018 毒事件
「よく来たな……」
夜遅く、疲れ切った様子のジークフリードと会うことができた。
「疲れてそうだ」
「色々あってな……」
「毒事件か?」
「知っているのか」
ジークフリードはため息をついた。
「魔動ポンプのせいで問題が起きた」
ジークフリードが王都中の水質検査の提案をしたことから、毒事件の対応役を任された。
対応策の一つとして魔動ポンプを採用したが、住民から反対や苦情が届いてしまった。
魔動ポンプで地下水を汲み上げるには魔力が必要だ。
魔力持ちの誰かが魔力を入れれば、他の者も使える。地域住人で助け合えばいいだけだった。
しかし、ポンプに大量の魔力を補充する者はいない。そのせいですぐに魔力が切れ、ポンプが動かなくなってしまう。
魔力がない者は魔力持ちに頼み、ポンプへの魔力を補充して貰うしかない。
だが、魔力持ちに負担がかかる。断りたい。他の者に頼んで欲しいと言われる。
地域の住人同士で口論になることもあるため、元々の手桶による汲み上げ井戸に戻して欲しいという声が上がってしまった。
「戻すのは簡単だ。元の井戸にポンプをつけているだけだからな。だが、そうなると開口部から毒物が入れられやすくなる」
愉快犯や模倣犯も現れていた。
元に戻せば安全度が低くなる。警備隊や神殿から派遣されている解毒士の巡回場所も増えてしまい負担がかかる。
「何かいい手立てがないか考えているところだ」
「手動ポンプにすればいい」
ルフが答えた。
「魔力がなくても使える」
「手動ポンプ? 手で動くポンプがあるのか?」
ルフは自分の耳を疑った。
「あるに決まっている。オクルスにもある」
「そうなのか!」
王都は魔法や魔力が当たり前。大型の設備もあれば便利な魔道具もある。
その弊害で手動ポンプのことをジークフリードもその周囲にいる者も知らなかった。
「どんなやつだ? 仕組みはわかるか? 作るのは大変か?」
「俺でも作れる程度だ」
修道院の裏にあるものはルフが作った。
手桶式の井戸は水汲みが大変なため、手動ポンプに切り替えたのだ。
「凄いやつがここにいる! さすが何でもできるだけある! ぜひ、教えてくれ!」
「魔動ポンプというのがあるなら、単に動力の違いでしかない気がする」
「そうかもしれない。どんなものか詳しく知りたいのだが?」
「明日、紙に書けばいいか?」
「そうだな。できれば現地の視察もして欲しい。魔動ポンプを活用できるのか、まったく別に作らなくてはいけないのかも知りたい」
「わかった」
「良かった! なんとかなりそうだ!」
まだまだすべきことは多くあるが、問題解決に向かって前進したのは確か。
ジークフリードは元気を取り戻した。
「よし! 検査をしよう。魔力を入れるから待ってくれ」
高度測定器は各属性の魔力を入れなければ起動できない。
「手分けする。どれに入れるかわかるな?」
光・火・炎はジークフリード。
雷と氷はゼノン、風はヴェラ。
ノールドが土、オリバーが水だ。
「入れました」
「同じく」
「起動しましたね」
部屋の中央にあった魔法陣が輝き出した。
「ルフ、この上に乗れ」
「わかった」
魔法陣の上にルフが立つ。
魔法陣からそれぞれの属性に対する線が伸び始めた。
通常は一種か二種の属性方向にしか伸びないが、線は美しい模様を描きながら光以外の全属性の方向へと伸びていった。
「魔力や属性反応が強いほど早くしっかりと線が伸びていく」
「そうなのか。綺麗だな」
全員が見守る中、ルフの魔力は絵を描き続けた。
「……どこまで伸びる気だ?」
思わずジークフリードがつぶやくのも仕方がない。
全属性の魔力を持つ者はいるが、それほど強くはない。
ある程度線が伸びた後、次々と止まる属性が出てくる。
全体的に見ると、中途半端に終わることが多いのだ。
だというのに、ルフの魔力は止まらない。
「魔石を身につけていないだろうな?」
確認するのを忘れていた。
魔石があるとその魔力も判定してしまう。
「ない」
「剣は無属性だったか?」
「前に渡したものは壊れました。今は普通の剣です」
「服や巾着も大丈夫か?」
「対象外です。巾着は持っていません」
「大丈夫そうだ。いや、大丈夫じゃないな。この反応が!」
ジークフリードの言う通りだった。
そして、魔法陣の絵が完成した。
火・炎・土・水・風・氷・雷の属性の絵が。
「光以外は全部だ! こんな光景は初めて見た!」
「強どころではありませんね」
強であっても絵が完成するまではいかないことが多い。二重の枠までいかないのだ。
「年齢のせいもある。通常は子供の時に来て計る。魔力が少ない」
子供は生まれつき魔力が豊富でなければ線が伸びにくい。
「光属性さえあれば完璧じゃないか!」
「スノウも調べたら?」
ヴェラが提案した。
スノウが魔法陣の上に乗ると、光属性が反応する。
「伸びませんね?」
属性判定はできるが、線が伸びるほどの魔力はないということだ。
つまり、測定としては一の値。
「駄目ですね」
スノウはしょんぼりとした。
もしかしたらという気持ちが全くなかったといえば嘘になる。
「ずっと頑張って来た。その分、ゆっくり休めということだ」
ジークフリードが励ました。
「人生は長い。世界も広い。これまでにできなかったことをすればいい。楽しいことが沢山ある」
ジークフリードは魔法陣の中に移動した。
光属性の線がぐんぐん伸びて絵が完成した。
「これで揃った! 不得意な部分は得意な者が補えばいい。全員で力を合わせればいいということだ!」
笑顔と頷きが返された。
翌日、ジークフリードが魔導兵団の担当者と共にルフの部屋へ来た。
「食事中だったか。すまない」
勝手に外出して朝食を食べることができないため、ヴェラが買ってきたテイクアウトの品をスノウとルフは食べていた。
「む、それは」
「王太子殿下も食べますか? ファーストフードです」
「ソーセージエッグマフィンが好きだ」
「ありません。エッグマフィンかパンケーキです」
「ソーセージ入りは俺が食べてしまった。すまない」
「買ってきますか?」
「悪いな。倍払う。この者の分も頼む」
「大丈夫です。どうせ全て王太子殿下の支払いなので」
スノウとルフが滞在中にかかった経費はジークフリードが出すことで話がついていた。
「飲み物も頼む! ポテトも!」
「わかってます!」
転移陣が使える場所へ移動するため、すぐにヴェラは走って行った。
「食べながら話を聞いてくれ。魔法兵団の担当者ワイアットだ」
緊張した面持ちのワイアットは紹介されると、スッと片膝をついて頭を下げた。
最高礼だ。
「魔法兵団のワイアットです。よろしくお願い申し上げます」
「……丁寧なのはいいが、この者は技術者だぞ?」
ジークフリードはルフのことを特殊な技術者と伝えていた。
「治癒の聖女様がいらっしゃいます」
予期せぬ事態。
ジークフリードだけでなく、ゼノンもまたワイアットがスノウのことを知っているとは思っていなかった。
「違います。私のことはお気になさらず」
自分はもう聖女ではないと思ったスノウが答えた。
「魔動ポンプの解説をしてくれ」
「では、できるだけわかりやすくご説明させていただきます。まずは実物をご覧いただきます」
ワイアットは魔法の巾着から魔動ポンプを取り出した。
U字パイプと細長いパイプがくっついたものだった。
「今はこのサイズですが、水に届く長さに変更されるのでもっと長くなります」
「ここのパイプが長くなるんだな?」
ルフは椅子から立ち上がって質問した。
「そうです」
「どうやって動くんだ?」
ルフから見ると、特殊素材のパイプにしか見えなかった。
「今は何もないのですが、パイプに術式を刻みます。大抵はここかここが起動用です。水を汲み上げる術式は損傷しにくい場所になります」
パイプは合成素材で腐食しない。一部だけは術式に反応するよう魔法金属になっている。
術式を刻み、パイプを設置し、魔力を込めれば起動する。
「つまり……このパイプだけしかないのか」
「そうです」
ルフは考え込んだ。
「どうだ? 手動にできそうか?」
「このパイプは加工しやすいのか?」
「はい。魔力で簡単に切れます」
魔力で切る……。
ルフは一瞬遠い目をした。
ここは王都。魔法や魔力が当たり前。一般常識。
「ノコギリで切れるか知りたい。ノコギリを知っているか?」
「魔動ノコギリでも簡単に切れます」
「いや、普通の……魔動ノコギリ!」
使ってみたい。ぜひ。
ルフはそう思ったが、話が脱線しそうで自制した。
「そうか。それを使えばよさそうだ。俺の方もちょっとした絵を描いた」
ルフはすでに手動ポンプの絵を書き、必要なパーツがどのようなものかがわかるようにしていた。
「実寸ではないが、このような形状のパーツが必要だ。普通は金属で作る。鍛冶屋に依頼するわけだが、木製パーツを使う部分もある」
「拝見させていただきます」
ワイアットはルフの描いた絵を確認した。
「ここを上下に動かすと水が汲めるわけですね?」
「そうだ」
ハンドルの上下運動をすることでパイプの中の空気を排出すると真空状態になり、大気圧によって水面が上昇。水を汲み上げることができる。
「労力がかかるというか、大変そうです」
「井戸が深いと大変だ。魔動ポンプの構造はこれと同じで、単に魔法でハンドルが上下に動くだけだと思っていた」
「なるほど。そのような術式にすれば、手動でも魔動でも水を汲み上げることができるわけですね?」
「そうだな。魔力がある時は魔動、ない場合は手動にできる」
「術式を考えます。単純動作なので大丈夫でしょう。ただ、こちらのパーツ制作は別の者が担当します。術式を組み込むとして、ここから伝わるように魔法金属を……」
話し合った結果、すぐにルフの絵とアイディアを参考に試作品を作ることになった。
「昼には試作品をお渡しできると思います。午後に現地へ行き設置して試すということでよろしいでしょうか?」
「俺はいいが」
ルフはスノウが気になった。
「別行動にして、ヴェラと買い物に行くか?」
「いいえ。ルフと一緒に行きます。王都のあちこちを見て回れるのは嬉しいです」
「つまらないかもしれないが?」
「すでに楽しんでいます。ルフのアイディアが成功するよう祈ってます」
「成功するも何も普通のものなんだが」
「お待たせしました!」
ヴェラが帰って来た。
「ソーセージエッグマフィンセットです」
「久しぶりに食べられる。感謝する」
「お気になさらず。どうぞ」
袋を差し出されたワイアットはためらった。
「別のセットが良かったでしょうか?」
「いいえ。ただ、勤務中なので…」
「朝食がまだでしたらどうぞ。ここで食べてください」
スノウがにっこりと微笑んだ。
「そうしたいのですが、試作品を依頼しないといけません。こちらは持ち帰ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「ヴェラ、悪いがワイアットを送ってくれるか? 転移魔法の方が早い」
「わかりました。魔法兵団の本部でしょうか?」
「いいえ。技術部の方なので」
「わかりました。部屋から直接飛ぶわけにはいきませんので、少し移動します」
「はい。では、失礼させていただきます」
ワイアットは深々と一礼するとヴェラと共に退出した。
早速ジークフリードはスノウに顔を向けた。
「スノウ、知り合いか?」
「知りません。でも、魔法兵団の方なら、戦争の時に会ったのかもしれません」
「その可能性はあるな。地方から本部に配置換えされたのかもしれない。調べておくか」
「守秘義務を徹底しなければなりません」
「ゼノンがいたせいで治癒の聖女だと思った可能性もある」
ゼノンは雷氷の聖騎士として有名であり、治癒の聖女の護衛を務めていたことも広く知られている。
「ゼノンの方で覚えがないのか?」
「ありません。現地に留まれなかったので」
ゼノンは公爵家の跡継ぎだったため、戦争に行くスノウの護衛を務め続けることができなかった。
戦場へ送り届けるまでは同行したが、滞在中については別の聖騎士が担当だった。
「せっかく王都に来たのに悪いな。だが、協力してくれて嬉しい。礼をしたいが、内密にできそうなもので頼みたい」
「図々しいのはわかっているが、うまくいったら欲しいものがある」
「何だ?」
「魔法剣用の武器と巾着が欲しい」
ルフとしては欲しいが、高価過ぎて応相談の品だった。
「ああ、それなら大丈夫だ。市販品はたかが知れている。もっと良いものを手配しよう」
武器と巾着の問題は解決した。