181 休みの終わり
早朝。
ゼノンはキッチンでため息をついていた。
ついに出勤日。
一週間は早かった。
充実していたせいで、余計にあっという間だった。
「すみません。朝早くから」
「気にするな。いつもこのぐらいに起きている」
ルフはドラッヘンの者達に持って行くパンを毎日焼いている。
一日分を一気に焼いてしまうため、結構な量だ。
「朝食のことです」
「それで足りるか?」
「十分です」
野菜がたっぷり入った温かいスープ。焼き立ての香ばしいパン。
ソーセージと目玉焼き。
ゼノンはコーヒーだけでいいと伝えたが、ルフは手早くゼノンの朝食を作ってくれた。
「またしばらく戻れなさそうか?」
「その可能性が高いでしょう」
ドラッヘン側には監視役であることは伝えているが、スノウとルフには休養としか伝えていない。
実際に休みというのは本当だ。
今回は王太子に呼び出された直属の命令であって、聖騎士としての任務ではない。
聖騎士としては休暇届けを出している。長期に申請するのは無理だった。
「心配です」
スノウとルフのことが。
ドラッヘンがいるせいで余計に。
「大丈夫だ」
だが、日に日にルフもスノウもドラッヘンの者達と親しくなっていることをゼノンは知っている。
これは安心よりも不安な要素だ。
第一王子と第二王子は二人の様子を見に来ては一緒している。
ドラッヘン国王夫妻との遭遇率も高い。
オクルスでまさに自由に伸び伸び過ごしていた。
ワイバーンも。
「ルフには伝えておきますが、他国の者です。国交状態も良くありません。ここに滞在しているだけでも、あらぬ疑いをかけられる恐れがあります」
「あらぬ疑いってなんだ?」
「情報収集及びその支援です」
ルフは不思議に思った。
「ドラッヘンにアヴァロスのことを知られて困るのか? 両国が交流するのは良いことだろう?」
「密かに法に触れるようなことをしていると困ります。ここにいる者が何もしなくても、そのようにしている者が配下にいるかもしれません」
「なるほど」
ルフは耳を傾けながら作業を続けた。
「心配するのはわかるが、全てを知ることはできない。それに、オクルスで静養するだけならいいんじゃないか? レオはずっと死と向かい合わせの状態だった。しばらく家族でゆっくり過ごしたいというのはおかしくない」
一般的にはそうかもしれない。
だが、国交関係が良い状態とは言えないアヴァロスで静養する必要はない。
王妃の故国ではあるが、ドラッヘンに嫁いだことでほぼ縁が切れているのと同じ。
王妃の実家を頼ってアヴァロスに滞在していないことからもそれが伺える。
「スノウもルフも優し過ぎます。私がいなくなった途端、つけ込まれてしまう気がして仕方がありません」
「どうだろうな。ただ、俺はアヴァロスもドラッヘンも関係ないと思っている」
アヴァロスの一般的な感覚では国交状態が良くない国であり、敬遠するような相手なのかもしれない。
だが、ずっとオクルスという狭い世界で生きて来たルフにとっては関係ない。
悪い人間でなければいい。
むしろ、アヴァロス国民であっても悪いことをしている者の方が嫌だ。
「バートもそうだ。ボンジュウ王国とは戦争をしていた。だが、仲良くできないと決めつけるべきじゃない。仲良くできる者もいる。性格の方がよっぽど重要じゃないか?」
「個人的にはそれでいいと思います。ですが、国に関わる人間は難しいのです」
アヴァロスの者だからこそ、アヴァロスが最優先。
そうしなければならない。
「ゼノンは大変だ。王家に仕える貴族であり、神殿を守る聖騎士でもある。板挟みになることだってあるだろう」
ある。
しょっちゅうだった。
「俺じゃ頼りないかもしれないが、困った時や辛い時は言ってくれ。いつだって俺はゼノンの友人だし味方だ。どれほど難しい状況であっても、そうでありたいと心から思っている」
ルフ……。
食事よりも温かく素晴らしいものがあった。
友情。
ゼノンはコーヒカップを両手で握り締めた。
これを飲めば朝食は終わり。
惜しかった。ルフとの時間が。
「できた」
後ろで作業をしていたルフが言った。
「袋よりも箱の方がいいな」
ルフが場を離れる。
振り向いたゼノンは驚いた。
てっきりスノウと一緒に食べる朝食の準備をしていると思っていた。
だが、見えるのはサンドイッチ。
「簡単な具で悪いが、時間があれば食べてくれ。忙しいと昼食を抜かすだろう? 保険だ」
ルフはサンドイッチを箱に詰めるとゼノンに差し出した。
ゼノンは大事そうに受け取った。
「……すみません」
「謝ることじゃない。喜んでくれたら嬉しい」
ゼノンの胸は切なさを感じた。
離れがたい。
ここは自身の家でも故郷でもないというのに。
「ルフ」
ゼノンはずっと考えていたことがあった。
「私と家族になりませんか?」
ルフは驚いた。
「何だって?」
「聖女だったスノウと結婚すれば、どんな人物なのか注目が集まります。平民だと侮る者もいるでしょう。ですので、私の家の養子になるのはどうですか?」
ゼノンの両親はスノウが小さい頃から知っており、養女の打診をしたことがある。
断られてしまったが、今もスノウのことは気にしている。
スノウを養女にするのは難しくても、ルフであれば本人の意志次第で可能だ。
「手続きをすればルフは公爵家の一員です。爵位の継承権はありませんが、軽視されにくくなるでしょう。私とは義理の兄弟になりますので、何かと会いやすく融通が利きます。王都に来た際も公爵家に泊まれば便利です。私の両親はスノウとルフが幸せになることを心から願っています。検討して貰えませんか?」
ルフは表情を和らげた。
「ありがたい話だと思う。だが、断るしかない」
「そうですか」
なんとなくではあるが、ゼノンはそんな予感がしていた。
だからこそ、言い出せなかったのもあった。
「ゴードンに身軽でいるよう言われたからな。貴族は縛られる。バートも同じだ。貴族ゆえの責務がある。戦争に反対でも国王に命令されれば参加しなければならないと言っていた。俺の責務はスノウを守って幸せにすることだ。それ以外の責務は欲しくない」
「正しい判断です。自分勝手な提案でした。すみません」
「俺こそ自分勝手な判断だ。すまない」
だが、ルフはすぐに微笑んだ。
「俺とゼノンは家族ではないかもしれない。だが、家族同然だ。そうだろう?」
「ありがとうございます。そう言ってくれるだけで嬉しいです」
「正直に言うと、ゼノンの方が年上だが、兄上と呼ぶのは違う気がする」
ゼノンも笑みを浮かべた。
「わかります。私もルフにそう言われたら、おかしな感じがすると思います」
「やっぱりそうか」
「ですが、スノウは私にとって妹のようなもの。妹と結婚するなら弟でしょう」
「そうなのか」
「そうなのです」
呼び鈴が鳴った。
ゼノンはため息をつくと、弁当箱を魔法の巾着にしまった。
「水はあるか?」
「大丈夫です」
ドアの手前に転移陣が浮かび上がった。
「おはようございます。迎えに来ました」
オリバーだった。
「おはようございます」
「おはよう。朝食はいるか?」
「いいえ。すぐに行きます」
「では」
ゼノンは席を立った。
「ちょっとだけ待ってくれ」
ルフは急いで石窯を開けると、ヒョイヒョイと魔力でパンを取り寄せた。
それを袋に入れてオリバーに差し出した。
「焼きたてだ。熱い」
「ありがとうございます」
オリバーは断わることなく受け取った。
「いいですか?」
「はい」
ゼノンがオリバーの隣に移動する。
ルフは転移魔法に備えて少し離れた。
「二人共、体を大事にしてくれ」
返事はない。
転移魔法が発動してしまった。
「あっという間だな」
見送りをしても一瞬。
オリバーだからこそ余計に早い。任務優先。それが当たり前。
「騎士は大変だ」
寂しい気分をルフは振り払った。
やるべきことをやる。
王都とオクルス。
騎士と一般人。
違いは多くあるが、頑張っているという部分は同じだ。
ルフは焼き上がったパンを全て取り出し、次のパンを焼くための作業に取り掛かった。




