野球少女も恋バナ咲かす
恋をするとはどういうことだろう。誰かを好きになって、両想いになって、付き合って、デートをして、手を繋いで、更にその先があって……。
いつか私もそうなるのだろうかと考えたことはあったが、実際にそうなったことも、そうなりそうになったこともなかった。
家で仲睦まじいお父さんとお母さんの姿を見て憧れを抱いたことはある。ただ無理にでも恋愛をしようと思ったことはなかったので、これまで縁が無かったのも不思議ではないだろう。
高校一年生の春、私は一人の男の子と出会った。椎葉丈君と言って、男子野球部に入った同級生である。きっかけは交流試合で投げ合ったことがきっかけだった。
椎葉君は一年生ながらエースとも呼べる活躍を見せ、チームを牽引。亀高の男子野球部はこれまで一度も甲子園大会への出場は無かったが、彼がいれば何ら不可能ではないと思わせてくれる。その存在は全国制覇を目指す私にとって、大きな刺激になった。
交流試合以来、椎葉君とは野球以外でも関わりを持っていた。彼からよくメッセージが送られてくるので、それに私が返信する形でこまめに連絡を取り合っていたのだ。部活や学校での出来事はもちろん、椎葉君の好きなスイーツについてなど話題は様々。いつしか私は彼とのやり取りに安らぎを感じるようになり、練習後などにメッセージが届いているとそれだけで嬉しくなったものだ。
一年生の夏、私にとって高校初めての大会を迎えた。結果は準決勝敗退。私はその試合に先発したが、チームを勝利に導くことはできなかった。同じ頃、男子野球部も甲子園への出場を懸けた県大会で負けてしまった。
私も椎葉君も悲嘆に暮れる中、彼の提案で夏祭りへと出掛けた。二人で遊ぶのはその時が初めて。突然の誘いに驚いたが、私はあまり迷うことなく承諾した。同じ悔しさを抱いているものとして、椎葉君になら鬱屈した心を曝け出せると思ったからだ。実際に夏祭りの別れ際、私は彼に今後の自分の全てすらも委ねてしまいそうになった。もしもそうしていたら、きっと私はその瞬間に歩みを止めてしまっただろう。
新チームとなり、私と椎葉君は共にエースナンバーを背負うこととなった。二人の関係は夏祭りの後も相変わらず。寧ろ切磋琢磨する野球仲間という意識が強くなった気がしていた。
冬を越えると椎葉君は驚愕的な成長を遂げ、ストレートは最速で一五〇キロを計測するようになった。彼の才能を考えれば当然のことだったかもしれない。学校内外で注目の的となってはいたが、私とは以前と変わらず接してくれた。
二年生になって迎えた夏の大会。男子野球部は県大会の決勝まで勝ち残る。決勝戦でも一点をリードし、甲子園大会への出場は目前に迫っていた。
しかし最終回、椎葉君は逆転のホームランを献上してしまう。私はテレビ越しに試合を観戦していたが、被弾して呆然とする椎葉君を見て言葉を失った。
一方の女子野球部も決勝まで進んだ。椎葉君の無念を晴らすわけではないが、私は彼の想いも背負って必ず日本一になろうと試合に臨んだ。
だが結果は延長戦の末に敗北。私は最後まで投げ切ることができず、後続の投手が打たれるのをベンチで見届けることしかできなかった。
自ら打たれた悔しさと何もできずに終わった悔しさ。方向性は違えども、エースとして更なる高みに登らなければ夢は掴めない。そう思い知らされた大会だった。
そして私たちはチーム内で最高学年となった。残された時間がたった一年となり、これまで以上に野球に打ち込むようになる。
ところがその最中に起こった出来事に私の心に変化を及ぼす。夏の暑さも完全に過ぎ去った秋口のことだった。女子野球部の主将を務める紗愛蘭ちゃんに恋人ができたのだ。相手は彼女の中学時代の後輩である暁君。どうやら紗愛蘭ちゃんを追い掛ける形で亀高に入ってきたらしい。とても誠実な子で、お似合いのカップルが誕生したと私まで嬉しくなった。
そしてふと思った。私も恋をしてみたいと。その時に一人の男の子の顔が浮かんだが、彼とはそういう関係ではないと咄嗟に自分で自分を否定した。
冬を越え、また春がやってきた。私たちは三年生に進級。それは即ち、全国制覇へのチャンスが残り一回しか無くなったことを意味していた。卒業後の進路についての話が盛んになる中、私はひとまず大会までの期間は野球に力を注ごうと日々を過ごした。
三度訪れた灼熱の夏。先に目標を達成したのは椎葉君だった。男子野球部が県大会で優勝し、甲子園大会への切符を掴んだのだ。もちろん彼はエースとして輪に中心に立っていた。
私も負けていられない。苦戦する試合もあったものの、女子野球部は二年連続で決勝進出。悲願の日本一へ、決戦の舞台となったのは甲子園球場だった。
椎葉君も駆け付けてくれた中、私は先発のマウンドに上がる。序盤に三点の先制を許したが、野手陣が追い付いてくれたことで延長戦に突入。私もマウンドに立ち続け、最後は自らの決勝ホームランで試合を決めた。
優勝した瞬間のことは正直あまり覚えていない。それでも確かに全国制覇を達成し、私と椎葉は共に誓った約束を果たしたのだ。
こうして私と椎葉君との関係は一区切りが付いた。……これで終わりなのか。終わりはしないとしても、卒業して別々の道を進むことにはなる。その先で各々が新たな出会いを果たし、そこで特別な関係性を築くかもしれない。そうなれば私たちは少なくとも、今よりは疎遠になる。
そう思った時、私は痛烈な寂しさに襲われた。椎葉君がプロ野球選手になって、遠くに行ってしまうのは仕方が無い。だけどこれから先、いつかどこかで私よりも仲の良い異性が出てくるかもしれないと考えると、胸の奥に靄が掛かった気分になる。
そこで私は自覚した。私は椎葉君のことが好きなのだと。ずっと一緒に高め合っていく内に、椎葉君に恋心が芽生えていたのだ。
高校三年生でやってきた初恋。ただ私自身それどころではなかった。野球部を引退後はプロからの勧誘、更には大学進学のための受験勉強に追われていたからだ。
椎葉君とは大会直後に祝勝会をした以降は会えていない。もっと早く自分の気持ちに気付けていれば、アプローチするチャンスはたくさんあったのに……。そんな後悔を抱えたまま、瞬く間に月日は過ぎ去っていく。
ただ過ぎたことは仕方が無い。進路が決まったら、この気持ちを椎葉君に伝えよう。そう心に留め、受験を終えてから少し経った日のことだった。
《卒業式の後さ、二人で会うことってできる?》
椎葉君からこうメッセージが送られてきたのだ。これはもしや……。いやいや、早計は良くない。自分で自分を律しつつも、これまでのことを振り返ってみる。
椎葉君は事ある毎に私と二人で遊びに出掛けていたが、他にそんなことをしている女子がいただろうか。私もそうだが野球部の活動がある以上、そこまで自由に遊べる暇は多くない。連絡を取ることだって頻繁にはできないはずだ。仮にそれらの時間のほとんどを私に使っているのだとしたら……。
紗愛蘭ちゃんや京子ちゃんたちからも、椎葉君との関係について尋ねられたことはあった。もしかして、彼の気持ちに気付いていないのは私だけ? 腹の底から恥ずかしさが込み上げる。私は椎葉君に《大丈夫だよ》とだけ返信し、その日はそれ以降メッセージを送れなかった。
卒業式当日。野球部の送別会まで終えた私は、期待九割、不安一割で椎葉君と初めて話した場所へと向かった。それからの結末は先に語られた通りだ。
高校野球で初めて投げ合った相手と、最後は恋人として結ばれる。傍から見たらベタな展開だと思う。けどそれがどうした。私は椎葉君が好き。椎葉君も私が好き。その事実があれば何だって良い。この幸せを、これから少しずつ、時に特盛で噛み締めていく。
そしてこれが私にとって最初で最後の恋となるのは、まだまだ先のお話――。
See you again someday in the future……