101 黒と白
黒い世界。
スノウが目覚めたのは闇の中だった。
そのせいで、目を開けているのに何も見えない。
白い世界にいたのに?
このままでは何も見えない。
灯りがあれば……。
そう思った瞬間、スノウの胸からとても小さな光の粒があらわれた。
それはまるでスノウの魔力が一しかないことをあらわすように弱々しい。
それでも。
良かった!
光がないのとあるのでは違う。
闇の中であれば余計に。
スノウはだんだんと目が慣れて来た。
すると、今度はどんどん明るくなっていく。
白い世界になった。
その中に黒い塊が見えた。
「誰?」
スノウは尋ねた。人だと思ったのだ。
すると、黒い塊は少しずつ変化した。
「わからないの?」
知っている声。
「スノウよ」
「あ」
確かに自分だ。
但し、全体的に黒い。少し若くもある。
「もしかして、聖女だった頃の私?」
聖女用の特別な衣装を着ていた。
「最悪な私よ」
最悪?
「私が?」
もしかして、聖女が?
「どっちも」
言葉にしなくても伝わった。
「辛いわ。寂しい。苦しい。良いことなんて何もない」
「そんなことは」
「見せてあげる」
別の黒い塊があらわれた。
それはグニャグニャと形を変え、黒くて幼いスノウになった。
ボロボロの服。髪はボサボサ。
ガリガリに痩せており、いかにも栄養不足。病的に見える。
くぼんだ目はやけに大きく、瞳が爛々と輝いている。
気持ち悪い。気味が悪い。怖い。幽霊みたい。化け物だ。
誰かの言葉が流れていった。
「これが私。そして、貴方。スノウなの」
そうだとスノウも思った。
今となってはよく覚えていないが、孤児院にいた自分はこんな姿だったのだと。
「私は覚えているわ。皆から教えて貰ったの」
「皆?」
「集まって!」
次々と黒くて小さなスノウがあらわれた。
神殿の服。毛布を持っているスノウもいた。
スノウはベッドにあった毛布を誰かに奪われないようずっと持っていた。
奪われないと言われても信じられなかった。
そして、奪われた。
毛布はずっと持っていてはいけない。汚れてしまう。ここは寒くない。寝る時に使うだけだと教えられた。
毛布を持ったスノウは泣いていた。
毛布を奪われて悲しかった。自分の大切なものがなくなってしまった。
寂しくもあった。自分を包んでくれる温かい存在がなくなった。
怖くもあった。あれもこれも駄目。なぜできないのかと怒られ続ける。
学べと言われたが、意味がわからなかった。
他の子供達にいじめられた。
神殿はそういう場所だ。逃げ出したかった。
でも、逃げたらご飯がない。寝る場所もない。
死んでしまう。死にたくない。
だから、頑張った。何でもできるようになろうと思った。
黒いスノウ達を見た途端、スノウは昔の自分が何を考えていたのかを思い出した。
「覚えているでしょう?」
スノウの瞳から涙が溢れ出していた。
「……覚えているわ」
「辛かったでしょう? 寂しかったでしょう? 苦しかったでしょう?」
その通り。だから、泣いてしまった。
「嫌なことがいっぱいあった。でも、我慢しないといけなかった。魔法事故が起きたら困るから」
できるだけ一人で静かに過ごす。
他の者と一緒にいると様々な感情によって魔力が揺れ動いてしまう。
暴発しないようしっかりと自分で抑えられるようになるまでは我慢。
忍耐力をつけるのも修練。
一人ぼっち。
「楽しそうに話している人達を見て、自分も加わりたいって思ったでしょう? 一緒に話したいって」
思った。
「でも、嫌がられる。逃げていく。危ないから。魔法事故で死にたくないから」
そう。私は危険。
他の人とは比べ物にならないほど魔力が豊富だから。不安定だから。
「特別って言われたわ。でも、私は普通が良かった。だって、一人は嫌だもの。普通になって皆と同じが良かった」
黒いスノウの言うことは全て当たっていた。
自分なのだ。スノウの気持ちを知っているに決まっている。
「皆は狡い。自分だってできないことがあるのに、私ができないと怒る」
「そうね」
「ラフター様はとても厳しかった。でも、魔石作りの講師なのに魔石が作れなかった」
ラフターは念じればできると言った。
だが、いくら念じても魔石はできない。
ラフターは作り方を見せると言った。
目をつぶって念じるような仕草をした。
握った手のひらを開くと、綺麗な魔石があった。
「魔石は中心を作ってから大きくしないとだもの。いきなり完成品が出て来るわけがない。大きなものほど作る時間だってかかるわ」
黒いスノウの表情は歪んでいた。
「隠し持っていただけ。魔力の気配でわかったわ」
スノウは子供。ラフターは魔力の気配がわからないと思ったのだ。
だが、スノウはラフターの袖ポケットの中にあった魔力の気配が手の中に移動したのを感じていた。
元々持っている魔石を見せただけだというのに、自分が今まさに念じて作ったように見せかけようとした。
「騙そうとしたわ。講師なのに。神職者なのに。嘘つきだわ!」
黒いスノウは怒った。
「魔石が作れるまでご飯は抜きだなんて、死んじゃうわ!」
スノウは思い出した。
泣いて泣いて泣いて……気づいたら魔石ができていた。
まるで涙が魔石に変わったかのような気がした。
「いつもそうよ。泣きながら魔石を作っていた。だから、できたのよ。魔石は私の涙なの」
本当に涙が魔石なわけではない。
だが、泣きながら作っていたのは事実だ。
辛くて苦しくて悲しい気持ちが魔石を生み出した。
「魔力は一人一人違うもの。できないことだってある。完璧な人間なんていない。でも、私は頑張ったわ。天性の才能じゃない。とても苦労した。努力で作った。魔石を!」
「そうね」
「沢山知りたいことがあるのに教えてくれない。治癒ばかり。魔石作りばかり。それしかできないようにしたいから」
神殿が育てたいのは総合能力が高い者ではない。
一種の特化能力がある者だけ。
その方が使いやすい。上の方にいる者から見ると。
「ようやく一つできると、次から次へとノルマが増えたわ。もっと上へ行けるって」
きりがない。
それでもやるしかなかった。
「もうしたくない。これ以上は必要ない。だって、奪われるだけだもの!」
黒いスノウ達がスノウを取り囲んだ。
「力があるせいよ。残っている力を全部私達に頂戴! 楽になれるわ!」
黒いスノウ達がスノウに触れた。
力がなくなっていく。
立っていられない。崩れるように座り込んだ。
「ああ! スノウはなんて凄いの!」
「力がこんなにあるなんて!」
「生きる力だわ!」
「頂戴!」
「全部頂戴!」
黒いスノウ達が叫ぶ。
このままでは生きる力を奪われてしまう。
死んでしまうとスノウは感じた。
「やめて……」
「やめないわ。だって、私達はスノウだもの。欲しいの。生きる力が!」
黒いスノウ達は助けて欲しいとスノウにせがんだ。
「お願い、やめて……奪わないで!」
「奪ってないわ。分けているだけよ。スノウの力をスノウ全員にね」
「違う!」
突然、声がした。
スノウの中にあるとても小さな光が飛び出し、白いスノウになった。
瞳が金色に輝いている。
「スノウの力が欲しいだけだわ! よく見て! 黒いでしょう?」
「一緒に黒くなればいいのよ」
「黒いのは力を使っているからよ。スノウから力を補充しようとしているの!」
スノウは唐突に理解した。
黒いスノウ達は自分の生み出した魔石達。
魔石は失った分の力をスノウから補充しようとしている。
「絶対に奪わせない! 私の魔力も、命も! 最後の最後まで諦めない!」
白いスノウは毅然として答えた。
だが、黒いスノウ達は表情を歪ませた。
「手遅れよ。スノウはとっくに死んでいるわ。誰かに都合よく利用されるだけの人生も同じ。生きる力があっても仕方ないわ」
スノウは否定できなかった。
これまでの人生は自分のものだったかもしれないが、自分で決めたものではなかった。
いつも誰かが決める。逆らったら終わりだと思っていた。
でも、ただ従うだけなのも一緒。自分がいないのと同じだ。
「私達は迎えに来たのよ。スノウは一人だもの。自分で自分を迎えに行かないとでしょう?」
「違う! 一人じゃない!」
白いスノウが輝いた。
「死んでいない! 道具でもない! 心で感じて! スノウなら聞こえるわ!」
「スノウ」
声がした。男性だ。
「スノウ」
誰かが呼んでいる。
悲しそうだった。寂しそうだった。震えていた。
「戻って来てくれ」
スノウの胸が痛んだ。
寂しい。辛い。苦しい。そう思っているのがわかる。
自分と同じだ。
「一緒にいる。俺を感じて欲しい」
「邪魔しないで! スノウは私のものよ!」
「願ってくれ。生きることを。スノウの力を貸してくれ」
黒いスノウは怯えた。
「何言っているの? 私の力は貸さないわよ!」
「こっちだ」
「嫌よ!」
黒いスノウはスノウの背中に回った。
「私でしょう? 言ってやってよ! 駄目だって!」
「スノウに力を!」
「引っ張られる! 死んじゃうよ! 怖いよ!」
黒いスノウはスノウにしがみついた。
「スノウの力を頂戴。そうすればもっと生きられる!」
「無理です。私も死にたくありません。だから」
スノウは黒いスノウの手を取った。
「私の中で生きるのはどうですか?」
「スノウの中で?」
「だって、スノウです。また戻れます。一緒に生きていきましょう!」
「……そうね」
黒いスノウは頷いた。
「そうする!」
黒いスノウはスノウを抱きしめた。
「スノウの中に入れて!」
スノウもまた黒いスノウを抱きしめ返した。
「怖い。力がなくなっていくの。魔力は私の命なのに」
「大丈夫。私達はスノウ。同じ魔力。同じ命になれます」
「そうよ!」
白いスノウが側に来た。
「力を合わせるの! スノウの中で一つになれば、スノウが守ってくれるわ!」
「その通りです。全員、私の中に戻って来てください! 私が守ります!」
「ついてきて!」
白いスノウは小さな光になってスノウの中に消えた。
黒いスノウ達も姿を変える。
だが、黒いままだ。
入れない……。
どうしよう……。
死んじゃうよ……。
怖いよ……。
「頑張って!」
ふと、スノウは気づいた。
「もしかして、黒いから入れないのかも?」
「俺には癒せない。スノウでないと」
声が響いた。
「それなら私が癒します! 絶対に! 皆も心と力を合わせて下さい!」
スノウは両手を掲げた。
守りたい。力が欲しい。だから、
開いて! 私だけの魔力の門!
スノウの瞳が金色に輝いた。
「《治癒》!!!!!」
光が満ちた。
その瞬間、黒いスノウ達だったものは白くなり、次々とスノウの中にやって来た。
やったー!
成功した!
できるわ!
頑張ったわ!
やればできる!
喜びの声が聞こえた。
スノウの魔力から生み出された魔石達は知っている。
スノウが辛かったことや苦しかったこと。悲しかったことも。
だが、それだけではない。
嬉しいことや安心したこと。努力の素晴らしさも知っていた。
スノウの作った魔石自体が嬉しさと安心と努力の証拠でもある。
「ありがとう。皆のおかげで魔法が成功しました!」
スノウだもの!
魔法を使えるわ!
魔力が沢山ある!
力を合わせればいいだけ!
一緒にね!
「帰りましょう。一緒に」
鍵を解けばいいのよ。
抑えなくていいの。
魔力が一しかないんだもの。
それじゃ全然足りないわ。
胸の奥から声が聞こえた。
「そうですね。ずっと忘れてました。私もまだまだですね」
スノウは恥ずかしそうに答えた。
「思い出せて良かったです。ありがとう。スノウ」
私だって役に立てる。そうでしょう?
「そうですね」
ずっとそう思いながら、魔法を使っていた。
それは笑顔になり、喜びになり、幸せになった。
人々の。そして、スノウ自身の。
「もう大丈夫。私が守ります。全力で!!!」
スノウから光が溢れ始める。
それはどんどん強くなり、スノウを優しく温かく包み込んだ。
目を開けたスノウはなんだか変だと思った。
視界がぼやけている。眩しい気もする。よく見えない。
「スノウ!!!」
「スノウ……」
「スノウーーー!!!」
「スノウ……瞳が……」
スノウの頭もぼんやりとしていた。
但し、名前を何度も呼ばれたのは確か。
「……寝れば、治ります」
思わず出たのは昔の口癖。
修練で倒れる度にそう言っていた。
「ご飯まで……寝ますね……」
やっぱり眠い。疲れた。安心した。
スノウは金色に輝く目を閉じた。