熱 〜aquecer〜
※
城内に割り当てられた自室へ向かいつつ、ハヤトは窓から見える中庭へ視線を落とす。ルエが戻って最初にしたことは、城の民への開放、それから城内の掃除と続き、それから治安や国交に取り組み始めている。
中庭には、新しく植えられた花々が芽を出し始めており、年中気候が穏やかな中央なら再来月には花を咲かせそうだ。
見慣れた黒髪と白髪が見え、相変わらずあの2人は仲がいいと呆れやら微笑ましいやらが入り混じり、つい苦笑してしまう。
ふと、瞬きをし。見慣れた白髪の彼が、一瞬黒髪の親友に見え。
「レイ……?」
思わず溢れたその名に、いやそんなはずはないと首を振る。黒髪の親友は、あの日から行方がしれないと聞いている。その姿を見た者もいない。しかし、ルエが言うには、元騎士団長グレイが、黒髪の親友は生きていると教えてくれたという。
ならば、なぜ彼は帰ってこないのか、帰れない理由でもあるのか。どちらにしろ、ルエの為にも早く親友を探してやりたい気持ちに駆られ、ハヤトは急ぎ足で自室へ向かっていった。
芽を出し始めた花々を優しい眼差しで見つめ、ルエはふわりとゼロに笑いかける。その笑顔は、ここ何年かで見慣れた、ゼロの好きな表情のひとつだ。
「順調に育ってんじゃん、よかったな」
「はい!これも毎日手入れしてくれている皆さんのお陰です」
ゼロはいつもの癖でルエの頭に手を伸ばし、一瞬躊躇してしまう。ここでは、自分はただの剣の騎士であり、本来ルエにこのようなことをしていい立場ではない。ハヤトやルエの前では微塵たりとも見せたくはないが、これでも色々考えているのだ。
「ゼロ?」
名前を呼ばれ、はっとしてルエを見る。
「あ、あー、ごめんな、ルーちゃん。もうこーゆーのやめるからさ」
撫でようとした手を引っ込めようとして、それをルエが制し自分の頭にゼロの手を置く。
「ゼロまで特別扱いはなしです。私、ゼロに撫でられるの好きなんですよ?まるで……」
兄様みたい、の言葉は飲み込んで。
ルエは早く撫でてほしいとばかりに、置いた手にぐりぐりと頭を擦りつける。ゼロは苦笑し、しかしすぐに悪戯な笑みを浮かべると、ハーフアップにした髪が乱れるくらいに撫で回し始める。
「も、もう、ゼロ……!」
「撫でてって言ったのルーちゃんなんだし、腹括れよー!」
「もう……!」
笑い合う2人は兄妹のようで、近くを通りかかったメイドたちが微笑ましく見守っていた。
自室と言っても、簡素な執務机、それから少し広めの寝台、休息の為の小さなテーブルしかないそこは、生活感の欠片も感じられない。その執務机の引き出しから1枚のカードを取り出すと、ハヤトは左手をかざす。
カードに浮かび上がる文字には、ハヤトの名前と、レイナの名前、それから渡航を許可するといった旨が書かれている。
塔に忘れたというのは嘘だ。なぜそんな嘘をついたのか、正直自分でもわからない。ただ、ふと西には戻りたくないと思ってしまった。まぁ、証明書がないと言ったところで、サナに作らせてでも行かせるつもりだろうが。
カードを胸ポケットにしまい、ハヤトは再び噴水広場に戻ろうと自室を後にする。日が落ちる前には探してしまいたいと、内心ため息をつきながら。
中庭でゼロと別れた後、ルエは再び勉強の時間となり、日がたっぷりと暮れるまで教育係の女性、ナズナと共に過ごしていた。ナズナは元々、前王の娘リーベの教育係だったようだが、リーベが南の施設に送られ、ルエが戻ったことにより、ルエお付きの教育係となった。
高い位置でまとめたお団子と、いかにもな眼鏡も相まって、ルエは余り彼女が得意ではない。しかし、それは特段、ナズナがルエに当たりが強いわけではなく、彼女自体がきつめの性格をしているだけなのだが。
「ではルエディア様、今日はここまでにしましょう」
「はい、ありがとうございました。ナズナ様」
ぎこちない笑みで礼を述べると、いつもならすぐに出ていくナズナが、少しルエをきつい瞳で見つめ、
「ところでルエディア様、昼間、水遊びに勤しんだということですが?」
「ご、ごめんなさい、それは……」
ナズナの瞳の奥から感じる冷たい光に、ルエは気後れしながらも、なんとか謝罪の言葉と弁明の言葉を絞り出そうとして。
「……騎族はご存知ですね?」
「え、えっと、ハヤトく……ハヤト様のウィンチェスター家を含む三大騎族、のことでしょうか?」
伺うようにナズナを見ると、ナズナは大きく頷いてみせる。
「ちゃんとお勉強なさっていますね。今、中央の騎族をまとめておられるのが、この領地を治めているウィンチェスター家でございます。筆頭騎族が代々団長となられるのですが、ハヤト様が次期団長に相応しくないとの声が他の騎族から上がっております」
「ハヤト様が?」
ルエは驚きで目を丸くする。彼が相応しくないとはどういうことなのか。
「王族と掃除やら水遊びをする団長候補がどこにおられるとお思いで……?」
「それは……」
「ルエディア様のご意向で城を開放したことについて、意を唱えるつもりはございません。しかしそれは同時に、他の騎族が自由に出入りし、ウィンチェスター家を乏しめようと画作しているということも、どうかご理解下さいませ」
落ち込むように目を伏せたルエを見、ナズナは持っていた本を机に置くと、目線を合わせるように屈む。そして優しい笑みを口元に浮かべ、
「わたくしは、ルエディア様と余り長くいるわけではございません。それでも貴方様が、想いを寄せている方と幸せになることを願っています。だからこそ、他の騎族に団長の座と、筆頭騎族を譲るわけにはいきません」
「ナズナ様、気づいて……」
眼鏡の奥の瞳が優しく細められるが、しかしそれは直ぐに消える。ナズナは眼鏡をくいと指で上げると、ルエに一礼し部屋を出ていった。
しばしの後、ルエも本をまとめ始め、それからイヤリングのことがやはり気になり、噴水広場に行こうかと思案する。先程言われたことが気にならないわけではない。しかし、もう日も暮れた城は、城門は固く閉められており、見張りの騎士たちがいるくらいだろうと考え、ルエはそっと部屋を抜け出した。
※
さすがに冷えてきた。
しかも視界も悪くなってきた。
先程通り過ぎた騎士は、苦笑気味に「お疲れ様です」と軽い敬礼と共に行ってしまった。
それでもハヤトは、噴水の底に手を這わせる。
どれくらいか探し、それが指先に当たったのは、日も大分落ちた頃だ。青い正八面体のイヤリングは、この時ばかりは水と同じ色なことを少しばかり恨む。
噴水の縁に座り、持ってきたタオルで手足を拭く。渡すのは明日にしようと決め、ハヤトがポケットにイヤリングを突っ込んだところで。息を切らしながら城から走ってくる人影に気づき、つい口元が緩んでしまう。
「ルエ」
「ハヤトくん……っ、探してくれてたんですか!?」
ルエは申し訳なさげに目を伏せ、それからハヤトの両手をそっと包み込む。その冷たさにさらに顔を歪め、ルエは「ごめんなさい」と呟いた。
「構わない。俺がやったことだ」
「でも、私が落とさなければ……いえ、私があの日掃除に来なければ……」
泣きそうになるのを堪え、それでもなんとか言葉を絞り出す。ハヤトはそれを最後まで聞こうともせず、ルエの腰に手を回し引き寄せる。座ったままのハヤトの頭は、ルエの胸辺りに埋もれる形になり、ルエは恥ずかしさで鼓動が早くなるのを感じた。
「待っ……ハヤト、くん」
「待てそうにない」
ハヤトの指先が腰に触れ、ルエはつい身体を震わせてしまう。東で身体を重ねた日からそういったことはなく、こうして軽く触れられただけで既に身体は熱を持ち始めている。
ハヤトの頭を離そうと力を込めるが、身体の線をなぞる指先に邪魔されて力すらまともに入らず。口から零れる甘い声もまた、ルエの意思とは反対に艶めかさを帯びていく。
フレアスカートを捲り太ももを撫でられるも、微かに残った理性が、この先の行為を求められることに羞恥心を感じさせていく。そうだ、ここは外なのだ。
「……っ、ハヤトくん」
少しきつい口調で彼の名を呼ぶと、彼はため息をつき立ち上がる。離れていく熱を少し名残り惜しいと勝手なことを思いつつ、それでも離してくれたことに安堵し、ルエは赤い頬を隠すように背を向けた。
「さ、寒くなってきましたし、早くお城に帰りましょう?」
ハヤトがポケットの中身を渡すよりも早く、ルエは城の方へとまた駆けていく。その背を見送った後、ハヤトは頭に手をやり、盛大なため息をついたのだった。