ウチの最推し
推しは尊い。尊いから推す。推しを推す理由など単純だ。
「はあ……、今日もケンゴ君は光を放ってますなあ。へへっ……」
夏の大会が終わった後、ウチは怒涛の如く推し活に励んだ。イベントの参加、配信動画のチェックなど、これまで部活のために犠牲にしてきたとも言えることにこれでもかと浸った。……勉強? ナニソレオイシイノ。
いや、一応それなりにはやっている。紗愛蘭に匹敵するほど……、いやその半分……、やっぱり四分の一くらい……。……実際には五分の一くらいかもしれない。
まあそんなことはどうでも良い。わけではないが、やはり推しは推せる内に推しておかなければならない。
今の推しはケンゴ君。アイドルゲームに出てくるキャラクターで、可愛らしい顔立ちと時折見せる厳しい眼差しとのギャップがウチの心に刺さった。ケンゴ君の笑顔は神々しく輝いていて、いつもウチを照らしてくれる。その存在は光の化身とも言うべきだろうか。
そんなこんなで推し活に没頭していると、あっという間に二学期が始まって一ヶ月近くが過ぎた。同級生のチームメイトや友人は皆、各々の進路に向けて着々と歩み始めている。中でも幼馴染である真裕は、プロ野球選手になると言う。
「……そっか。やっと決めたんだ」
「うん。京子ちゃんのお陰だよ」
ウチと真裕は毎日のように一緒に登下校している。彼女からプロに進む報告を受けたのも二人で登校している最中だった。
「ウチは別に何もしてないよ。真裕が自分で決断したんでしょ」
真裕はウチに感謝しているみたいだが、ウチは特に何もしていない。相談を受けた際に真裕の好きなようにしろと言っただけだ。プロの行きたいと思っているのは明らかだったので、その気持ちに従わせたに過ぎない。そもそも真裕はプロに進んで当然の人間だ。ウチとは才能も努力できる気力も違う。
「京子ちゃんはどうするの? 行く大学とか決めた?」
「え? ……ぼ、ぼちぼち決めるつもりかな」
真裕の問いにウチは目を泳がせて答える。本当はまだ何も決めていない。推し活に夢中で全く考えていなかった。
「私が偉そうに言えることじゃないけど、どうするかは早めに決めた方が良いよ。私も大分すっきりして、勉強も野球も頑張るぞ!って気持ちになれたしね」
胸の前で両拳を握る真裕。その表情は本当に晴れやかで、太陽のように眩しく光っている。とてもじゃないがウチはそんなに輝くことなんてできない。そんなことは昔から分かっていたし、今更どうも思わない。
「京子、そろそろ進路を固めたらどうだ。勧誘が来ているところにも返事してないだろ」
学校へ行くと、監督にも真裕と同じことを言われた。一応ウチにも二、三チームから声が掛かっており、回答を保留している。自分の実力を評価してくれたことは嬉しいが、ウチは卒業後も野球を続けるかどうかも迷っている。
下校後、ウチはすぐさま部屋に籠ってケンゴ君関連の動画を漁る。しかしどうしても進路のことが頭に過ぎり、素直に楽しめない。
「ケンゴ君、ウチはどうしたら良いと思う?」
画面越しのケンゴ君に尋ねても答えは返ってこない。口に出したくはないが、ウチが亀ヶ崎で野球をしていたのは真裕と同じチームでプレーできたから。だが次のチームに彼女は確実にいない。その状況で果たしてやっていけるのか。
ウチは野球が好きなわけではない。推し活をしている方がずっと楽しい。それなら野球なんていっそのこと辞めてしまえば気楽になれる。
「……あ、そうだ」
そういえば今日はケンゴ君の生配信がある日だ。始まるまで十分を切っている。思い出せて良かった。
《こんにちは、ケンゴです! 今日も皆でスマイル咲かせていきましょう!》
いつ見てもケンゴ君の笑顔には癒される。どうして彼はこんなにも光っているのだろう。
《本日は、視聴者さんのお悩み相談に答えていこうと思います! 遠慮せずどんどんチャット欄に書き込んでね!》
普段の配信ではケンゴ君の近況報告や雑談をするのだが、今日は視聴者の相談に乗ってくれるそうだ。ちょうど今、ウチは絶賛お悩み中。思い切って相談してみようか……。
《こんにちはケンゴ君。今、私は高校三年生で、進路を決めかねています。何かアドバイスをいただきたいです》
チャットボックスにメッセージを書き込み、恐る恐る送信ボタンを押す。こんな朧気な内容にケンゴ君が反応してくれるかは分からない。けれどこのまま悶々としていたって何も始まらない。誰かからの助言があれば、きっと前に進めるはずだ。
《おお! たくさん相談が来てるねえ。ありがとう! じゃあまずは……、これにしようかな。ケンゴ君、こんにちは。私は大学三年生なのですが、就活も始まり、どんな道に進もうか迷っています。ケンゴ君はどうやってアイドルの道に進もうと決めたのですか? また、進路を決める際の心構えとかあれば教えていただきたいです》
残念ながらウチの投稿は読まれなかった。しかし幸いにもケンゴ君は似たような質問を取り上げてくれたので、参考になる答えが聞けるかもしれない。
《ふむふむ……、進路って決めるの大変だよねえ。僕が今の道に進もうと思った理由は、やっぱり歌って踊るのが好きだからかな! えへへ!》
ケンゴ君は得意気に笑顔を作る。確かに自分の好きなことに通ずる道に進めとはよく言われる。
ではウチの好きなこととは何か。先ほども述べたが野球は決して好きなことではない。真っ先に好きな物として挙がるのは漫画やアニメ、ゲームといった類だ。けれども漫画を描きたいわけでも、声優やゲーム制作など携わりたいわけではない。そういった職業への憧れはあるが、その道の過酷さに耐えてまで志そうとは思わない。
他にウチが好きな物は何だろう。考えてみたが、これと言ったものが思い浮かばない。そうして頭を抱えている間に、画面の向こうのケンゴ君は少し神妙な面持ちに変わっていた。
《……まあでも、誰しもが好きなことで食べていけるわけじゃないからね。仮に好きなことが仕事にできたとしても、途中で嫌いになってしまうことだってある。だから好きなことで暮らしていくことが必ずしも良いってわけじゃないと思う》
ウチは改めてケンゴ君を見る。そのケンゴ君はまるでウチに語り掛けるかの如く、正面を真っ直ぐ向いて続ける。
《じゃあどうしたら良いかって話だけど、僕の意見を言わせてもらうなら、将来自分がどんな風に過ごしていたいかを考えてみると良いんじゃないかな。僕みたいにずっと歌って踊っていたいでも良いし、平穏にのんびり暮らしていきたいでも良い。そうやってどんな未来にしたいかを想像すれば、その未来に向かって何をするべきが何となく見えてくる。そしたら進路も決まってくると思うよ》
自分がどんな未来を過ごしていたいか。難しそうな質問だが、いざ考えてみると思いの外あっさりと浮かんできた。ずっとずっと推しを推していきたい。好きなゲームをとことんまでやり続けたい。簡単に言えば今の趣味を大人になっても楽しみたいということだ。だけどもう一つ、思い浮かんだことがある――。
《……今日も聴いてくれてありがとう! 明日も皆がスマイル満開で過ごせますように! バイバーイ!》
配信は一時間半あまりで終わった。今日もケンゴ君が尊かったのは言うまでもない。そして彼の言葉のお陰で、ウチは一歩踏み出せそうな気がした。
それから一週間を経ずしてウチの進路は決まった。まずは職員室に赴き、監督に報告する。
「え? 愛商大に行くのか?」
愛知商業大学。ウチにオファーをくれたチームの一つだ。そこに行くことはつまり、大学でも野球を続けることを意味する。
「こりゃまた急だな。野球をやるかどうかすらはっきりしてなかっただろ」
急転直下とも言えるウチの決断に監督も驚く。ウチは無理も無いと思いつつ、儚げな物言いで訳を話す。
「野球がやりたいかどうかと言われると、正直微妙です。けど自分の将来がどうなっててほしいかを考えた時に、……野球から離れるわけにはいかないんです」
「そうか。ふふっ……」
監督は悟ったかのように仄かに頬を緩め、窓の外を見やる。その先にあるグラウンドではウチらが引退した後の野球部が練習に勤しんでいる。
「何はともあれ、京子が自分の意思で決めたのならそれで良い。俺は頑張れと言って送り出すだけだ」
「……はい。ありがとうございます」
これでもう後には引けない。その日の帰り道、ウチはもう一人の人物にも進路を決めたことを報告する。それはもちろん、真裕だ。
「おお! 京子ちゃんは愛商大に行くんだ! ということは野球も続けるってこと?」
「そりゃそうでしょ。勧誘受けて行くわけだし」
「そうなんだ! 嬉しい!」
ウチの報告を聞いた真裕は、満面の笑みを浮かべる。自分のことでもないのに、そこまで喜ぶ意味が分からない。ただ一方で、そんな彼女の姿を見て悪い気分のしない自分がいる。
「……相も変わらず。全くもう……」
ウチは明後日の方を向いて小さく溜息を吐く。真裕に対しての、いや、ウチ自身に対しての呆れだ。
「え、何か言った?」
「何も言ってない。最近ちょっと寒くなってきたと思っただけ」
「そう? 私はあんまり感じないけどなあ」
真裕の言う通り、寒さなんてこれっぽっちも感じていない。ただきっと彼女は気付かないだろう。そう思いつつ、ウチは夕暮れの下で歩みを進めるのだった。
これから先も、真裕の近くにいたい。それがウチの求める未来だ。結局ウチの一番の推しは、真裕なのである。
きっとプロにはなれない。大した功績も挙げられないかもしれない。……でも、それでも、ウチは真裕と並んで歩きたい。だからウチは野球を続ける道を選んだ。野球が二人を、いつまでも繋げてくれると信じて――。
go to next stage……