白 〜branco〜
※
広間へ向かう途中で、レオがにたにたと笑みを浮かべながら待っていた。待ってくれるならハヤトを呼べばよかったと後悔するが、後の祭りだ。
レオの少し後ろで立ち止まり、ルエは訝しむような視線をレオに投げかける。それに笑みだけで返し、レオは慣れた手つきで壁に手をかざした。何も無かったはずの壁に、光が扉の形を描き出し、そして光が消えていくと、そこには真っ暗な空間が現れた。
「どうやら、この先に迷い込んだみたいたからさ。連れ戻してあげないとね」
「これは……?」
「これは、ボクら西が保管している記録庫へと続く道だよ」
「道って」
少し踏み出してみると、下から吹き上げる風に身体がぐらついた。底に見える明かりは、レオの言う記録なのだろうか。
「さぁ、案内ついでに迎えに行こうかー」
螺旋階段を降りていく背中をしばし見つめ、ルエもまたゆっくりと淡く光る階段を降りるしかなかった。
無言の中、かつんかつんと乾いた音だけが響いていく。底に近づいていく度、途中に浮いている緑の明かりがタブレットであることに気づく。ふわふわと漂っているだけのように見えるそれらは、何十、いや何百とそこら中に浮いており、恐らくレオが何か合図をすれば、簡単に手の中へと収まるのだろう。
「……レオ様。クロとはなんなのですか?」
「気になる?」
レオが振り返ると、コートが吹き上げる風と共に舞い上がった。気になるも何も、お手伝いをしたいと言ったのは自分だ。内容だけでも教えてくれないだろうか。目の前の少年王は軽い笑いを零し、そしてタブレットに向かって手を伸ばす。
呼応するようにひとつのタブレットが手に収まると、レオは指先で華麗に叩いていく。とある画面で止めると、それをルエに向かって投げるように寄越した。慌ててそれを受け止めると、ルエは躊躇いがちに目を通し始める。
「これは……、呪い?」
「そう、呪いだ。神の詞というのは、代々神女しか紡ぐことが許されていない。紡ぐ、というより、視ることが出来ない、のほうが正しいかな。それを視ることにより、術者には代償だったり呪いだったりかかるわけだ」
再び降りだしたレオに続くように、ルエもタブレットから視線を上げて歩きだす。
「興味深いと思ったボクは、なんとかしてその術者や術をかけられた対象を手に入れようと思った。被術者は、あまり普通のヒトと変わらないことがわかった。だからボクは、術者そのものを手に入れようと考えたんだ」
「それって、私ですか……?」
「いやいや。もっと適任がいたんだよ。過去に紡いだにも関わらず、紡いだ時の記憶も、その後の記憶も持っているヒトが」
ルエの背筋に、ぞくりと悪寒が走る。
「キミの、お兄様だよ」
タブレットを持つ手が震え、力が抜けそうになったのをなんとか持ち直し、ルエは乾いた声で問いかける。ルエからは少年王の背中しか見えず、何を思っているのか全く読めはしないのだが。
「ここに、兄様がいるんですか……?」
「いるよ?それがクロさ」
何かで頭を殴られたような衝撃だった。探していた、会いたかった兄がいる。しかも今は逃げ出したと言っていた。ならばそれを、レオより先に見つければ兄を助けられるのではないか。
頭の中を色々と巡り、いつの間にか足は止まっていた。レオのうんざりしたため息が聞こえ、ルエは慌てて意識を持ち上げる。
「レオ様は、兄様に、何をしているのですか」
「……神力って、わかりやすいよね。そのヒト本来が持つ神力は、瞳に出る。そして加護を受けたヒトは髪にも出る。ハヤトがそれだ」
早くついてこいと言わんばかりに、レオはルエを睨みつける。すっかり重くなった足を無理矢理動かし、ルエはふらふらと続く。
「キミのお兄様は、代償として分断されてしまったんだよ。今を生きる持つ者と、過去に生きる持たざる者に。それを統合したらどーなるかなって思ったんだけど」
レオの足が止まる。同じようにして少し後ろで止まると、底から何かが割れる音と、聞き慣れた声が兄の名を呼ぶのが聞こえて。
「ハヤトくん!?兄様?兄様なの……!?」
走り出そうとしたルエを制し、レオが険しい顔をする。足早に降りだした彼についていくと、そこには髪が長くなった、随分と見ていなかった兄の姿があった。
※
それは、あの日。
レイがハヤトを蘇生させたその日に遡る。
詞を紡いで、あれからどうなっただろうか。2人は逃げられただろうか、いやグレイもいたことだし、存外なんとかなったかもしれない。
気がつけば、真っ白い世界の中を、上も下も、右も左もない世界を、自分はただゆっくりと落ちていた。いや、上下もないと言ったのに、落ちているとはどういうことだろうか。
しかしそれでも、レイにはその感覚を落ちるという表現しか出来ず、見えていた色彩豊かな世界は次第に離れていく。
「ルー、ハヤト……。オレ、これでよかったんだよな」
ぽつりと零してみる。もちろん答えは返ってこない。
「死ぬのは怖くない、けど」
けれども、と手を伸ばす。
「2人に忘れられたら、オレ嫌だなー……」
つい苦笑し、まだ幼い妹と、不器用な親友を思い浮かべる。2人のこれからに、未来を紡げたなら、ならばそれでいいかと目を閉じ。
「ならさー。忘れられた世界で生きてみるのも、悪くないね」
響く声に驚いて目を開けてみる。
幼い少年が、しかし尖った耳がヒトではないと強調している彼が、楽しそうにレイと一緒に落ちている。レイはそれを、古い書物で見たことがあった。
「神霊?」
「今の子供にしては勤勉だ。ね、まだ2人といたいんだよね」
死ぬのは怖くない。それは本当だが、では2人と離れたいかというとそうではなく。レイは何度も頷いた。
「そっかそっか。じゃ、キミの存在はここに置いていってもらおう、それが条件だ」
「条件?」
一緒に落ちていた少年が、パチリと指を鳴らす。それに合わせるかのように心臓が一瞬だけ跳ね、痛みで思わず目を閉じる。しかしすぐに痛みはなくなり、レイが恐る恐る目を開くと。
もう1人の自分がいた。その自分もまた、驚いたよいに目を見開いており、そして、何かしら声でもかけようかと口を開きかけ。
「え」
なぜか彼だけが落下をやめてあの白い世界で止まり、自分は更に加速して落ちていく。遠くなっていく自分が、憐れむように見つめている。その姿に何かしら言ってやろうかと手を上げてみるも、次第に黒い世界に包まれていく自分にはそれすらも出来ず。
意識すら呑み込まれていき、気づいた自分は、あの商人に助けられたところだった。
なぜ、今さらそんなことを思い出したのだろう。
そうかとゼロは気づく。今の自分がいるここが、あの白い世界だからだ。
あの時と違い、その身体は落ちることもなく、ただただ真っ白い水平線を呆然と見つめていた。
「やぁ、久しぶり。レイガノール」
振り返ると、塔で姿を消したきりのあの神霊がふよふよと漂っていた。あれからどうしたんだと文句のひとつでも言いたかったが、今思い出した記憶によれば、そもそも自分に呪いをかけたのは彼だ。そんな呑気なことを言える余裕がない。
「……っ、ケディラ!お前、お前が、オレを、オレの存在を……!」
「おっと待ってくれよ。勘違いしてる、キミは」
歯を食いしばり、今すぐにでも掴みたい気持ちをなんとか抑えつける。口の奥から鉄の味がした。
「ボクはさ。愚かにも神の力に縋ろうとした愚者たちに、ペナルティを与えてるだけだ。よーく考えてごらんよ。死者を生き返らせるって、どれだけ自然の摂理に反してると思ってるの?」
「……」
「それに、キミが願ったんだ。2人とこれからも生きていきたいって。だからそれに見合うものをもらっただけだ」
握りしめていた拳を広げ、何も残っていない掌を見つめる。
「それが、存在ってことか。オレを覚えてないのに、なんの意味があって……」
「でもキミの半身は違った」
意味がわからず、神霊ケディラに視線をやる。ケディラはにやりと嫌な笑みを浮かべ、そしてパチリと指を鳴らす。半透明に映し出されたのは、黒髪の自分だった。その黒髪の自分は、四つん這いになったまま、ただただ妹の名を何度も何度も口にしては悲しみに呑まれていた。
「キミは忘れられた世界で、過去に思いを馳せて生きる。半身は忘れられた世界で、未来に希望を持って生きたい。全くの、反対だ」
「……でも、ルーはオレを知らなかった」
「でも今を造っていった。羨ましいね、悲しいね、憎いね。半身はそれが出来ないのに」
そんなに、いいものだろうか。自分の名を誰にも言えず、妹を妹だと抱きしめてやれず、妹の幸せの為に親友に祝いの言葉さえも気軽に言えないこれが。ケタケタと笑うケディラの声が聞こえ、ゼロは虚ろな瞳にその姿を映す。
「まぁ、いいよいいよ。これからはキミがここで過ごすんだ。好きなように、過去にしがみつけばいいじゃないか」
それだけ言い残すと、ケディラの姿は白い世界に消えていく。ただその場を何も考えずに見つめ、しばらくの後。
ゼロもまた、同じように四つん這いになって涙を流し始めた。




