触れ合うだけでも、伝わる
「おかえりなさい、テラ。いらっしゃいませ、ノアさん」
「お邪魔します~、スーちゃん様!」
わたくしとテラが正式に結婚しますと、もう親戚みたいなものと思っていいですよね~、ということになり、ノアさんは子供達と同じ愛称でわたくしを呼ぶようになりました。わたくしも他国からの使者という付き合いではなく、遠慮なく、そういった関係と思って接するようにいたしました。
「それで、テラとボクに見せたいものってなんですか?」
あの日約束した通り、わたくしはグランティスでテラの帰りを待ち、彼は外で自分の望むお仕事をして旅をする。こういった暮らしになりました。各国の大使館を通じた手紙のやり取りはノアさんに代筆いただいて頻繁に交わし、最新の手紙でこのようにしたためてありました。おふたりが次にグランティスへお帰りになった際には、お見せしたいものがあると。
それは普段、わたくしの部屋の小振りの丸い卓に置いてあります。結婚後、王宮内にテラのお部屋は設けませんでした。まぁ……正直申し上げて、必要がないのですよね。わたくしのお部屋は、元から、わたくしひとりで使うには広すぎますので。お帰りになると、テラはいつも、わたくしの部屋で過ごしています。
「こちらは釦文字印字機械と呼ばれる道具です」
会話に必要な五十音が刻まれた五十のボタンが並び、そのボタンを押すと下に設置された紙に墨で文字が印字される。そういった仕組みの道具になっています。
「テラのような、文字が読めるのに書くことが出来ないという方には、道具を使った印字でなら言葉を伝えられる方が一定数いるそうなのです。確か、ノアさんに『テラ』という名前を伝えた時、彼は『テリア・ランセル』という文字のテとラを指で示したのですよね?」
「そうですね」
「テラ。同じようにこのボタンの中から、テとラを選んで押してみてください」
わたくしの指示にテラは頷き、五十のボタンをじっと見つめて必要な文字を探します。そして、無事に「テ」と「ラ」を見つけ出して指先で押しました。
「わぁ~、これは便利ですね~」
機械の下から舌のように突き出してきた白い紙に、「テラ」と印字されているのを見て、ノアさんが感心しています。一方、もっと喜んでくださるかと思ったのですが、テラは案外、無の表情でした。あら……?
その顔のまま、じーっとノアさんを見つめます。
「……わかった! ボクはティサと落ち合って、街で遊んでくるから。テラ、またね」
相変わらず、ノアさんの以心伝心は素晴らしいですね。あの表情からどうしてそうなってしまうのか、わたくしにはさっぱりわかりません。テラはこっくり頷いて、笑顔でノアさんに手を振っているので、おそらく正解だったのでしょう。
テーブルの横には脚のしっかりした椅子が一脚、置いてあります。この機械の性質上、立ったままでは操作し難いでしょうから。テラはそこに腰を下ろして、すぐ側に立つわたくしを手招きします。
……確証はないのですが、もしかしたら。迷いながらも、わたくしは彼の膝の上に。椅子代わりに、座ってしまいました。うんうん、と、満足げに頷いてくださいました。
先ほど見たばかりですから、まだ文字の配列を覚えていないのでしょう。わたくしの肩越しに五十のボタンを真剣な顔で見つめて、ひと文字ずつ。慎重に押していきました。
たったの五文字を押すのにたっぷり時間がかかり、それで目当ての言葉を印字したらしく、はぁ~っと深々と溜息をついて椅子の背もたれに体重を預けました。
「……ええ。わたくしも、もちろん。あなたを愛しています」
「あいしてる」、そこにはそう記されていました。わたくしも遠慮なく、彼に体を預けます。
せっかく用意した道具ですが、その後、テラは滅多にそれを使用しませんでした。せっかくだから最初の一言にそれを選んでくださったのでしょうが、実際、目に見える言葉にしなくとも……わたくしは彼の愛情をきちんと感じられていたのですから。よほど細かい言い回しで伝えたい用事でもなければ、わたくし達に言葉は思ったほど必要なかったみたいです。
それから何年経っても、わたくしはノアさんのようには、事細やかに彼の気持ちを読み取ることは出来るようになりませんでした。けれど、それで構わないのだと思います。
ノアさんとテラには彼らだけの気持ちの交わし合いがありますが、わたくしとテラにだって、彼とは違う想いの通じ方があるのです。形が違うだけで、そこに優劣はありません。
テラとわたくしには、言葉はさして必要ありません。こうして、お互いの体の温もりで、触れ合うことで。わたくし達はいつでも、お互いの想いを感じることが出来ましたから。




