心 〜coração〜
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目が覚めると、見慣れない天井が最初に見えた。
指先を少し動かしてみる。
どこも痛むようなことはなく、むしろそれが不思議で、ルエはゆっくりと首を傾げた。動くし、やはり痛みもない。
「私、なんで……。落ちたはずなのに」
身体を起こしてみて、初めてそこが自室にあてがわれた部屋だと気づく。部屋の隅にある椅子に腰かけ、暇そうにタブレットを触っているレオが視界に入り、ルエは慌ててベッドから降りた。
「レオ様、お気づきにならずにすみませんでした」
「いいよいいよ、それよりさ、身体。変なとこない?」
変な、の部分にルエは違和感を覚える。この少年王は果たして何の意味でそう問うたのか。落ちたことに対して、怪我がないか異常がないか聞いているのか。それとも、ゼロが自分に行ったことに対して聞いているのか。
どう答えるべきかルエが悩んでいると、レオは「ふーん」とタブレットから視線を上げた。その底知れぬ笑みが恐ろしく、ルエは思わず背中を向けてしまう。
「そこまで警戒しないでよ、少し傷つくかも?」
そうレオは笑うが、ルエは何も言うことが出来ず、ただ「すみません」と声が震えないように絞り出すだけだ。レオは余り気にも止めず、タブレットをくるくると指先で器用に弄びつつ、ルエの正面に回り込み、そして顔を覗き込んだ。
「ルエディア」
「は、はい……っ」
薄気味悪さに微かに声が震えた。平静を保とうとすればするほど、握りしめた拳に汗が滲んでくるようで、それがさらに焦りを生み出していく。
「命って、ルエディアにとって、なんだい?」
それは意外な質問で、張り詰めた糸が少しは緩むようだ。
「それ、は、たぶん、心そのものじゃないかと……」
その答えが少年王の望むものかはわからない。しかし、わからない以上は自分の答えを示すしかない。ルエは答え合わせをするように、レオからの言葉を少し待ち。
「では、心が命だとして。キミはそれが皆平等にあると思うかい?」
「平等、です。私も、ハヤトくんもゼロも、もちろん民たちや、レオ様も」
「なるほど。平等なのにキミは奪うのかい?」
覗き込むレオの瞳が、ぎらぎらとルエを見つめる。同じ黒い瞳にルエの怯えた表情が映り、ルエは思わず息を呑んだ。
「キミは平等と言いながらも、そう、ここに来る前に賊が死ぬのを了承したじゃないか。いや、東でもそうだ。同じ王族を手にかけ、いやいや、船の上でキミは殺したよね?そんなキミが、平等って言うのかい?」
「……平等ですよ」
それは偽善や誤魔化しではなく。
怯えたような表情をしていたルエは、深く息をひとつ吸い、そしてゆっくりと吐き出した。自身の胸に手をやると、強く、にたりと笑い続けるレオを見据える。
「平等に始まり、平等に終わる。それは私だってそう。同じように生まれて、そして還っていく。そこには王族も民も、神柱だってないです。あるのは、皆さんが違う思いで生き、そしてその為にどう足掻くか。足掻いた結果、失くなる思いがあるのなら、私はそれを持っていくだけです……!」
「それならルエディア、心のないヒトはキミにとってなんだい?心がない、つまり生きていないヒトの思いを、キミはどうやって持っていくつもりだい?」
それはレオにとって、興味深い内容だった。目の前の王女は、自分が生きていない存在ということを知らない。命を心だと彼女が言うのなら、自分という存在は、彼女の言う平等からは外れている気がした。
「……私は」
ルエが何か言おうと口を開きかけた時、部屋についている呼び出しのベルが鳴り響いた。どうやら、誰かが外で待っているらしい。
答えが聞けるかと思っていたレオは、面白くないと顔に思いきり出しつつも扉に向かっていく。一応部屋の主はルエなわけだが、出てくれるならばそのまま任せることにした。
「全く誰なんだい。せっかく楽しいことが聞けると思ったのに」
レオはそこまで言い、ふと気づく。
自分は今楽しいと思ったことに。今までもそういった考えを持たなかったわけではない、が、それはあくまでも自分本位の興味からくるものであり、相手の答えが待ち遠しいと思ったことなどない。
背筋がぞくりと震えた。この幼い王女ならば、自分の求める何かを、与えてくれる気がして。
「まぁ、それはそれだよね」
誰に言うでもなく言葉を零し、レオは扉近くのパネルに手をかざす。ハヤトやルエたち、もちろん西の研究員たちでさえそういったことは出来ず、レオそのものがヒトではないからこそ出来る芸当である。
静かに開いた先に、少しうつむき加減の研究員の姿があった。その研究員はレオの顔色を伺うようにして、微かに震えながら言葉を絞り出していく。それはまるで、なるべくレオを刺激しないようにしているように見えた。
「あの、陛下……。“96”が逃げたようでして……その、自分たちではどうしようもなく……指示を仰ぎたく思いまして……」
研究員からの報告に、レオの目の色が変わる。それを見た研究員は小さく悲鳴を上げ「申し訳ございません……!」と何度も頭を下げた。ルエからはレオの背しか見えないが、研究員の焦りから、相当レオの機嫌がよくないことがわかる。
「あのさー。キミみたいな、頭の悪い奴でも出来るような仕事をあげたんだよ?ただ、見張るだけ。なんでそれが出来ないかなー?」
「うっ……ぎっ……」
研究員の髪を鷲掴みにしたレオは、掴んだ手とは反対の手を研究員の喉元に当てる。力を入れているわけではないが、少しでもレオが力を入れてしまえば、研究員の喉は簡単に潰れるのだろう。
「レ、レオ様。ところでゼロはどこにいるのでしょう?一緒に落ちたはずなのですが」
見ていられず、ルエはわざとらしくレオに声をかけた。ゼロを心配しているのは本当のことではあるし、何も間違ったことは言っていないつもりだ。
ぐるんとレオの首が回り、その冷たい瞳にルエを映す。何も読み取れないその瞳は、海で見た漆黒に近く、しっかり意識をしていないと呑まれていきそうだ。
レオはにんまりと笑う。
「落ちたよ。傷が酷かったから診ていたんだ。今日はきっと、うん、多分会えないよ」
「そ、う、ですか……。あ、では昨日お話して下さった案内を頼めますか?」
なるべく早くこの空気をなんとかしようと、ルエは思いつく限りの言い訳を述べていくも、そのどれもレオの興味を引くには十分ではないらしい。喉元に当てた指先が離れる気配は感じられない。
「へ、陛下……っ。“クロ”は力を制御出来ておりません。早く、早くご指示を……!」
ルエの助け舟もあってか、研究員が我に返りレオに懇願にも等しい声色を放つ。何も知らないルエから見てもそれは明らかに焦っており、その“クロ”と呼ぶナニかはあまりよくないものらしい。
「……しょうがないなー。キミと、その家族への罰則は追々与えるとして。アレが暴れると大変だからなー、困るしなー」
いつもの軽口に戻り、掴んでいた手を離す。研究員は助かったとばかりに座り込み、ルエに向かって小さく頭を下げた。それにルエはふわりと笑い返し、しかしすぐに表情を固くする。
「レオ様、何か緊急のことなら私もお手伝いします。何か出来ることはありませんか?」
ルエのレオを見つめる瞳は真っ直ぐで、それは先程までとはまるで別物だ。
「んー。そうだね、じゃあ」
レオはルエを、いやルエの着ている服を頭からなぞるようにじっとりと眺め、
「着替えなよ。そしたらおいで」
ルエは言われて気づく。自分が昨日の落ちたままの姿であることに。少し赤くなりつつも、ルエは軽い返事と共に手早く着替え始めた。
一瞬ハヤトを呼びに行こうかと思ったが、先に向かったレオを見失いそうなこともあり、渋々ルエはレオを追いかけた。




