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前世で報われなかった神々が人間に転生して幸せな恋をします。【GRASSBLUE last 碧草日記】  作者: ほしのそうこ
女王特権で推しと結婚するなんて、はしたないですか?(前)sideグレス
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テリア・ランセルの初戦

 剣闘場はあくまで成人済みの腕に覚えのある方々が己の技術を競う場です。ということで、面接会にて正式に参加資格を認められた者達は会場を出て、試合の禁止事項をまとめた書類一式が渡されます。後は各自、予選会当日までに書類を熟読し、禁止事項を把握した上で試合に臨みます。参加者一同集まって開会を宣言する式典、なんていちいち開催されません。お子様を相手にした教育機関ではないのですから。




 ところが。ランセル殿は「言葉が話せない、文字が書けない、こちらからの言葉かけは理解出来る」というところまでは確実なのですが。渡された書類は読めるのか? わたくしは、それが不確定だと思いました。なので予選会の前日に伝令を出し、一度、剣闘場の事務室へお越しいただくことにしました。




 ……後になって振り返れば、白々しいお話です。ランセル殿は弟達の手記をじっと見つめていて、場面に応じて必要なページをこちらに提示することが出来るのだから、「文字を読むことは出来る」のだって考えればわかること。






「だから、わたくしは聞こえの良い口実をつけて……あなたと個人的にお会いしたかっただけなのでしょうね」




 ああ、思い出すと誠にお恥ずかしい。




 今宵、初めてふたりきりの夜を過ごすにあたって、わたくしは彼に、この十年間……わたくしが一方的に見つめてきた心境を話し、伝えていました。側仕えの使用人以外は立ち入ることのない寝所に、意中の殿方とふたりきり。そんな状況よりも、わたくしはこれまでの自分の振る舞いによる羞恥心の方が勝っていて。思わず火照り始めた頬を、潤んできた瞳を隠したくて、両手を顔で覆ってしまいました。彼はもちろん言葉はなく、わたくしの手首をそっとはがして膝元に下ろしてしまいます。滲んだ目で見上げると、彼は苦笑して、静かに首を横に振っています。




 そうです。いくらはしたなく恥ずかしくとも、わたくしは彼に話すことをやめるわけにはいきません。今宵、このような時間をいただけたのはひとえに。「何も話せない彼とわたくしが、気持ちを通わせられるのか否か確かめるため」なのですから。








 そういえば、あの日も同じ仕草をされていましたね。お時間をいただきありがとうございます、とわたくしが頭を下げると、彼は慌てたように首をぷるぷると振りました。現在と比較するなら遥かにあか抜けない、幼さの残るその動き。印象的だったもので、今でも昨日のことのように思い出せてしまいます。






「剣闘場の決まりで最も大切なのは、試合終了の条件を知ることです。




ひとつ。相手が武器を手放すこと。これは対戦相手との攻防によってうっかり手放してしまうのと、降参の意思表示として自ら手放すのも含みます」




 よろしいですか? と確かめると、彼は真剣なお顔で頷きます。




「ふたつ。相手が意識を失ってしまった場合。追撃によって命を奪うことは禁止です。




そして、みっつめ……対戦中、相手が死亡してしまった場合です。ふたつめは失格になりますが、みっつめはそうではありません。その違いがわかりますか?」




 彼はしばし考えたそぶりで、一度、深く頷きました。このような訊ね方、言葉でお返事出来ない彼には意味がないでしょうか。いいえ。もちろん、この後わたくしからきちんと明言いたしますが、大事なことなので自分でも一度考えて欲しかったのです。




「剣闘場では、試合の最中に結果的に殺めてしまっても失格ではありません。故意でないのなら。しかし、反撃出来なくなって倒れた対戦相手に意図的にとどめを刺すのは、故意の殺人と同じです。だから禁止されているのです」




 わたくしの言葉の終わるのを待って、彼は再度、頷きます。




「規則上はそう、なっているのですが……わたくしは、いくら禁止ではないといっても、剣闘場でお亡くなりになる方を見るのは胸が痛みます……出来る限り、そのようなことが起こらないよう、お祈りしています」




 彼は不思議そうな目でわたくしを見て、ほんの僅か、首を傾げていました。わたくしは武勇の国の次代女王にして、現に剣闘場の運営に関わっています。このような軟弱な思想を持っていて、しかも初戦すら迎えていない新人剣闘士志願者を相手にそれを溢して、闘気を削ぐようなことを言うのです。奇妙に思われても仕方がありません。






「……よっつめ。剣闘場の参加者は全員、首を守る防具を装備することが義務付けられています。お手持ちの武器の刃先を首元に突き付けられたら、勝敗は決します」




 気を取り直して、最後の項目をお伝えして。何か疑問はおありでしょうか……と、口に出しそうになって、やめました。彼は、言葉が話せない。筆談も出来ない。「はい」か「いいえ」で答えられる訊き方をしなければ、負担に感じてしまうでしょう。




「お伝えしたかったのは、以上です。ご理解いただけましたか?」


 そう口にすると、彼は頷いてくれて、その日はお別れになりました。








 剣闘士になりたいと自ら志願して来られる方というのは、たいていは腕に自信があるとか、武術の経験があるとか。自ら愛用の武器を持参して来られる方が多いです。そうでない方というのは、……あまり考えたくない実情ではあるのですが、お金に困って身売りされてきたような形で、剣闘場に参加してきたようなお方、というか。




 ランセル殿は腕に自信があるのは間違いなく、自ら志願されたのだとわたくしは感じておりました。それは間違いではないのですが、心底から好き好んで剣闘士を目指していたのではなく。口がきけないゆえに他のお仕事に就けそうにないから、とりあえず剣闘士になってみようかという事情があったらしいとわたくしは後に知ることになりました。






 と、いうわけで、彼は自らの手持ち武器はなく、初戦を迎えました。前日にお伝えしたので首を守る防具だけは街の防具屋で仕入れて、身に着けてきてくださいました。






 自前の武器をお持ちでない方には、剣闘場の備え付けのサーベルを無償で貸与しています。これはエリシア様が監修の上、こだわり抜いて設計して作らせた特注品です。通常のサーベルよりも幅広の曲刀。護拳は両手持ち、片手持ちどちらでも持ちやすいように調整しています。要は、元より多様な取扱いが可能なサーベルを更に複雑な動きで取り回し出来るように改良した結果なのです。






 本選と違って予選会は、その場でくじ引きによって対戦相手が決まります。ランセル殿の初戦の相手は予選会ですでに三十勝をあげている、なかなかの実力者でした。予選会で百勝すると、予選会を卒業して本選に出場できる、正式な剣闘士として認定されます。






 試合開始を告げる銅鑼が打ち鳴らされました。対戦相手はすぐに獲物を構えて前進します。彼は狩猟民族の出身で、郷里で狩りに用いていた大型ナイフ(ハンガー)を常から愛用しています。双方、体格はほぼ互角です。




 ランセル殿は一向に動かず、相手が目前に迫ろうとしているのに構えもしません。しかし、表情に緊張も見られず、怖気づいたというわけでもなさそうですが……。

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