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聖女からの大降格  作者: 美雪
第三章 王都事件編

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029 普通がいい





 過ぎ去る日々と共に季節が変わろうとしていた。


「寒い……」


 スノウは白い息を吐きながら体を震わせた。


 王都での用事を済ませた後、スノウとルフはオクルスに戻った。


 国王と神殿がスノウを王都に呼び戻し、元聖女として様々な活動をさせる案が浮上したが、ジークフリードが魔法騎士団と魔法兵団と共に廃案に追い込んだ。

 

 一見すると高待遇だが、治癒の聖女だった頃と同じようなもの――個人としての自由を失い、国と神殿に隷属するような内容だったからだ。


 オクルスは王都のように便利ではなく、何もないような場所に見える。


 だが、雄大な自然がある。素朴で人間らしい生活もある。


 何よりも、自由があった。


 スノウの魔力は一になってしまった。治癒の聖女でもなくなった。


 だが、別のものを手に入れた。


 それはあまりにも大きく新しく未知に溢れていて、スノウ自身よくわからない。


 幸せになれるかどうかも。


 ただ、わかることもある。


 それは治癒の聖女や元聖女としての輝かしい立場や王都での生活に戻りたいとは思わないことだ。


 これからは一人の女性、スノウとしての人生を歩いていきたい。


 ルフと一緒に。


 そのことをスノウが伝えると、その方がいいと多くの人々が背中を押してくれた。


 きっと幸せになれるだろうと。


「スノウ! もっと着こまないと駄目だ!」


 慌ててルフがやって来た。


 丁度、外出から戻って来た所だった。


「でも、ルフは全然厚着をしていません」


 長袖シャツ姿。


 スノウのように手編みのショールさえない。


「温度調整の修練中だ」


 ルフはスノウを抱きしめた。


「温める」


 ルフの腕の中に閉じ込められたスノウはすぐにポカポカになっていくのを感じた。


「人間湯たんぽですね」

「そうだな」


 スノウは普通の湯たんぽを知った。


 眠る時に愛用中だ。


 お湯を入れるだけで暖房効果が得られるのは凄いと思っていた。


 魔法も高価な魔法具も必要ない。


「ここは王都でもなければ神殿でもない。外に出る時は冬用の帽子とマフラーとコートとショールと手袋が必要だ」

「でも、廊下です」

「やっぱり結界を張った方がいい気がする」


 スノウは魔法や魔法具に頼り切った生活ではなく、この地方で暮らす人々と同じような生活をしたいと思った。


 魔力がほぼないからこそ、魔力や魔法に頼らない生活、魔力なしの人々のことをもっと知りたい。


 自分で色々なことができるように、生きていけるようになりたい。


 その要望をルフは受け入れ、生活空間全てに結界を張ったり、便利な魔法具を当然のように使ったりするのは避けていた。


 おかげで中庭に面した廊下は外同然の寒さだ。


「今日は特に寒いですね」


 晴れているならまだしも、曇り空だった。


「雪が降るかもしれない」

「雪が!」


 スノウは雪が降る日を待っていた。


 どんどん寒くなるのに、雨しか降らない。


 冬になるとオクルスは雪に包まれると聞き、そうなる日をスノウは待ち望んでいた。


「なんとなくだ。はずれるかもしれない」

「当たって欲しいです」


 ルフとしては雪のせいで寒くなり、スノウが風邪をひくと困る。


 だが、スノウという名前は雪のこと。


 オクルスがスノウに包まれて真っ白になる。


 そう思うとルフの中に嬉しい気持ちが込み上げて来る。


 特別な冬の訪れが待ち遠しくもあった。


「それで、どこに行く気だったんだ? 二階か?」

「キッチンへ。ちょっとお腹が空いたので」

「何か持っていく。談話室にいればいい」

「一緒に行きます」


 ルフは眉を寄せた。


「大丈夫です。過保護です。皆、変だと思っているはずです」

「別に構わないだろう? 俺は世話人だ」


 溺愛しているだけ。婿狙い。熱狂的な信望者。


 様々な噂がある。


「私が構います。普通がいいので」


 ルフはため息をつくと、スノウから体を離した。


 だが、手はつながれたまま。


「モコモコはどうした?」


 スノウが愛用している室内用のガウンのことだった。


「ヴェラがお昼寝しているので、かけてあげました」

「談話室は暖かい。いらないだろう。モコモコを着てショールの方をかければ良かった」


 恐らくは暑いと感じ、手か魔力で放り投げているとルフは予想した。


「談話室が暖かいのでモコモコは脱いでいたのです。なのでそのままかけたというか」


 放り投げ確定だ。


「他人より自分のことを優先しろ」

「でも、ヴェラは大親友ですから」

「羨ましい」

「ルフは家族ですよ?」

「そうだった」


 二人は会話をしながらキッチンへ向かった。


 ルフはテーブルの上に出しっぱなしだったパン切り包丁を見てすぐに隠した。


 ヴェラが片づけを怠ったのだ。


「大丈夫です。見るだけなら」

「わかっている。なんとなく」

「そろそろ平気かもしれません。試してみてもいいですか?」

「無理しなくていい」

「試したいのです。カトラリーのナイフを使わないとあやしまれます」

「わかった。一緒に試そう」


 テーブルの前にスノウが立ち、その後ろにルフが立った。


 まな板とパン、パン切り包丁を取り寄せて置く。


「カトラリーのナイフと一緒だ。片手で持つ。フォークの代わりに手でパンを押さえて、ゆっくり切る」

「はい」

「指や手を切らないように注意する。包丁はカトラリーのナイフよりも切れ味がいい。まずはテーブルに置いたまま、ゆっくり包丁に触ってみよう」


 スノウは恐る恐るパン切り包丁を右手で触った。


 震えない。


「震えてないな」

「ルフがいるから、かも」


 ドキドキはしている。緊張もかなり。不安がないわけではない。


「両手で持つ必要はないからな?」

「わかっています」


 スノウはナイフのような刃物が怖い。


 見るのは平気。人が持っているのも使っているのも大丈夫だ。


 しかし、自分で持つと手が震えてしまう。


 戦争で短剣を武器として持たされた後遺症だった。


 以前、ルフはスノウが包丁を持って震えていたのを見た。


 包丁を扱ったことがないせいで怖く、震えて落とさないように両手で持ったのだと思っていた。


 だが、別の理由だとわかった。


 スノウが食事用に用意されたカトラリーのナイフも触ろうとせず、ようやく握ったかと思うと震えて落としてしまったために気付いた。


 刃物を普通に持てないのだと。


 スノウはどうしてこうなったのかをルフに話し、それからはナイフのような刃物は禁止になった。


 食事もナイフを使わないで済むよう工夫していた。


「怖がらなくていい。これは武器じゃない。パンを綺麗に分けるための道具だ」


 ルフは安心させるように優しい口調で説明した。


「俺も一緒に持つ。ゆっくりやってみよう」

「わかりました」

「大丈夫だ。俺が切る。力は入れなくていい。ただ、触っているだけだ」


 ルフはスノウの手の上からパン切り包丁を握ると、ゆっくりと持ち上げた。


「手はもっと左だ。指を怪我してしまう。怖いなら内側に入れろ」

「内側に入れる?」

「こうだ」


 ルフは手のひらにつけるように親指を曲げた。


「ああ、なるほど。隠す感じですね」

「切るのに向いているわけじゃない。親指を守ることを意識する練習だ」

「なるほど」


 二人でゆっくりパンを切ってみる。


 スノウはまったく力を入れていないが、パンは綺麗に切れた。


「切れた」

「……ズルをしましたね?」


 スノウは違和感を覚えた。


 離れたところからルフがパンを切っているのを見たことはある。


 もっと力が入っていて、ギコギコ切っているような気がした。


 だが、今はスッと切った。


 パンをしっかり押さえてもいない。


「バレたか」

「すっかり魔力に依存してます」


 ルフは魔力を扱う練習を細かい部分でもしている。


 ごく普通の刃物でも魔力で切れ味をよくすることも、魔力で切ることもできた。


「普通に切れるのに」

「そうなんだが、慣れると便利だからな」

「私は魔力がないので、普通の切り方を教えてください」

「もっともな意見だ。すまない」


 もう一度、パンを切る。


 今度は本当にしっかりと力を入れて切った。


 魔力の力を借りていない。


 切り口を見ればその差が歴然だ。


「そうです。このギザギザが普通の証です!」

「震えなかったな」

「そうですね。ルフがズルをしないか気になって」

「ズルが役立った」


 二人で笑った後、もう一度試した。


 スノウ一人だと、持った後に震えてしまう。


 落とさないよう耐えるのが精いっぱい。切るのは無理だった。


「もうちょっと頑張れば……」

「頑張り過ぎは良くない。やみくもに努力するだけじゃ駄目なこともある。俺と一緒にいればいいだけだろう?」


 ルフが一緒であれば震えない。


 だが、さっきよりも切り口がギザギザになってしまった。


 でも、それが普通らしくていいとスノウは思った。


「三枚か。トーストにするか?」

「パンペルデュにします」


 失われたパンの意味を持つ料理。


 なんとなくイメージが悪そうに聞こえるが、とても美味しい。


 パンを無駄にすることなくその価値を生き返らせるために考案されたものだった。


「卵を持って来る」

「ミルクを出しておきますね。それからお砂糖とスパイス。ボウルも」

「フライパンもだ」

「フライ返しも」


 二人は手分けして材料を揃え、ボウルに作った卵液にパンを浸した。


「スノウが焼くか?」

「私が焼きます」


 スノウも少しずつ料理をするようになった。


 基本的には手伝い程度だが、パンペルデュは刃物を使わなくてもできる。


 今回は包丁でパンを切ったが、手でちぎったパンを使ってもできる。


「パンペルデュはスノウの得意料理だな」

「美味しくて簡単に作れるので好きです」


 ルフと一緒にキッチンに立てることもスノウは嬉しい。


 適度に焼き目をつけたところでパンを裏返した。


「スノウが作ると焦げなくていい」

「ルフはちょっと焦げちゃいますよね」

「他のことをしながらやっているからな」


 ルフはできるだけ効率よくしようと考え、別のこともする。フライパンの前に張り付いていない。


 そのせいでついつい焼き過ぎてしまい、焼き目がつきすぎて焦げてしまうのだ。


「良さそうです」


 使ったボウルを洗い終えたルフが戻って来る。


「もうちょっと焼いたらどうだ?」

「お皿を用意している間に余熱が通るので」

「もう俺以上の腕前だな」


 できたてのパンペルデュを皿に載せると、ルフがクロッシュを取って被せた。


「ありがとう」

「結界の練習もしたいわけだが」


 王都では料理の保冷保温に結界を活用する。


 だが、ルフはスノウのためにクロッシュを使った。


「別のことで練習すればいいだけです」

「そうだな。後片付けはヴェラにさせよう」

「パンペルデュ代ですね」

「働かざる者食うべからずだ」


 すでにヴェラは修道院の住人といってもいいほど入り浸っている。


いる時は遠慮なく家事の担当を振ることになっており、本人も魔力や魔法ばかりの生活に疲れているために丁度良くもあるのだ。


「転移魔法を使いたい」


 ルフは転移魔法も練習中。近距離ならできるようになった。


「駄目です」

「寒い廊下を歩くのが好きなのか?」

「それもありますけれど、ルフと二人だけでいる時間も減りますよ?」


 減らしたくない。増やしていきたい。


 それがルフの本音だ。


 ルフはスノウから皿を取り上げると、高い所に浮かせた。


「ルフ?」

「大事な話がある」


 いずれ伝えようとルフは思っていた。


 だが、今、伝えたくなった。


「スノウ、愛している。神殿を出たら結婚しよう」


 転移門ができれば多くの人々がやって来る。


 頼もしい支援者だけでなく、ライバルも押し寄せるということだ。


 その前に自身の気持ちを伝えておきたいとルフは思っていた。


「今も家族だが、俺はそれ以上の家族になりたい。夫婦に」


 スノウもルフに伝えようと思っていた。


 神殿を出たら。


 だが、今、伝えたくなった。


 言葉にするのは問題ない。


 愛の女神のおかげで、神職者であっても恋愛は禁止されていない。


「私もルフが好きです。神殿を出たら、ただのスノウとして一緒にいてもいいですか?」

「それは家族として? それとも夫婦としてか?」

「……お嫁さんにしてください」


 スノウはモジモジしながら答えた。


「ウェディングドレスが着たいです」

「白いドレスが着たいのか?」

「そうです!」

「オクルスに伝わる婚礼衣装は赤だが?」

「だったら赤で!」

「両方にしよう」

「名案です!」


 二人は微笑みを交わす。


 だが。


「一年しかない。準備を急がないとだな」


 スノウが神殿への恩義を返す期間が大幅に短縮された。


 戦争へ行ったことへの褒賞も込みで第二王子と婚約するはずだったが、それがなくなった。


 従軍及び治癒の聖女として積み重ねてきた功績への褒賞がないということで、ジークフリードが国王と神殿に掛け合い、恩義の返済期間を短縮させた。


 さすがにすぐ神殿を出るのは無理だったが、一年間オクルス修道院の院長を務めれば、スノウの望む時にいつでも神殿を出られることになった。


 スノウが隠していた刃物への苦手意識も、戦争の後遺症としてジークフリードから国王や神殿に説明し、長期療養が必須という判断になった。


「婚礼衣装には伝統的な刺繍をする。図案書にも載っているが、かなり細かい」


 婚礼衣装作りは刺繍の練習として女性が子供の頃から行う。


 少しずつ上達するごとに気になる部分はやり直し。上から刺繍を重ねていく部分もある。


 母親や祖母、知り合いの婚礼衣装を自分用に直したり、友人や知人等に手伝って貰ったりしながら作る。


 それだけに一から全てを作るとなると、相当大変だ。


 だからこそ、オクルスの村にとって修道女は貴重かつ大切だった。


 一生に一度の婚礼衣装を作るために必要不可欠な刺繍の専門家であり、最も頼りになる存在だったのだ。


「冬になったら取り掛かろうとは思っていたが」


 ルフは結婚を申し込む前に、婚礼衣装を作り始める気だった。


 たとえプロポーズを断られても、スノウには幸せになって欲しい。


 スノウが他の誰かと結婚するとしても、家族として婚礼衣装を贈り、心から祝福しようと思っていた。


「ルフが刺繍を? 私ではなく?」

「誰が刺繍してもいい。ただ、本人とその家族は一針だけでも必ず縫う習わしだ」

「では、私とルフで作ればいいですね」

「手分けして制作するか」

「そうしましょう」

「決まりだな」


 ルフは浮かべていた皿に手を伸ばした。


 それを見たスノウは不服そうな表情になった。


「大事なことを忘れていませんか?」

「大事なこと?」


 ルフはすぐに思いついた。


「指輪か。すまない。まだだ。用意しておく」

「違います」

「違うのか」

「誓約の証です」


 ルフはそうだったと思った。


「誓約書も用意する。婚約用と婚姻用だろう? わかっている」


 スノウはわかっていないと思った。


 自分もルフも知らないことやわからないことが沢山ある。勉強中だ。


 でも、スノウは神職者。


 その知識と経験が役立つ時もある。


「膝をついてください」

「ああ、そういうことか!」


 ルフは理解した。


 プロポーズをする時は片膝をつく。騎士のように。


 すぐさまルフは片膝をついてスノウを見上げた。


「俺と結婚してください」

「ルフと結婚します。でも」


 でも?


 次の瞬間、ルフの額に柔らかく温かいものが触れた。


 スノウの唇だ。


「これが誓約の証です。神職者なので、今はまだ額か頬になります」


 ルフの顔が赤くなった。耳まで。


 スノウも同じく。


「……確かに誓約の証だ」

「ちゃんと守ってくださいね」

「守る。絶対に。だが」

「だが?」


 ルフは立ち上がると皿をもう一度浮かべた。


「やり直したい。皿を持ったままだった」

「オリジナルでしたね」

 

 ルフは笑った。


 本当は大笑いしたい気分だが、必死に抑える。


 スノウも笑っていた。


「普通がいい」

「そうですね」


 もう一度。


 二人はしっかりと抱きしめ合い、額と頬に誓約の口づけをした。



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― 新着の感想 ―
[一言] おめでとうございます! お幸せに!
[一言] 楽しく読ませていただきました。番外編楽しみにしています。 それにしても、第二王子、王位への野心があるならスノウと結婚してたら軍部完全掌握できて王太子出し抜けワンチャンあったかもしれないのに…
[良い点] すごい護衛がついたものだ(笑)! 強すぎる護衛ですね。体を使って戦う人たちだからこそ、治癒の重要性を誰よりわかってるんだろうな~。 [気になる点] なんかまだ色々ありそうだけどこれが関係す…
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