嘔吐 〜vomitando〜
ルエの背中が見えなくなった頃、ハヤトも同じように城へ歩き出し、そして道中にある1本の木の近くで立ち止まった。
「グレイ」
木を見るわけでもなくハヤトがそう声を掛けると、少し年を取った男が、苦笑しながら木の影から出てくる。男は頭を掻きながら、城のほうを一瞬だけ見、それからハヤトに視線をやる。
「気づいていたなら、何故ルエ様にあの場で手を出した?」
「お前こそ、見ていたなら何故止めようとしなかった?」
「はぁ……全く」
少し皺のある呆れた笑みを浮かべ、しかしすぐにグレイは表情を引き締めると、腕組みし周囲に気を使うようにして話し始める。
「騎族連中が、お前を引きずり降ろそうとしているのは自覚しているか?王女様に手を出しているなんて知られてみろ、いい餌だ」
「元々、そこまで団長の座に興味もない。お前こそ、俺たちウィンチェスターより、お家に実権が移るほうがいいんじゃないのか?」
そう言い放つハヤトは、本当に興味がないらしく、早く城に戻りたいとばかりに腕組みをする。グレイはそれを、可笑しいと言うように頬を緩めた。
「ジェッタと同じことを言うとはな」
ハヤトの眉が少し動き、それからグレイに向き直る。少しは興味が出たらしいそれに、グレイは満足げな笑みを見せ、木にもたれかかると話し始めた。
「いや何、ジェッタも団長には興味がないと言っていてな。あれが団長になると言い出したのは、アリアの為だったか」
「あの人の?」
「身体が弱いアリアは、元々神柱には向いてなくてな。早く子供を作れと言われていたんだが、アリアは子供を作りたくはなかったと聞いている。子供が神柱になるのはわかっていたからなぁ……」
「……」
目を伏せるハヤトの表情はよく見えず、何を考え、何を思っているのかさっぱり読めない。それでも聞いていることは確かなようで、グレイはさらに続ける。
「南から子供を連れてきたとて、力のないジェッタでは連れ戻されるのが落ちだ。だからアイツは団長になり、そして連れ帰った子供をウィンチェスターの後継として育てることにした。後継だから南に戻す気はないと突っぱねてな」
未だに俯いたままのハヤトを見かね、グレイは苦笑すると共に身体を木から離し、そしてハヤトの頭に優しく手を置いた。
「お家のことより、私はお前たちのほうが心配だ。それに、実権はウィンチェスターが持っているほうがいいと思っているしな」
「……それが本心で言っていると、信じている」
「全く……」
煩わしそうにグレイの手を払い、ハヤトは振り返ることもせず城へ歩き出す。なにぶん、明日には西へ発つのだ。今日はもう寝たいというのが本音でもある。
その背中を苦笑と共に見送り、グレイもまた居住区にある家へ帰るかと城へ背を向ける。元団長といえど、こんな夜に敷地内にいることがバレれば、現団長サマからの熱いお叱りが飛んでくるに違いないのだから。
※
起こしに来たメイドに、あれよあれよという間に着せ替えられ、ルエは戸惑いながらも団長室へと足を運んでいた。送ると言ってくれたメイドに、大丈夫と断りを入れたはいいものの、正直昨日の今日でハヤトとは顔を合わせづらい。
やはり流されるまま事に及ぶべきだったのか。いやしかし、外でそんなはしたないことは出来ない。しかし恋人ならばそういったことも……と、先程からそれの繰り返しだ。
「はぁ……私、どうすればよかったのでしょう……」
まるでハヤトのように、ため息ばかりが口から出ていく。彼に、幸せが逃げるからやめたほうがいいと言ったのは自分なのに。
3階から2階へ降りつつ、団長室へはこの先だったかと思案していると。慌ただしく通り過ぎるメイドが、ルエの横をすれ違い様、その華奢な腕を掴み、ルエを抱き締める形で腕の中に収めた。
それは一瞬の出来事で、頭が追いつかず。ルエが恐る恐る顔を上げると、端正な顔立ちの女性がルエに微笑みかけていた。身長はハヤトくらいだろうが、明らかに彼より鍛えているであろう手が、彼女がただのメイドではないことを表している。
「だ、誰、ですか……?」
やっとの思いで口にすると、彼女はルエの姿を焼き付けるかのようにまじまじと見つめ、そしていきなり唇を重ねてきたのだ。
「……っ!?」
驚きつつも彼女を押し返そうとするが、ルエ程度の力ではそれも叶わず。腰を指先で撫でられ、嫌でも反応する身体に、自分の身体ながら嫌悪感を感じる。それもこれも、昨日の熱が抜け切っていないからだ。
やっと離された彼女との間に厭らしい糸が伸び、それを見て、羞恥心で顔に熱が帯びるのがわかる。何にしろ、これ以上好きにされるのは気に食わない。
ルエが何か言おうと口を開いたところに、彼女の指が入り込み、何も言えないまま、口の端からだらしなく涎が伝っていくだけだ。
「ダメよ……?王女様がお付きの者も付けないで歩き回るなんて。ああん、それにしても……カワイイお顔。アタシも濡れてきちゃう」
「ん………んぁ……」
「ほらほら、ちゃあんと舐めて?じゃないと、痛い思いしちゃうわよ?」
何が、とは聞きたくもないし理解したくもない。しかしどうしようも出来ないのは確かで。口内を犯す指は次第に奥へ進み、それはルエに吐き気を催していく。
「うっ……」
我慢しようとするが、指先は容赦なくルエを攻め立てていき、ルエは堪え切れず嘔吐してしまう。
「がっ、はっ……うぇ」
「ああん!いいわいいわ、素敵。美味しそう」
彼女は服についた嘔吐物を指で掬い上げると、それを恍惚の表情を浮かべたまま自身の口へと運ぶ。信じられないと彼女を見るが、彼女は気にするでもなく、二口三口と進めたところで、ルエの服についたそれらを舐め始めた。
「い、嫌……」
「美味しい……!さすがルエディア様、これならアタシ、団長になってもいいかなって思っちゃうわ。そしたら毎日可愛がってあげる」
鳥肌が立った。
何が嬉しくて毎日嘔吐しなければいけないのか。
「あら……?」
彼女がふと何かに気づいたように足元を見、それからルエを突き放すようにして距離を取る。
次の瞬間、彼女が立っていた場所に氷柱が地面から突き出した。
「ああん、邪魔が来たのね」
離された衝撃で地面に倒れる寸前、ルエは見覚えのある空色の彼に抱き留められ、安堵と、みっともない姿を見られたことから涙を零してしまう。
ハヤトは自身が汚れるのも構わず、ルエの顔を自分の胸元に隠すようにして押しつけ、目の前の彼女をきつく睨む。
「ランドウルフ家が何の用だ」
彼、ハヤトは静かに、しかし明らかな怒りを含んだ声色で彼女に問いかける。
「王女様を見に来ただけじゃないの。予想以上に可愛くて、アタシもうゾクゾクしちゃう」
彼女は口元に手をやり身体をくねらせ、自身の服についた吐瀉物を再び指先につけると、それをわざとらしく音を立てて舐めとっていく。
「変態が……。これ以上居座るつもりなら家ごと潰すが?」
「ああん、やだやだ。これだから男ってキライ。帰るに決まってるじゃないの。またね、カワイイ王女様」
窓に拳を叩きつけ派手に割ると、彼女は窓枠にひらりと乗り、そのまま姿を消してしまった。代わりのように、騒がしい足音と共に階段を降りてきたナズナは、ハヤトの腕に抱かれたルエを見、それからハヤトに視線をやる。
「ハヤト様、わたくしの責任にございます。もう少し早くわたくしがお迎えに上がっていれば」
「それはいい。王女の着替えを頼めるか」
「もちろんでございます」
ナズナはルエに手を差し伸べ、その震える肩を優しく抱いてやる。すぐに背を向けるハヤトに、ルエが何か言いたそうにしているが言葉が上手く出ないようで、それを察したナズナが代わりに言葉をかける。
「ハヤト様、どこに?」
立ち止まったハヤトは、振り返ることもせず。
「着替えを。それから、駄犬を起こしにな」
ナズナは「かしこまりました」とだけ言い、ルエを支えつつ、ルエの部屋へ向かう。とりあえず、この飛び散ったままの硝子の破片は、途中で会うメイドに声をかけることにして。