159 回復優先
スノウは目覚めた。
ここは……。
自分の部屋。
だが、神殿の自室ではない。オクルス修道院の。
……帰って来た。
胸に込み上げるのは幸福感と達成感。
一人で神殿を抜け出し、オクルスに戻ることができた。
ヴェラに転移魔法で送って貰ったが、その後はずっと一人。
いや、途中で旅の道連れがいた。
沢山の人に助けて貰った。
そのおかげだ。
この旅は一生ものだった。
もし次があるとすれば、もっと念入りにルートを調べ、間違えないようにしたい。
同じような状況にならないようにもしたい。
スノウは視線を横に移した。
ルフが椅子に座っているが、上半身はベッドにもたれかかって寝ていた。
まるで一晩中看病されていたかのように見える。
スノウが一人でオクルスまで来たため、心配だったのかもしれない。
それとも……寂しかった?
ルフは離れたくないと言ってくれた。
ずっと離ればなれだったことを、スノウと同じように辛いと感じていた。
もう大丈夫。一緒にいるから。
スノウは嬉しくて仕方がない。
眠っているルフの寝顔がよく見えるように覗き込んだ。
まつげが長い。鼻の高さも口の形も整っている。
綺麗な寝顔だと感じた。
ルフの側にいて、その無防備な寝顔を眺める時間をスノウは楽しんだ。
「ああっ!」
しばらくすると、ルフが飛び起きた。
「スノウ……大丈夫か?」
スノウの寝顔を見ていたら眠くなり、そのまま寝てしまった。
「大丈夫です。足が痛いですけれど、筋肉痛です」
「違う」
ルフはきっぱりと否定した。
「歩き過ぎだ。回復薬を飲んだ方がいい」
ルフは魔法の巾着から魔法薬を取り出した。
「これを飲めばすぐに良くなる」
非常に高価だが、効果も高い魔法薬だった。
「それは緊急用です。勿体ないのでいりません」
スノウは飲みたくなかった。
効果の高い魔法薬は非常に苦い。
自然に回復するのを待てばいいと思った。
「駄目だ。ずっと歩けなかったら……抱き上げればいいか」
ルフはやっぱりいいとばかりに魔法薬をしまおうとした。
「飲みます! ください!」
抱き上げられて移動するのは恥ずかしい。
スノウは慌てて薬を欲しがった。
「やっとです!」
念願のルフの食事を味わえる。
夕食を食べずに寝てしまったせいで、スノウはお腹がペコペコだった。
「沢山食べてくれ」
「はい!」
スノウは大好物のグラタンを真っ先に選び、大きな一口を味わった。
美味しい!!!!!
至福の時間。
だが、勢い良かったのは最初だけだった。
グラタンを食べ終わると、スノウのフォークは動きを止めた。
「……どうした?」
「お腹がいっぱいです」
胸も。
感動があまりにも大きかった。
「色々作ってくれたのに余ってしまいますね。お昼ご飯に回してください」
「大丈夫だ。気にしなくていい。お茶はいるか? コーヒーの方がいいか?」
「コーヒーにします。久しぶりなので」
ずっと水かお茶だった。
北へ行くほど町の様子も物資も食事も変わった。
王都には何でもある。珍しいものも貴重なものも。
魔法文明の恩恵を得られているのはほんの一部の人々だけ。アヴァロス全ての人々ではないのだと感じた。
王都の者はそれを可哀想だとか、仕方がないなどと思うだろう。
だが、それは一方的に比較するからこその価値観でしかない。
その土地に根付いた暮らしに満足している人々が多くいる。
遠くから運ばれた珍しい品がなくても、地元で作られた新鮮な食材で溢れた市場は盛況だった。
アマデウス地方州は特にその傾向が強い。珍しいものは逆に嫌がるのだ。
伝統的。保守的。
魔法を使えない人々ばかり。
自然と大地の恵みが豊かな土壌に作物を植え、木を伐り出し、狩猟や牧畜、様々な手段を使って生きている。
それが当たり前。もしくは、とても立派なことだ。
魔法がなくても人は生きていけるということを体現しているのだから。
「熱いから気を付けて欲しい」
「ありがとう」
深いコーヒーの香り。
これもまた幸せの一つだとスノウは思った。
「ゆっくり味わってくれ。俺は腹ペコだ。たっぷり食べる」
ルフはそう言うとモリモリ食事を食べ始めた。
「無理に食べなくてもいいですよ?」
「いや、本当に沢山食べたい。昼食は何がいい? 何でもいくらでも好きなものを作る」
「何でも?」
「何でも」
「クッキーが食べたいです」
スノウのリクエストはお菓子だった。
「焼いて持って来ると聞いたのに、食べられなくて残念でした」
「魔力回復のか?」
「普通のクッキーでいいですけれど、魔力回復クッキーの方はどうなりましたか? 前よりもいいものができましたか?」
「チョコチップを混ぜてみた」
薬草を混ぜ込んだチョコチップを作り、それをクッキーの生地に混ぜる。
元々ほろ苦いチョコだと思って慣れれば気にならなくなるかもしれない。
「ただ、手間をかけた割に効果はほとんど変わらない気がする。微々たる差だろう。薬草の栽培方法を変えた方がいい気がする」
ローイは新しく作る薬草園で薬草を作り、他の地域で作られた薬草よりも良いものができないかを試したがっていた。
そうすれば魔法薬の味も自ずと改善するのではないかと考えている。
「オクルスは大地の恵みが豊かだ。良い薬草ができるかもしれない」
「そうですね。ぜひ、試しましょう。私も手伝いますから!」
スノウが一緒にいてくれれば、どんなことでもできそうな気がする。
ルフは嬉しくて幸せで仕方がなかった。
「きっとスノウがいれば大丈夫だ」
「でも、水やり位しか……」
スノウはしょんぼりと肩を落とした。
「大丈夫だ。ワイアットの術式を参考にしながら、魔法文字を刻む練習もしている。スイッチだけで水やりができるような魔導管を作ろうと思っている」
「そんな凄いものを!」
「王都にある貴族の屋敷には普通にあるらしい」
「そうでしたか。知りませんでした」
王都生まれ王都育ちのスノウだが、知らないことはまだまだ多い。
「神殿の庭園にもあるらしいが?」
「えっ?」
知らなかった。全然。
「水やり当番がスイッチを入れると聞いた」
「水やり当番なら知っています! 名称だけですが」
スノウは免除されていた奉仕活動だった。
「神殿は結界があるせいで建物が綺麗に保てるが、雨が降らない。水やりをしないと緑地が枯れてしまう。水属性の魔力を合わせ持つ者が水溜め当番をするらしいな?」
魔法で水を作ってタンクに溜め込む。
それを水やりに使う。
「何だか勿体ないな。雨が降るのに、わざわざ水を作るなんて」
「それです!」
スノウは思いついた。
「神殿の結界をなくしましょう! そうすれば、かなりの負担がなくなるはずです!」
神殿の広大な敷地には結界が張られている。
結界維持にかかる魔力は莫大で、相当な負担になっている。
魔石の購入代を削減できれば、予算をもっと別のことに使えるはずだとスノウは思った。
「あ、でも、温度調整ができなくなってしまいますね」
夏は暑く、冬は寒くなる。
「大反対されそうだ」
「そうですね。でも、補充石を作る奉仕活動も減りますし、皆の負担も減ります!」
結界部門に相談しようとスノウは思った。
より小さい結界にして、重要な場所だけに絞るだけでもいい。
一つの大きな結界ではなく、複数の小さな結界に分ければいいかもしれない。
必要のある時だけ結界を張り、常時は起動しないようにする。そうすれば、魔石の消費率が減る。
緑地については結界なし。
自然の雨や風を感じられ、水やりをしなくてもいいようにする。
「良い案が続々です!」
「明日、神殿に戻るか?」
ルフが尋ねた。
「俺が送っていく。但し、日帰りだ。向こうに泊まるといつ帰れるかわからない。それは困る。作物を植えているだけに面倒を見ないといけないし、暖かい季節の冷凍庫管理は厳重にしないとだからな」
「神殿には行きたくありません」
スノウは本音を打ち明けた。
「頑張れば皆が喜んでくれるし、結果を出せば療養も許してくれると思いました。でも、そうではありませんでした」
スノウは自分がいる間に新しい体制にしたいと思った。
高位者は祈るだけ。上位者は命令するだけ。下位の者は奉仕活動をするだけ。修練生は勉強するだけ。そのような状況を変えたかった。
全員の力を合わせ、神職者を含めた全ての人々のための神殿運営をしていく。
そうすることで、本当に全ての人々とその未来を守りたかった。
だが、神殿も神職者達もスノウに頼り切りだ。
スノウがいなければ何もできないということでは困る。
なぜなら、スノウがいるのは恩義期間だけ。いずれ出てくことが決定している。
だというのに、神殿はスノウからオクルス修道院長の任を解き、王都に縛りつけたいと思っていた。
それが神職者の立場への縛り付けに変わるかもしれない。
スノウが返上したのは治癒の聖女の称号だけではない。
神殿に隷属する自分もまた返上した。
これからは自分の力で手に入れた魔法医の称号を名乗り、自分らしく生きたかった。
「神殿にいる全員が引き留めても、恩義期間が終わったら私は神殿を出ます。一生を神と奉仕活動に捧げるつもりはありません。ルフと結婚してオクルスで幸せになります」
スノウは宣言した。
神殿総監として励んでいたとしても、自分の気持ちは変わっていないことをわかって欲しいと思った。
「必ず幸せにする」
ルフもまた宣言した。
「だが、恩義期間が終わるのはまだ先だ。スノウを必要としている人々がいるのも事実だろう? オクルスで療養しながら、週に一度だけ通勤したらどうだろうか? 俺が送迎する」
ルフはユージンからスノウの考えを聞いた。
オクルスに帰り、その後は時々だけ戻るような通勤形式にしたい。
そうすれば神殿総監とオクルス修道院長を兼ねることも、その務めと療養を兼ねることができるという内容だった。
「でも、許可をくれるかどうか……」
スノウはうつむいた。
「勝手に神殿を抜け出すのは違反です。処罰されると思います。もしかしたら、恩義期間の短縮がなくなってしまうかもしれません」
「それはない」
ルフは答えた。
「恩義期間の短縮は従軍及び治癒の聖女として積み重ねてきた功績への褒賞だ。この決定には国王も関わっている。神殿が勝手に取り上げることはできない。ジークも大反対する。魔法騎士団も魔法兵団も同じだ。スノウの力になってくれる」
ジークフリードから聞いていた。
今回のことは公にならない。恩義期間の短縮の取り消しも絶対に阻止すると言ってくれた。
「でも、神殿においては重大な違反なのです。重い処罰をしないわけがありません」
「そんなことはない」
ルフは答えた。
マヌエラからも情報提供があった。
「転移士はしょっちゅう抜け出していると聞いた」
しょっちゅうかどうかはともかく、無断で抜け出しているのはスノウも知っている。
転移魔法の修練だと言えば許されてしまうため、狡いとも言われている。
「スノウも修練のために神殿を出たと言えばいい」
「修練というよりも試練でした。予想外のことばかりで」
「いかにオクルスが遠いかわかったんじゃないか? 本当に無事でよかった」
「ごめんなさい。心配をかけて。聖騎士が来ましたよね?」
「……来た。スノウが戻っていないかどうかを尋ねられた」
「ですよね。ここに確認しに来ないわけがありません」
スノウは変だと思っていた。
オクルスにルフしかいないことが。
神殿からの脱走者を捕まえることも聖騎士団や神殿騎士団の役目だけに、誰かがいるだろうと思っていた。
「なぜ、聖騎士がいないのですか? 私を探していたんですよね? 捕まえようとしていたはずです。ここに張り込んで探索魔法を使っていれば、いずれ結界を外した時に引っかかると思わなかったのでしょうか?」
ルフは答えにくかった。
「修道院に滞在している人がいると聞いたのに、その人もいませんね? もう帰ったのですか?」
嘘はつきたくない。スノウには。
ルフは全てを話した。洗いざらいだ。
本当は他にも人がいた。探索もされていた。
だが、見つからない。
そこで帰国早々ゴードンが探索の指揮を執り、オースの近くにいるスノウを発見した。
取りあえずは無事であることを確認し、全員転移魔法で帰った。
覚悟をして神殿を抜け出した以上、最後まで自分の力でやり遂げるべきだということになったことも教えた。
「……すまない。迎えに行かなくて怒ったか?」
「いいえ」
スノウは答えた。
「心から感謝しています」
誰かが迎えに来ても、スノウは断っていた。
自分の力でオクルスに行きたかった。
どれほど苦しくても。
オースの町に一泊したことにも意味があった。
スノウやルフを心から心配し、困った時には手を差し伸べてくれるとわかった。
安心して交流していくことができる。
「私が一人でオクルスに来ることができると信じてくれた証拠です。その甲斐がありました。今回の一人旅は神殿の外を良く知らない私にとって大きな挑戦でした。でも、無事やり遂げることができました。一生に一度あるかないかの貴重な経験です」
ルフは深々と頭を下げた。
「本当にすまない。俺が全部悪い。心から謝罪する。許して欲しい」
「ルフは謝る必要なんかありません。忙しかっただけです。神殿を抜け出したのは私の意志ですから」
待つこともできた。
ルフや協力してくれる転移士と会えるまで。
だが、そうしなかったのはスノウの判断。
「謝るのは私の方です。ヴェラにも迷惑をかけてしまいました」
疲れていることもわかっていたが、協力を頼んだ。
転移魔法も断れなかった。
「大親友だろう? 大丈夫だ」
「でも、心配をかけたに決まっています。服もお金も借りてしまいましたし、魔法薬だって弁償しないと」
「二人で謝りに行こう。迷惑をかけた人々へ」
「そうですね。数日後に」
数日後?
「明日じゃなくていいのか?」
「まずは心と体をしっかり回復するのが優先です」
ボロボロの心身で謝罪するのは無理を重ねるだけ。
誰に謝罪するのかを考え、リストにした方がいいとスノウは伝えた。
「なるほど。さすが優秀な神殿総監だ」
「ゴードン様が戻られたということは、使節団も帰っています。ジークフリード様も忙しいと思うので、少し落ち着いてからでもいいと思います」
「そうだな」
「二人でゆっくり過ごしたいです。そのためにここまで来ました」
「絶対にそうしよう」
スノウとルフは約束した。




