闇 〜trevas〜
※
豪華な、とは言えないが、それでも他の騎士や船員たちとは違う食事を出され、ルエはどことなく居心地の悪さを覚えていた。食事を皆さんと共にしたいと言い出したのは自分だが、まるでこれでは見せびらかしているようだ。そんなつもりではなかったのに。
「だからやめておけと言ったんだ」
左隣に座るハヤトが、小声でルエに嫌味を零す。そう言う彼の食事もまた、他の騎士たちと変わらぬ質素なものだ。端によけられているポテトサラダが、今か今かと食べられるのを待っている。
「ルーちゃん、そんな嫌味気にせず食べよーぜ」
右隣のゼロは既に終えており、後は食器を片付けるのみだ。テーブルに肩肘をつき、持ったままのフォークを指先で上下にひらひらと振ってみせる。
2人の声は、離れて座る騎士や船員には届いておらず、遠目で見れば真面目な盾の騎士といい加減な剣の騎士という、あながち間違いでもない構図が見て取れる。
「ハヤト、お前さ、ご飯作ってくれる奴の気持ち考えたことある?」
もちろんそれは、残されたポテトサラダへの言葉だ。
「芋というのは食べると水分が取られる。好んで食べるものでもない」
「あれか?身体の90%は水で出来てますってか?」
「俺は幼児か」
間に挟まれているルエの表情が、僅かながら曇っていることに、言い合う2人が気づく様子はない。遠目の騎士たちからは見えているのだが。
「幼児ってなんだ、幼児って」
「言い出しておいて知らないのか?90%は幼児の水分量で、俺たちくらいなら65%ほどだ」
「真面目か!」
テーブルをどんっと叩き立ち上がったゼロに、周囲からの視線が集まる。当の本人は全く意に介していないようで、ハヤトの隣の席に腰を降ろすと、そこにあったスプーンでサラダを掬い上げると、それをハヤトの口に突っ込んだ。
「うぐっ」
「残さず食え!もうガキじゃねーだろ!」
ゼロの手を掴み止めさせようとするが、ハヤトの力ではそれも叶わず。ほぼ強引に入れられたサラダをなんとか飲み込むと、ハヤトは手元の水を一気に飲み干し、ゼロをきつく睨みつけた。
「この……」
ふらりと立ち上がったハヤトから、明らかな殺気が放たれるのを感じ、周囲の騎士たちが止めようとする。しかし、近づこうにもその殺気に当てられただけで足が竦んでしまい、近づくことが出来ない。
「おーおー、ヤル気か?久しぶりにハヤトとやるのもいいかもなー」
煽り文句を言い放ったゼロは、ひらりと椅子から立ち上がり腰から剣を抜く。ハヤトも詞を紡ごうとしたところで、
「もう!2人ともいい加減にして下さい!ご飯を食べる場所で剣を抜くのも、術を使うのも失礼です!」
我慢ならないとばかりにルエが声を上げ、両手を静かに合わせると「ごちそうさまでした」と食器を持って席を立った。途中で駆け寄ってきた船員が食器を引き取り、ルエはふわりと笑いかけ礼を告げると、2人には見向きもせずに出ていってしまった。
「え?ルー、ちゃん……?」
剣を抜いたままのゼロを無視し、ハヤトも小さく舌打ちだけすると、食器を船員に「頼む」と言い、後を追うように食堂を出ていった。ゼロもまた出ていき、しばらくの後、食堂にはいつもの賑わいが戻っていく。
自室へ向かうルエは、その途中、廊下の窓から外を眺めているシアンを見つけた。どうやら今は1人のようで、その瞳は心なしか寂しげな色が滲んでいる。
「シアン、様……?」
おずおずと声をかけると、シアンは少し驚いたようにルエを見、しかしすぐに笑みを浮かべる。
「やぁやぁ王女様。お付きの騎士も付けないで出歩いちゃダメだろ?悪い狼に食べられるかもしれないし?」
意地が悪く舌をぺろりと出してみせるが、ルエはいまいちピンと来ないようで、シアンの隣に並ぶと、同じように窓から海を眺める。暗いそれは、1人で見ていると呑まれそうな感覚をルエに与え、つい眉を潜めてしまう。
「話聞いてた?狼が」
「狼より、私は闇が恐いです。いつも私の中にあるそれは、強く想って信じていないと、ふとした拍子に出てきてしまう」
「……俺にはよくわかんないな」
シアンもまた海を眺め、闇を見つめてみる。呑まれる、という感覚はわからないが、闇を1人で見ていると不安にはなる。きっとこれかもしれないと、シアンは自分の中で結論づけ、諦めたようにルエに背を向けようとしたところで。
「あれ?あんなとこに船なんかあったっけ……?」
暗闇にうっすら見える影に目を細め。
「……っ、王女様伏せて!」
「え!?」
咄嗟にルエを引き寄せ、床に倒れ込む。同時に激しい揺れが船を襲い、ルエたちの近くの壁が崩れていく。衝撃で怪我をしたのか、庇ったシアンの頭から血が滴っていく。
「シアン様!」
「いったあ……」
頭を押さえ起き上がったシアンは、壊れた壁から見える船影を凝視し、真っ青になっていく。
「異民船だ……。なんで王族船に攻撃してくるんだ」
さらに何かが飛んでくるのが見え、シアンは恐怖で身体が竦んでしまう。
「水の詞、2の章。我が声に応え、慈悲深き護りと成せ」
それが聞こえた瞬間、2人を包むように水泡が現れ、飛んできた何かを弾いて消えていった。何が起こったのか理解が出来ていないシアンとは逆に、ルエもまた身体を起こすと、声のしたほうへ安堵の視線を投げる。
「ハヤトくん!」
揺れる船に足を取られつつも、空色の彼ハヤトは2人の元へ駆け寄り、立ち上がるのを助けてやる。ハヤトはシアンの額に手をかざし、さらに癒しの詞を紡いでいく。
「水の詞、4の章。生命の囁きよ、我が声に応え灯を導け」
青い光が手の平から溢れ、それはまたたく間にシアンの傷を塞いでいく。しかし恐怖からか足が竦んでしまったシアンは、傷が塞がってもその場から動けず。無理矢理担ごうにも、ハヤトの力ではそれも出来ず。
さらに見える何かに顔をしかめたところで。廊下から飛んできた剣が足元に刺さり、同時に聞き慣れた声が詞を紡いだ。
「退けよ、断絶!我が手に守護を!」
刺さった箇所から黒い光が3人を囲み、それは再び向かってきた何かを弾いた。
「大丈夫か!?」
走ってきたゼロが剣を抜き腰に戻すと、動けないシアンを背負う。されるがままのシアンは、背中で震えたままだ。ハヤトは近くの船内放送用のマイクを手にすると、すぐさま船内中に指示を出していく。
「船内の騎士に告ぐ。攻撃してきた対象は異民船だ、様子を見るに空の神使がいる。すぐさま騎士は配置につき、船員は西の領海へ向けて船を発進させろ」
マイクを元に戻すと、ハヤトはルエの手を取り走り出す。ゼロも後を追いつつ、騒がしさに負けじと前を走るハヤトに声を上げた。
「なんで異民船が襲ってくんだよ!こっちは王族船だぞ!」
「いくら船がそうでも、紋を掲げていない王族船を王族船と認めるのは、今のところ東だけだ!奴らにしてみれば、襲った後でなんとでも言い訳は効く!」
さらに衝撃が襲い、ハヤトは窓から外の様子を見る。先程まで見えていた異民船の影は見えず、それにハヤトは舌打ちをした。同じように外を見たゼロが、不思議そうに呟いた。
「もういねーじゃん、諦めたんだよ」
「違う、あれは空の調和の力だ。見えなくしているだけに過ぎない。いつまた姿を現すかわからん」
「はぁ!?ずりーじゃん、それ!」
揺れが収まった内部を走り抜け、4人は中央の会議室を目指す。ゼロの背中から「死にたくない」と呟き続ける声に、ゼロは微かに顔をしかめるが、今は気にしている場合ではなく。
「西の領海に入れば、奴らも手出しは出来ない。なんとしてでも西へ入る」
会議室前まで着くと、ハヤトはノックも控えめに扉を開けた。既に集まっていた何人かの騎士と、船長らしき人物、それからグレイの視線がハヤトに集まる。
それらの視線を受け止め、ハヤトは広めの窓から見える海を見つめ、西へはどれくらいかと思案していた。