約束 〜promessa〜
※
それは、闇に溶ける感覚だった。
自分の白とは似ても似つかない、それでいて塗りつぶしていくような闇は、とても深く薄気味悪い。
ゼロはそれでも闇を払おうと、ただ必死に手を振って藻掻いてみる。払った部分は一瞬明るくなり、なぜかそこから愛しい妹の姿が見え隠れした。それをもっと見続けようと、何度も何度も手で払ってみるが、闇が消えていく気配は全くない。
「なん、で……ルーちゃん、オレがわかんねーのかよ!?」
声を張り上げるが、届いていないことくらい理解している。それでも届ける為に何度も名前を叫ぶ。
「全く、貴様はうるさいのだな」
それは自分と全く同じ声の、見た目だけが違う少年から発せられた。ゼロの背後に立つ彼は、そう、黒髪黒目のゼロ、レイガノールそのものだ。
「オレ……?」
「そうとも言えるがそうとも言えん。どうだ?手が届かないもどかしさは。オレから散々奪った貴様には、これがお似合いだろう?」
自分と色が違うだけの彼は、そう言って、口の端を微かに持ち上げた。意味がわからず、ゼロはレイガノールに駆け寄ろうとするが、その距離はどれだけ走ろうが縮まろうとはしない。
「奪ったって、どういうことだよ……。むしろオレは失くしたんだ!お前の持ってる黒髪も、力も、両親も、大切な思い出も!」
それを決めたのはゼロ自身であるし、後悔は、恐らくそれほどしていない。後悔する暇があるなら、少しでも前を向くと決めたのも自分だからだ。
しかし、目の前の黒の彼は違うと言う。
「貴様は、妹からの信頼も、信用も、愛も!そして友や民からの尊敬も集め、何を失ったというのだ。黒髪も力も、オレが欲するものの為に、なんら必要とはしない!」
「ルーちゃんやハヤトが求めてんのはオレじゃねぇ!レイガノールなんだよ、王が欲しいんだ!」
どれだけそれを欲してやまなかっただろう。なのに黒の彼はそんなものはいらないと言う。ならば自分と代わってほしい。その立場も、力も、今の自分を彼が欲しいならばくれてやる。
ゼロはレイガノールに手を伸ばす。彼もまた、ゼロに向かって手を伸ばした。お互いにお互いを求めるなら、これが1番効率がいいに決まっているのだから。
寝ていたルエは、自身にかかる重みでふと目を覚ました。ぼやける視界の中、見慣れた白が揺れ、あぁ寝かしつけに来てくれたのかとふと思う。もうそんな年ではないし、最近の彼はやけに気を使っているようだから、こんなことをするはずがないのだけれど。
「ん……ゼ、ロ?」
掠れた声で名前を呼ぶ。呼ばれた彼は特に驚くでもなく、静かにというように口元に指を当てた。
「起こしてごめんな?」
少し重そうに体を捻ると、白の彼は苦笑しながらもどいてくれた。まだ眠気が残ってはいるが、こんな夜中に来たのだ、何か大事な用でもあるのだろう。
ルエは手元にあった明かりをつけ、それからゆっくりと身体を起こした。寒くないようにカーディガンを羽織り、白の彼、ゼロに視線をやる。ゼロはベッドの縁に座り、ルエには背を向けたままだ。
「ゼロ、こんな時間にどうしたんですか?何か、あったんですか……?」
正直、目の前にいるゼロがいつものゼロとは思えないのが本音だ。けれども、酷く頼りなく見えるその背は、なぜだかルエを不安にさせるのも確かで。
「ルーちゃん、ちょっと散歩に付き合ってくれない?」
「え、えぇ、構いませんが……」
せめて着替えたいのだが、彼の様子から察するにそれは難しそうだ。急かすように出ていってしまったゼロに、ルエはただついていくしか出来なかった。
どれくらい歩いただろうか。
ある扉に、ゼロは持っている証明書をかざす。静かに開いたその先に見えたのは、眼下に広がる無数の明かり、空に走るいくつかの線。
「わぁ……」
どうやらここはバルコニーらしく、吹き抜けていく風がルエの頬を優しく撫でていく。それでも少し肌寒く、自分の体を抱きしめると、ゼロが着ていた上着をかけてくれた。
「ありがとうございます」
「いいって。それよりさ、どう?これ」
これ、というのはもちろんこの景色のことだろう。これが見せたくて来たのだろうか。戸惑いから何も言えずにいると、ゼロが少しがっかりしたように眉をひそめた。だからルエは、すぐに首を振って否定の言葉を口にする。
「ち、違うんです、綺麗は綺麗なんですが……。ゼロはこのために私を?」
「やっぱ覚えてない?」
「何を……?」
先程とは違い、それこそはっきり落胆するが、しかしルエには見当もつかない。何かゼロと約束でもしたのだろうか、自分が忘れているだけで。
「ごめんなさい。私、覚えてないみたいで……」
「いや、いいんだ。オレは今、ルーちゃんと……ルーとこれを見ている今が、大事な思い出になるから」
ずきり、と。
ゼロに「ルー」と呼ばれるだけで、頭が割れるように痛くなる。それを昔、出会った頃ゼロに言ってから、彼は今の呼び方で定着してしまった。申し訳ないことをしたと思ったが、彼は自分の嫌がることはしたくないと言い、それからは1度たりとて呼んだことはない。
「ねぇ、ゼロ。呼び方……」
「呼び方?オレは昔から、ルーはルーって呼んでいただろ?」
「違う……」
痛みが酷くなり、立っていられなくなったルエは、手すりにもたれかかるようにしてゼロと向き合った。痛みからか、視界もいくらかぼやけている。自分を呼ぶゼロの声もはっきり聞こえてこない。
「お願いゼロ、やめてください……」
「なんでだよ!オレを拒絶するのか!?オレは!ルーと会いたくて、話したくて、抱きしめたくて!アイツを堕としてまで出てきたってのに!」
「何、を、言っているの……」
ゼロに似ているだけの彼は、やはりゼロとは別物で。それでもわかるのは、ゼロと同じように、ルエを大切にしたい気持ちがあること。それを否定したいわけではないのに、今のこれでは何の言葉も届きそうにない。
「ゼロ、聞いてください。私、は……」
「うるさい!」
何も言うなとばかりに手で口を塞がれ、その勢いのまま手すりから身を投げ出す形になってしまう。ふわりと不自然に浮く体と、そして次の瞬間。
重力に逆らえずに落ちていくのを感じ、ルエはただ、一緒に落ちていくこの彼が、自責の念に苛まされないようにと、強く強く願った。
明け方、散歩をしようと外に出た研究員によって、柔らかな草木に抱かれるようにして倒れていた2人は、急遽治療室へと運ばれることに。
しかし。
倒れていたのが黒髪の少年と少女だったことは、公には伏せられて。
※
「ハヤト様、ハヤト様!」
朝から、自分の名を叫ぶようにして呼ぶクレハの声で目が覚めた。クレハは自分が低血圧であることを知っていたはずだが、そのクレハがこんなにも慌てているのだ。何かがあったに違いない。
眠気は残ったままだし、身体はすっきりしないが、ハヤトは渋々扉に歩み寄ると、証明書を軽くかざした。音もなく開いたその先に、申し訳なさそうな、しかしそれでいて焦りを隠しきれていないクレハの表情が見える。ハヤトは欠伸を噛み殺し、なるべく冷静にふるまいつつ、クレハに話を促してやる。
「朝から申し訳ございません、ハヤト様。ルエディア様とゼロ様が、昨夜、バルコニーから落ちたようでして……」
「ルエとゼロが?なぜ夜中にそんな場所に……」
「わからないのです。あそこは、あの場所は一般開放はしておらず、研究員も滅多に行くようなところでもなく……」
うつむき加減で答えるクレハからは、恐らくこれ以上の情報は得られないと考え、ハヤトは「支度をする」と返事を待たずして扉を閉めようとし。ふいに背中に感じた温もりに足が止まってしまう。
「……クレハ」
感情の籠もっていない声で、背中越しの彼女を呼んでやる。振り払えば済むことだが、彼女に対してそういったことはしたくない。彼女、クレハもそれをわかった上でこれをしているのだからたちが悪い。
「ハヤト様、貴方は優しい方です。だからこそ、もうこれ以上王族と関わるべきではありません。お願いです、ルエディア様も、ゼロ様のことも、どうか忘れて頂けませんか?」
「……忘れる時が来るとしたら、それは2人が俺を忘れた時だけだ」
「忘れる気はないのですね」
これ以上話すつもりはないというように、ハヤトは今度こそクレハを振り払う。従うようにあっさりと離れ、それからクレハは唇を噛みしめ床を見つめた。
「……解錠、射出」
ぽつりと零されたそれに呼応し、クレハの周囲に針のようなものが現れた。それはハヤトを狙い、一斉に飛びかかってくる。ハヤトはそれらを振り向きざまに避けようとするが、左肩に何かが刺さる違和感で動きが止まる。
よく左肩を視ると、自分に向かってきた針とは別の、うっすらとした小さな針が刺さっているのが見えた。最初から視ていれば避けれたのだろうが、刺さってからではどうしようもできず。
「クレ、ハ……っ」
壁に手をつき、よろける身体を支えようとするが、霞がかかっていく視界と思考は、思うように動いてはくれず。そのまま意識を手放すまで、それほど時間はかからなかった。
「ハヤト様、申し訳ございません。でも、わたしは、わたしは……」
言い訳地味た言葉を言いかけ、クレハは首を横に振る。ハヤトが意識を失う寸前のクレハを見る目は、疑問と疑いしか感じられず、それはクレハに痛みを残すには十分だった。




