013 小さな聖女 (過去話)
今回は過去のお話になります。
スノウ十二歳。ゼノン十五歳位。ジークフリード二十二歳位。
晴れ渡る空はどこまでも青い。
暖かい日差し。心地よい風。
「限界……」
スノウは押し寄せる強い眠気に抗えず、目を閉じた。
「突然、来られても困ります」
「そう言うな。ちょっとだけだ」
神殿の中を歩くのはアヴァロスの王太子ジークフリード。
案内人はゼノン。
少し離れた位置からジークフリードの護衛騎士が二人ついてくる。
「別に声をかけるつもりもない」
「当然です」
ジークフリードが神殿へ来たのは、極めて優秀な治癒士の話を聞いたからだ。
弱冠十二歳にして驚愕するほどの治癒能力を持っているという。
だが、神殿が優秀な者を育てていることをアピールするのはいつものこと。
誇張されていることも多く、ジークフリードは話半分に聞くのが常だった。
しかし、今度こそは本物。
聖女の称号を得られるかもしれない。
いずれは古の大聖女のように身体欠損や失明まで治癒することができそうだと聞けば、より疑いが増す一方で興味も出る。
取りあえずは実在していることの確認を含め、ジークフリードは本人に会ってみることにした。
だが、神殿は勉強中、もっと能力が向上してからだといって会わせてくれない。
じらし作戦もいつものこと。
忙しいジークフリードは何の事前予告もすることなく神殿に乗り込み、公爵家の跡継ぎで魔法学校から騎士の実習に来ているゼノンに面会した。
聖女候補の少女に会わせろと言われたゼノンは最悪だと思った。
自分は神殿の者ではない。魔法学校の学生で、騎士の実習に来ているだけの立場だ。
問題を起こしたくない。違反もしたくない。
だが、王太子に詰め寄られれば断れない。
そこでジークフリードが立ち入ることができる場所を回りながらスノウを探すことにした。
「王太子殿下!」
走ってくるのは顔見知りの神官ゴードンだ。
神殿内を王太子がウロウロしていたという目撃情報を知らされ、慌てて来たのは言うまでもない。
「困ります! 事前に連絡をするよう伝えているはずですが?」
「面倒臭い」
「そのような理由は通りません! さっさと王宮に帰ってください」
王太子担当だけに対応も慣れたもの。遠慮もない。
「もう少し散歩させろ」
「神殿は散歩コースではありません」
「色々と疲れている。癒しの空間で一息つきたい」
ゴードンはため息をついた。
その表情を見れば折れたのがわかる。
「少しだけですよ?」
「少しだけだ」
話はついた。
様子を伺っていたゼノンが歩き出す。
「どこに行くのですか?」
「中庭に」
それならいいと思ったゴードンだったが、ゼノンが向かったのは予想外の中庭だった。
通称、昼寝の中庭。
噴水も美しい彫刻もない。芝生の上にベンチがあるだけ。
平凡で退屈な風景だが、とにかく静か。
ベンチで昼寝をするのに丁度良い場所として知られていた。
とはいえ、昼寝をしてはいけない。
神殿の者は勤勉でなければならず、サボりは厳禁。
時々、誰かが昼寝をしていないかの見回りもあるほどだ。
「いました」
ゼノンは少し離れた場所からジークフリードに教えた。
「よくわかるな?」
「あの中庭で読書しているのはスノウだけです。監視係なので」
スノウは治癒魔法の使い手として特化の教育を受けてており、魔力を回復するための休憩を取る。
その場所が昼寝の中庭で、ついでに他の者が昼寝に来ないか見張るように言われている。
「遠すぎる」
「近寄れば声をかけることになります。声はかけないということでした」
「やっぱりかけよう」
ゼノンがゴードンを見ると肩を竦められた。
「止めて聞くようならここまで来ません」
確かに。
ゼノンは納得した。
「素性は隠したい。どちらか挨拶程度に声をかけろ。見ている」
「ゼノン」
押し付けられたゼノンは抗議の視線をゴードンに向けつつも、仕方がないとして歩き出した。
「護衛は離してください。物々しいので」
「離れてろ」
見通しがいい場所だけに大丈夫だろうと判断し、護衛騎士達はかなりの距離を取った。
ジークフリードとゴードンもスノウの方へ歩き出した。
「スノウ」
ゼノンはベンチに座っているスノウに声をかけた。
だが、返事がない。
おや、と呟いたのはゴードン。
「スノウ、呼ばれています。返事をしなさい」
スノウは集中すると周囲の声が聞こえなくなる。
読書に夢中なのだろうとゴードンは思った。
ところが。
「スノウ!」
ゴードンは飛び上がりそうなほど驚いた。
スノウはうつむいた状態で目を閉じていた。
「寝ているな。さすがは昼寝の中庭だ」
ゴードンはジークフリードの嫌味を聞き流した。
「スノウ、どうしたのですか? 体調が悪いのですか? 疲れているのであればここではなく自室で休みなさい」
昼寝ではない。体調不良か疲労困憊のせいだ。
ゴードンはそう思った。
「スノウ」
ゴードンが体をゆすることでようやくスノウは目を覚ました。
その視線はぼんやりとしている。
まだ十二歳だけに子供らしいあどけなさがあった。
「……ゴードン様」
「大丈夫ですか? 具合が悪いのですか?」
スノウはハッとした。
「すみません。大丈夫です。ちょっと疲れてしまって」
「やはりそうでしたか。修練をすれば疲れるに決まっています」
仕方がない。
ゴードンはスノウを責めることなく、安心させるような表情をした。
ところが。
「いいお天気だったので眠くなってしまって。お昼寝をしてごめんなさい」
目が覚めたばかりのスノウは今の状況を理解していなかった。
「やはり昼寝か」
「違います。疲労です」
スノウは知らない男性がいることに気づいた。
「この方は?」
「外部の者です」
「もしかして、診察ですか?」
「いいえ、違います。ただの散歩です」
「神殿の見学者です」
ゼノンが当たり障りのない言葉に言い換えた。
「昼寝の中庭を見学できて良かった。名称に相応しい中庭だとわかった」
スノウは恥ずかしそうな表情になった。
「すみません。神殿の者は勤勉です。誰もお昼寝はしていません。私はそれを確認するためにいたのですが、ちょっと疲れてしまって」
「修練が大変なのです。かなりの魔力を消費します」
ゴードンが口添えした。
「どんな修練だ?」
「診察です」
スノウは治癒魔法をより適切に使えるよう体のどこが悪いのかを調べる訓練をしていた。
「確かにあれは疲れる」
「知っているのですか? もしかして光属性の魔力持ちですか?」
「そうだ。魔法医になるつもりはなかったが一応は習った。不調の原因がすぐにわかるからな」
自分で自分を診察すれば、病気であっても早期発見できる。
便利だと思い、ジーククリードはたしなみ程度に習っていた。
「大した能力はない。詳しい診察はできない。熱があるかどうかはわかるが」
「あの……診察しましょうか?」
おずおずとスノウは申し出た。
「別にいい。どこも悪くない」
「いいえ。診察しましょう。その代わり、ここでのことは内密にしてください」
「昼寝の事実を隠蔽する気だな?」
「健康診断を受けていないのでは? スノウの診察を受ければ、魔法医の診察を受けなくてすみます」
「せっかくだ。やって貰うか」
「では、ここに座ってください」
スノウはベンチの端に少しずれて座り直した。
「ちょっと変な感じがするかもしれません。でも、動かないようにお願いします」
「大丈夫だ。魔法医の診察を受けたことがある」
「では、大丈夫ですね」
スノウは診察を開始した。
両手をジークフリードに向かって突き出す。
目を閉じた後はそのまま。詠唱しない。
「詠唱なしか。子供だというのに」
「静かに」
スノウの口調はすでに大人のそれ、魔法医のようだった。
真剣な表情でもある。
診察は魔力を消費するのを知っているだけに、ジークフリードは黙っていた。
やがてスノウは手を下げ、深く息を吐いた。
疲れたといった感じだ。
魔力はともかく、十二歳では体力がない。かなりの集中力も必要だ。
軽く診察するだけで疲れるだろうとジークフリードは思った。
「どうですか? 我儘病でも見つかりましたか?」
ゴードンが軽口を叩いた後、
「悪癌種があります」
一気に空気が凍り付いた。
「どこですか?」
「頭です」
最悪な場所だった。
「頭だけをもう一度診察しても?」
「勿論です。すぐにしなさい」
「すみません。頭を下げて貰っても? 疲れているので立ちたくなくて」
ジークフリードの頭の上に手をかざすには立たなくてはならない。
だが、すでにスノウは立ちたくないほど疲れていた。
「わかった」
王太子が頭を下げるわけにはいかないなどとは言っていられない。
悪癌種であれば命に関わる最悪級の病気だ。
ジークフリードが頭を下げた。
まるでスノウに謝っているかのように。
「もっと下げてください」
ジークフリードはそれに従った。
遠くからその光景を見ていた護衛騎士は異変を感じて近づこうとするが、ゼノンがすぐに止まれというように手をかざし、誰にも見られないように側に立った。
ゴードンも同じくジークフリードの姿を隠すように立ち位置を変えた。
「あ……」
スノウは戸惑っていた。
「どうした?」
「つむじです」
一瞬の沈黙。
「つむじだと不味いのか?」
「つむじを指で触るとお腹を壊すと聞いたことがあって……お腹を壊したくないですよね?」
ジークフリードは笑った。
スノウの生真面目さと子供らしさを感じて。
「悪癌種は命に関わる。腹を壊す位どうということはない。遠慮なく触ってくれ」
「触りますね」
スノウはジークフリードのつむじに手を当て、その後に指でつついた。
「血管には届いていません。すぐに治癒すれば広がりません」
不幸中の幸いだった。
「治せるか?」
当然の質問だった。
「すぐに治しますか?」
「治しなさい。ですが、このことは絶対に秘密です」
スノウはわかったというように頷いた。
「治す前に質問です。貴方の魔力属性は光だけですか?」
「複数ある」
「どれですか? 強弱も教えてください」
「関係あるのか?」
「あります」
「極秘にしたいのだが……」
「一番強いのと二番目に強いのだけを教えてください」
「一番は光、二番は火だ」
「わかりました。だったら大丈夫だと思います。でも、ちょっとだけ痛いかもしれません」
「痛いのか」
「悪い所を攻撃するので」
「仕方がない」
「じゃあ、治療します」
スノウはジークフリードのつむじに指を当てた。
つむじを見つけたといっているようなポーズだ。
傍から見るとおかしい。
「……まだか?」
「静かに。狙っているので動かないでください」
ジークフリードは黙り込み、できるだけ動かないようにした。
「《消えろ》」
当然の一言。
同時にグッと指で押しただけ。
通常の治癒魔法ではない。オリジナルだ。
ジークフリードのつむじの辺りがチクッとした。
「治りました」
あまりにもあっけない。
本当に治ったのか疑わしい。
もしかすると悪癌種があるということ自体、嘘ではないのかと思えてしまうほどに。
「絶対か?」
「心配なら別の者の診察か精密検査を受けてください」
「お前が確認してくれないのか? それとも少し後の方がいいのか?」
「治ったので確認する必要はありません。それに魔力もありません。最上級の診察と精密検査をして治療もしたので」
「最上級の診察だったのか」
「私の能力での最上級です。お昼寝のことで神殿や勤勉な方々に迷惑をかけるわけにはいきません。全力を尽くしました」
「スノウの診察も検査も最上級です。国内トップクラスでしょう」
ゴードンが付け足した。
スノウはまだまだ勉強中。より成長させるためには煩わしい問題を避けなければならないと判断され、その実力は秘匿されていた。
「感謝する」
「秘密にしてくださいね」
「勿論だ」
王太子の頭部に悪癌種があったと知られれば大騒ぎになる。絶対に隠したい。
そもそも、スノウに会ったことも公にはしたくない。
「ちょっと聞いていいか?」
「何ですか?」
「狙うのは難しいのか?」
ジークフリードはすぐに魔法を使わなかったことが気になった。
「違う場所を攻撃したくなかったのです。私のせいで正常な場所に問題が出たら困ります」
「なるほど」
「それに下準備もあるので」
「下準備?」
「効果を上げるために私の魔力を流します」
「治療前に流すということか?」
「そうです」
スノウは治療をする際、必ず事前に患部へ自分の魔力を流してなじませる。
そうすることで治療への反発と抵抗を軽減させる。
痛みも少なくなるはずだと考えていた。
「すぐに治癒魔法をかけるよりもいいのか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「確認はできません。一人一人状態も痛みが違うので。でも、効果は上がっていると思いますし、痛みも少なくなると思います」
「どうしてそう思う?」
「魔力の消費が少ない気がするからです。それに魔法剣と同じです」
スノウは答えた。
「魔法剣?」
誰もが驚いた。
「魔法剣で攻撃するようなものということか?」
「魔法剣化の勝負をする時、事前に武器を自分の属性にしておくと有利ですよね? 属性変更への反発や抵抗が少なくなり、魔力が伝わりやすくなります。ゼノン様に聞きました」
「……そうだな」
ジークフリードはすぐに同じ理論だと理解した。
ゼノンもゴードンも。
だが、仮説だ。
それをスノウが言葉にする。
「魔法も同じだと思います。魔力なので」
ジークフリードの中には魔力がある。属性も。
スノウの魔力で行う治癒魔法に反発して抵抗すれば、治療魔法の効果が落ちる。痛みも増す。
それを抑えるため、治療をする前に患部へスノウの魔力をなじませておくというわけだ。
「貴方は光、その次が火です。私の魔力との相性は悪くないと思いました。痛みも少なかったと思いますし、予想していたよりも疲れなかったです。悪癌種がとても小さかったのもあります」
治療相手との相性が悪いと魔力を多く消費し、治療後に気を失ってしまうこともあることをスノウは説明した。
「気を失わない程度に抑えた方がいいのではないか?」
「中途半端にはしません。可能な限り一回で治します」
スノウの治療を受けることができる者は一握り。
だからこそ、治療をするのであれば、全力を尽くして一回で治したい。
そうすれば他の治癒士は別の者を治療できるため、結果的により多くの人々が治療して貰えるだろうとスノウは思っていた。
「治療行為を無駄にはできません。私の魔力は休めば回復しますので、気を失っても大丈夫です」
「そうか」
ジークフリードは感じた。
スノウの強さと優しさ。自己犠牲を厭わぬ信念と真心。愛だ。
悪癌種は本当にあった。嘘ではない。そう確信できた。
「ありがとう。心から感謝する」
言葉だけでは伝えきれないと感じ、ジークフリードはスノウを抱きしめた。
「命を助けられたな。いつかこの借りは返す」
「秘密を守っていただければいいだけです」
「そうだった」
「離れてください」
ゴードンが注意した。
「スノウへの感謝は当然ですが、変な噂になると困ります」
「十二歳だ。子供ではないか」
「駄目です。神殿の者は貞潔です」
ジークフリードはスノウを解放した。
「突然悪かった。病気が治って嬉しくてな。感謝の抱擁で他意はない」
「わかっています。喜んで貰えて嬉しいです」
ジークフリードはふと思いついた。
「お前は通常の治癒魔法を使わないのか?」
「使えますけど……詠唱が長いので。途中で間違えると困ります」
スノウは言いにくそうにうつむいた。
「声が小さいと怒られるし」
「私も経験がある。聞き取りにくいと間違っていないのにやり直しになる」
「無駄なのに」
「そうだな。間違っていないのにやり直すのは無駄だ」
ジークフリードは同意して頷いた。
「だが、あの言葉は変えた方がいいかもしれない」
「言葉?」
「発動言だ。消えろというのがそうだろう?」
「そうです」
「なぜあの言葉なのかはわかるが、なんとなく冷たい。怖いと感じる者がいるかもしれない。ただでさえ治療を受ける状況だけに不安だろう」
「あ……」
そこまでスノウは考えていなかった。
「じゃあ、何て言えば……」
「イレースはどうだ? 消去という意味だ」
「じゃあ、変えます」
スノウはあっさり答えた。
「他の言葉でもいい。自分で好きな言葉にすればいいだろう」
「イレースにします。そうすれば絶対に忘れません。治療を受ける人が不安なことも、貴方の親切な助言も。教えてくれてありがとうございました」
スノウの言葉はジークリードの心を温め、輝かしい未来を予感させた。
「自分では気づけませんでした。冷たいとか怖いとか思っていませんでした」
「気にするな。私も意外な病気が判明したからこその気持ちや言葉だった」
「会えて良かったです。寝ているところを見られて恥ずかしかったですけど」
「私も会えて良かった」
ジークフリードは笑みを浮かべた。
手を伸ばし、スノウの頭を優しく撫でる。
「つむじを触っても大丈夫だ。腹は痛くない。これからは気にするな」
「わかりました」
「そろそろ」
ゴードンがうながす。
ベンチから立ち上がったジークフリードはもう一度スノウを見つめた。
「休憩中に悪かったな」
「大丈夫です。お大事に」
「聖女になれるといいな」
スノウは眉を寄せた。
「なれるかどうかわかりません」
「無理はしなくていい。治癒魔法を使えるだけで十分凄い。自分の体を大切にする方を優先しろ」
スノウは驚かずにはいられなかった。
必ず聖女になれる、絶対になるのだと言われ続けて来た。
治療魔法ができるだけでは聖女になれない。多少の無理は仕方がないとも。
この人は……違う。
スノウ自身を心配した。
スノウは嬉しくなった。とても。
「ありがとうございます。これからも頑張ります。聖女になれるように」
「影ながら応援している」
「私はここに残ります。スノウは立てません」
ゼノンがスノウの面倒を申し出た。
「頼みます」
ゴードンは先導するように歩き出し、ジークフリードが続く。
護衛騎士に合流し、四人の姿が遠ざかったところで、ゼノンはスノウに顔を向けた。
「部屋まで連れて行きます。体調が悪く休むことも伝えておきます」
「ありがとうございます」
ゼノンは背中を向けてかがんだ。
背負うということだ。
「寝ても大丈夫です。落ちないように気を付けます」
「本当にありがとうございます。ゼノン様」
ゼノンに背負って貰ったスノウはすぐに目を閉じた。
気を失うように眠りにつく。
……ゆっくり休んでください。アヴァロスの小さな聖女。
ゼノンは心の中で優しく告げた。




