見つめ続けただけの恋
ノア様からお申し出のあった翌日一日は、テラ様が剣闘場跡地にて催しを行う予定であると掲示するため空けることにして、二日後にお披露目することになりました。
「すみませーん、危ないのでこの縄の内側には入らないようにしてくださ~い」
ノア様は集まり始めた人々にそうお声掛けしながら、長い縄を芝生の地面に、テラ様を中心にかなりの広範囲を円で囲うように置いていきます。その間、テラ様は黙々と、自らの芸に必要な道具の組み立てをしています。
「皆様、お久しぶりです。何年か前にこちらの剣闘場で皆様のお目にかかっていた『傷なしランセル』がグランティスに帰ってきました! ボクのことは知らないって? 黒子みたいなものなんで、ボクの言うことはランセルが話してると思ってご傾聴くださいね~」
愛嬌たっぷりの笑顔でノア様が溌剌と述べますと、観衆から小さな笑いが起こりました。
「ではとりあえず、皆様にとっても懐かしいのではないでしょうか。こちら、グランティス独自のものとは異なる一般的なものですが、サーベルの模造刀でございます」
テラ様は両手に模造刀をぶら下げて、いたって気楽な調子でそれらを順番に、上空へ放りました。青空のただ中をくるくると回転しながら舞った双剣は、テラ様の手元に戻ってくると彼は難なくそれを受け取りました。
その芸はきっと、他国でも変わらず披露されてきたものでしょう。しかし、グランティスの剣闘場を愛した人々にとっては殊更に、感慨深く映ったはずです。テリア・ランセルの名を最初に有名にした百人抜き。剣闘場の中を百の武器を弾き飛ばし、舞わせた彼のサーベルさばきを想起したでしょうから……。
それから、竹馬の上に手を放したまま立ち、お手玉のように模造刀を投げて右へ左へカニ歩き。今度はご自身がそこからエビ反りの体勢で飛び降りて地へ着くまでに二回転もし、竹馬が倒れてしまう前に足で支えたあげく、先に投げたサーベルを両手で受け止めます。ノア様が縄で広く場所を確保したのは、竹馬の受け止めが失敗した際に観衆に当たってしまわないように、という配慮なのでしょう。
まだまだ習練の途上と言っていた通り、何かの上に乗って模造刀を投げるの繰り返しで単調さはありました。それでも、見事な技を見せていただきました。
最後には、剣闘士の試合終了直後には一度も見せなかったような満ち足りた笑顔で、ぺこりと頭を下げました。もちろん、観衆は立ち上がり、拍手喝采でした。
わたくしは観衆から少し離れた場所にてそれを見守っていて、目尻に浮いてきた水滴を指先でそっと拭いました。あんまりにも細くて、弱々しくて。懸命に生きる市井の女性方と違って整いすぎた指先。わたくしはその指先が、あまり好きにはなれません……。
彼が剣闘士として活動していたあの頃。わたくしは彼の心が少しでも楽になるような力添えが、何ひとつ出来ませんでした。それどころか……彼がその活動を心から楽しんでいないと知りながら……闘う彼を応援することをやめられませんでした。わたくしが、彼の闘う姿を愛していたから……それが、心から申し訳なくて、いたたまれなくて。
彼は今、本当に自分が楽しいと思える道を見つけて、あの頃よりずっとずっと輝いていました。これからわたくしは、新しい道で頑張る彼の歩みを応援することが出来る。勝手ですが、それが嬉しくてたまらなくて。思わず涙が出てきてしまったのでした……。
わたくしが二十四歳を過ぎると、次第に「早く世継ぎを産むべき」という周囲の願い、という名の圧力が増してきました。
グランティスという国は千年に渡って圧倒的求心力のある女王を据えてきた国です。ゆえに王族といえど、求められるのは「血を絶やさぬための努力」くらいだったそうです。ある意味、エリシア様のおかげで王族は楽をさせていただけたのですよね。
我が父にして現国王も老齢に差し掛かりつつあります。先日の定期健康観察においては持病の悪化も心配されました。父が王位を退かざるを得なくなった頃に、わたくしが支障なく王位を継げるように。つまり、女王になる前に出産を終えて、育児だってひと段落していること。それがわたくしに求められている理想の道筋なのです。
「はぁ……」
わたくしは執務室にて、国内外から集められた縁談の資料の山を眺めながら溜息をついていました。この件の担当官僚がこの場でわたくしを監視しようと算段していたもので、それだけはお許しくださいと断って、ひとりで資料に向き合うことに。
わたくしの望みはさておいて、先方に失礼ですので資料の内容だけは全て確認させていただきました。朝食をいただいてから休まず、室内はすでに日暮れの朱色に染まり始めています。昼食をとり損ねたお腹がくぅ、と鳴いて訴えてきますが、体の求めとは裏腹にわたくしはちっとも空腹を感じていません。
椅子の背もたれに深く重心を預けてみるも、体重が軽くて体が沈みきれません。何とはなしに下腹部を撫でてみますと、肉付きの薄く頼りない、すべすべとした感触を自覚します。
今となっては以前ほど身近な存在ではなくなりましたが、剣闘士の皆様の体を思い出していました。わたくしのそれと違って、彼らの体は日々の努力がそのまま形作られていたので……。
たまたま女王になるべき家系に生まれて、何の努力もなく国民に育てていただいたこの体。ならば、せめて……我が国にとってもっとも益となる方の子をこの体で育み、世の中に誕生させるべきなのかもしれません……。
それこそが、わたくしのするべき努めなのかもしれない。……わかっています。……それでも……。
「……テラ、様」
名前を呟いただけで、いたたまれなくて。浅ましい自分が恥ずかしくて、視界が滲んできます。最後にお会いしたのも何か月も前で、わたくしと彼の関係は、ただこちらから一方的に見つめてきただけの片想いでしかないというのに。
誰かの子供を自分の体に宿す。その可能性を思い浮かべてしまうと……その相手は、あなたが良い。そんな図々しい夢を描いてしまう自分に、耐え難い嫌悪感を抱いてしまうのです。
彼は我が国を象徴する剣闘場の最期に、輝かしい思い出を提供してくださった、国民的英雄にも等しい存在でした。彼を密かに慕う女性だって、わたくしだけではないはずです。
今は我が国を離れ様々な国を渡り歩いて、自分自身を表現する仕事を生きがいとしておられるのです。
そんなお方を時期女王になる立場のわたくしが求めれば、彼の自由な人生を奪い、この国に束縛してしまう。しかも、女王の立場を利用してそれを迫ることにもなる。
考えれば考えるほどに、はしたなくて……決して叶わぬ夢想をしているようで、虚しくて。途方に暮れてしまうのでした。




