」

部屋をぐるりと見回したところ、廊下側の格子窓は大きくて透明度の高いガラスがはめられていた。


「心配するな。見ての通り廊下から丸見えだ。それでは、詳しく話してもらおう」

 

 ラリサは思わずため息を吐いた。予知夢なんて信じる人がいるかしら。ましてこの現実主義っぽい王子様が。


「では、まず私の頭が変だとか、嘘つきとかというような偏見を持たないで聞いてくださいますか」

「ああ、約束しよう」

「私の両親しか知らないことです。ですからくれぐれも内密にしていただきたいのですが」

「分かった」

「モリス伯爵のご子息とエマさんについては夢で見たのです」

「夢?」

「私は小さい頃から家族や自分の危機の時に予知夢を見るのです。今回もそうでした。求婚されることも分かっていました。いつもはそんなことは回避するのですが、エマさんが人質に取られているらしいということが分かっていましたので、仕方がなくマロウ・モリス伯爵令息の後について行ったのです。でもアーネスト殿下が現れることは夢に見ませんでしたので、本当に驚きました」


「そうか。そうだったのか......。他に何か見たか?」


「マロウ・モリス伯爵令息を脅している人は見知らぬ人でした。商人風でしたが。さらに彼に指示している人は残念ながら後ろ姿しか見えず、ただ」

「ただ、何だ?」

「左手の中指に指輪をはめていました。その紋章が鷲を象ったもののようで」

そこまで話した時に、突然、アーネストが立ち上がった。


「ウディ!」とドアの外に声をかけた。

彼はすぐに部屋に入って来た。


「今夜、ラリサ嬢は私の部屋に泊まってもらう」

「は?」

さすがに優秀な側近も驚いているようだ。


「えっ、なんでそうなるの?」

ラリサだってまったく理解が追い付かない。


「君が一番危険だ」

アーネストはラリサの目を真っ直ぐに見据えてそう言った。


 そして、アーネストはウディと小声でかなり長い間、打ち合わせをしていた。

それからエスコートと言うより引っ張られるような形でアーネストの部屋に連れてこられた。


 扉の前にはこの国の近衛とニーヴァ国の護衛騎士が数人控えていた。

 

 部屋に入るなり、アーネストがここは安全だから、もう少し込み入った話をしようと言った。

 

「良く分かりませんが、ありがとうございます」

ラリサはやけになって型通りの挨拶をした。


 他国の王族に向かって、あなたは唐突すぎてさらに説明が足りないなどと言えるわけもない。


 クリーム色で統一された広い部屋は、小振りのシャンデリアが部屋の中央にあり、豪華な椅子やソファが何点か置かれている。書類が積まれている大きな机もあるので応接間兼執務室になっているようだ。バルコニーのガラス戸にはたっぷりとギャザーの入ったレースのカーテンが掛けられている

奥の方の扉は寝室に続くのだろう。


 金で縁取られた深緑の美しい椅子に座るように促された。


そしてすぐに正面の椅子に座ったアーネストが言った。

「君の親戚に俺の国の出身の者はいるか?」

「唐突な問いですが、はい、おります」

ラリサはアーネストの方ではなくその近くに飾ってある壺を見て答えた。


「まあ、そう怒るな。君のためだ。それでその親戚とは?」

「母の母親、つまりお祖母さまがニーヴァ国の出身と聞いております」

「その生家の名前は分かるか?」

「確かラムゼイ家とか」

「やはりそうか」


「あのー、まったくもって何が何やら分からないのですが」

「やっと俺を見てくれたな」


 整った顔に微笑みを浮かべてそう言われると、こちらが悪いような気がしてきて、ラリサは大きなため息を吐いた。今日は本当にため息ばかりだ。


「おおよそ二百年前の王妃ルミナはラムゼイ家出身の女性だ」

「そのことが今回のこととどうつながるのでしょう?」


「国家の礎を築いたアービンド王の王妃であるルミナ妃も予知夢を見たらしい。アービンド王の活躍もルミナ妃の力があったからと言われている。百年前にもラムゼイ家出身で天候が読めたエレンという女性がいた。彼女が結婚した夫の領地はいつも豊作で、国にも大きな影響を与えた。その功績で伯爵家だったのが侯爵に陞爵された。つまりだ、おおよそ百年ごとに能力者が現れ、しかも今、ニーヴァ国にはそれに該当する人間がいないとしたら?」

「私に行きつきますね」


「俺は、二年前に初めて君を見た時に何故かやっと会いたい人に会えたという気がしたんだ。俺は予知はできないが、相手の考えが真実か嘘かが分かるんだ。人よりも鋭敏な感覚を持っているらしい」

「殿下もラムゼイ家の血を継いでいるから?」

「それもあるが。君はどう? 俺を見て何も感じない?」

「今のところは別に......」

「そうか。試してみなくてはいけないかな」

「何を試すんですか?」


「それはともかく、マロウたちの前で、君と恋仲だと言ってしまっただろう? マロウをどこかで見張っている者がいたはずだ。つまり俺たちの仲はすでにこの件を画策した連中に知られている」

「実際は今夜初めて会っただけの間柄なのに......」

ラリサはどうにも納得がいかない。

「仮に、仮にですが、殿下と私が恋仲になって結婚するとしたら不都合な人は誰ですか?」


 アーネストは足を組み直して、声を絞り出すように言った。

「カールトン・ギエルグ公爵。ニーヴァ国の王弟だ。つまり私の叔父にあたる。彼は温厚で誠実そうで王位には全く興味がない風を装ってはいるが、俺には昔からそれが嘘だと知っていた。あの鷲の紋章はギエルグ家の物だ。そして彼は君の見た指輪をいつもしている」

「ギエルグ卿が国王になりたくても、国王陛下もまだ健在で、王太子もいらっしゃるのではないですか?」

「父はすでに五十歳を過ぎて、そろそろ引退を考える時期に来ている。だが王太子である一番上の兄は病弱で子供もいない。二番目の兄は一年前に幼少の頃から決められていた隣国の王配として結婚が調いニーヴァにはいない。四十歳のカールトンが王位を狙うなら今がチャンスだ。俺は兄の王太子を支えて行くつもりでいるから、彼はまず俺を排除したいはずだ」


「それなら回りくどいことをせずに、えーと」

「暗殺か? 誰が得するかを考えれば、犯人はすぐにわかってしまうから、それは難しい。兄の王太子も彼を警戒しているからな。カールトンとしてはなるべく自然な形で俺を失脚させたいはずだ。この事業提携に失敗するとか。俺の恋人になんらかの危害を加え俺の心を折るとか」

「それで、恋人と言ってしまった私が危ないと?」

「さらに君が何かの能力を持っている可能性も考えているだろう。もしそうなら俺と結婚されてはまずいことになる」

「なるほど、少しずつ物事が整理されてきました。でも、殿下はどうやってモリス伯爵のご子息とエマさんのことに気付かれたのですか?」


「マロウは平民のエマと結婚したいばかりに、自分の資金を貯めて家を出ようと思っていたらしい。そこで賭博に手を染めた。賭博場は王家の秘密機関が貴族の出入りをチェックしている。マロウの負けが込んで身動きが取れなくなった時にある商人が助け舟を出した。つまり彼の借金を肩代わりしてさらに結婚資金まで出すと言った。それにマロウは飛びついた」

「隣国のあなたがなぜそれを知っているのでしょうか?」

「その商人は二ーヴァ国人だったから、学院からの友人であるこの国カディムのクロフォード王太子から問い合わせが来た」

「そう言えば殿下は我が国に留学していらしたのは聞いています」


「その商人は闇の商売に関わっているのではないかとの噂もあったので、密偵の者を使って調べることにした。密輸や違法取引、さらにエマ嬢を軟禁していることが分かった。今は彼を牢屋に入れている」

「それでエマさんを助けた後、舞踏会の時にモリス伯爵のご子息に接触しようとしたら私が求婚されていたと」

「まあそう言うことだ」

「でも恋人の振りまでする必要があったのですか?」

「あれが一番自然だっただろう?」

「そうでしょうか」

ここで言い合っても仕方がないので、ラリサはまだ残る疑問を尋ねることにした。


「私が危険だというのは今夜だけですか?」

「カールトンは二週間ほど前からこの王都に滞在している。今はまだこの王宮にいるはずだ。エマ嬢という切り札がなくなったのだから君を狙う」

「家に帰った方が良いのでは?」

「帰り道に狙う可能性が高い」

「両親には?」

「既に事の次第を告げてある。護衛も付けた」

「はあ、ありがとうございます。ではお昼なら大丈夫では?」

「駄目だ。君が襲われないと確信でいるまでしばらくここに居てもらう」


「そうですか......。モリス伯爵のご子息とエマさんは大丈夫なのでしょうか?」

「王太子側が事情を父親の伯爵に話して保護してもらっているはずだ」

「それはそれで大変そうですね」


 そこまで話した時に、タイミングよくウディが数人の侍女を伴って入室してきた。

「アーネスト殿下、王太子妃殿下がラリサ嬢の世話係として侍女をよこしてくれました」

「ありがたい」

「それで、『アーネスト、責任はきちんと取るのよ』と言付かりました」

「まったくクレア妃は相変わらずだな。ただ、匿うだけだというのに」

そう呟いた後、アーネストはラリサに告げた。


「ラリサ、奥の部屋のベッドを使ってくれ。俺は今夜はいろいろと忙しい。この部屋のソファでも十分寝ることができるから、心配しなくていい」

「ありがとうございます。殿下はあの商人にいろいろと問いたださなくてはならないですものね」

「さすがに分かっているな。ではゆっくり休んでくれ」


 その後、奥の部屋に連れていかれたラリサは手練れの侍女たちにドレスを脱がされ、湯あみをさせられ、軽く化粧も施され、さらに露出の多い夜着を着せられ、ベッドに放り込まれた。

 

「あのー、臨時の間借り人には不釣り合いな格好かと思うのですが」

「万が一なんてこともございますでしょ?」

「絶対にありません!」


すると筆頭侍女のミアが

「でもアーネスト殿下があんな風に気安く若い女性と話す姿を見たことがありませんわ」

そう言うと、ほかの侍女達も

「クレア妃殿下も『アーネストは気難しいし理想が高いから、お相手が見つかるかしら』とおっしゃっていましたものね」「そうそう、近寄りがたいですわ」と言う。

「はあ......」


「では、私たちはこれで、明日の朝にまた声をかけてくださいませ」

そう言って、彼女たちはあっという間に退出してしまった。


 一人、ベッドの上に取り残されたラリサはまた大きなため息を吐いた。

「寝よう。きっと朝になれば普通の生活に戻れるわ。王宮官吏試験も間近いから勉強もしたいし」


 しっかりと毛布を被って目を瞑った。

眠れないのではないかと思ったが、広いベッドは寝心地が良い。いつの間にか眠っていたらしい。


 夢を見た。

 


 * * *

 

 ピンク色の髪の女性がその片手に短剣を持ち、アーネストの前に立っている。

どこかの屋敷の客間のようだ。大きな深紅のカーテンが格子状のガラス窓にかけられて、タッセルで止められていた。窓の外は暗闇だ。

ソファに横になっているアーネストは足と手を投げだしている。四肢に力が入らない様子だ。


「ん? お前は?」

「リリア・コックスよ」

「なぜこんなところに?」

アーネストの声に力がない。


「私、あなたが憎いの。あなたが邪魔するから、クロフォード王太子を篭絡できなかった。フリンク公子も最初は私に興味を持ってくれたのに、貴方が余計なことを言うから上手く行かなかった。

宰相の息子のスタンレーだけは私の魅力を分かってくれてヘレンと婚約破棄をしたわ。でも、なぜか彼は廃嫡されてしまった。あれから結婚してくれと言われたけれど、平民となった男と結婚するわけないじゃない。

クレアやヘレンという悪役令嬢に相応しい女が二人もいたのに、断罪どころかクレアは王太子妃になるし、ヘレンは外国の有名な伯爵家に嫁いだわ。それなのに私は男爵家から追い出された」

「だからどうした?」


「あなたに復讐してやるの。あなたを殺したら、私はギエルグ公爵の息子と結婚出来て将来は王妃にしてくれるって」

「息子はまだ十四歳だったと思ったが」

「年なんて関係ないわ。あと三年もすれば立派な紳士よ」

「そんな話を真に受けるのか?」

「ギエルグ公爵のお蔭でこの別邸で贅沢に暮らしていられるの。それに、約束事はきちんと文書に書いて貰ったわ。私賢いんだから」

「その文書はどこに?」

「私の部屋のベッドの下に隠してあるわ」

「本当に馬鹿だな。そんなのいずれ見つかって破棄される」


「失礼ね。そんな口はすぐに塞いでやる。あなたのグラスに毒が塗られていたの。もう手足が動かないでしょ」

「お前も殺されるぞ。多分俺と心中したことになる」

「そんなわけないじゃない。公爵は私を愛しているの」

「なるほど。付ける薬がないな」


アーネストがそう言った後に、ピンクの髪の女が短剣を振りかざした。


 * * *



 ラリサはそこで目が覚めた。

「どどど、どーしよう!」


まだ、外は暗い。ラリサはベッドから飛び降り、椅子に掛けられているガウンを羽織って扉を勢いよく開けた。

「アーネスト殿下。いらっしゃいますか?」


アーネストは机に向かって、仕事をしていたらしい。

頭を上げ、振り向いた。


「どうした?」

「あー、良かった。生きていたわ」

「おいおい、勝手に殺さないでくれ。もしかして夢を見たのか?」

「はい、実は......」

ラリサは夢の中の出来事を詳しくアーネストに話した。



「そうか」

腕を組んで考え始めたアーネストを見て、ラリサはあることに気が付いた。

「どうして殿下の夢を見たのかしら? 家族と自分の夢しか見ないはずなのに」


アーネストが立ち上がって、ラリサをふわりと抱いた。

「試してみよう」

「なにを?」

「目をつぶって、力を抜いて」

アーネストは右手でしっかりラリサの腰を引き、左手をラリサの後頭部に当てた。

ラリサの唇に温かいものが触れた。


 それはなぜか懐かしく、体の中から湧き上がる喜びに満ちた感覚だった。

二人の唇が離れた時、ラリサは思わず「アービィ......」と口走った。


「やっぱりな。俺たちはアービンド王とルミナ王妃の感情を一部引き継いでいるんだよ」

「生まれ変わりとは違うような気がするけれど、不思議な気分」

「ああ、何度でも確かめたい」

そう言って、アーネストはもう一度ラリサに口付けた。


長い口付けに、息も絶え絶えになったラリサはアーネストの胸をたたいた。


「い、いまはあなたの危険を回避する方法を見つけるのが先」


「そうだな......。明日の夜、おっともう今夜か。君の見た屋敷で晩餐会がある。その屋敷は今はカールトンが自分の屋敷のように使っているが彼の物ではなく、我が国の王室が所有している屋敷だ。俺は内部のことを熟知している。

そこに、この国の四つの公爵家から公爵とその夫人たちが招待されている。もちろん俺もだ。

あの商人が捕まって、カールトンは焦っているのだろう。それで急遽、煩わしい二人を一緒に始末する方法を思いついたというわけか」


 それから、ラリサとアーネストはその対策を明け方まで話し合った。


 あの商人の話もした。名前はグリン。彼は最初は頑なに口を開こうとしなかったが、

「この状況では、いずれお前は殺されるだろう。保護して欲しいのなら話した方が良いと思うぞ」と言ったら、ポツポツと話し始めたという。


 彼とギエルグ公爵は二年ほど前から親交のあること。時折、彼から指示されて違法な薬の密輸や売買、投資詐欺などに手を染めているということ。

 

「契約書などの証拠がない限りカールトンを罪には問えない。平民の言うことなどと一蹴されるだけだ。だが、今夜の晩餐会で我々の計画が上手く行けば話は変わる。但しクロフォードに借りを作ることになるが、彼の協力は必須だからな」


 結局どちらからともなく、話し疲れてベッドに横になり、そのまま寝てしまった。


 朝、ラリサが目を覚ました時には、すでにアーネストはいなかった。サイドテーブルにメモが置かれていた。

『今日はこれからクロフォードと話し合いをする。その後、バージェス家に行って婚約を正式に調える。用意しておいてくれ』


 ラリサはベッドから降りようとしたところに、侍女たちがやって来た。

彼女たちは、なぜか生暖かい視線をラリサの胸の上に向けた。

ラリサが視線の先を見ると夜着がはだけている胸の上に、小さな赤い印が二つほど出来ていた。ラリサにはこれが何なのか分からなくて、首を傾げた。


「まあまあ、愛されておいでですこと」

その言葉でそれが何かを察したラリサは、顔に一気に熱の帯びるのが分かった。

「あの、本当に何もありません!」

「はいはい」


 昨夜のドレスしかないのでそれを着て、髪は上げずに下ろしたままにした。

そして、アーネストが戻るのを待って、バージェス家に向かった。


 馬車の中では、アーネストはラリサの隣に座ってラリサの髪を弄んで、時折、髪や耳元に口付ける。


「殿下!」

「アーネストと」

「アーネスト! 二百年前の記憶の片鱗があるとしても、私は二日前まであなたをほとんど存じ上げませんでした。少し急ぎすぎでは?」

「そうかな? 俺は二年前からずっと君が気になり、動向を気にしていたんだ。残念ながら三件ほどの縁談はニーヴァに戻っていて阻止できなかった。あの時は君が縁談を断ってくれたのでホッとしたよ。俺たちが引き寄せられるのは運命さ」


 開いた口が塞がらないというのはこういうことを言うのだとラリサは実感した。


「さて、クロフォードの所で宮廷医長を交えて話し合ったところ、四肢のマヒする薬は患者が怪我をして手足を切らなくてはいけないような時に使うらしい。もちろん医療以外で使用は禁止されている。だからもしそれを俺に使うとしたら完全に違法だということだ」

「そんな薬をどこで手に入れるのですか?」


「あの商人グリンにこの薬のことを追求したところ、南の島から密輸船が出ていて、それを闇で購入していたという。購入には確かな保証人が必要なので、ギエルグ公爵にサインをしてもらったと言っている。クロフォードがそちらのことは任せろと言っているので、多分、今夜にでも密輸業者の隠れ家を摘発するはずだ。証拠書類が手に入ればいいのだが」

「そうですね」

「宮廷医長がその毒薬の効果を緩和する薬を処方してくれた。手の先にしびれが来たらすぐに飲むように言われたよ。念のために君の分も貰ったから持っていてくれ」

「その薬の出番がないことを祈っています」


「それから別邸には俺の婚約者を連れて行くと先ぶれを出してある」

「なんとか、無事に切り抜けたいわ......」

「大丈夫だ。屋敷の周囲には、それぞれの公爵家の護衛と言うことで、クロフォードが騎士隊を多人数配置してくれる。中の騎士たちはカールトンの護衛騎士はほんの数人程度だ。俺の息のかかったものも数人いるし、基本は皆国に仕える騎士達なので、いざとなれば俺の指揮下に入ることに異存はないはずだ」

そんなことを話している間にバージェス伯爵家のファサードが見えて来た。


 バージェス家では家族総出で迎えてくれた。

 

 ディミテルやイリーナは身分が釣り合わないのではないかと心配していたが

「我が王国にとってはルミナ妃やエレン夫人は特別な存在なので、その血を継いでいると言うだけで、誰も文句は言わないし、言わせない」

そう言うアーネストの言葉に少し安心したようだ。


 アーネストとディミテルが事業の話をしている間に、ラリサはデイドレスに着替え、今夜のために動きやすく隠しポケットの付いている紫のドレスを選んだ。そのドレスのポケットにラリサの趣味である占い用のカードと毒を緩和する薬を入れた。

 仕度は、王宮の侍女たちに頼むことにして、バージェス家を後にした。


 そしていよいよ晩餐会。

 

「俺の瞳に合わせてドレスを選んでくれるなんて嬉しいな」

「偶然です」

そう、ラリサはドレスを選んでから気が付いた。アーネストの瞳は紫だったと。


「昨夜、話した通りにものすごく愛し合って片時も離れたくないという俺たちの姿を見せる。ほら、俺だって君の瞳と同じ色のサファイアのピアスだぞ」

「ええ、心中する理由が崩れて、ギエルグ公爵が焦ると」

「焦るとボロが出る。では、今から練習」


 アーネストがラリサに口付けしようとするので

「アーネスト、化粧が崩れます」

「では、俺の膝の上に座って。俺たちにとっては演技ではなく本当だから信憑性があるだろう?」

「バカップルと言われますよ」

そう言いながらも、ラリサは結局、アーネストの膝の上に座った。


 寝不足と言うこともあり、二人は馬車の振動に誘われ、そのままお互いにもたれ掛かって寝てしまった。


 招待客を迎えに玄関先に出ていたギエルグ公爵は、ラリサたちの馬車の扉が開いたときの中の二人の様子を見て、目を剥いていた。


 パセット公爵夫妻(たぶんヘレン嬢の両親)、ワイス公爵夫妻(たぶんフリンク公子の両親)、ヴァルト公爵夫妻(若い、公爵位を継いだばかり)、ティモンズ公爵夫妻(一番年配)など、錚錚たる招待客を相手にラリサは気後れするかと思ったが、幸いなことにアーネストと口付けを交わして以来、ルミナ妃の感覚があるせいか、意外と緊張せずに彼らと話をすることができた。


 食卓はすでに豪華にセッティングされていた。

席順はやはりというか、楕円形の食卓の中央にギエルグ公爵、そして右隣がラリサ。その隣がアーネスト。そして、それぞれの公爵夫妻が食卓を囲む。

 

 乾杯用のグラスはガラスに金の細工で上のボウルの半分から下、持ち手と底の部分を覆っている。

普通のグラスだと、薬を塗ると曇って見えるだろうから、毒を塗っているのはこのグラスで間違いない。予想通りだと二人は思った。


 グラスに給仕がワインを注いでいく。皆のグラスに注ぎ終わったところでアーネストが声を立てた。


「ワインの香りが少しおかしい気がするんだが。気のせいかな? ラリサ、君のグラスのワインの香りを確かめさせてくれないか?」

「もちろんよ」

そう言って、ラリサは左側のギエルグ公爵に自分たちの手元が死角になるように完全に背を向けた。


 アーネストはラリサのワイングラスを手に取り顔を寄せた。

「ああ、やはり気のせいだな」

そう言いながら、ラリサのグラスと自分のグラスを素早くすり替えた。


「皆さま、大変に失礼をいたしました。やはり少し疲れているようです」

「最近は、とても忙しかったですもの仕方がないわ」

ラリサがアーネストに身体を寄せてほほ笑む。

アーネストも応じる。

「君との婚約が調って、安心したんだね」

「うふふ」


 二人のやり取りを見て、他の招待客は少し鼻白んでいる様子だったが、すかさずギエルグ公爵が杯を挙げた。

「それでは、そろそろ乾杯と行きましょう。アーネスト殿下の婚約と今後の両国の友好と発展を切に願ってカンパイ!」

皆一様にワインを傾けたのだが、ラリサはそっとグラスの縁に下唇をちょっとだけ付けてそのままグラスを置いた。


「ラリサ嬢、どうかしましたか?」

ギエルグ公爵にそう聞かれて、ラリサは答えた。


「実は、私、お酒を飲むと体に発疹が出る体質ですの」

「ああ、あの時は酷かったな。体中が真っ赤になって。私が一晩中、必死にタオルで冷やしたものだ」

アーネストがラリサの右頬から首筋を左手の甲で撫でながら言う。


「ええ、お恥ずかしいですわ。ふふ」

そう言って、ラリサが首をすくめアーネストを見る。

アーネストの方もそっとラリサの手を握って

「恥ずかしいことなんかないさ。君の傍にずっといられて幸せだったよ」と微笑む。

バカップル爆誕である。


「まあまあ仲の良いことで羨ましいわ。でも今まで、あまりお二人のお噂は聞きませんでしたが」

ワイス公爵夫人にそう聞かれて、アーネストが応じた。

「実は、事業の提携が上手く行くまではと隠していました、なるべく早く公にしたかったので今日は良い機会でした」

「まあ、そうでしたの」


 その後、ラリサは近くの給仕に

「何か果汁の飲み物を持ってきてくださる?」と頼んだ。

「承知いたしました」


 給仕が飲み物を持って来た。彼はラリサのワイングラスをそのトレイの上に載せ、厨房に向かった。

一人の騎士がその後をついて行く。厨房に入ったところで、その騎士がトレイにあるワイングラスを取り上げた。

 給仕は非常に驚いたが、

「気にするな。すべてアーネスト殿下の指示するところだ。この屋敷はニーヴァ国王室の所有の物だろう? と言うことは、今この時の主人はアーネスト殿下だ」

騎士にそう言われ、彼は「まさしく」と頷いた。


 騎士はそのワインを瓶に移し替え、グラスはそっと袋に入れて、厨房から外に出る扉に控えていた別の騎士にそれを渡した。


 

 さて、晩餐ももう少しで終わるという頃、アーネストが声を上げた。

「どうにも今日は体調が良くないようで、少し手足がだるく感じるのです。皆様には大変申し訳ないが、私は別部屋で少し休ませてもらいます」

ラリサは、慌てて

「まあ、それは大変、私もご一緒します」そう言うと

「大丈夫だ。君は皆と楽しんでいてくれ。横になっていればすぐに良くなるさ」

アーネストはラリサを安心させるように、ラリサの肩を二度ほど軽く叩いた。これはアーネストに問題がないことの合図だ。


「でも......」

「ラリサ嬢、殿下の言う通りです。ここはあなたが皆様と最後まで一緒にいて殿下の代わりを務めていただきたい」

 ギエルグがそう言うだろうことは、想定済みだ。ラリサの能力を知りたいギエルグはラリサと二人で話す機会を狙うだろう。非常に焦っていることはギエルグの表情を見ても明らかだった。


「そうですね......。ではアーネスト、後でね」

「殿下は第二サロンの方でお休みください。後ほど使用人を手配させます」

「ああ」

アーネストはラリサの額に口付けをして、少しふらつきながらダイニングを後にした。


 ダイニングを出たアーネストは控えていた騎士たちと共に、さっさと歩いて第二サロンに向かった。

「隠し部屋に潜んでいたものは?」

「二人いました。すでに捕えてあります」



 サロンは三つあり、合わせると丁度長方形の形をしている。

第一サロンがその長方形の半分ほどを占め、第二第三はほぼ同じ大きさで背中合わせになっている。

そしてその第二と第三の間にすべてのサロンを監視できる狭い隠し部屋が存在する。大人が四人ほど入る大きさだ。

 ラリサの夢の中でアーネストを殺したリリアをすぐに手にかけるのには、そこに誰かを潜ませているに違いない。そう思ったアーネストは、味方の騎士たちに事前に隠し部屋に突入して、彼らを捕まえるようにと指示していた。


 アーネストが第二サロンに向かったのを見届けたウディはそのままリリアの部屋の方向へに行き、彼女の部屋からは死角になる廊下の曲がり角で彼女が出てくるのを待った。

 彼女は部屋を出るときに鍵を掛けていたが、ウディはその部屋の合鍵を持っているので問題ない。すぐに彼女の部屋に入った。

 ベッド下のピンクのベッドスカートの中に入ると、小さな灰色の箱があった。それを開けると目的の物が見つかった。

それをすぐに胸ポケットに入れて、ウディはリリアの部屋を後にした。次に行くところは第二サロンだ。



 さてメインダイニングルームでは晩餐会も無事終わり、ギエルグ公爵とラリサはこの国の公爵家の面々を入り口の広間まで送った。

 丁寧に挨拶をして皆を送り出した後、ギエルグ公爵がラリサに声をかけた。


「ラリサ嬢、殿下が回復するまで私とお茶でもどうかな?」

「ええ、でも殿下の所に行こうと思います」

「心配せずとも大丈夫だ。彼は小さい頃からすこぶる健康な子だったから、直ぐにいつもの笑顔で戻るはずだ」

「はあ、それでは第三サロンにご案内いただけますか? というのも殿下から第三サロンに飾ってあるハムレッシュの絵が素晴らしいと聞いたものですから、一度見たいと思いまして」

「喜んで」

ギエルグ公爵がラリサをエスコートするために左腕を出した。その手にはあの紋章のある指輪がしっかりと嵌められていた。



 アーネストは第二サロンのソファーで手足を投げだして横になった。

しばらくすると、ノックもせずにリリア・コックスが入って来た。

 そしてラリサの予知夢通りのやりとりが展開された。


 リリアが手にしていた短剣の鞘を取りアーネストに襲い掛かろうとしたその時、アーネストは彼女のみぞおちに蹴りを入れた。

リリアはそのまま仰向けに倒れ

「えっ、なんで。なんでなの? アーネストは動けないって聞いていたのに、公爵が嘘を言ったの~?」

とわめいていたが、すぐに隠し部屋から騎士二人が駆け付けてリリアを拘束して、猿轡をはめた。


 その状況を見極めてウディが第二サロンに入りアーネストに言った。

「例の物、手に入れました!」


「そうか。それではリリア・コックス、隠し部屋に行こう」

リリアを拘束している騎士とリリアとアーネストの三人で、隠し部屋に入った。

「ここから第三サロンの様子が見えるぞ。面白いものが見られるかも知れん。静かにしていろ」


 しばらくするとラリサとギエルグが第三サロンに入って来た。

 

「まあ、こんなにたくさんの絵。素晴らしいですわ。ハムレッシュは貴国の画家ですものね」

「そうだ、我が国の誇りだ。ところでラリサ嬢、貴方はラムゼイ家の血を引いていると聞いたことがあるのだが」

「ええ、ほんの少しですわ」

「なにか人と違う能力と言うかそう言うものを持っているということは?」

「人と違う能力? 例えば?」

「人の心を読めるとか。予知ができるとか」

「おほほ、そんなおとぎ話みたいなことがあるはずありませんわ。ただ......能力はありませんけど、私には特技があるのですよ」

「それは?」

「テーブルを真ん中にして座りましょう」


 ラリサは隠しポケットから占いのカードを取り出してテーブルの上に置いた。

「占いです」

「ほう」

「占って差し上げましょうか?」

「是非」

「では、目を瞑って公爵閣下の生年月日を頭の中で唱えながらこのカードを切ってくださいますか? どんな切り方でもかまいません」

ギエルグ公爵はラリサの言われたとおりにカードを切り始めた。


「それではテーブルの上に置いて上の一枚を取って、そのカードを見せていただけますか?」

テーブルの上に置かれた、カードを見てラリサは驚くふりをした。


「まあ、女の子のカード。公爵様には若い愛人がおいでになるのですね」

「ばかな」

「でも、その女性をとても愛していらっしゃると出ていますが」

「あんなあばずれ、あ、いや失礼。彼女を愛しているなんてそんなわけはない!」

「まあ、外れたのですね」

ラリサはすっかり意気消沈しているように見せる。

「若い女性はいるが、ただの居候みたいなものだ。いずれいなくなる」


「そうですか。それでは次のカードを引いてみますか?」

「そうしよう」


「えっと、道化師。と言うことは......、なにか企んでいらっしゃいます?」

「はっ?」

「これは人を騙すのが得意という意味なのですが」

「......いや、私はいつも誠実だ。次のカードを引こう」


「王様......。でも逆になっているわ。と言うことは王様なりたいけれど王様にはなれないと。でも、ここにリンゴの木が描かれているので、何かきっかけがあれば王の道が開けるかもしれません」


 ギエルグはしばらく目を閉じて考えていたが、決心したように頷きラリサに言った。


「ラリサ嬢。私と結婚しないか?」

「はあ?」

「君は美しいし利発だ。それにルミナ妃の血も引き継いでいる。私が王となるには君との結婚が不可欠だということだ」

「公爵様にはすでに奥様も子供もいらっしゃいますし、私にはアーネスト殿下と言う愛する婚約者がおりますわ」

「離婚はいつでもできる。それにアーネストはもういないよ」

「どういうことですか?」


 そこに隠し扉が開け放たれて、アーネストが出て来た。

「なぜ、いないと?」

「お、お前は......なぜだ、なぜ死んでいない?」

「カールトン・ギエルグ、すべての証拠を押さえた。お前にもう未来はないよ。これでも小さい頃は良い叔父だと思っていた。残念だよ」


 ギエルグはとっさにラリサの手を引こうとしたが、ラリサはそれを躱しテーブルの上のカードを取って、彼の首筋に当てた。

 

「実は、カードでも人は殺せるの。これを下に引きさえすればいいのだけれど。動かない方が良いわ」

廊下側の扉からも騎士が入って来て、ギオルグは拘束された。


 ギオルグたちが部屋を出て行った後、アーネストがラリサに言った。


「ラリサ。君の機転は素晴らしいな」

「なぜか体が勝手に動いたの。でも、カードで人を殺せるわけないわよね」

「ん? どうだろ?」

「え?」


 ラリサは安心したせいか歩き出そうとして少しふらついた。すぐにアーネストが彼女を支える。

 

「愛しているよ」

「えーと......、私もかな?」

「ちょっと間があるが、いずれ取り払うさ」


「ところで、どうやって隠し部屋からここを見るの?」

「壁に塑像が掛けられているだろう。あの目から見えるのさ」

「これからは、どこに行っても壁に掛けられているものを確認するわ」

「ははは。横抱きにしようか?」

「もう、バカップルはおしまい」


 二人は手を繋いで笑いながら、屋敷を後にした。


 罪人たちは、クロフォードが用意した馬車に乗せられ、城の牢に入れられた。


 リリアはあの隠し部屋での盗み聞きでかなり頭に来ていたらしく直ぐにすべてを話した。

リリアが持っていたギエルグのサイン入りの誓約書もある。クロフォードが摘発した隠れ家でも証拠が見つかった。

 ワインは宮廷医長が若い医局員に試したところ、一時的に四肢が麻痺したので、その様子を記した書類とワイングラスを証拠として提出。

 ワイングラスに毒を塗ったのは、公爵本人だった。人を介すると露見する確率が上がるので、それくらいなら自分が出来ると思ったらしい。部屋から毒薬も見つかった。

 ギエルグはリーヴァ国に送還され、裁判を受けて罪が確定する。



「たぶん一生幽閉されるか処刑か」

「そうね。実はあの時の首に当てたカードは処刑だったわ」

「仕方がないな。どこで道を間違ったのかな」

 二人は王宮の庭の四阿でクロフォード王太子、そしてクレア妃とお茶を楽しんでいる。

「あら、ラリサ様、私も占って欲しいわ。お腹の子は男の子かしら女の子かしら」

クレア妃がラリサにそう尋ねると

「知らないことが幸せなこともあるんだぞ」とクロフォードが言う。


 ラリサが占いを始めたのは自分の予知夢の裏付けが欲しかったから。知らなくても良いものはわざわざ知る必要はない。

 

 ラリサの胸中を察したのかアーネストがラリサの手をしっかりと握る。

ラリサは思う。

(こんな普通でない自分を支えてくれるのはアーネスト以外にはいない。そして、この人と二人で築く未来を考えると、とてもワクワクする)と。




 ラリサとアーネストはこの茶会の一年後に無事に結婚式を挙げるのだが、ワイス公爵家秘宝盗難事件の捜査をクロフォードから頼まれたり、リーヴァ国の侯爵令嬢失踪事件に巻き込まれたりと、賑やかな婚約時代を送った。



 終

お読みいただきありがとうございます。お楽しみいただけましたか?

それから、占いカードのやり方や意味は全くの創作です。


※誤字やミスのご指摘ありがとうございます。出来るだけ早く対応させていただきます。

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[気になる点] >同格の伯爵家だし悪い話ではなかったのだが、その夢をディミトリに詳しく話した後、ディミテルは「娘は幼くてまだまだ伯爵家の奥方にはなれそうもない」とその縁談を丁寧に断った。 「ディミト…
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