惑星クソデカ あるいはウルトラ美少女にしてスーパー技術者、そしてエリート正社員・シーリーの墜落
期待しないこと。
自棄にならないこと。
あとは社則に従うこと。
――リヴァイアサン社【惑星クソデカ出張者マニュアル】全文
1
シーリーは墜落した。それに捕縛されているし、大乱闘にも巻き込まれている。
バババババババババババババババッ!
飛び交う銃弾は一発や二発ではない。百発や二百発でも足りない。四〇万人の原住民が入り乱れて戦っている。
「ぶっ殺してやる!」
と叫んだ男の額に銃弾が突き刺さり、輪ゴムに負けるスイカのようにはじけた。
「そういう三下のセリフを吐くとどうなるか知らねえのか!」
男を撃った盗賊はその直後にトゲだらけの装甲車に撥ねられて血だまりと化した。
「てめえらの皮をはいでかぶってからまた脱いで、『これがほんとの人皮剥けた』ってギャグの小道具にしてやる!」
だがその装甲車もまたロケット弾の直撃を受けて、高架道路の柵をなぎ倒しながら落ちていった。
「幹線道大原則、ひとぉーつ! 何が最後の言葉になるか分からないから、発言には気をつけるべし!」
ロケットランチャーを投げ捨てながら、覇王大路ウォルサーが威圧した。身の丈二メートルを超える大男である。
そして、その足元でぐるぐる巻きのままガクガク震えているのがシーリーだった。
(なんで私がこんな目に)
もともと小柄なほうだが、荒れ狂う獣のような盗賊たちに囲まれるとますます小さい。愛用のメガネは飛び散った道路の破片でひび割れている。
ロープで縛られたまま転がされている。指先から体温が抜けていく感じがした。
狂瀾怒濤の光景。
血と火薬のにおい。実際にはそれどころではなく、道路上には数百人の臓器がぶちまけられて混じり合っている。悪臭というのは危険をしらせるにおいだ。におい自体が危険な場合は、害臭とでも呼ぶべきだろう。
耳鳴りが止まらない。墜落のショックですでに胃の中が空っぽになっていたことを不幸中のさいわいというべきだろうか? 身動きできないまま吐瀉していたら、喉が詰まって窒息していただろう。
「私、ここで死ぬのかな……」
伏せているおかげで弾丸はまだ当たっていない。だが花火大会もかくやという頻度で爆発する人間の血が何度も何度もシーリーに浴びせられていた。
人間が弾けたり飛んだり焦げたり回転したりしているのを見ると、何もかもどうでもよくなってくる。
誰が誰を撃っているのやら、シーリーにはまったくわからない。
「俺に逆らうヤツは皆殺しだー!」
ウォルサーは両手の銃を乱射しながら超必殺技みたいにぐるぐる回転していた。
(こいつら……)
ふとシーリーの頭の片隅に疑問が湧いてきた。
(誰が味方で誰が敵なのか、わかってないんじゃない?)
この疑問には、惑星クソデカの歴史が関係している。
クソデカには、かつて重罪人が大量に送り込まれた。銀河規模の治安の悪化をビジネスチャンスと考えたリヴァイアサン社は、懲役五年以上の重犯罪者をクソデカに集め、開発業務に従事させる事業を始めた。この人材活用により膨れ上がる司法関連予算は激減し、リヴァイアサン社は莫大な利益を得た。ちなみにこの事業が始まってから四年と十一ヶ月二七日後にクソデカの管理体制は崩壊したため、解放された受刑者はひとりもいない。
それがざっと三万年前のことだ。現在に至るまで、過酷な自然環境にもかかわらず、クソデカの人口は増加の一途を辿っている。
そういうわけで、クソデカは銀河じゅうから見くだされていた。特に、シーリーのようなリヴァイアサン社員は、この惑星には悪逆無道、奸佞邪智、暗愚魯鈍の三種しかいないと教育されている。
仲間割れをはじめた盗賊団をみて、シーリーが敵味方の区別をなくしていると考えたのも無理からぬことである。
(こんな掃きだめみたいな場所で死ぬなんて、絶対イヤだ!)
そう思うと、心の中にふつふつと熱い気持ちが湧いてきた。信念や正義感といった主人公らしい感情だったらよかったのだが、シーリーの場合は軽蔑と出世欲だった。
(帰社してふたたびエリートコースに戻るまで、私は死ねない!)
少女が決意を固めたとき、ウォルサーは撃ち尽くした銃を放り捨てたところだった。
「ヘビーフット! アレの準備はできたか?」
『ウォルサー! いま発射する!』
覇王大路は誰かと通信していた。耳に当てたスピーカーは裏表が逆だったので、シーリーにも通信相手の声が聞こえた。
直後、銃撃戦のド真ん中に騎士機が落ちてきた。二〇トン級の機械は十人ほど巻き込みながら路面にクレーターを作り、膝から下を血まみれにしてしゃがんだ姿勢をとった。
ずんぐりした騎士機は全身にミサイルとか機関銃とか、レーザー砲とかレールガンとかを満載していた。
「騎士機!? 局地戦用の兵器をなんで盗賊が!」
シーリーの驚愕に答えてくれる律儀な者はこの場にはいなかった。
「だいたい盗賊団が四〇万人もいるのは多すぎると思ってたんだ! ちょうど良い機会だから、減らしてやる!」
クソデカ星民らしい無計画さを発揮してから、ウォルサーは足元のシーリーを肩にかつぎ上げた。
「うぎゃー!」
「英雄に弾は当たらない」
弾丸が飛び交うさなかで、盗賊の長は狂気を讃えた表情で歩いた。そして悠然と、シーリーを抱えたまま騎士機の露出形搭乗部に乗り込んだ。
「はぁ……はぁ……」
コックピットの狭い床に転がされて、シーリーは真っ青になっている。
ウォルサーは嗜虐的に少女を見下ろして笑っていた。
「逃げられると思うなよ」
2
時は少しさかのぼる。(注:クソデカでは実際に時間が巻き戻ったとされる事象が確認されているが、この場合は単に前のできごとを後から語っているだけだ)
シーリーはすでに墜落して捕縛されていたが、この時はまだ乱闘は起きていなかった。
「ゲロは収まったか?」
ぐるぐる巻きにしたシーリーをボンネットに転がしながら、ウォルサーが聞いた。
地平線の向こうから、反対側の地平線まで続く高架道路。片道十六車線の道の上に、四〇万人の盗賊がひしめいている。
「五〇キロメートルも落下してすぐ収まるわけないでしょ」
口の中のすっぱいものを吐きだして、シーリーは大男をにらみ返した。ちなみにリヴァイアサン社の規格ではヤード・ポンド法は駆逐されている。
「生意気に空から降ってきやがって。何者だ?」
「あんたらが撃ち落としたんでしょーが!」
すぐそばには降下艇の残骸が転がっている。シーリーが宇宙船からの降下に使ったものだが、成層圏への突入直後に誘爆レーザーの直撃を受けて墜落したのだった。
「誰であろうと見かけたものは落として奪う。それが俺たち道路賊だ」
「クソデカにはびこる武装集団か。まさかいきなり撃ってくるなんて。あーっ、もう、いることは分かってたのに!」
「嘆いても事態は変わらない。苦しい過去を見つめるより、澄んだ瞳で未来を見据えるべきだ」
(なにこいつ気持ち悪ッ)
いきなり格言じみたことを述べる盗賊への嫌悪感はすでに最大だったが、四〇万人の荒くれ者に囲まれた状態だ。ロープで縛られて身動きも取れない。
「名前はシーリー。リヴァイアサン社の上級星系技術者」
「スターシステムエンジニアってなんだ?」
見渡す限りの盗賊たちのあいだからひそひそ話が漏れ聞こえてくる。
「惑星ひとつのシステムをまるごと統轄する階級らしいぞ」
「トーカツってなんだ?」
「それは分からん」
手下のひそひそ話(丸聞こえ)をよそに、ウォルサーの尋問は続く。
「大企業のエリートがなんだってクソデカなんかに来たんだ?」
「来たくて来たわけないでしょ、こんなデタラメな星!」
クソデカの直径は地球のおよそ一万倍。三つの恒星を衛星に持つが、大気組成や重力は地球とほぼ同一。発見された当時は宇宙科学の根底をゆるがす大発見と騒がれたが、やがて『宇宙論的例外』という見解が定着し、そのまま学会から黙殺同然の扱いを受けている。
シーリーがひそかに支持しているのは、ベルゼブブ社系の研究者が発表したさる論文だった。クソデカは『物理法則が異なる別の宇宙』から、なにかの間違いでこの宇宙に現れたのではないかという説を唱えていたのだ。その研究者は後に『別の宇宙』の存在を立証するためクソデカを訪れ、火口に飛び込んだという。なぜ火口に飛び込むと別宇宙を立証できるのかは当人にしか分からない。
「リヴァイアサン社が各大陸に建設した、環境観測施設があるでしょ」
「『百葉箱』か? あんなもの、大昔の遺跡だ」
「そう、全七〇七カ所の全てが機能停止に陥ってる。八千年前からね。私の仕事はその原因の調査と修理」
危機的状況にあっても、シーリーはいくらかの余裕を保っていた。なにしろ彼女は星間財閥の正社員であり、原住民からすれば文字通り雲の上の存在だ。いくらでも利用価値があることぐらいは、いくら盗賊団でもわかるはずだ。
(人質にして、リヴァイアサン社に身代金を要求するつもりでしょ、きっと。でもそれには時間がかかる。私の技術力があれば、その時間でなんとかできる)
と、高をくくっていたのだ。
「八千年間も保留されてたプロジェクトが回ってくるなんて、何かヘマをしたな?」
ウォルサーは他の連中と比べ、頭が回るようだ。リーダーになるのにはそれなりの理由があるということだろう。
「断じて私のせいじゃない。私の作ったデータを勝手に変更したやつがいて、そのせいで」
「改竄されたのか?」
「もっとひどい」
「というと」
シーリーは憎悪を込めて叫んだ。
「セルを結合されたの! しかも中央揃えで!」
怒りで頭がいっぱいになった。怒りは縛られている現状よりも、その原因であるセル結合のほうに向いていた。
「セル結合って?」と、ひそひそ声。
「表計算の話だよ。なんでも、美観のために構造を破壊する行為らしいぜ」
「気を利かせたつもりでデータを台無しにしやがってぇーーーー!」
火を吐くような表情でシーリーが叫んでいる。あまりの熱気にメガネが曇りつつあった。
「落ち着けよ」
あまりの剣幕にウォルサーがなだめる側にまわっている。
「ようするに、権力闘争に負けて島流しにされたわけだ。落ちこぼれの仲間入りだな」
テキトーな名目で、星間財閥の社員がクソデカに左遷されることは珍しくない。シーリーは知らなかったが、第四の人種、すなわち拓落失路がいたわけだ。
「けど、その頭脳なら高く売れる」
(やっぱりね)
シーリーの予想は当たっていた。ウォルサーは金に替えるつもりだ。ただしリヴァイアサン社に身代金を要求するのではなく、クソデカのなかで取引をするつもりらしい。
「それとも、一生俺たちの故障車を修理させるか?」
ニヤつきながら、盗賊が縛られた少女を覗き込んだ。
「ペッ」
シーリーはツバを吐いた。あわだった唾液がウォルサーの頬にべちゃっと張り付く。まだ少し胃液が混じっていたかもしれない。
「整備士資格ぐらい自分で取れ」
「いい度胸してるじゃねえか」
掌で頬を拭う盗賊の顔には、怒りの余り青筋が浮かんでいた。
「おかしら! ヤっちまいますか、この女!」
「やめろ! 傷がつくと価値が下がる! だいいちそういうアレじゃないだろ! ちんちくりんだぞ!」
「誰がちんちくりんだ!」
ボンネットの上で芋虫のように暴れるシーリーを押さえつけながら、ウォルサーが指を鳴らした。
「ビショップ!」
「はい、ここにいます」
ボロ布をマントのように着込んだ男が進み出てきた。僧正という名前なのか、それとも盗賊団のなかでそう呼ばれる役職についているのだろう。
「スターエンジニアってのは、売り飛ばしたらいくらになる?」
「相場だと一億エンバンというところです」
エンバンというのはクソデカで流通している貨幣単位だ。かつて円盤の売り上げ枚数で覇権を競ったことに由来するらしいが、なぜ円盤を売り買いしていたのかは誰も知らない。
「四〇万人で山分けしたらひとり……いくらだ?」
「二五〇エンバンです」
「ジュース二本も買えねえじゃねえか」
「人数が多いからでしょ」
「人財は黙ってろ」
「しかし……」
ビショップが額のあたりを輝かせた。そこにライトが仕込んであるのだ。
「メガネっ娘なら一億二千万です」
「どういう価値観してんのよ、この星の人身売買は」
「それに……そばかすもあります! 相乗効果で二億にはなりますよ」
高架道路を埋め尽くす盗賊達から、わっと歓声があがった。
「そ、そうか! メガネ・そばかす・発明家……これだけそろえばかなりのコンボだ!」
「発明家じゃなくて技術者なんだけど」
「同じようなものだ!」
ウォルサーもビショップも、すっかりシーリーを無視して盛り上がっている。
「もっと……もっと何かないのか? おい、関西弁になれ」
「なんでやねーん」
「おお! 三億……いや、五億は稼げますよ!」
どういう根拠で言っているのか分からないが、ビショップの見積もりに盗賊達は大いに沸いた。
「メガネ最高! そばかす最高!」
「服装もそれっぽく白衣に着替えさせたらどうだろう?」
「いや、ツナギだろ? その下はランニングシャツで……」
「三つ編みにしたらどうだろう?」
「どんな時でもポニテが至高だぽに」
盗賊達は口々に嗜好を叫び合う。そんなことで価格が上下するものなのか。
「人のことをなんだと思ってんの」
捕縛された手前、口を挟むことはできない。相変わらず縛られたまま、シーリーは言いたい放題言われていた。
(でも、金を払う連中がいるなら、こいつらよりはまともな組織のはず。今はとにかく、この排気ガスくさい場所から離れたい)
「とにかくヘビーフットの車に運んじまおう。髪型や衣装は『プロミス』のところに連れてくまでに考えればいいさ」
「まあ、私はメガネはないほうがいいと思いますけどね」
パァン!
ビショップの頭が弾け飛んだ。
「えっ!?」
驚きのあまり、シーリーはボンネットから転げ落ちた。顔から道路に落下し、メガネにヒビが入る。
「幹線道大原則、ひとぉーつ……」
仲間の頭を撃ち抜いたウォルサーは、ビショップを殺した拳銃を構えたままつぶやいた。
「メガネっ娘のメガネをはずしてはならない」
空気が一気に冷え込んだ。だが、盗賊たちのなかから、ウォルサーに立ち向かうものがあらわれた。
「よくもビショップを! あいつは馬屋が好きだったのに!」
「うるせえ!」
パンパンパン! パンパンパン! パンパンパンパンパンパンパン!
十人の反逆者に向けて、ウォルサーは十三回引き金を引いた。射撃の腕は見事なもので、すべての弾がひとりずつの頭を打ち抜いていた。巻き添えで三人死んだことになるが、盗賊たちは引き算が苦手なので誰も気にしなかった。
「ウォルサー、よくも!」
「だいたい前からてめえは気に入らなかったんだ!」
「ヨソから来たくせに偉そうに仕切りやがって!」
だが、ならず者は計算はできなくとも情には厚い。死んだ十三人と仲のよかったものがさらに反抗心を燃やして銃を抜いた。その百人あまりを、ウォルサーと彼の側近がまた殺した。するとまた百人と友達だった盗賊が暴れ出し……
こうして乱闘がはじまった。
3
騎士機の頭部、目を模したライトが赤く光る。
「感染道路の彼方まで、行くぜーっ!」
ウォルサーは叫び、騎士機を走らせた。全身に満載された武器を乱射していく。機銃、レーザー、バックパックからはミサイル。右手は火炎放射。左手は振動剣。
「に、逃げろ!」
乱闘が一転、虐殺が始まった。
「逃がすか!」
ウォルサーが操縦桿を押し込むと、騎士機はジェットパックを噴射して直進しながら盗賊達をなぎ倒していく。
(その入力装置でどうやって動かしてるんだろう?)
コックピットの足元に転がされているおかげで、シーリーは盗賊たちの無惨な最期を見ずに済んでいた。耳は塞ぎようがないので、聞くに堪えない騒音はいくらでも聞こえてくるのだが。
「イヤだーっ! 死にたくないー!」
「どうしてオレが殺されなきゃいけないんだッ!」
「ウォルサー! 先に地獄で待ってるぞ!」
騎士機の活躍で、盗賊の数は四〇万人から三〇万人ほどに減ったことだろう。
(どう考えても騎士機の重量より多くの弾を撃ってる。クソデカでは弾切れは起きないって噂は本当だったみたいね)
クソデカでは異常な現象がたびたび観測されている。『バンダナ効果』と呼ばれているのもそのひとつだ。クソデカでは銃器の弾倉が空になっても、再装填の動作さえ行えばまた弾丸が手に入る。どこから新しい弾薬が生まれているのかはよく分からない。
(まるで、無限に戦わせようという意思が働いてるみたい)
ぐるぐる巻きのまま、シーリーは考えていた。何かを考えていないとあまりに情けないからだ。
「オレは元々、サタン社がクソデカに設置した早期軍で育った。一三〇代続いた軍人の家系さ……」
あまりに一方的な虐殺に倦んできたのか、ウォルサーはぽつりぽつりとつぶやきはじめた。
(ぜんぜん興味ないわ、あんたの人生なんて)
シーリーはそう思ったが、口には出さなかった。踏まれたくなかったからだ。
「だがあるとき、俺たちの部隊の配給品がひとり分足りなかった。オレは小隊長だ。数が合ってないことはガマンできなかった。だがレーションを増やすことはできない。仕方ないから部下をひとり殺した」
(それがサタン社の方針なわけ?)
「判断ミスを責められてオレは除名された」
(こいつがおかしいだけだった)
シーリーは少し安心したが、その異常者と一緒に危険極まりない兵器に乗っている現状に思い至ってまた落胆した。
「ちなみに、原因は人数をたしかめた時にオレがオレを数え忘れてたせいだった」
「うわあ」
ついに口から出てしまった。
「その後は悲惨なものさ。この感染型幹線道路の盗賊に落ちぶれて、バカどもの面倒を見るうちにあれよあれよと盗賊のボスだ。でも本当は、オレだって、もう一度でいいから……」
ボボボボボボッ! 騎士機のバックパックからミサイルが撃ち出される。ミサイルは車両で逃げだそうとしていた盗賊団を粉みじんに吹き飛ばした。
「大事なものを守るために戦ってみてえよ」
遠くを見ながら、ウォルサーはつぶやいた。その目線の先には、どこまでも続く道路がただ広がっているだけだ。
『ウォルサー! やりすぎだ。もう半分は死んだぞ』
その時、彼が耳に付けた通信機のスピーカーから声がした。同時に、大型のトレーラーが騎士機の横に並ぶ。
「ヘビーフット」
トレーラーの窓はスモークガラスで操縦席が見えないようになっている。おそらく、そのトレーラーの中に乗っているのがヘビーフットだろう。
『あまり派手に騒ぐから、在来種が反応しはじめた! 道が崩れるぞ!』
「しまった! ルーカサイトを反応させたか!?」
「白血球?」
シーリーが疑問を口にしたと同時に、答えもやってきた。
ゴゴゴゴ……
高架道路が震えている。争いあっていた盗賊達の動きが止まり、一斉に震源を振り返った。
シーリーもわずかに体を起こす。割れたメガネの向こうに、その景色が見えた。
地平線まで続く高架道路に、白いぶよぶよした塊が張り付いている。それが触れると道路は崩れおちて土塊へと変わり、変わりにぶよぶよが増殖する。そうして、猛烈なスピードで道路が『食われ』ていた。
「ルーカサイトだぁああああ!」
悲鳴を上げ、盗賊たちがいっせいに逃げ出した。自動車に乗り込み、あるいはバイクにまたがって。だが仲間の死体にはばまれてなかなか進まない。殺し合いなんかするから。
「道路を食ってる!」
「感染型幹線道路は大陸から大陸に感染する『大企業病』だ。どこの企業が持ち込んだのか知らないけどな。そして、あれは大陸が生み出す抗体らしい」
ウォルサーもまた騎士機を反転させてつぶやいた。高架道路に住みつく盗賊団としては、よく知っている相手なのだろう。
『アレが出たらもうこの道路はおしまいだ。俺たちも逃げるぞ』
ヘビーフットのトレーラーが速度をコントロールしながら幅を寄せる。ウォルサーは騎士機の噴射装置を噴かし、荷台に降りた。
盗賊たちの運転や操縦の技術は舌を巻くほどだ。土地に適応した結果だろう。騎士機を乗せてトレーラーが走る。
ルーカサイトの侵食はおそろしく速い。逃げ遅れた盗賊たちは、道路と一緒に飲み込まれはじめていた。
「よし、このまま大陸移動だ。ついて来られないやつは夢になって枯れ野を駆け回れ」
半分ほどに減ったとはいえ、盗賊たちの人数は大量だ。長い長い列を作っていく。片道十六車線の高架道路も、二〇万人の群れが使えば渋滞が起きる。後続車は遅れ、在来種に飲み込まれていった。
殺し合いから大脱走へ。盗賊達は先ほどまでやっていたことをすっかり忘れたかのようだ。それがクソデカへの適応なのかもしれない。
「ねえ、そろそろ外して欲しいんだけど」
「ダメだ、逃げるかもしれないからな」
「逃げるわけないでしょ、こんな状況で」
ヘビーフットのトレーラーは長い車列の先頭集団だ。もし騎士機から飛び出せば、後から走ってくる十万台の車両をかわさなければならない。よしんばそれができても、ルーカサイトのエサである。
「悲観して自殺するかもしれないからな。とにかくダメだ」
「そう。じゃあ仕方ない」
シーリーは嘆息した。その直後、騎士機の大きな手がコックピットにいるウォルサーを掴んだ。
「なにっ!」
自分が操縦しているはずの騎士機に引きずり出され、空中でもがく大男を尻目に、シーリーは這いずって体を起こし、彼の代わりにシートに座った。
「忘れたの? 私は技術者、機械の操作は得意中の得意」
コックピットの中で金属片が組み上げられ、赤熱したブレードへと変わった。それを使って、結び目を焼き切る。シーリーをぐるぐる巻きにしていたロープがばらりとほどけた。
「ったく、美少女の血行をなんだと思ってんのよ」
痺れる手足に温かさが戻ってくるまで、シーリーは手をぐーぱーさせた。
「乗っ取りか? でもどうやって」
「私は常に最適な効率を発揮するために、健康管理用の微小機械を体内に注入してある。それを改造して、自分の端末として使えるようにしてるの」
「まさか」
「ナノマシンは唾液にも含まれてる。手を洗っとくべきだったね」
「動けないフリをしながら、ずっと騎士機のシステムに侵入していたのか!」
「そういうこと。これはもらっとくよ」
騎士機の手が器用に動いて、ウォルサーの耳に着けられていた通信機を奪い取った。
「くそっ、オレがこんな風にやられるなんて」
「私を殺すつもりはなかったみたいだから、縊り殺すのは勘弁してあげる。でも、美少女を丁重に扱わなかった報いを受けなさい」
シーリーは放言して、大男を道路へ投げ捨てた。
『ウォルサー! なんてことだ!』
通信機を耳に当てると、トレーラーを運転しているはずのヘビーフットが叫んでいた。
「車ごと吹っ飛ばされたくなかったら、走りつづけなさい!」
シーリーには爆発物を満載した騎士機がある。だが、騎士機の速度ではルーカサイトから逃げ切れない。もはや、一蓮托生である。
『わかった、わかったよ! ……ん?』
「時速八〇キロを下回ったら爆破するからね! ……なに、まだ文句あるわけ」
『ちがう! 前からも何か……』
前方。道路の上空を、巨大な影が群れで飛び回っている。
「ド、竜だぁああああああ!」
最前列を行く車両へ向けて、巨体が火を吐いた。荒々しい赤い炎で一気に熱せられた車は、粉々に爆発した。
「クソデカの機械ってのは、なんで壊れた時に爆発するようになってんの」
『そういう決まりなんだ』
「なんで食べられもしない自動車を襲うの」
『ドラゴンってのは、デカいヤツが我が物顔でいるのが気に食わないらしい』
「野蛮な生物圏しやがって! とにかく、後ろに下がることはできないし、アレをなんとかしないと」
場違いなツッコミから気を取り直し、シーリーは騎士機のミサイルを一斉に発射した。
「あんたたちも、撃てるだけ撃て!」
「うおおおおおお!」
ボン、ボン、ボン! バララララッ! ババババッ!
ミサイルが直撃した竜が高架道路に墜落し、巻き込まれた車両が爆発する。銃弾を浴びても固い鱗がやすやすと弾いてしまうが、時折目玉や関節を撃たれた竜が苦悶の炎を吐いた。
激しい戦い。正面からドラゴンの群れに襲われ、背後からはルーカサイトに飲まれていく。ハイウェーズはみるみるうちに減っていった。
「盗賊どもが囮になってる間に、私たちは逃げ切るわよ!」
『俺にもいちおう、仲間への連帯感みたいなものがあるんだが』
「私の目的は、『百葉箱』を修理してエリート街道に戻ること! あんたたちがどうなろうと知ったこっちゃないわ」
『俺たちゃもともと非合法だ。仲間が死ぬのはよくあることだ。自分の得な方を選ぶよ」
ヘビーフットの運転は見事なもので、トレーラーはなめらかに加速し、他の車両にぶつかることもなく、ドラゴンの炎を浴びることもない位置取りを保っている。
「ふう、どうなることかと思ったけど、あとは『百葉箱』のあるところまで走らせればいいか」
まだ危機を脱したわけではないが、運転は任せ、適度に騎士機で竜を撃墜していれば乗り切ることができそうだ。
いざとなれば、盗賊団が壊滅しても騎士機を使って生き残れるだろう。暴力こそ力である。
だがその時、奇跡が起こった!
激突するドラゴンの群れとハイウェーズの車列。そのなかで、愛が芽生えたのだ。
広大な惑星の片隅で、一匹の竜と一台の車が出会える確率はまさに奇跡。出会った瞬間に彼らは種族と、ついでに生物非生物の壁を越えてひとつになった。
カッ――と、閃光があがった。
「なに、いきなり?」
まぶしさに目をすがめるシーリーの目の前で、それは起こった!
光。生命。躍動するエネルギー。
大地を踏みしめる脚には車輪が。
燃えたぎる瞳には照明が。
全身を駆け巡るのは血とオイル。
野生と技術の融合――まさに、惑星の頂点に立つ王。
「なんなの、あれは!」
生命と機械の力を兼ね備えた究極の存在が、いまここに生まれた!
竜車王誕生!
《ヨッッシャアアアアアアアアア!!!!》
竜車王が咆哮を上げる。胸のエンジンが最大出力で駆動し、背中の排気筒から爆音と白煙が吐き出された。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!
炎! 竜車王が吐く炎は空燃比により高温下し、プラズマが放出される。
その超高熱の吐息は百台の車両を溶かし、引き裂き、爆発させる。感染型幹線道路は炎に包まれた!
「いったい、何が起きてるの!」
叫ぶシーリー。生命と機械を超えた究極の合体を前に、人にはなすすべもない。
『俺にも分からねえが、ただでさえヤバいドラゴンがますます強くなったらしい。このままじゃ全員ヤられるぞ!」
今まさに、ヘビーフットが運転するトレーラーは竜車王へ向かって突撃しようとしていた。竜車王はエンジン音を立てながら、再び炎を吐く姿勢に入っていた。
(さっきのプラズマをまた吐かれたら、避けられない!)
融解したアスファルトの中へトレーラーが突っ込んでいく。シーリーは生き残るための算段を整えた。
方法はひとつしかない。
「やつの気を逸らすから、スピードを落とさないで!」
『どうやって?』
「いっけええええええ!」
騎士機のコックピットから転がり出し、トレーラーにしがみつく。シーリーのテンションもおかしなことになっていた。
騎士機の回路に潜入したナノマシンが、遠隔操縦で噴射装置を全開にする。竜車王と出力は比べるべくもないが。二十トンの体当たりは、一瞬だけとはいえ『王』をたじろがせた。
『うおおおおおお!』
その脇をヘビーフットのトレーラーが駆け抜ける。わずか五秒後に騎士機は押しつぶされ、後続車両は『プラズマ・ブレス』で全滅した。
「走れ、走れ、走れ!」
この日、クソデカの大陸を超えて活動する盗賊団がひとつ壊滅した。
シーリーは振り落とされないようトレーラーにしがみついていた。
彼女らの後を追ってきた車は一台もなかった。
4
パチッ、パチパチ……
焚き火を眺めて、シーリーは大きく息を吐き出した。
「まったく、ひどい目に遭った」
その後、トレーラーは丸一日走りつづけた。在来種の襲撃からは、ひとまずの距離を取れたらしい。逃げ切ることに必死で、その後のことはどうなったのやら。今でもルーカサイトが道路を破壊し続けているのか、それともドラゴンにマシュマロのように食われてしまったのか。
(ま、どっちでもいいか)
シーリーの目的は、ただ帰ることだ。クソデカの原生物がどうなろうと、そしてこの惑星そのものがどうなろうと知ったことではない。
「この私がこんな原始的なキャンプなんてね」
毛布で体をくるみ、火に当たって体温を保つ……知識としては知っているが、実際にやるのははじめてだ。
『どうするんだい、これから』
耳に当てた通信機にヘビーフットからの通信が入った。トレーラーはすぐそばに止まっている。
「私の目的は変わらない。まずはこの星にある全部の『百葉箱』を直して、それから会社に帰る」
『帰るったって、どうやるんだ?』
「私が乗ってきた宇宙船はまだ軌道上にいる。降下艇はあんたたちがぶち壊してくれたから、軌道上まで上がる別の方法を考えないといけないけど、まあ、七〇七カ所も巡ってるうちに何か見つかるでしょ」
『気の長い話だ』
墜落はショックだったが、いまやシーリーは自信を持ち始めていた。とにかく、あの災禍を乗り切ったのだ。多少の難事なら乗り越えられる気がする。
「シップは私の居場所を軌道上から追跡してる。今も私の頭上にいるはず」
空を見上げた。三つの恒星が惑星の回りを回っているから、その全てが地平線の下に沈んでいるわずかな時間が不定期に訪れる。今はそのごく短い夜の時間だった。
広大なクソデカの上空を覆うため、企業が大量の人工衛星を建設しているから、どれが人工物でどれが遠くの星なのやら、肉眼では分からない。だが、リヴァイアサン社製のひとり乗り宇宙船は自動的に持ち主を追跡しているはずだ。
「私は運がいい。この車がなかったらどうなってたか」
帰るのは当分先のことになるだろう。空から地上に視線を戻す。
ヘビーフットのトレーラーには、備蓄された食料や燃料、それに銃も入っていた。盗賊団の中心となるチームが移動拠点として使っていたとのことだ。
「あんたも降りて食べたら? けっこうイケるよ」
シーリーは缶詰めにされた、魚の水煮を箸でつまんで食べていた。原材料と賞味期限は確かめていない。どうせ食べなければいけないからだ。塩味がかなり濃かったが、舌の上でぐずぐずの切り身をほぐしていると唾液腺が反応して、生きていることを実感できる気がした。
『俺は車を降りられないんだ』
ヘビーフットはトレーラーの中から通信を続けていた。
『あまりに長いこと、この中で暮らしすぎてな。シートと体が癒着している』
「どうやって生きてんの」
シーリーは立ち上がってトレーラーの窓を覗こうとしたが、曇りガラスで中は見えないようになっていた。
『俺の姿を見たらびっくりするぞ。まあ、俺はこの車と一心同体ってわけだ。おかげでいろいろ不便も多くてな。この体になって以来、一人じゃ生きていけない』
「それでああいう連中とつるんでたわけ?」
『まあな。悪い連中じゃなかった』
「ウソはやめて」
『たしかに悪かったが、気のいいところもあった。俺は走ってる時が一番幸せだ。だから好きなだけ走れるハイウェーズはいいところだったよ』
「ふうん」
着陸艇を失ったかわりに、妙なアシを手に入れたものだ。車と一体化した人間。奇妙と言えば奇妙だったが、だからこそ必要な荷物を積めている。
「施設があれば、その車の整備もできるんだけど」
『少し飛ばせば街がある。そこで準備してから、この大陸の百葉箱に向かおう』
「ルーカサイトが出たことも知らせてあげなきゃいけないだろうし」
わずかながらの食事を終えると、気持ちも落ち着いてきた。トレーラーの荷台に、シーリーが乗り込むためのスペースを作ることにする。
「まったく、この私が荒野でキャンプなんて」
『この星の生活も悪くないさ。致死率が高いこと以外は』
「それがイヤだっつってんの」
『リヴァイアサンに帰っても、どうせ居場所はないんじゃないか?』
シーリーは深く息をついた。たしかに、セル結合が原因のエラーの責任を押しつけられた、というのは、表面上の理由に過ぎない。実際には、星系技術者としての彼女の出世を阻むための工作なのだろう。誰が仕組んだのかは分からないが、社内での権力闘争の結果だ。
「間違った理由で起きたことが間違ったまま通用してるなんて、耐えられない」
積み荷の固定をたしかめ、毛布を広げて、ほんのわずかでも快適に過ごせるようにする。広大なクソデカでは、車中で何日も過ごすことになるのだ。
「私をハメたやつには、必ず責任を取らせてやる」
『あんたを敵に回した責任?』
「真実を毀損した責任。それに……」
怒りを込めて、シーリーは吐き捨てた。
「セルを結合した責任」
5
街についてからの顛末は、ひと言で語りきることはできない。
自動車整備ができる施設を脅してトレーラーを整備した。ヘビーフットの生命を支える操縦席の複雑な機構にシーリーは舌を巻いたが、ちょっとした改良を施して車内のにおいが少しはマシになるように改善した。
その整備場に襲撃があった。どこで情報が漏れたのやら、クソデカに君臨する闇の組織、『プロミス』の構成員がシーリーを追ってきたのだ。五億エンバンの商材に、彼らは食いついた。『ナンバー12』と名乗るエージェントは執拗にシーリーを追跡し、これに怒りを覚えたシーリーはナンバー12の身柄を拘束、脳神経を通じて組織のネットワークにクラッキングを仕掛け、『プロミス』の構成員全員の頭蓋を爆発させた。威風堂々たる勝利である。
感染型幹線道路は大企業病だ。大陸と大陸の主要な土地を繋ぐ道路が工事なしで作られていく。だがルーカサイトはこの道路を食い尽くしてしまう。百葉箱への道はこれによってすでに失われていたため、再度発症させる必要があった。シーリーはこの大陸の道路を復活させるため、道素神と呼ばれる存在を召喚した。マイクロワームホルを通じて現れた神はこの地に疫病をもたらし、再び幹線道路を発症させた。
百葉箱の周囲には野生化したリヴァイアサンロボットが群生していた。だが、これは大した問題にはならなかった。シーリーにとっては旧型のマシーンであり、クラッキングを仕掛けることは造作もなかった。シーリーはプログラムを改造して水中専用に書き換えた。陸上では呼吸ができないことに絶望したロボットたちは自らシャットダウンした。もともと呼吸をしていなかったことには気づかなかったらしい。
こうして、シーリーは目的地である、第一の『百葉箱』へ辿り着いたのだった。
6
リヴァイアサン社の惑星環境観測設備、通称『百葉箱』は、白い、大きな立方体に似た見た目をしている。見た目は大理石によく似ているが、半永久的に腐食されない特殊素材、『ヤワラカクナイ』で作られている。
大陸の情報を様々な感知器で読み取り、定期的にその情報を送信する仕組みである。
「ようやく……ようやく辿り着いた!」
ここまでの苦労を思うと、シーリーの目に涙がにじんだ。
くもったメガネを拭って、しみじみと白い表面を撫でた。
『でも、八千年間誰も入れなかった施設だぜ。どうやって入るんだ?」
ここまでの旅をともにしてきたヘビーフットも、トレーラーの中から百葉箱を見上げていた。
「私は正社員なんだから、これぐらい余裕だって」
シーリーが懐から取りだしたのは……リヴァイアサン社の社員証だ!
ピッ、という読み取り音のあと、建物のなめらかな表面に切れ目が浮かび、左右にスライドして扉が開いた。
「機能は死んでないみたいね」
八千年間こもり続けてきた空気はなぜかスモークを炊いたように白く濁っていた。もうもうと立ちこめる煙が外に漏れ出す。シーリーはその煙が消えるまでじっと見守っていた。
やがて、煙が晴れていくと、そこには……
何もなかった。
「これは……」
広大な立方体の、向かいの壁が見えていた。入口から反対側の壁まで、遮るものは何もない。
『百葉箱ってのは、空虚なのか?』
「そんなわけない。中はセンサーごとの区画が詰まってるはず。それぞれが複雑な影響を与え合って機能する設計なんだから」
そこまで言って、シーリーははっと目を見開いた。
「そうか。わかった。百葉箱が機能を停止した理由」
怒りに拳が震えていた。
「MBCだ」
『MBC?』
「空間が発症する大企業病、空白結合区画だ!」
怒りのあまりシーリーは施設内に踏み込んだ。本来なら存在するはずの区画が消滅している。
「本来ならセンサーや通信装置があるはずの区画を、通路が結合して上書きしてるんだ。なんてこった!」
何もない施設の中心でシーリーは立ち止まった。そして、特殊なプログラムを走らせて、メガネに重力の屈折を感知させた。結合された空間のひずみは重力場を変化させるのである。
空間のひずみは一点に集約されていた。シーリーはそこへツバを吐いた。
「ここまできて、セル結合の相手とはね」
空間と空間の間のわずかな隙間にナノマシンをすべりこませ、結合を解除。何もなかった空間に、とつぜん機械と配線だらけの区画が現れた。
中央管理室だ。
「他の区画も取り戻さないと。ああもう、インタフェースが古いったらない」
キーボードを操作して、施設全体の様子を確かめる。結合が解除できるところから手当たり次第に解除する。だが、妨害システムが起動し、シーリーの操作を拒絶しようとする。
「古すぎて私のIDが通用しないのか。外部と途絶してるせいで。ったく、強引に突破するしかない」
いくつもの表示装置に表示される情報を頭の中で統合し、ファイアウォールが閉じきる前に接続を確保する。財閥謹製のシステムは八千年前のものでも強力で、突破してもすぐにまたシステムから弾きだそうとしてくる。
「大昔のセキュリティに負けるかぁ!」
一方だけでは間に合わない。二つの入力装置を並べて、左手で改修、右手で突破の操作。左右の手が別々の目的のために動き、複雑なコマンドを入力していく。同時に二つの処理を並行して行う技術は、限られた時間内に最高のパフォーマンスを発揮するために身につけたものだ。
ぐるぐると目玉はディスプレイの間を行き来する。表示される情報のすべてを読み取る時間はない。単語の断片から全体を想像し、すぐさま対応する。
微細なコードまで理解していては反応が遅すぎる。ましてや二つ、同時に行わなければいけないのだ。
シーリーが空間をさえぎる重力波に干渉するたび、ひとつの区画が現れる。結合された空白が本来の機能を取り戻していく。
積み木崩しを逆再生しているみたいだった。結合された区画がひとつ現れるたび、シーリーがいる中央演算室も施設のなかを動き回っていた。右に、左に、時には上下に。すべての機能を通路に上書きされてしまったこの巨大装置に、シーリーは哀れみを感じていた。
どういうわけか、結合を解除するたびにファイアウォールは厚さを増し、苛烈にシーリーを排除しようとしてくる。このままでは、結合を解除しきる前に接続を切られてしまう。
「欠陥を正されたら困るとでも言いたげに!」
左右の手だけでは入力が追いつかない。シーリーはその場でタップダンスを踊るように足で床を叩いた。接地位置と角度で入力しているのだ。その動作で入力のサポートを行うプログラムを組み上げていく。
(熱でぼーっとしてきた)
汗だくになり、頭から湯気が立ちのぼる。手足の運動よりもさらに大量のエネルギーを脳が使っているのだ。
はじまりはこの脳だった。
シーリーの脳の処理能力は群を抜いていた。天才だけが集められたリヴァイアサン社の最高学府でも、さらに飛び抜けていた。立て続けに革新的なプログラムを作った。目玉が飛び出すほどの報酬と引き換えに正社員となり、生活時間のほぼ全てを業務改善と新規プログラムの開発に捧げた。
宇宙船の広汎な高度処理を実現するプログラムにより、乗員がひとりいれば恒星間航行が可能になった。そして、彼女自身がその実証者のひとりになった。
(しっかりしろ。今はこれを解かなきゃ)
あまりに過酷な処理を脳に強いたせいで、過去の記憶と現在の風景が入り交じっている。
「経験もないくせに、調子に乗って」
後ろから誰かの声が聞こえた。記憶の中の声だ。上級星系技術者に抜擢された時、さらに上積みされた報酬と引き換えにどれだけの恨みを買ったのだろう。
「君が改修したプログラムも、誰かの仕事だったんだ。それを無為にして」
「他の星のことをデータでしかわかってないんだろ? 旅行なんて行く暇なかったもんな」
「お化粧したら?」
次々に過去の記憶が脳裏によぎる。止まりそうになる手を必死に動かし続けた。
セキュリティが、シーリーのアクセスを拒絶しようとする。
進もうとする足を掴まれたかのように、操作が停止した。
シーリーはたった一呼吸分、動きを止めた。
「私なら……できる!」
サポートブログラムをセキュリティに押しつけて、ほんのわずかなアクセス権限から再び侵入する。今まで組んだプログラムの大半が無駄になった。
(でも、これで! まだ終わりじゃない!)
妨害。侵入。妨害。侵入。妨害。侵入。侵入。侵入。
侵入!
「余計なことを思い出してる容量があるなら、もっと速くできるはずでしょ!」
メガネのレンズにサポートの実行コマンドを表示させ、視界も二重にする。視界を現在でいっぱいにする。過去の記憶が遠くへ消え去り、変わりにすべての作業を統合する冷静さが生まれてきた。
一般的な技術者の十倍の速度の入力を三つ。それをさらに監督。効率は飛躍的に高まった。
四重思考ぐらいできなければ、スターシステムエンジニアは務まらない。
接続、解除、セキュリティからの防御。自動化できる部分はサポートに回す。
ついに、セキュリティの処理速度はシーリーに追いつけなくなった。いまや、彼女の足を掴もうとしていた見えない手はその影にも触れることができない。
いまや、彼女は百葉箱のシステムを完全に解析していた。今まで触れたことがない機器のはたらきを新たに学ぶことさえできた。結合された中でも、センサーは働き続け、この大陸の八千年の歴史を蓄積し続けていることが分かった。
(やってきたことを、ムダにさせてたまるか)
ひとつ、またひとつと区画が結合から解き放たれていく。
はじめは万を超える区画が、すべて通路と結合していた。さいしょの千区画を解放するまでに四時間かかった。その次の千区画には、六時間。
だが、シーリーはシステムを掌握してからはあっという間だった。
結合区画が五千を下回る頃には、もはや彼女は見ているだけでよかった。
最後の千区画を解放するのにかかった時間は、1秒にも満たなかった。
リヴァイアサン社のセキュリティとシーリーの格闘は、十二時間に及んだ。本来なら高温に耐えきれず脳が熱変性を起こすはずだが、シーリーの体に仕組まれたナノマシンがそれを防いでいた。
「滅びろ、セル結合!」
MBCを引き起こす原因を特定し、修正するコマンドを実行すると同時に、シーリーは背中から床に倒れこんだ。管理室には熱がこもっていたが、八時間前に結合解除された冷却装置がはたらいていた。おかげでシーリーの血液はまだ沸騰していなかった。
百葉箱全体が微振動とともにうなりを挙げる。機能が取り戻されたのだ。
『やったのか!』
ヘビーフットの通信に答える余裕もない。意識が混濁していくなかでシーリーが考えたのは、帰社のことだけだった。
(これをあと七〇六回繰り返して、軌道上の宇宙船に戻る。そうすれば、私はエリートに戻れるんだ)
汗だくの体がもどかしい。空調が正常に働ければ、そのうち冷却されるはずだ。
『たいしたやつだ。八千年、止まっていた時間を動かしたのか』
ヘビーフットはトレーラーの中から百葉箱を見ていた。
白い施設全体が、光を放っていた。八千年にわたって保留されていた情報送信が、いままさに回復したのだ。
白い施設の天井部がパカッと開き、レーザーアンテナが現れた。それは真上へ向いて、宇宙の彼方のどこかにある受信機へ向けて、大量の観測データを発信した。
八千年分の情報は極太の光線となってまっすぐに立ちのぼっていった。
『そういえば』
ヘビーフットはふとつぶやいた。
『シーリーのやつ、宇宙船が位置を追跡してるって言ってたな』
この時……シーリーにとっては不運なことに、まさに彼女の宇宙船は衛星軌道上で彼女の真上にあった。つまり、百葉箱の真上である。
通常の八千倍の出力で送信された観測情報が宇宙船を貫いた。光線は燃料タンクを直撃し、誘爆を引き起こした。
宇宙船の大爆発は、はるか大陸の端からも観測できたという。
7
回復したシーリーは悲嘆に暮れていた。
「宇宙船までなくなったら、どうやって帰れば……」
空の彼方を見上げる。三つの恒星がすべて大地を照らしていた。
『技術者なんだろ? 作ればいいじゃねえか』
「宇宙船は機密と特許の集合体なの。勝手に作ったら、どれだけの契約違反金と特許料を請求されるか!」
『そういう問題なのか?』
「帰ってエリート街道に乗らなきゃいけないのに。なんとか合法的にリヴァイアサン社に迎えに来させないと」
爪を噛みながらつぶやく。運命というものがあるのなら、ツバを何度吐きかけても足りない気分だった。
『まだ仕事が残ってるんだろ? クソデカ流なら、残りをやりながら考える』
「計画なしで実行なんてやったことない」
『慣れることだな』
「あーもう! やってやる、クソデカ流で!」
トレーラーの荷台に乗り込み、一路、次の大陸を目指す。残る百葉箱は七〇六カ所だ。
「その前に汗を流せるところに行きたい。新しい服も買わなきゃいけないし」
『なあ、いつの間にか俺のことを自由に使えるアシだと思ってるみたいだけど、働いたぶんの見返りはあるのか?』
ヘビーフットの問いに、シーリーは積み荷のひとつを開けた。凶悪に黒光りする機関銃が入っている。
「答えを聞きたい?」
『発進するから物騒なものはしまってくれ』
トレーラーが走り出す。長い長い旅路のはじまりだ。
シーリーは墜落した。今や、彼女は全てを失ったが、ひきかえにひとつの教訓を得ていた。
暴力は力だということである。
SF小説です。(強弁)
感想、ポイント、Twitterへの共有などしていただけるとたいへん嬉しいです。