交わる希望に導かれ
「……どうですか、私どもの大学で野球をやりませんか?」
「うちのチームに入ってほしいんです。踽々莉さんがいれば、大会で優勝することだってできるはずです!」
夏大が終わった直後、私の元には複数の大学や社会人チームからオファーが届いた。怒涛の出来事に困惑したが、自分の実力を買ってくれてのことだと思うと嬉しい限りだ。
しかし本音を言うと胸中は複雑だった。実は私には、大学で医学部に行きたいという目標がある。将来的に医師になるかどうかは分からないが、医学について学んでみたいのだ。そのために野球部での活動する傍ら、地道に勉強にも励んできた。
もちろん合格にはまだまだ偏差値を上げなければならない。だから今後は更に力を入れて勉強する必要がある。
また仮に合格できたとしても、講義に付いていくため入学後も常に勉強の手を休めてはならない。そう考えるととてもじゃないが大学でも野球をやっている余裕は無いだろう。
だから私は早々に全てのオファーを断った。これに関しては監督とも相談した上で下した決断だ。
「そっか……。紗愛蘭ちゃんはもう野球はやらないんだね……」
とある日の下校中、一緒に帰っていた暁君に私が野球から身を引くことを話すと、非常に残念そうな反応を示していた。私たちの全国制覇をずっと応援してくれていたし、それだけにショックだったのかもしれない。だがそれでも暁君は前向きな言葉を掛けてくれる。
「けど紗愛蘭ちゃんがやりたいことをやるためなら仕方が無いよね。俺は何があっても応援するよ」
「ありがとう暁君。頑張るよ」
野球を辞めることに関して私自身に後悔は無い。そもそも本来なら高校で野球をやっていなかった。真裕たちの勧誘をきっかけに野球部へ入部したのだ。甲子園球場でプレー、更には全国大会で優勝することができた。チームの皆と出会えたことは幸運だったし、私は本当に幸せ者だと思う。それなのに未練などどうしてあろうか。
夏休み中はもちろん、休みが明けた後も私は受験勉強に力を注いだ。野球部の練習に時折参加する同級生もいたが、私は一切しなかった。部に顔を出すことで気の緩みに繋がってしまうのが嫌だったからだ。
そんな日常を送っていたある日、私の元に一つの知らせが届く。真裕がプロ野球選手になるというのだ。このこと自体には驚きは無い。私にさえ社会人チームなどからオファーが来るのだから、真裕の実力であればプロ野球チームが目を付けるのも頷ける。
その一方で、真裕は大学に行きながらプロ選手として活動する予定だと言う。一概に比較することはできないものの、彼女は私が出来ないと思っている道に挑もうとしている。素直に凄いと思う反面、胸の奥にはふとした蟠りが芽生える。
だが私はこれらの感情を忘れるかの如く勉強に没頭した。模試の成績に一喜一憂してはならないのと同じく、他人の進路に振り回されてもいけない。自分のやりたいことを決めた以上、今はその実現に向けて一心に努力するしかないのだ。野球部でもそうやってきた。
それから季節は瞬く間に巡り、受験シーズンに突入した。まずは一月の共通テスト。私は完璧とはいかないまでも納得の行く点数を取ることはできた。第一志望の二段階選抜も通過でき、一ヶ月後の二次試験へと進む。
二次試験は筆記と併せて面接も行われる。筆記が良くても面接で落とされるケースもあるので、こちらの対策も欠かさなかった。主将をやっていたおかげで人前にたって話すことや質問に答えることに対しての抵抗は無く、その点は非常に活きたと思う。
そうして全ての試験が終わり、合格発表の日を迎える。合格者は大学のホームページに掲載されるため、私は一人、自分の部屋で結果を確認する。
「……あ、あった。あった!」
自分の番号を発見した瞬間、私は何度も見間違えではないか確かめた。夢ではない。私は紛れもなく第一志望の大学に合格したのだ。
これで私は念願の医学部で学べる。同時に、野球からは距離を置くこととなる。……そう思っていた矢先の出来事だった。
《悪い紗愛蘭、時間のある時に学校に来てもらっても良いか?》
大学入学に備えて過ごしていたある日、木場監督から急に亀高へと呼び出された。卒業生としての訪問となるが、日が浅過ぎて実感は湧かない。そんな呑気な気分で職員室に入ると、監督と一緒にスーツ姿の見知らぬ女性が待っていた。
「監督、こんにちは。えっと、この方は……」
「初めまして踽々莉さん。私は株式会社ヨツビン、女子野球部マネージャーの中野と申します」
中野と名乗る女性は、私に挨拶すると共に名刺を渡してくる。野球関係の話をしにきたようだが、医学部に合格できた以上もう私にはプレーする意思が無い。それは監督にも伝えている。
「実はですね、踽々莉さんにヨツビン野球部の活動に参加してもらいたいと思っていて、今日はその話をさせていただきに参りました」
「ああ……。お誘いは嬉しいのですが、私としては大学での勉強に専念したいと思っていて……」
「それについて監督様からも伺っております。なので私たちは、踽々莉さんを臨時コーチという形で迎え入れたいのです」
「臨時コーチ?」
寝耳に水とは正にこのこと。驚く私に中野さんが説明を加える。
「はい。基本的には学業に重きを置いてもらいつつ、時間ができた時にチームの練習や試合を見て指導をしていただければと思っています。もちろん報酬も出しますし、表現は悪いですがバイトのような感覚で来てもらえば大丈夫です」
そんな緩い感じが本当に許されるのか。仮に許されたとして、そもそも高校で引退した人間が社会人の選手を指導できるとは思えない。そうした疑問に答えるかのように、中野さんが続ける。
「実は私たちヨツビンの女子野球部は発足したばかりでして、選手個々の実力だけでなく、野球をよく知る指導者も不足しているんです。だから踽々莉さんの力を少しでも良いので貸していただけると、とっても助かります」
中野さんは切実に訴える。その熱い想いが私の心の炎を仄かながら再燃させる。
「……もしかしたら、ほとんど顔を出せないかもしれません。ほんとにそれでも良いですか?」
「もちろんです。それでも私たちは踽々莉さんの力が欲しいんです」
「……分かりました。その話、お受けします」
私は力強く首を縦に振る。中野さんの気持ちに応えたい。ただそれだけではない。結局私は、野球との繋がりを断ちたくないのだ。その希望が僅かでもあるのなら、それに縋りたい。
自分でも身勝手な理由だとは思う。けれどもそれが中野さんたちの、ヨツビン野球部の力になるのだとすれば、私としてもありがたい。
「本当ですか! よろしくお願いします!」
中野さんは仔犬のような笑みを浮かべる。社会人なので自分よりも歳上のお姉さんだと思うが、その表現はとても可愛らしい。こうして私は四月から大学生となる傍ら、ヨツビン野球部の臨時コーチとなった。
しかし、物語はこれで終わらなかった。私がコーチになってから少し先の未来の話。グラウンドには、とあるコールが響いていた――。
《……バッターは、三番ライト、踽々莉さん》
Go to next stage……