黒 〜preto〜
ゼロの部屋に、彼はいなかった。
どうしたのかと首を傾げる2人の元へ、迎えに来たらしいクレハが淡々と告げる。
「ゼロ様でしたら具合が良くないらしく、先程私がお連れしました。滞在中には直るかと」
「あんなに元気そうだったのに……?」
訝しむルエとは逆に、ハヤトは余り気にしていないのか、表情を変えることなく「そうか」と一言だけ返す。ルエは、その態度に何か言いたそうな視線を向けるが、ハヤトから返された視線もまた、今は黙っていろと言いたげなもので。
だからルエは、小さく手を握り締めただけで、何事もないかのようにクレハにふわりと笑った。
「……クレハ様、お世話をお掛けします。ゼロのこと、よろしくお願いします」
「お任せくださいませ。ではご案内を」
「いや、案内は構わない。変わっていないのだろう?」
背を向けたクレハに問いかけると、クレハはそのままの状態で短く「はい」とだけ返した。ハヤトは納得したように頷くと、
「中を見て回りつつ向かう。少し遅れるが、まぁ陛下のことだ。案の定あちらも遅れてくるに違いない」
その言葉に、クレハは思案するように視線を漂わせ、しかしすぐに頷き「お伝えしておきます」と2人に背を向ける。クレハの姿が見えなくなった頃、ルエは不思議そうにハヤトを見上げた。
「案内、なぜ断ったのですか?」
「俺とクレハのこと、聞きたいんだろ?それならいられると困るからな」
大して気にも留めず答えるが、ルエはその気遣いが嬉しくもあり、そして悲しくもあり。そんなルエを知ってか知らずか、ハヤトは先に歩きだし、どこから話したものかと記憶を辿る。
「俺とクレハは……」
「あの!」
「ん?」
急に声を上げたルエを、一体何事かと思い振り返る。ルエは何かを伝えようと、しかしどう伝えればいいのかわからないようで、引き止めた姿のままだ。
ハヤトはそれをしばし見つめ、困ったように視線を床に彷徨わせる。聞きたかったのではないのか、自分とクレハのことを。だからあれほど不安になっていたのではないか。
「……ゼロの」
先に口を開いたのはハヤトだ。
「ゼロの昔話、したことなかった、よな……」
これならどうだろうかと、ちらりとルエを盗み見る。
「そ、そう、ですね。では歩きながら、話せるとこまでで構わないので、よろしくお願いします」
どうやらこの話題はよかったらしい。
ハヤトは内心胸を撫で下ろし、どこから話したものかと記憶を辿っていく。小さな四角い窓から見える景色は、既に薄暗くなっていた。
※
声、だ。
それは耳に囁くような、とてもとても小さな声。
それが詞だと気づいた瞬間、ゼロの意識は瞬く間に覚醒していった。
「あ、れ……」
口からごぼごぼと泡が出ていき、それは自分が、得体の知れない何かしらの容器の中で、水のような物に浸されていることがわかった。しかし不思議と苦しくはなく、息も出来れば話すことも出来る。水中だというのに、目を開けてても痛くもない。
しかしそれが、この異常さをゼロに理解させるには十分なものだった。
「やぁやぁ、目が覚めたんだね。死ななくてよかったよかった」
その声に鳥肌が立つのを感じ、ゼロは慌てたように辺りを見回す。が、自分は容器の中に寝かされているようで、どれだけ周囲を伺おうとしても、見えるのは硝子越しの天井と思わしき暗闇だけだ。
「おまっ、お前、オレに何してっ」
恐怖で声が裏返るが、それを気にしている場合でもない。
「何?何っていうのは、あれかい?身体を分解されるとか考えてる?」
ゼロの視界にあの不気味な笑顔が入り、ゼロは思わず叫び、その容器を力任せに殴ってみるがびくともしない。それを愉快だと言わんばかりに笑い飛ばし、レオは頭を手に取り胴体に付けた。
「大丈夫、貴重なヒトに乱暴はしないって。ただね、ボクは知りたいんだよ」
「な、何、を」
「感情を」
大袈裟なほどに手を広げ、レオは笑いながら容器の周りを歩くが、ゼロから姿が見えず、ただただ薄気味悪い笑い声だけが聞こえてくる。それがさらに恐怖を煽り、ゼロはまた気でも失ってしまえたらと考えた。
「ボクら西の王族は、代々この身体に記憶と記録を継承していく。その中で、感情というのは余分なものでさ、余りよくわかってないんだ。でもボクは知りたい。例えば……」
レオがゼロを覗き込む。
「ねぇ。キミはルエディアが好きなんでしょ?だったらなんで、2人が幸せならそれでいいって思ってるの」
「ルーちゃんは、オレにとって家族だからだよ」
「家族?」
意味がわからないというように、しかしレオは興味深いとばかりに、容器にさらにしがみつくようにしてゼロを見つめる。
「愛って、一緒だよね?好き、愛、恋。ねぇ、キミはルエディアを手に入れたいよね?」
「愛にもいっぱいあるんだよ!家族愛だ、家族愛!」
「よくわからないな。クレハも同じことを言っていたよ、愛してるから手に入れたいとは限らないって」
鼻歌まじりに容器から離れ、レオは別の場所に置いてあったタブレットを手にし戻ってくる。指で画面を撫で、目的の何かを見つけたのか、満足そうに容器の中のゼロに見えるようにちらつかせた。
「これ……」
ゼロは画面の文字を追っていく。ハヤトが西に来てからの記録、それからクレハと何があったのか、それらを簡素だがまとめたそれは、ゼロに怒りを覚えさせていく。
「お前!こんなん、こんなんやらせたのかよ!?ふざけんなよ!」
「知りたいと思うのは悪いことかい?自分に理解出来ないことを理解しようとするのは、そんなに糾弾されることかい?」
「やり方ってもんがあるだろ!あぁ、くそ!ここから出せ!出しやがれ!」
内側からどんなに叩こうと、叫ぼうと、ただ虚しく響いていくだけのそれは、ゼロに、自分では何も出来はしないことを嫌でも自覚させていく。
もっと、自分に力があれば。ハヤトのように神術を使えたり、それこそルドベキアのように物理的な力でも構わない。何もない、失くしてしまった自分が、今この時ばかりは恨んだ。
必死に抵抗を試みるゼロを、レオは嘲笑うかのようにタブレットを器用に回してみせ、それから手元にあるスイッチに手を伸ばした。
「さてさて。キミにはね、試したいことは色々あるんだけど……。本当のキミ。まずはそれからいってみようか」
「本当の……オレ?」
容器を叩く手が止まる。本当の、というのは一体なんなのか。
「そう。見せてよ。キミの、奥底にある、醜いもの、綺麗なもの、真実を」
レオがスイッチを押す。
入っていた水は水位を低くしていき、ゼロの身体が次第に露わになっていく。代わりのように容器内に満たされていく煙は、先程の水とは違い、少量を吸い込んだだけで目眩がしてくる。
吸ってはいけないとわかってはいるが、酸素を求める身体は、嫌でも大量のそれらを体内へと取り込んでいく。虚ろになる意識の中、やけに耳につく笑い声が印象的だったのを覚えていた。
白は黒に染まる。
自分のものではない、何かが這い回るような気持ち悪さ。
感情も、意思も、自分そのものさえも、簡単に塗りつぶされていく。
誰だろう、これは。
「やぁやぁ、寝起きはどうだい?レイガノール」
最初に聞こえたのは、やけにカンに触る声だった。
容器が開き身体を起こす。
自分に笑いかけてきた少年の首を、手を薙ぎ払って落としてやった。転がる首と、立ったままの身体を忌々しく見つめ、そっと容器から立ち上がる。
「何か言いなよ。久しぶりでしょ、その身体」
「……貴様、オレに何をした」
転がったままの首を拾い上げ、身体と器用にくっつけると、その黒髪の少年は狂ったように笑い出した。
「起こしてあげたんだから、あんまり酷いことはしないでほしいな。呪いをあっちに押しつけて、こっちに出てきた気分はどう?」
肩を動かしてみる。確かに悪くはない。
まぁ元は自分の身体なのだし、悪いも良いもないと思うのだが。
ゼロ、いや王族の証とも言える黒髪黒目を持った少年は、何かを思い出すように口元に手をやる。しばしの後、興味深そうに自分を見上げるレオを蹴り上げた。
「ぐへっ」
軽く吹っ飛んでいくレオに構わず、少年レイガノールは足早に部屋の出口を目指していく。途中、硝子に写る自分の姿に気づき、いきなり兄が出てきてはまずいかと考え。
「おい」
「な、なんだよ、もう……」
「東にあった、アレ。早く出せ」
「はぁ?」
レオが文句を言おうとしたところ、またもや胴体を切り離された為、言われた通りに白髪のウィッグを用意してやるしかなかった。とても不本意で、理不尽だとは思ったが。




