002 修道院での生活
オンボロ修道院での生活が始まった。
そして、早速問題が発生した。
神殿から支給されたのは金貨。
高額過ぎて村では使えないことがわかった。
「手数料を引いて銀貨と交換してくれませんか?」
スノウは村長に尋ねた。
だが、
「断る。銀貨でさえ使いにくい田舎だ」
すげなく断られた。
結局、町へ農作物を売りに行く者に頼み、両替して貰うことになった。
スノウは銀貨と銅貨を手に入れた。
物価が安いため、当分の生活費は余裕で賄えそうだった。
修道院を修繕するつもりであればいくらあっても足りないが、その件はゼノンから神殿に報告されている。
どうなるかは返事を待つしかない。
「取りあえず、何をすれば……」
管理するとはいっても、修道院には何もない。神の像さえも。
ただ修道院で生活するだけだと考えると、かなりの自由が利く。
スノウは村人に自分の名前を覚えて貰い、親しくなろうと考えた。
「こんにちは。神殿から修道院に派遣されたスノウです。お困りのことがあれば遠慮なくおっしゃってください。相談にのります」
相談はあった。
畑仕事の手伝い。水汲み。部屋の片づけ。ゴミ捨て。
小さな子供達の面倒を見ること。読み書き計算を教えること。
スノウが断らないのをいいことに、次々と相談事が舞い込んだ。
数十人しかいない小さな村だけに、都合よくこき使われたとも言う。
だが、スノウは村人達と触れ合う機会になり、このことを通じて親しくなれそうだと思った。
「これを持っていきな」
だんだんとパン、果物、野菜、ちょっとした物を貰えるようになった。
「ありがとうございます!」
スノウは喜んだ。
だが、調理しなければならない食材は断った。
スノウは料理ができなかった。
「野菜は遠慮します。貰っても困るので」
「他から貰ったのかい?」
「いいえ。お料理ができないので……」
「全く?」
「はい。すみません」
スノウは勉強を優先するよう言われ、日常生活における奉仕活動を免除されていた。
「私の担当は魔石作りだったので」
治癒魔法のことはあえて言わなかった。
「魔石って魔法が使える石のことだろう? 凄いじゃないか!」
オクルスに魔法を使える者はいない。魔石もない。
だが、そういうものがあるということは知られていた。
「今はもう作れません。なので、ここに来たのです」
「左遷ってやつだろう?」
正確には追放同然。厄介払いの。
スノウはそのことを自覚していた。
「とにかく、お料理はできないのでごめんなさい」
「お湯を沸かせて、適当に切って入れればいい」
「どうやってお湯を沸かすのかわかりません」
「火打石の使い方は?」
「石で火を? 魔法ではなく?」
これまでの生活と違い過ぎることが明白だった。
「掃除は?」
「見様見真似でなんとか。子供達に教えて貰いました」
「洗濯は?」
「それも子供達から教わりました」
「どれだけできないのかがわかりやすいね」
経験なし。子供以下のレベル。
スノウの生活力がほぼ皆無であることはすぐに村中に伝わった。
スノウは村人と親しくなった。
だが、修道院で会ったルフからは何かと避けられていた。
「こんにちは!」
偶然会ったルフは無言だった。
「これから修道院へ来ませんか? あの部屋には私物がありますよね?」
ルフは部屋を出て行った後、一度も修道院に来ていなかった。
スノウの知る上では。
「俺に関わるな」
ルフは二十歳。見た目以上に大人びている。
口調も態度も素っ気ない。
正しい指摘であっても辛辣に聞こえてしまう冷たさがあった。
村人の情報では、ルフは別の場所で生まれ育った。
父親が死んだせいで町に住み続けるのが難しくなり、母親の生まれ故郷である村に戻って来た。
だが、後から別の事情も判明した。
ルフの瞳は琥珀色だが、感情が高ぶると赤く光る。
魔力を宿す瞳だった。
不気味だと噂になったせいで町にいられなくなった。
「次は無視しろ」
ルフが去り、スノウはため息をついた。
村人が通りかかった。
「放っておけばいい。あいつは一人で何でもできる」
「何でも? お仕事は何ですか?」
「狩りと採集だ。時々、村長の手伝いもしている」
町で育ったため、ルフは村人よりも教育を受けている。
簡単な読み書き計算ができる。
口調も態度も素っ気ないが、悪事はしない。暴力も振るわない。
容姿も整っており、愛想さえ良ければ好青年かもしれないが、稀に赤く光る瞳の不気味さはどうしようもない。
取りあえず、村から出て行けという者はいないということをスノウは教わった。
「村長の息子よりよっぽどましだと思うがなあ」
「息子さんが? お会いしてないような?」
「ここにはいない。出て行ったよ」
若者は村で一生を終えたくないと思い、町へ移り住むために出て行ってしまう。
「あんたは逆だな。どうせ大失敗でもやらかして飛ばされたんだろう?」
スノウは曖昧に笑うしかなかった。
「こんにちは。今日はどうしてもお話がしたくて」
スノウはルフの住む小屋を教えて貰い、ルフが帰って来るのを待っていた。
「話すことなんてない」
「もしよければ、修道院の部屋を使いませんか?」
修道院はあちこち壊れている。修繕できない。
ルフに部屋を貸す代わりに、ちょっとしたことを手伝って欲しいことをスノウは伝えた。
「パンで良ければ食事も私の方で用意します」
「施しは受けない」
「違います。私はずっと神殿で育ったので生活力がなくて」
「村長から聞いた。金があるなら人を雇えばいい」
「お金はパンを買ったり、修道院の修繕とかに使いたくて。少しずつでも自分で何でもできるようになりたいと思っています」
スノウはルフから一人暮らしについて教わり、生活力を身につけようと思った。
「教えてくれる人がいれば早くできるようになりますし、一人では難しいこともあります。正直に言うと、一人暮らしは初めてなので怖くて……」
修道院はどこもかしも壊れている。侵入し放題。
鍵がかかる場所はルフが使っていた部屋しかなく、他の部屋は鍵もなければドアも傾き窓も壊れている。
森にいるという獣が迷い込んで来たらと思うと怖い。
ルフは高齢の修道女が亡くなるまで面倒を見ていた人物だけに、信用できるとスノウは思った。
「あの部屋を使えばいい。鍵がついている」
「別の部屋のドアと窓も直したいのです。ルフが直してくれると助かるのですが」
「断る。村人に頼め」
「とっておきの条件があります。魔力の扱いを教えます!」
ルフに魔力があるのであれば、それを扱う方法を教えることができる。
「神殿と違って魔法具とかもないので、初歩の初歩。心得のようなものだけかもしれません。それでも役に立つかもしれません。どうですか?」
「……俺なんかに教えていいのか? 神殿の秘密じゃないのか?」
「魔法学校でも教えていることなので大丈夫です」
「本当に魔力があるのかどうかはわからない」
「瞳が赤く光るだけだから?」
「そうだ」
「大丈夫です。確かめる方法があります」
スノウは魔法の巾着を取り出した。
「これは魔力が一でもある人なら扱えます」
巾着の紐は魔力がないと動かない。
紐を動かせるということは、魔力があるということなのだ。
「開ければいいのか?」
「そうです。紐を掴んで開くよう念じながら内なる力を込める感じです。その後で普通に引っ張ってください。力任せではなく、ゆっくりで大丈夫です」
スノウが全てを言い終わる前にルフは巾着の紐を引っ張った。
「開いた」
ルフには魔力があるということだ。少なくとも一は。
「中を覗き込んで下さい。何が入っているか見えますか?」
「ビンがある。一つ」
「手だけ入れてそのビンを取り出して下さい。手以外は入れないように。顔は絶対に駄目です!」
ルフは言われた通りにした後、眉をひそめた。
取り出したビンはどう考えても巾着よりも大きい。
普通は入らない。必ずはみ出るはずだが、はみ出ていなかった。
覗き込まなければ、見えなかったほどだ。
見た目は小さな巾着だが、その中は何倍も大きく深いということだ。
「……何でも入るのか?」
「生き物は駄目です」
便利なのは確かだが、細かい条件や制限がある。
「魔法の巾着には種類があります。これは最も普及しているポケットタイプです」
「魔法のポケットか」
「性能が良いほど沢山入ります。鞄タイプとか、馬車タイプとか」
「馬車タイプ? 馬車が入るのか?」
「馬車に載せる位の量が入るという意味です。馬車のような大型のものを収納できるのは箱タイプです。でも、馬は収納できません」
馬車を箱から出しても本体のみ。馬車を引く馬がいなければ動かせない。
「魔法の収納は外出や旅行をする際に重宝します。一台の馬車しかなくてもそれ以上に大量の荷物を運べます。自分で持てる袋だけなら、馬に乗って移動できます」
「凄いな」
ルフはスノウの話に興味を持った。
「他にも色々なことを教えることができます。どうですか?」
「わかった。部屋を直す。鍵もつけてやる」
「ありがとうございます!」
ルフが修道院に引っ越して来た。
部屋を貸す代わりに修道院の修繕を手伝うという条件だ。
魔力の扱いについて教えるということは結果が伴うかわからないため、村人には伏せることにした。
修道院やスノウのことを気にする村人は多かったが、自分達のことの方が優先だ。
ルフが面倒を見るのであれば丁度いいだろうと思われていた。