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後編

「やばい、やばいッ!」


 クリスマスイヴ。


 本当なら休みだったのにも関わらず、年末進行のせいで急遽休日出勤となった結果、私は落ち着きなく新宿に急いでいる。ヒールはきっと、今日だけでだいぶ摩耗してしまっただろう。急いでいる理由はただひとつ。『ララ様が愛用しているマフラーが、新宿の店舗に数量限定で入荷する』からだ。


 本来なら、朝イチで開店に並び、余裕を持って購入。帰宅して、鏡の前で今頃、恍惚の表情を浮かべている頃だっただろう。しかし上記のとおり、早上がりできたとはいえ、着いたのは一七時過ぎ。SNSで購入した人々の報告をチェックしているが、幸い一〇分前でも買えた模様。在庫は残りどれくらいだ。


 ビルに到着した。目指すは二階。ヒールの悲鳴を聞きつつ、店舗のレジに直接向かう。探している余裕はない。天使のマフラー、まだありますか!?


「申し訳ありません。現在、在庫切れとなっております」


 終わった。


 切らした息も、明日筋肉痛間違いないふくらはぎも、そして寿命を削ったヒールも。買えれば全て報われた。自分へのクリスマスプレゼント。丁寧に謝罪されてしまったが、お姉さんが悪いわけではないです。全ては会社のせいなんです。だから謝らないでください。


 仕事用のカバンが重い。買うことができたなら、羽根のように軽かっただろう。ブンブンと振り回しながら帰ったかもしれない。人に当たらないように気をつけながら。


「ごめん……」


 誰への謝罪だろう。自分か? ララ様か? それとも店員のお姉さん? 店内の案内放送が全身に染み込む。空っぽの身体に、余すことなく入り込む。でも、内容は聞き取れても理解はできない。呆然と店の前のベンチに座った。


 背後には、エスカレーターで上がってきた人達。幸せそうなカップルが代わる代わる。きっとお目当ての品をラッピングしてもらって、幸せな二日間を過ごすのだろう。


 お金は余ってしまった。帰りにケーキでも買おう。大きめなサイズのホールケーキ。イチゴは全部先に食べてやる。ひとりだからできること。それから、チキンも買って、シャンパンも開けて、それから——


「あの、よかったら、どうぞ」


「はい?」


 ナンパ? と、考えながら、俯いた顔を上げる。目の前には、先ほど隣のレジで買い物をしていた男性。どうぞって、なに?


「買おうとしてたのってこれですよね。モデルのララ・ロイヴェリクが愛用してるマフラー。よかったら」


「……待って、どういうこと?」


 あぁ、と男性は言葉足らずを謝罪してきた。


「すみません、僕が最後の一個を買ってしまって。なので、よかったら」


「いや、よくないです! ならなんで買ったんですか?」


 と詰め寄ると、再度謝罪された。


「ごめんなさい。買ったはいいんですけど、やっぱり使ってもらったほうが、このマフラーも嬉しいと思うので」


「彼女さんにプレゼントとかではないんですか?」


 はは、と男性は笑った。


「そんな人いませんよ。僕はメイクの仕事をしていて、たまたま気になっていたマフラーが売ってるって知っただけです。でも、マフラーって使うものですから。まだ袋も開けてないので、安心してください」


 いや、そんなところは気にしてないんだけど……袋を手にした瞬間、ハッとする。


「あ! じゃあ、代金お支払いします! 現金……は足りないから、コンビニに行ってもいいですか!?」


 カードで買うつもりだったため、手持ちがない。そこまでいけば。


 しかし、男性は手で制した。


「いいんです。罪滅ぼし、みたいなところあるので。それじゃ」


 罪滅ぼし? いや、それよりも行ってしまう。それは不公平すぎる。


「それなら、この後、ご飯でも奢らせてください……!」


 あれ? これって私が逆ナンしてる? と、言ってから気づいた。


 男性は驚いた顔をして、再度断った。


 だが、タダという申し訳なさで、私は少し強情だ。


「それがダメなら、これは受け取れません」


 参ったな、という顔をしつつも、男性は折れた。


「わかりました、それじゃご飯だけ——」


 と、エスカレーターを降りようとした時、上の階から怒気を孕んだ女性が降りてきた。エスカレーターは本来は走っちゃダメなんですよ、とでも声をかけようものなら、喉笛を噛みちぎられそうな圧を感じる。そのままさらに下の階へ。


「おい! 待てって!」


 同じように、男が上から少し遅れて下りてくる。先ほどの女性を追いかけているようだ。エスカレーターを走っている。そして勢いを殺しきれず、二階に降りた際に、私にぶつかる。


「ッ!!」


「危ない!」


 男性が支えてくれたおかげで、なんとか転ばずにすんだ。


 降りてきた男も、さすがに申し訳ないと思ったのか、立ち止まり、舌打ちしながらも歩み寄ってくる。


「あー、すんませ——」


 目線が合い、私はハッとした。


 逆に、男は薄ら笑いを浮かべた。


「なんだ、久しぶり」


 私は目を見開き、体が震えた。


 元カレだ。


 その瞬間、この何年かが走馬灯のようにフラッシュバックしてきた。なんでこんな時に。


「う、うん……元気、だったんだ」


 私は、先ほどの女性が降りていった方向に視線を移す。


 それに男が気づき、ため息をついた。


「あー、あれ? 明日、有馬記念じゃん? 俺、お金ないから、今日はこのまま直で家でいいっしょ? って言ったら、なんかキレてどっか行った。もういいわアイツ。それよりさ」


 と、あの頃と変わらない、私を惑わせる甘い声で、耳元に囁く。


「ヨリ戻さねぇ? 俺のこと好きだろ? 声だけでイってたもんな。お互いにクリぼっちは嫌っしょ?」


 脳に響く。耳が踊る。皮膚が求める。手に入らなかった宝。それが自分から近づいてきてくれた。クリスマスに、随分と捻くれたプレゼントだ。サンタも悪い顔をしている。


「ちょっと、アンタ——」


 と、ただならぬ気配を察して男性が間に入ろうとしたが、私は立ち上がり、ホコリを払った。


 そして、満面の笑みを男に向けた。


「わかってんじゃん。じゃあ、お前もちで近くのホテ——ッてェッ!!!!」


 そして、思い切りヒールの踵で足を踏む。その衝撃で完全にヒールは折れ、飛んだ。初めてヒールが飛ぶのを見た。


「痛ェなッ!! なにすん——」


 そして、そのまま胸ぐらを掴んだ。


「消えろ」


 出せる限界の低い声で、男を威圧する。


「……はい」


 そのまま、すごすごとエスカレーターを下っていく男を見、私は腰を抜かした。無理をした。そんな度胸ないのに。


「大丈夫、ですか?」


 男性が手を取る。


 私の手は、自分でも気づかなかったが、震えていた。


 そして、震える声を絞り出した。


「……いつか会うことがあったら、絶対に言ってやろうと思っていたんです。何度も何度も練習しました。けど、練習の成果なんて、出ないように、生きていきたかったのに……」


 何事か、と周りの人々が集まる。注目の的になってしまっている。


「とりあえず、こっちへ」


 男性に促され、先ほどのベンチへ。座っていると、缶コーヒーを買ってきてくれた。また奢られてしまった。


 男性が左隣に座り、ヒールを接着する。


「仕事柄、道具は色々持ってますから。でも、応急処置でしかないですよ」


 そう言って、缶コーヒーをお互い飲む。お礼、言ったっけ。


 ちびちびと缶に口をつけながら、私は彼を横目で追う。


 しばらく無言でいたが、唐突に彼が口を開いた。


「すごく、いい声ですね」


「へ?」


 声? どういう感想?


 男性は続ける。


「僕も、元カノに、もしまた会ったら、謝りたくて。それの練習してるんです。ずっと。キミのことを、本当の意味で見てあげられなくてごめんて」


 誰しも秘密と悲しみを抱えている。男性の憂いに満ちた表情に、影を感じた。


「人間なんて、そんなものです」


 言っている内容は弱々しいのに、表情はどこか晴れやかだった。


「ご飯、行きましょうか」


 私は。


 少しは前に進めたのかな。


 目を瞑り、体重を彼の右肩にかける。


 そして唐突に勢いよく立ち上がると、男性は驚いた表情を見せた。そして、袋を開け、マフラーを男性の首と自分の首にかける。そして笑む。


「元カノになんで謝りたいのか、詳しく教えてください」


 今はまだ、誰かの肩を借りなきゃ真っ直ぐ歩けないけど。


「……勘弁してくださいよ。てか、今どきこんな使い方してる人達います?」


 私達はまだ、胸を張って人生を謳歌できていないけど。


「ダメですよ。私だけあんな恥ずかしい思いして」


 生きていこう。


 少しだけ、温かさを共有しながら。

終わりです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 印象的なタイトルに惹かれて読ませて頂きました。 最初は何だか痛々しく見えてしまった女性が、後編ではただ格好良くて……! 怖かっただろうに勇気を振り絞っての一言、すごくよかったです。 メイクア…
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