歓声 〜saúde〜
※
ハヤトが慌てた様子のナズナと会ったのは、自室から団長室へ向かう道すがらだった。ナズナ自ら迎えに行くと申し出があったはずだが、しかしルエの姿が一緒ではないところを見るに、何かあったらしいことは察しがついた。
ナズナもハヤトに駆け寄ると、焦りからか、早口で事の顛末を話し始めた。それによると、迎えに行った時には既に部屋におらず、近くのメイドに聞いたところ、他のメイドが着替えさせ部屋から連れ出したと言う。
それがすぐに、ここの者でないことはわかった。ナズナは余り大事にはしないようにと、一先ずハヤトを探していたのだという。
二手に別れ探していたところ、やはりというべきか。ルエはメイドに扮した、ランドウルフ家の跡取り娘に捕まっていたというわけだ。恐らくは、ルエを迎えに行った後そのまま手を出すつもりだったのだろうが、同行を断られた為、機を伺っていたというのが無難か。
自室で手早く着替えを済ませ、ハヤトは未だ起きて来ない白髪の親友の元へと急ぐ。第一、あの番犬が一緒でないことがおかしいのだ。それはつまり、番犬にも何かしらあったということになる。
ゼロの部屋の前に立ち、控えめに扉を叩くのとほぼ同時にハヤトは扉を開けた。
「ゼロ、失礼する……何をやっているんだ……」
頭を抱えたハヤトの先に、上半身裸でベッドの上で胡座をかいているゼロの姿が。その隣に、目隠しをされ縛られた姿の女性が横たわっている。それは恐らく、跡取り娘を手引きしたメイドに違いないと踏み、後処理はとりあえずジェッタに押し付けるとして。
「で、お前は何をしている」
「寝込みを襲われちゃ、反撃するしかないだろ?」
「しなくていい」
ちらりと縛られたままのメイドを見ると、ご丁寧に猿轡までされており、簡単に声など出せないようになっている。全く、そんなものをどこに持っていたというのか。
「んー、でも、オレらのルーちゃんに害を加えるような奴、ほっとくわけないし?」
「いつからルエは俺たちの物になったんだ……」
「そんなん」
ゼロはにやりと笑い、メイドの乱れた髪を鷲掴みにすると、目隠しをゆっくりと取ってやった。そこにあるゼロを見つめる瞳は恐怖で染まっている。
「ルーちゃんが生まれた時からだよ」
そう言い、ゼロはメイドにナイフをチラつかせる。流石に止めなければならないと思い、ハヤトもベッドの縁に座ると、ゼロのナイフを持つ手を掴む。
「邪魔すんのか?」
「始末は俺たちが決めることじゃない。早く着替えろ」
何か反抗するかと思えたが、ゼロはあっさりとサイドテーブルにナイフを放り投げ、頭を掻きながらベッドから降りる。ハヤトもそれを確認し「外で待つ」とだけ告げ、廊下へと出た。
たまに、彼はそうなる。
ゼロは、普段はどちらかと言えば温厚で、あまり争い事を好むような人物ではない。騎士になったのだって、ルエを守る為だ。
そう、ルエを守る為なら、ルエに害が及ぶなら、ゼロは時に非人道的な言動を取ることがある。それは異常とも取れるほどルエを溺愛、そして偏愛しており、ハヤトは見習い時代もこうやってよく止めてきたことを思い出す。
なぜ彼がそこまでルエを慕うのかわからない。最近になってわかったことと言えば、その姿は、王族が感情を暴発させる時のそれに近いということか。
着替えを済ませ出てきたゼロを見ると、先程までの冷たい光は成りを潜めたようだった。
「とりあえず、あれは置いてきた。だんちょーに報告だなー」
ハヤトの前を歩き出すゼロは、いつもの姿と変わりがなく。まるであのゼロが嘘のようにも思えるが、いや、あれもまた彼なのだと、ハヤトも歩き出した。
※
ゼロに次いでハヤトが団長室へ入ると、サナがジェッタにカードを2枚渡しているところだった。それはハヤトの物とよく似ており、それが渡航証明書だということはすぐにわかった。
隅に置かれたソファに座るルエの顔色は、先程と比べると幾分かはよくなっているようだが、それでもまだ青いままだ。
「だんちょー、あのさー」
ゼロは無遠慮にジェッタに詰め寄るが、サナに無言でカードを突き出され、何も言えないままにそれを手にする。すると、ゼロの名前と、発行者の欄に37の名前が浮かび上がってくる。
「はい、これで認証完了。ゼロ以外は使えないから、それ」
「へー」
それを適当にポケットに突っ込み、ゼロは何か言いたげにジェッタに目をやった。
「……わかっている、ランドウルフ家のことなら話をしておく。まぁ……、西から戻る頃には、恐らく騎族間で会議でもする方向にまとまっているだろうが」
また心労が溜まるのかと考えると、正直ため息をつきたくもなるのが本音だが、1人の親としては2人の気持ちを優先したくもあり。なかなかに難しい問題でもある。
しかしそれを表に出すわけにはいかず、ジェッタは平静を保ちつつ、机に肘を付き3人を順番に見ていく。
「今回、サガレリエット家の王族船にて向かってもらう。何、道中は特に何もなく着けるだろう。港まで馬車と護衛の者たちもいる。船にも護衛の騎士がいる、安心して船旅と洒落こんでくるといい」
前回の船旅があまりいいものでなかったのは、ジェッタだけでなく、ハヤトたちの記憶にも新しい。ゼロは座ったままのルエに近づき、手を取り立たせてやった。
「んじゃ、行こうぜ。我らが主サマの為に」
そう笑いかけるとルエも微かに微笑み、改めてジェッタに向き直るようにし、頭を深々と下げる。
「ジェッタ様、今回も色々ありがとうございます。私、皆さんの為に、必ず西との話し合い成功させてきますから」
「……ルエ様」
名前を呼ばれて上げた表情は固く、今にも重圧に押し潰されそうな程に自信がない。ジェッタは柔らかく微笑み、ルエの側まで歩いてくる。
「失礼します」
一言そう告げ、ジェッタは優しくルエを抱き締める。
「ルエ様、周りを頼って構わんのです。少なくとも、貴方様の両隣にいる騎士と、私やレイナ、ルドベキア陛下、もちろんミセス・ナズナ、他の者だって、貴方様をお慕いしております。それは貴方様が王女だからではないことを、どうかご理解下さいませ」
「……はい!」
ルエの強張っていた身体から力が抜け、ルエはいつものふわりとした笑顔でジェッタを見上げる。それに頷くと、ジェッタは「さて」と部屋の扉に歩み寄る。
「頼んだぞ?剣と盾の騎士」
挑発するように2人を見ると、ゼロはもちろんと言うように力強く頷き、ハヤトは無反応ながらもわかっていると言うようにジェッタを見返してきた。扉を開けてやり、出発する3人を見送ってやりながら、ジェッタは騎族問題はどうするかと頭を悩ませるのだった。
※
城を出てすぐに待機していた馬車に乗り、ハヤトたちは町の港を目指す。護衛の騎士が周囲を取り囲む姿は、ここしばらく見なかった光景であり、民たちの好機と期待の眼差しが通り過ぎる馬車に注がれる。
港に着く頃には、少し離れた場所から民たちがルエたちをひと目見ようと、人だかりが出来上がっていた。
「うっわ……人がやば……」
「民をそんな風に言っては駄目です」
カーテンの隙間から見えるだけでも、それは人で埋め尽くされているのがわかる。諌めるルエ自身も、正直人に驚いているのは確かだ。
「専用船舶所はここから歩く。大した距離ではない。……ルエ、俺たちは団長の言った通り、ルエ自身に忠誠を誓っている。だが民たちの求めているものが何か、それを理解することも忘れるな」
「求めている、もの……」
ルエは自身の胸に両手をやり、しばし目を閉じ何かを考えた後、2人に強い視線を向ける。それを受け止めるかのように頷く2人に、ルエもまた頷き返し、
「行きましょう。私の、剣と盾の騎士たち」
「もちろん、主サマ」
「貴方様のお望み通りに」
ゼロが先に降り、馬車に向かって跪く。続いてハヤトが降り、ルエに手を差し伸べ優しくエスコートする。
それを眺めていた民たちからの歓声を受け、ルエは落ち着くように息を深く吸い、そして民たちに堂々と向き合った。少し前まで町に住んでいたルエには、見たことのある顔ぶれもある。
「皆さん」
ルエの透き通る声が、爽やかな港に響いていく。
「私は、まだ紋もない、王族と言っていいのかすらも怪しい身分の、未熟な王女です。それでも私は、私が思う在り方を示す為、王族の身分に戻ります。だから、その……えっと」
口籠るルエを見かねたのか、民たちから次第に声が上がってくる。
「ルエディア様、あたしらは待ってますよ!」
「おいらたちは王女の元で、生きてくって決めてるんでやんすよ!」
「行ってきてください、ルエディア様!」
民たちの表情は皆明るく、それはルエを笑顔にさせるには十分で。立ち上がったゼロにウインクされ、ルエは小さく頷くと、王族船へと乗り込んでいく。
沢山の歓声は、船が見えなくなるまで続いた――。