175 監視役
翌日の午後。
ゼノンがオクルスに来た。
ルフは農作業に出かけており、スノウは留守番しながらルフのための新しいシャツを制作中だった。
「ただいま帰りました」
「ゼノン様!」
急に帰って来たゼノンにスノウは驚いた。
「一人だけですか?」
「そうです」
「どうやって?」
「転移魔法で送って貰いました」
「えっと……お休みですか?」
「そうです」
表向きは。
実際にはドラッヘン一行が修道院に滞在することになったため、スノウとルフの護衛及びドラッヘンの監視役をジークフリードから命令された。
だからこそ、オリバーが転移魔法でオクルスまで送ってくれた。
「ルフは?」
「畑です」
「そうですか。一週間ほどこちらにいる予定です。私が使用していた部屋はどうなっているでしょうか? 他の者が使っていますか?」
「ゼノン様の部屋は専用ですよ? いつ来ても空いてます。でも」
スノウは困った表情をした。
「でも?」
「急いでお掃除します!」
ずっと帰って来ていなかったため、ゼノンの部屋は閉め切り状態だった。
「ササッと綺麗にしちゃいますので、ソファでゆっくりしていてください!」
スノウは加速魔法を使って部屋を飛び出した。
ゼノンは談話室の中をゆっくり見回した後、食堂へ続くドアを開けた。
誰もいないのは魔力の気配でわかっている。
廊下、キッチン、トイレ、浴室。
以前と変化があるかどうかを順番に確認していく。
ルフの部屋も倉庫も全て。
……何もなさそうですね。
ゼノンが警戒していたのは特殊な魔法機器。
だが、ルフもスノウも魔力持ちで敏感だ。
盗聴器等が設置されていれば気づきそうだった。
居住空間として使っている一階を確認した後は二階も確認。
特に問題はなかった。
「ゼノン様ー! 食堂にお茶を用意しましたよー!」
スノウが呼んでいた。
ゼノンは一階に下りて食堂へ行った。
「二階の空き部屋がどうなっているのか見ていました。ドラッヘンの者はどこに? 野営ですか?」
ドラッヘン王国は魔物討伐業をしている。
宿泊施設がない場所に行く場合は野営。専用のテントなどを設置する。
「礼拝堂の横にある建物です」
ドラッヘン一行はスノウとルフが使用している生活空間から離れた場所を使うことになった。
全く修復していない部屋ばかりだが、自分達で修繕して宿泊室にする気でいる。
「昨夜は広い方の中庭の芝を刈って、テントを設置していました」
「食事は?」
食堂の席数は変わっていなかった。
「基本的には自炊するそうです。キッチンも使いません」
野外でも煮炊きできる魔法機器があるということだった。
「でも、石窯はないので、パンだけはこちらで焼いて届けることになりました」
「トイレや浴室は?」
「今日中に水回りの工事を済ませたいと言ってました。完成するまでは借りに来るそうです」
「なるほど」
修道院に滞在するとはいっても、スノウやルフがあれこれ世話をするわけではない。
可能な限り自分達のことは自分でするスタイル。
居住空間も離している。
ワイバーンを連れての突撃訪問。そのまま居座ることにしたドラッヘン一行だったが、それ以外の点では相応に考えているようだった。
「すみません! トイレをお借りします!」
男性の声が聞こえて来た。
「いつでもどうぞー! 声をかけなくて大丈夫ですよー!」
スノウも大声で対応。
「ドラッヘンの騎士です。一人一人丁寧に声をかけてくださるのですが、何も言わずに使ってくれればいいといいますか」
転移魔法による魔力の気配を感じ、偵察に来た可能性があるとゼノンは思った。
「挨拶をしてきます」
ゼノンはそう言ってすぐにまた食堂を出た。
しばらくすると戻ってくる。
「私がしばらく滞在することを伝えておきました」
「明日はどうするのですか?」
スノウの通勤日だった。
「別の聖騎士が対応します。ルフは明日も教育部門と魔法騎士団に行く予定ですか?」
「そうです」
スノウの通勤日になると、ルフは午前中に教育部門へ行く。昼食時にスノウと合流し、午後は魔法騎士団か買物などの所用をするようにしていた。
「子供達と一緒に勉強するのが楽しくて仕方がないみたいです」
ルフは神殿教育について知るために様々な授業を見学している。
乳幼児の世話についても鋭意勉強中だ。
「明日のお昼ご飯は用意しておきますね」
「パンだけで構いません」
「ルフにそう言ったとしても、ちゃんとしたものを用意すると思いますよ?」
「久しぶりにゆっくりしたいのですが、ワイバーンと遭遇するのは避けられなさそうです」
「修道院の周辺を飛び回っているみたいですね。窓を開けておくと入って来ることもあって」
スノウが掃除をしていると、突然窓からワイバーンが飛び込んで来た。
驚いて尻もちをついたエピソードをスノウは披露した。
「中庭で数匹くつろいでました。まるで番犬のようです」
「中庭が気に入ったみたいですね」
「スノウ!」
スカイの声が聞こえて来た。
「食堂です!」
ドアを開けたスカイはゼノンの姿を見て微笑んだ。
「やはり貴方でしたか。ヒンメル・ドラッヘンです。こちらではアヴァロス風の名称としてスカイを使っています」
スカイが正式名称を名乗ったのは牽制だ。
そして、ゼノンにも正式に名乗れという意志表示だった。
「ゼノン・エルウィスです。聖騎士を務めております」
「雷氷の聖騎士に会えて嬉しいです」
「光栄です」
「スノウを守りに来たのですか?」
「休養です」
休みが取れた場合はオクルス修道院で過ごしていることをゼノンは話した。
「スノウとルフが困っていないかの確認もあります。以前、凶悪な強盗団が出現しました。二人の安全については聖騎士としてだけでなく友人としても常に気にしています」
「強盗団の話は聞きました」
故郷と聞いていたが、スノウではなくルフの故郷であること。
村が強盗団に襲われ、少し離れた場所にある修道院にいたルフとスノウだけが運良く助かったこともスカイはすでに知っていた。
「何日ほどここに?」
「ずっと休みが取れなかったので一週間ほど。任務次第ではすぐに出勤しなければなりません」
「転移魔法を使えないのでは?」
雷氷の聖騎士はその名称通り二属性の使い手。
浮遊や転移といった魔法は使えないことも知られていた。
「緊急の場合は迎えが来ます。来て欲しくはないのですが」
「ここまで迎えに来るほどであれば確かに緊急でしょう」
「スカイもお茶を飲みませんか? 立ち話もなんですし」
「そうですね」
スカイが空いた席に座ろうとした。
「そこはルフの席です。ヴェラの席に座ってください」
「席に決まりが?」
「四人の時はいつも同じ席でした。任意ですが、いずれルフが来るかもしれません」
「もう一人いるのですね。女性のようですが、今はいないのですか?」
「王都で勤務中です。私と同じく休みになるとここへ来ます。多忙だと来たくても来れません」
「なるほど」
「王都ではゆっくりしにくいですよね。私も療養中ですし、ゼノン様もしっかりたっぷり休養してください!」
スノウはにっこりと笑うと、カップを取りにキッチンへ向かった。
食堂に残ったのはゼノンとスカイ。
「率直に尋ねます。監視ですか?」
「そうです」
ゼノンは隠しても無駄だと思っていた。
「スノウとルフに迷惑をかけないかを確認します。二人はとても善良です。その優しさにつけ込んで欲しくありません。聖騎士としてだけでなく、二人の友人として強くそう思っています」
「友人であれば当然の懸念です」
スカイはゼノンが正直に答えたことに驚いていた。
監視任務であれば極秘に決まっている。他国の王族ならば余計に。
それでも明かしたのは明確な牽制に他ならない。
ゼノンが友人としてスノウとルフの二人を心配し、守ろうとしていることがよくわかった。
「私達も二人に迷惑をかけないようにしたいとは思っています。実を言うと、アヴァロスに滞在するためのホテルは確保していました。ですが、街中ではワイバーンが落ち着きません。檻に入れるのも可哀想なので、こちらにした次第です」
「断られたらホテルに行くつもりだったのですか?」
「そうです。ですが、スノウのおかげでこちらに滞在できました。人目を気にしないでいいのは私達にとってもワイバーンにとっても重要です」
自国は何かと騒がしく、すぐに執務や問題が舞い込んでくる。
弟の病気が治ったこともあり、スノウにお礼を伝えた後は一家揃ってアヴァロス滞在を楽しむつもりだった。
「父は仕事も兼ねているのですが、しばらくは時間がありそうです」
アヴァロス国王との非公式会談だ。
ドラッヘン国王は宰相抜きでの会談を希望している。
ジークフリードから話を聞いた国王はすぐに宰相と相談した。
宰相は激怒。あり得ないと主張。
とはいえ、ドラッヘンから会談の申し出があったこと自体は悪くない。
どうするかを話し合っているが、時間がかかりそうだということをゼノンはジークフリードから聞いていた。
「ここには何もありませんが、どのように過ごすつもりですか?」
「何もしないというのも一つの方法です。騎士達は忙しいでしょう。修道院の修復作業や農作業をします」
働くのは同行する騎士の役目。王家一家は自由行動だ。
「なるほど」
「まあ、私にはレオの面倒を見る役目があるのですが」
「両親のどちらかが担当することは?」
「ほぼありません。両親や兄弟でペアを組むと決まっているのです」
「そうですか」
「すみません。お待たせして」
スノウが戻って来た。
「加速魔法を使った方が良かったでしょうか?」
「いいえ。ここはゆっくり過ごすべき場所です。スノウも療養中ではありませんか」
「そう言っていただけるとありがたいです」
スノウはスカイにお茶を差し出した。
「ルフがいないのでお菓子がなくて……すみません」
「気を遣う必要はありません」
ゼノンは魔法の巾着から箱を一つ取り出した。
「チョコレートです。よろしければどうぞ」
「大丈夫です」
「私もいただいていいですか?」
「勿論です。今回の土産なので」
「嬉しいです。実はチョコレートが切れてしまって……」
黒鳥カップケーキを作るために使ってしまったとも言う。
「明日王都で買いたいとルフが言ってました。いつものチョコレートが売っているお店がどこにあるのか教えて貰えませんか?」
「その必要はありません。そろそろ切れるかもしれないと思い、買ってきました」
「いつもすみません」
「スノウ! 今帰った!」
ルフが戻って来た。
「おかえり、ゼノン。やっと帰って来てくれた」
ゼノンは内心驚いていた。
ここに帰るのを待っていてくれた。それがわかる一言。
嬉しい。とても。
だが、見た目の平静さは保った。
「ただいま帰りました。チョコレートを買ってきました」
「ありがとう。チョコレートアイスがほとんどない。明日、王都に行った時に沢山チョコレートを買いたいと思っている」
「大丈夫です」
ゼノンは魔法の巾着から大きな箱を取り出した。
「もしかして、チョコレートが入っているのか?」
「そうです」
箱は一つではなかった。
全部で十箱。
「小さい箱で百あります。ミルクやビターなど各種類を揃えました。これでチョコレートアイスを作ってください」
「凄いな。だが、バニラエッセンスも買わないと」
「あります」
今度は袋。バニラエッセンスの瓶がいくつも入っていた。
「いつもすまない。というか、今回は多いな?」
「客がいると聞いたので。私も一週間ほど休養する予定です」
実を言えば、手土産代は全て経費でジークフリード持ち。
遠慮なく大量に買い込んだ。
「砂糖と塩、胡椒などのスパイス、肉、野菜、果物。適当に色々と買って来ました。冷蔵庫や冷凍庫に空きはありますか?」
「多そうだな。一緒に来てくれるか?」
「勿論です。では、失礼します」
ルフは土産のチョコレートとバニラエッセンスを魔力で浮かばせ歩いていく。
ゼノンもそれに続いて退出した。
「スノウ」
スカイは二人が出て行くとスノウを見つめた。
「何ですか?」
「もしかして、雷氷の聖騎士はアイスクリームが好きなのですか?」
大量のチョコレートとバニラエッセンスからの推測。
「氷使いですから」
納得の答えだった。




