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聖女からの大降格  作者: 美雪
第三章 王都事件編

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015 王太子来訪



 スノウは刺繍をしていた。


 裁縫も刺繍もしたことはなかったが、教えられた通り丁寧に作業をすればよかった。


 初めて作った刺しゅう入りのハンカチを見たルフは驚き、すぐ売り物にできると判断した。


 だが、勿体ないほどの出来栄えだと惜しがったため、ハンカチはルフへのお礼ということで贈ることにした。


 今後はより複雑な柄や文字を入れた刺繍品を作ってみることにもなった。


 オクルス修道院の物はほとんどない。


 それは修道女達が生活費を捻出するために売ってしまったからだった。


 古くからあるもので唯一残っているのは、最後の一人だった高齢者の修道女が手放そうとしなかった刺繍の図案書だけ。


 オクルス修道院の修道女もルフもその図案書を見て、描かれた図案の一部を刺繍した品を作り売って来た。


 最後の一人だった高齢の修道女は図案書を受け継ぐ者がいないことから、甲斐甲斐しく無償で面倒を見てくれたルフにお礼として図案書を遺贈した。


 スノウも図案書を参考にした方がいいと言われ、まずはオクルス修道院のしるしを刺繍することになった。





 チリンチリン。


 涼やかな鈴の音が響いた。


 転移魔法用の玄関である中庭にある呼び鈴だ。


「スノウ!」


 ヴェラだった。


「いらっしゃい。一人ですか?」

「新しい本を持ってきたわ」

「ありがとうございます!」

「それと王都で話題沸騰のチョコレート。明日のお茶の時間用よ」

「重ね重ねすみません」

「気にしなくていいって言っているでしょう? どうせ貰い物だから」


 ヴェラは仕事だけでなくプライベートでも転移魔法を頼まれることがある。


 その際に謝礼金を対価にすると問題行為になってしまうため、ちょっとしたお礼の気持ちとして菓子や小物を貰っていた。


「せっかく二人で熱々に過ごしているのを邪魔してるわけだし」

「誤解を招く発言は駄目です。ルフは礼儀正しいですし、私は修道女。貞潔さを重んじる身です」


 固いわ。カチカチね!


 ヴェラは思った。


 神殿にいる者は貞潔さを求められるが、恋愛禁止ではない。


 結婚したいのであれば、神殿や神職を離れてからというだけだ。


「神殿を出られたらいいのに」

「無理です。私はまだ恩義を返せていません」


 ゼノンに頼んで調べて貰った。


 スノウは三歳の時に神殿に引き取られ、十五歳で聖女という特別な神職者になった。


 恩義を返すための期間は最低でも十二年。


 現在は三年分の恩義を返した状態。残りは九年分。


「期間を短縮できればいいのに」


 多額の寄付と引き換えに期間を短縮して貰う者は多い。


 だが、スノウは元聖女。


 極めて重要な神職者だっただけに、神殿は金銭との引き換えによる期間短縮を認めなかった。


「その話はやめましょう。どうしようもありません」

「そうね。伝言よ。夜じゃなくて夕方に来るって」

「王太子殿下ですよね?」


 スノウがどんな生活をしているのかは王太子の耳にも入っているが、一度自分の目で確認すると言い出した。


 世話人として共同生活を送るルフのことも確認したがっている。


「泊まれないから早く来るって」

「護衛も来ますよね? 何人か聞いてなくて」

「二人よ」


 王太子の護衛は最低でも常時二人。お忍びであってもよほどのことがなければ同行する。


 逆に考えると、護衛が王宮にいれば王太子も王宮にいるということになる。


 そこで、転移魔法で王太子を送り届け、修道院周辺の安全を確認した後、護衛は一旦王宮に戻ることになった。


「お忍び外出を知られないための作戦よ。護衛の夕食はいらないわ」

「作戦だなんて。何だか大変そうですね」

「スノウは気にしなくていいから。それよりも、お茶のセットを持って来て。女性同士の話をするから」

「わかりました」


 スノウはキッチンに行くとヤカンに水と少量の茶葉を入れ、自分とヴェラのマイカップを戸棚から取り出した。


 それを持って二階へ行く途中、ルフから声をかけられた。


「ヴェラか?」


 スノウが持つカップを見れば誰が来たのか一目瞭然だった。


「本とチョコレートを持って来てくれました」

「そうか」

「王太子殿下は泊まれないので夕方に来るそうです。護衛は二人。夕食はいらないそうです」

「そうなのか」


 護衛の人数と夕食を取るかどうかがわからなかったため、ルフは多めに夕食を準備していた。


「余ってしまいそうですね」

「冷凍保存ができるから大丈夫だ」

「なんだか嬉しそうですね」

「どんな剣か楽しみだ。ゼノンと話をするのも」


 ルフはすっかり魔法剣の虜で、ゼノンが来ると二人で話し込んでいる。


 王太子が来ると聞いた時は迷惑そうな顔をしたが、王家所有の特別な剣を見せて貰えると聞いた途端、歓迎へと豹変した。


 良かった……ルフとゼノン様が仲良くなれて。


 ルフはずっと一人だった。友人もいなかった。


 だからこそ、年齢が近いゼノンと共通の趣味である魔法剣について話せるのが嬉しくて仕方がないのだろうとスノウは思っていた。


「お湯にするか?」

「あ、そうですね」


 スノウはお湯を沸かせない。いつもお茶は水出しだった。


 ルフはヤカンに手を当て、中に入っている水を温めた。


「これでいい。火傷しないよう注意してくれ」

「ありがとうございます。じゃあ、ヴェラの部屋にいますから」


 嬉しそうなスノウの後ろ姿を、ルフは優しい眼差しで見送った。


 すでにスノウにまつわる事情は詳しく知っている。


 ゼノンから聞いた。


 支えて欲しいと言われている。


 そのつもりではいるが、ルフは男性だ。


 女性であるヴェラが何かと気にかけてくれるのも、度々泊りに来てくれるのもありがたいと思っていた。





 夕方。


 護衛の一人ノールドの転移陣で到着した王太子は修道院を見上げ、あんぐりと口を開けた。


「何だこれはっ!!!」


 座標は修道院の正式な玄関。ボロボロの礼拝堂前。


 雑草が生い茂る場所だった。


「どう見ても廃墟だぞ!」

「スノウがここへ来た時と同じ外観です」


 ゼノンが冷静に答えた。


「修繕していないのか? 全く?」

「生活空間を優先しています。畑や森の仕事もあるので、手が回らないとか」


 但し、誰もいないと見せかけるには丁度いい。


 防犯面も考慮し、手を入れていないことが説明された。


「確かにこの状態では誰も来ないか」

「神殿はこの状態を知っているのですか?」


 護衛の一人オリバーが尋ねた。


「私から報告しました。ですが、元々の支給金が多いので、修繕費分を増額することはできないようです。現地に任せるという判断になりました」


 冷たいようだが、それが通常対応。


 神殿管理下の修道院は基本的に独立採算で運営されている。


 いちいち修繕費や支援金を出すようなことはしない。


 元々神殿と修道院は別のもの。


 敬虔な信者が集まって共同生活を送るのが修道院。


 神の威光を知らしめる活動を行い、冠婚葬祭の儀式等を取り仕切るのが神殿。


 ただ、地方によっては神殿やその拠点がない場合もある。


 そこで敬虔な信者が集まる修道院がその代わりを務めたいと申し出て、神殿の管理下に入る。


 そうすれば修道院は神殿の庇護を受けられる。


 神殿の承認を受けた者が信仰活動や冠婚葬祭の儀式等を正式に行うことができるようになる。


 また、宗教的迫害を避け、神職関係者として国民の義務である徴兵や納税を免除される。


「建物が大きい。修繕費は相当だろう」

「新築の方が安上がりかもしれません」

「ここにいても仕方がありません。中へ」


 ゼノンの先導で一行は雑草をかき分けて進んだ。


 礼拝堂もボロい。天井にぽっかりと穴が空いていた。


 床は石材だが、礼拝に使用する椅子もなければ祭壇もない。


 神の像もない。


「どの神を祀っているのかさえわからない。というか、修道院にさえ見えない」


 村の共同集会所のような場所。そう考えてもおかしくない。


 地方にはよくあることで、修道院が寄付を募る際、礼拝堂などのパブリックスペースを村の集まりに利用できるよう約束をすることもある。


「完全に見捨てられた感がします」

「言うな」


 まるでスノウのことを言っているようだと感じ、ジークフリードは顔をしかめた。


 オリバーもすぐにそれを察し、口をつぐむ。


 だが、最奥にある中庭まで来ると、景色も印象も変わった。


「別世界だ……」


 色とりどりの花が咲き乱れ、ハーブの香りが漂ってくる。


 建物の古さはあるが、きちんと手入れされていた。


 転移魔法で来るだけに中庭に現れると思っていたスノウとヴェラがベンチから立ち上がった。


 ルフはベンチの隣に立っていた。


「向こうから来たのか」

「最初は玄関からっていうのがマナーだからじゃない?」


 中庭は生活空間へ直接入るための玄関。いわゆる通用口。


 修道院の正式な玄関口ではない。


「お久しぶりでございます、王太子殿下。ようこそオクルスの修道院へ」


 スノウは頭と腰を深く落として一礼した。


「ようやく会えた。元気か?」

「はい。過分なご配慮をいただきありがとうございます」


 スノウは気づいていた。


 ゼノンやヴェラが来るのは単に二人だけの意志ではない。王太子の配慮だと。


 二人は多忙。しかも、王宮と神殿で職場が違う。


 ほぼ一緒に行動していることを考えれば、背後に王太子の助力があると考えるのは簡単だった。


「想像を絶する外観だった。建て直したいか?」

「礼拝堂を修繕するつもりはないので大丈夫です」

「雑草も凄かった」

「取ってもすぐにまた伸びます。修道院へ来る者もほとんどいませんので、余計なことはしません」

「なるほど。で、そっちがルフか?」

「ルフです。お会いできて光栄です」


 ルフは事前に教えられた通り、片膝をついて挨拶をした。


「今回は忍んできた。ただのジークでいい。言葉遣いも普段のままで構わない。早速だが、護衛がいる内に中を視察したい。パブリックスペースだけでも見せてくれるか?」

「ご案内いたします」


 院長であるスノウの案内でジークフリードは談話室、食堂、キッチン、そしてルフの部屋と男性用の客間を順番に案内した。


「生活空間はまともだ」


 必要なものはある。


 最低限の家具しかないが、装飾があるせいで高級感があり、ゆとりある生活をしているように見えた。


「二階は女性用の部屋になっています」


 まずはヴェラの部屋と化している女性用の客間。


「ヴェラの避難部屋です」

「趣味がにじみ出ている」


 飾ってある小物が多い。ぬいぐるみも大量にあった。


「ここは私の部屋です」


 部屋全体に白いモールディングが施されている。


 上品で美しい雰囲気だ。


 だが、小物がない。非常にさっぱりとしている。


 それがまたスノウらしいとジークフリードは思った。


「最初はボロボロだったのですが、ルフが綺麗に修繕してくれました」


 スノウは普通に住めればいいと思った。


 だが、ルフは利便性の高い場所に生活拠点を移すことにした。


 その際、ルフはスノウが神殿でどんな生活をしていたのか、どんな部屋だったのかを尋ね、できるだけ同じような部屋になるよう作ってくれた。


「何でもできると聞いた。有能な召使いを派遣しないと生活できないのではないかと思っていた。適任者がいて良かった」

「ルフには報酬を払っていますし、仕事をして貰っています。でも、私は家族だと思っています」


 スノウの言葉にジークフリードは驚いた。


「家族だと?」

「私もルフも孤児だったので、家族のような存在がいると嬉しいですし、心強いと感じます」

「ふむ」

「それにここは修道院です。修道院に住む者は全員が家族のように助け合って生活すると聞きました。今日はジーク様も家族です。できるだけのおもてなしをさせていただきたいと思っています」


 スノウが言うところの家族は、互いに強く信頼し合える大切な存在の意味だろうとジークフリードは感じた。


「そうか。楽しみだ。食事が美味だと聞いた」

「お料理はルフの担当です。私は配膳準備の担当です」

「役割分担か」

「ジーク様の担当も決めてあります」

「どのような担当だ?」

「乾杯担当です」

「任せておけ!」


 ジークフリードは快諾した。


「視察は終わりだ。戻れ」

「時間厳守でお願いいたします」


 ノールドとオリバーは一礼すると、転移魔法で帰った。


「あの二人は騎士なのか? それとも魔導士なのか?」


 ルフは手際よく転移魔法で帰った護衛のことが気になった。


「魔法騎士です」

「王太子直属よ」


 王家を守るのが魔法騎士団。


 国を守るのが魔法兵団。


 高位の神職者を守るのが聖騎士団。


 神殿を守るのが神殿騎士団。


「有名なのはこの四つね」


 ヴェラが簡単に説明した。


「色々あるんだな」

「ゼノン、魔法剣だけじゃなくて王都の一般常識も教えてあげなさいよ」


 ヴェラがチクリと指摘した。



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