探求心 〜mente curiosa〜
※
部屋にて暇を持て余していたルエは、退屈だとばかりに伸びをひとつした。
別に何か起こってほしいわけではないが、こうして部屋に詰め込まれているのも、なかなかに退屈でつまらないものだ。立派なベッドに、少しだけ煌びやかな照明、隅の本棚には、ルエの好きそうな夢物語の本がいくつか用意されていた。
そこからいくつか手に取ってはみたものの、ハヤトやゼロから聞く話のほうが何倍も楽しく、今のルエにはあまり興味が惹かれない。
「はぁ……」
何度目かのため息をついた時、扉を叩く音に、反射的に背筋を伸ばした。
「はい、どうぞ」
ルエが声をかけると、そこには穏やかな笑みを浮かべた1人のメイドが立っていた。少し皺のあるその笑顔に、ルエは嬉しさで椅子から立ち上がり、慌てた様子でメイドに駆け寄った。
「マーシア!お久しぶりです!」
マーシアと呼ばれたメイドは、ルエの頭を優しく撫でると「座りましょう」と椅子へルエと共に歩いていく。先にルエを座らせると、マーシアは反対側の椅子に腰を下ろした。
「ルエ様、お元気でしたか?」
「はい、もちろんです!マーシアは、もう体はよくなったんですか?」
気遣う視線をマーシアに向けると、彼女はこくりと頷いた。それに安堵し、ルエはそういえばと首を傾げる。
「マーシアはなぜここに?」
「今回、ルエ様の身の回りを任せられたのです。ランドウルフのこともありましたし、わたくしめが適任ではないかと騎士団長から仰せ使いました」
「そう、だったんですか……」
朝方を思い出し少し気持ちが落ちるが、しかしすぐにルエはぱっと顔を輝かせると、マーシアに身を乗り出す勢いで話をしだす。
「ねぇ、マーシア。よければ話し相手になってくれませんか?」
「えぇ、えぇ、もちろんですとも」
ならばとお茶の用意を始めるマーシアを眺めながら、ルエは何を話そうかと、笑みを隠そうともせず手元の本をぎゅっと握り締めた。
※
夕方になる頃。
ゼロはすっきりした顔でルエの部屋へ向かっていた。その途中、同じくルエの部屋へ向かう途中であろうハヤトと出会う。彼は船長室からの帰りなのか、自分とは逆に少し疲れた顔をしている。
「おはよーさん、疲れた顔してんなー」
そう笑ってやると、やはりハヤトは気怠そうにゼロを見、それから腕を組み睨みつけてくる。休む暇もなかったのだ、睨むのもまぁ致し方なしではあるか。
「お前はいつでも気楽そうだな」
「オレが能天気馬鹿みたいに言うなよ」
「そうだったな、能無し馬鹿が」
「の、う、な、し」
いつもの3割増しで口がよろしくない。それならすぐにでも休めばいいのにと思うが、彼がそれを選ぶとは考えられず。ここでこれ以上口喧嘩しても、いつもの仲裁が入るわけでもないので、ゼロは頭を掻きつつ話を切り出す。
「そういえばさー、懐かしいよな」
「何がだ」
「従騎士。覚えてるか?オレら、相部屋な上、ついた騎士も……隊長も同じだったよなー」
懐かしむように虚空を見つめるゼロとは反対に、ハヤトは床に視線を落とし、しばらく何かを考えるように黙っていたかと思うと、ふと顔を上げ首を横に振った。
「……忘れた」
「嘘付け」
嘘、と決めつけたものの、あながち嘘ではないのもよくわかっている。2人が従騎士だった頃、王都の治安はいいものではなく、それこそ毎日喧騒が耐えなかったのも事実だ。
その中には、忘れたい事件も少なくなく。しかし、それを掘り起こすのは、確かにゼロも気が進むことではない為、無言でルエの部屋へと歩き出す。
同じように向かい始めたハヤトとの間に、なんとも言えぬ空気を纏いながら。
「ルーちゃーん」
見張りの騎士の制止も聞かず、ゼロはノックも控えめに扉を開いた。
「ゼロ!?待って、開けないで下さい!」
開けるなと言われても、もう開けてしまったものは仕方がない。ゼロはいつも通りの軽い謝罪をしようとして、ルエの背に釘付けになる。
そこには、爪痕のような5本の線が残っている。東の件で、ルエも傷を負ったことは知っていた。しかし、それをはっきりと目にしたのは始めてで。
着替えを手伝っていたマーシアがゼロを追い出そうとするが、ゼロはそれすらも構わず、ルエにずかずかと近寄ると、その痕をつ……と優しくなぞった。
「ゼロっ」
ルエも止めようと声を荒げるが、背後から包み込むように抱き締めるゼロに、それ以上は何も言えなくなってしまう。
「……ごめんな、こんなん残して」
掠れた、絞り出すような声に、ルエは悲しげに瞳を伏せるだけだ。
「ゼロのせいじゃない、です。私は私の為に、彼を庇っただけです。後悔も、痛みも、どこにもそんなものはありません」
「うん、そっか……」
ルエを抱き締める力が微かに強くなる。いい加減に着替えたいと身をよじるが、力強い腕の中ではそんな抵抗も余り意味を持たず。
ルエの困り顔も、背中のゼロには見えるはずもなく。どうしようかと考えていると、扉の閉まる音と共に、
「ゼロ、いい加減に離れろ。着替えられない」
それは少し遅れて入ってきたハヤトのものだった。ゼロは我に帰ったように手を離し、それから背中を向けると「ごめん!」と叫ぶように言う。
ハヤトがゼロを引きずるように出ていく音がし、ルエはやっと安心するかのように肩を下ろす。2人に、主にゼロに対し呆れた笑いをし、マーシアは再び着替えを手伝っていく。さほど時間を経たずして、部屋の外で待機していた2人はマーシアに呼ばれた。
※
黒髪の少年は、肩に羽織ったコートをひらりと舞わせつつ、忙しなく部屋の中を歩き回っていた。ノートほどの大きさのタブレットを指で撫でると、すらすらと文字が流れていく。
とある一文を見つけると、少年はふむと考え込むように指を止め、今度はゆっくりと指先を滑らせていく。やはり紙の媒体より扱いやすいと、少年は机の上にある何枚かの書類をちらりと見た。
控えめなノックの音に、少年はタブレットから視線を上げずに「入ればー?」と返す。開かれた扉から入ってきたのは、少年とさほど年の変わらぬ、腰まである茶髪をみつ編みにした少女だった。
「00様、あの、わたしに何か御用でしょうか?」
レオと呼ばれた少年は、相も変わらずタブレットの文字から目を離そうともせず。そこに写る908の文字を認め、レオは口元ににやりと笑みを浮かべる。
「あ、あの、レオ様……」
「あぁ、うん、ごめんね!ちょっとデータ見てたら気づかなくって!」
「そうですか……」
重そうなタブレットを指先に乗せ、レオはにやにやと少女を足の先まで眺める。
「ねぇ、クレハ。感情なしでヒトは好意を持てるのかって話、覚えてるかい?」
少女、クレハは目元まである前髪をいじりつつ、あまりレオを視界に入れないようにして頷く。
「はい。感情がなければ好意は成り立ちません。けれども、好意から生まれる感情もまた、成り立つともわたしは考えています」
「好きというのは、感情があってこそ成り立つ。でも感情を無くしたヒトに優しく寄り添うことで、好きという感情が成り立つ。この場合、どっちが先に生まれてるのかな?」
「それは……」
黙ったクレハに、レオは面白いと言わんばかりに笑みを深くし、ずいとタブレットを突き出した。そこに書かれているのは、クレハのこと、そして半年ほど前に中央に帰った彼のことが書かれている。
「2人の間にあったのは、どっちだったのかな?」
「何、を……見たいんですか」
「ボクにはない、感情の獲得を見たい。そして喪失を。キミならそれが出来る、よね?」
タブレットをクレハの口元に押しつけ「ね?」と笑うレオは、ただの一欠片も悪意がないことをクレハは知っている。この王族の少年は、ただ自分の探求心のままに全てを行っているだけなのだ。
そしてただの研究員である自分には、その要求を跳ね除けることも出来ない。それが誰の為にならないことだとしても。
「……わたしは、どうすればいいですか」
その言葉に、西の王は、ただ満足げに頷いた。