011 近くて遠い
ある夜のこと。
夕食後、ルフは談話室のソファで本を読んでいた。
「ルフ」
キッチンで洗い物を済ませたスノウが来た。
「何だ?」
「一緒に本を読んでもいいですか?」
「まだ寝ないのか?」
「もう少し読み進めたい本があって」
「わかった。だったら」
「待ってください。隣に座ってもいいですか?」
わざわざ別のソファで読むのは無駄だとスノウは思った。
ルフから離れた位置にいると、部屋を明るくするために浮かんでいる魔法の火を強く多くしなければならない。
「構わない」
スノウはルフの座るソファに移動した。
「クッションはいるか?」
「大丈夫です」
「ひざ掛けを、いや、いい」
ルフは魔力を使い、向かい側にあるソファからひざ掛けを取り寄せた。
丁寧な手つきでスノウの膝の上に被せる。
「寒くないか?」
「大丈夫です」
「そうか。だが、そろそろ考えないといけない」
これから季節は冬に向かって寒くなる。
居住空間の修繕は少しずつしているが、一階はほぼドアがない。
中庭が見えるので景色は良いが、夜の空気が冷えて来た。
「オクルスは王都から来たスノウからすると寒いだろう。風邪でもひかれたら大変だ。俺には治せない」
ルフは治癒魔法どころか光属性さえない。
医者はいない。特別な薬もない。
薬草を育てているが、民間療法だ。
スノウが風邪をひかない方法をルフは真剣に考えていた。
「あまり夜更かしはしない方がいい。ここでの生活に慣れている俺とは違う」
「でも……ちょっと心細くて」
「不安なのか?」
「一人は寂しいというか、人恋しいというか」
二人しかいない。
スノウが頼れるのはルフしかいなかった。
「わからないでもないが、子供じゃない。同じ家にいる。いつでも会える」
「嘘です」
スノウは否定した。
「ルフは忙しくてあちこち行っています。探しても会えません」
修道院の中や外を探してもいない。
森へは一人で行くなと言われているため、ルフが森へ行っていれば会えない。
「朝ご飯だって一人だし」
「昼には一度戻るようにしている」
「でも、ご飯を食べたらすぐにまたいなくなってしまいます」
スノウが洗いものをしているうちにルフはいなくなってしまう。
次に会えるのは夕方だ。
「ちゃんと話せるのは食事の時間だけです」
魔法のことで話をしなくなったため、会話が相当減ってしまった。
「話がしたいのか?」
「ルフの側にいたいです」
ルフの心がざわついた。
「隣で本を読んでいるだけならいいですよね? 邪魔はしません。ルフも好きな本や魔法書を読んでください。それならいいですよね?」
「構わないが、あまり長いと寝てしまうだろう?」
寝落ちするということだ。
「それについては名案があります」
「何だ?」
「私のベッドで一緒に本を読みませんか? それなら寝てしまっても大丈夫です」
沈黙。
「駄目だ」
スノウは十八歳。ルフは二十歳。
一般常識として、名案ではない。
「でも、私達は家族同然です。普通、家族は一緒に寝ますよね? 同じ部屋とかベッドで。村の人達はそうでした。お手伝いに行った時、部屋を見ましたから」
ルフは言いたくなかった。
自分達は家族ではないという言葉を。
スノウが家族だと思ってくれるのが嬉しい。
ずっと一人だった。
ようやくできた――家族。
だが、実際には家族ではない。法的にも血縁的にも。
修道女と世話人。
共同生活者や同居人かもしれないが、それは他人だ。
「修道女は基本的に異性との関わりを最低限にしなければならないはずだ」
「それは知っています」
「本当は同じ修道院に住むこともできない。男女別だ」
「それも知っています」
「一緒の部屋に寝るのは駄目に決まっている」
「でも、仕方がないのでは? 寒くなります。ルフが火を出してくれれば暖かいし明るいです。本も読めます。寝てしまっても大丈夫です」
それで誰もが納得してくれるであれば、ルフは悩まない。
神殿で育ち聖女でもあったスノウは王女に匹敵するほどの箱入り娘。
年齢的には成人しているが、一般常識をわかっていない。
時々、子供のように無知だったり無邪気だったりもする。
だからこそ、セノンとヴェラからきつく言われている。
スノウの無垢さや純真さにつけいるな。何かあれば許さないとも。
「ゼノンとヴェラが反対する」
「じゃあ、駄目ですね」
スノウにとって二人は自分の知らないことを教えてくれる貴重な存在だ。
二人の常識が一般の常識から外れていることもあるのはわかっているが、神殿の中でずっと過ごして来たスノウよりもはるかに多くのことを知っている。
二人が駄目と言ったら駄目だとスノウは思った。
「別の方法を考えよう。冬になる前に暖を取る方法を考えて用意しないといけない」
ルフなりに考えてはいたが、悩んでもいた。
結界や魔法具なら効果が高いが、現実的ではない。
費用的にも魔力的にも技能的にも問題がある。
日常生活に魔力を投入するのが普通になったからこそ、暖を取るためだけに大量の魔力を消費するのは無駄な気もする。
ルフは世話人としてスノウの面倒を見なければならない。
魔力の使い過ぎによる体調不良になるわけにはいかなかった。
そうなると、魔法や魔力に頼らない方法も検討しなくてはならない。
窓に木の扉をつけて二重にしたり、厚手のカーテンをつけたり、敷物を敷く。
ファブリックも同じく冬物にして毛布を増やすといったことだ。
「湯たんぽもいいが、火傷をする恐れがあるからな」
「湯たんぽ?」
スノウは湯たんぽを知らなかった。
「金属性の入れ物に湯を入れると温かくなる。やけどしないよう布にしっかり包んで使う」
「そうですか」
「わかってなさそうだ。温石は知っているか?」
「火打石のことですか?」
「わかってないな」
ルフはため息をついた。
「相談する。ゼノンとヴェラに」
「そうですね。それがいいです」
二人は読書を開始した。
なまじ集中力がある二人は本を読むのに夢中になってしまい、周囲のことに気付けないことがある。
本を読み終わったルフがスノウを見ると、目を閉じていた。
寝落ちだ。
「やはりな」
良くない傾向だった。
風邪をひかないようにするためにはベッドで寝るのが一番良い。
ルフはスノウからそっと本を取り、ひざ掛けをかけると横向きに抱え上げた。
二階の部屋まで連れて行き、ベッドに寝かせて毛布をかけた。
「少しだけ暖めるか」
ルフは周囲の温度を上げた。
だが、ルフがいなければ短時間で元通りになってしまう。
暖炉は火事や中毒の危険があるため、寝ている時は使えない。
俺が湯たんぽや温石代わりになれれば……。
ルフが自身の体温と周辺の温度を上げ、スノウと一緒に同じベッドに寝転んで本を読み、そのまま眠ればいい。
さすがに寝ている間も自動で調整することはできないが、寒さを感じながら眠る必要はなくなる。
風邪もひきにくい。
何よりも、二人で一緒にいることもできる。
駄目だ……絶対に駄目だ!
ルフは自分の考えを振り払うように頭を何度も振った。
スノウは家族のようなものと言っているが、ルフにとってはそれ以上だった。
スノウのおかげでルフの人生は確実に変わった。
厳しく冷たかった世界は美しく鮮やかになった。
日々、暖かさと優しさを感じている。
赤い瞳はルフの特別な力。才能であり素晴らしいものなのだと教えてくれた。
どれほどのことをしても、ルフはスノウに感謝しきれない。
このまま自分の人生をスノウに捧げてもいいと思っている。
ずっと二人で過ごしていけるのであれば嬉しい。幸せだ。
まさに運命の出会い。神の祝福。奇跡。
スノウは聖女だ。俺にとっては……。
無垢で、純粋で、穢れのない存在。
神々しく、尊い。
だからこそ、近くにいるのに遠い。手を伸ばしたくてもできない。
あまりにも違い過ぎる、自分とは。
相応しくない。自分は。
わかっている。
だというのに、離れられない。離れたくない。
あどけない表情で眠るスノウをルフは見つめ続けた。