噂 〜boato〜
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空を飛び回るカモメたちを目で追いつつ、時折顔にかかる髪を手で押さえて、ルエは遠くなっていく中央大地に思いを馳せていた。
「怖じ気づいた?」
隣に並んだゼロに笑いかけられ、ルエはふるふると首を横に振る。船が出てすぐ、ルエは甲板へと足を運んだ。それは中央を見る為か、それとも潮風に当たりたかったのか、それはルエ自身にもよくわからない。
船には船員の他に、当たり前だが騎士たちも乗り込んでおり、部屋の入口やら甲板やら至る所で見張りをしている。東へ向かった時とは大違いだと、ルエは内心苦笑した。
「あれ……?」
「んー?」
ルエの視線の先、そこにはルエと同じ年の程の少年がいた。彼は、近くの騎士から何かを言われているようで、少しそれを面倒そうに聞いているようだ。
「あの子も騎士ですか?」
「あー、あれは従騎士だなー。それにしちゃ、態度があれな気もするけど」
柵に背を預け、ゼロは懐かしいとばかりに騎士と少年を眺める。ルエも同じようにして背を預け眺めていると、視線に気づいたらしい騎士が、ルエに向き直り一礼する。隣の少年も習って頭を下げ、しかし気になるのか、ちらりと頭を上げてルエを盗み見た。
ルエは2人の元へ歩き、スカートの端を両手で持ち上げ腰を少し下げた。それからふわりと笑い、
「あの、あまり気負わないで下さい」
ルエがそう言った瞬間、少年が勢いよく顔を上げ太陽のようににかっと笑った。
「うっわ、本物だ!本物の王女様だ!」
「こら、ルエディア様になんて口を聞くんだ!大変申し訳ございません……!」
慌てた騎士が、少年の頭を押さえ無理矢理下げるが、それを力任せにまた顔を起こし、少年はルエの手を取りぶんぶんと振った。
「俺、ショコラリエ家の長男で、シアンって言うんだ!年は王女様と同じ、15歳!家を継ぐ経験の為に、絶賛船乗り中!」
「え、え……?」
勢いのまま抱きしめられ、頬に軽く触れるだけの口づけを送られる。もちろん後ろに控えるゼロと、青ざめた騎士がそれ以上を許すはずもなく。
「おい、うちの主サマに何してんだガキ……」
「シアン、いい加減にしないか!グレイ殿は貴殿をそういったつもりで同行の許可を出したわけではない!」
ゼロがルエを無理矢理引き剥がすと、少年シアンは「ちぇー」とつまらなさげに離れた。シアンは、未だに赤くなったままのルエに、にこりと自信たっぷりに笑う。
「ま、俺んとこが団長の座を取り戻して、王女様を王妃様にしてあげるよ。今は他のところで磨いておくのもありありのありだよ」
無言でゼロが剣を抜き、シアンにその先を向ける。それを興味なさげに眺めていたシアンは、あぁと何か納得したように頷くと、
「剣の騎士か。噂に聞いてるよ、忠実な犬だってね」
「ゼロは犬じゃ……!」
反論しようとルエが口を開きかけ、しかしすぐにそれは驚きの表情へと変わっていく。
「シアン。いつの間に大きいことを言えるようになったんだ」
それは、ルエだけでなく、ゼロにとっても懐かしい声だった。騎士がさらに顔色を変え、背後から現れた人物、グレイに一礼をした。
「げ、おやっさん……」
決まりが悪そうに背後のグレイを振り返り、シアンは「すみません……」と小さく呟いた。グレイは小さくなるシアンの頭に手を乗せ、乱暴に撫でた後、ルエに苦笑いする。
「申し訳ない、ルエ様」
「いえ……。あの、シアン、様は、グレイの身内の方なのですか?」
「えぇ、シアンは私の妹筋の親戚でしてね。最近従騎士になったので、経験を積ませようとこの騎士につかせたのですが……」
グレイは深いため息と共にシアンをちらりと見る。
「なぁ、おやっさん!噂の団長候補様はどこにいんだ!?」
団長候補、というのはもちろんハヤトのことであり、シアンはハヤトを探そうと、グレイの手を押し退けて辺りを見渡す。噂の彼はというと、この船の指揮を任されているようで、乗船ししばらくの後2人と別れた。
「盾の騎士サマなら、今頃せんちょー室だろーよ。なーんか、色々忙しいらしいからな」
剣を収めたゼロが欠伸混じりに告げ、それからくるりと背を向ける。片手を上げ、少し振り返ると、
「ここなら襲われることはねーだろーし、オレちょっと寝るわ。朝早かったからなー」
朝寝込みを襲われたことは伏せ、そのままゼロは部屋へと歩いていく。入れ替わるようにハヤトが甲板に表れると、グレイとシアンを視界に入れ、わかりやすく顔を歪ませた。
「グレイ、お家事情なら俺を巻き込まないでくれ」
「勘違いするな、ハヤト。私は確かにウィンチェスターが率いてくれればと思っている。しかし個人の感情と、家のことは別なこともわかっているだろう」
ハヤトは腕組みし、期待と尊敬の眼差しで自分を見上げるシアンを一瞥する。
「いいのか?それを口にしても」
「何、構わんから口にしたまでさ。さてシアン、憧れの騎士様に会えただろ?早く仕事に就くんだ」
シアンと騎士を急かすと、騎士は一礼しシアンを引っ張るようにして船内へと消えていった。それを黙って見送り、ルエは気づいたようにハヤトを見上げた。
「先程の方は、騎族の方でしょうか?」
ルエの質問に、ハヤトは心底面倒くさそうにため息をつき、しかしそれでも答える気はあるのか、先程までゼロが背中を預けていた手すりに手をついた。隣にルエも並び、グレイは「ではまた」と一礼して去っていく。
「中央の三大騎族。ウィンチェスター、ランドウルフ、ショコラリエ、それらは知っているな?」
「は、はい、ナズナ様から教わりました」
「ならそれで話は終わりだ」
「え?」
呆気なく終わった話に、ルエは納得していないながらも、これ以上は話すつもりがないと言いたげなハヤトに、つい不満の視線を向けてしまう。
「……じゃ、私からの質問に答えてくれますか?」
「……」
何も返事はないが、ルエはそれを了承の意だと受け取ると、しばらく考えるように視線を彷徨わせる。
「んー、ハヤトくんは他の騎族の方とお会いしたことあるんですか」
「……朝のあれは、ランドウルフ家の長女ユンシャルだ。ランドウルフは女系で、今まで団長には興味がなかったはずだが、まぁ気でも変わったんだろう」
「ユンシャル、様……」
微かに震えた声に、ハヤトが気づかないわけもなく。
ハヤトは無言でルエの手を優しく取り、その掌に青いイヤリングを握らせてやる。
「見つけて、くれてたんですね……」
特に何も言うでなく、ハヤトは近くを通りかかった騎士を引き止め、ルエを自室へ送るよう言付ける。騎士が了承するのを確認し、ハヤトはルエに向き直ると自然な動作で跪いた。
その姿に、ルエは胸が痛むのを感じつつも、これが本来の距離であり、やはり好まれる関係でないことを嫌でも感じられた。
「ではルエディア様、私は戻ります。あまり出歩かぬようお願い致します」
「……はい、盾の騎士」
部屋へ先導するよう歩き出す騎士の後を追いつつも、ルエはちらりと振り返る。彼はまだ跪いたままで、きっと自分の姿が見えなくなるまで、立つつもりはないのだろう。
せめて部屋に行くまでに、彼の姿をもう1度見たかったと、ルエは誰にも気づかれぬように、小さくため息をついた。夜ぐらいは会えるだろうか――。