鈍感 〜lento〜
飛び出たはいいものの、よく考えていなかった。
いや、ではいつも考えて行動しているかと問われると、否、考えていないと即答出来る。
しなる鞭を左右に避け、その先端が後ろからゼロ目掛けて駆け寄ってくる。それを紙一重で交わすと、掠めた先が頬を切り裂き傷を作っていく。
これくらいの傷なら術は使わなくても十分だと、またハヤトに嫌味たらしく言われるに違いない。むしろ、これくらいで済ませている自分に感謝してほしいくらいだ。
それにしても。
やけに鞭がはっきりと見える。右に飛び、屈んで、低姿勢のまま素早く近寄って。
あぁ、そうかとゼロは気づく。東で特訓したからだと。東の新国王の剣の騎士は、これより早く、そしてしなやかだった。あれと比べれば、どうということはない。
身軽にステップを踏み、そして懐に入ったゼロは勝ったとばかりににやりと笑う。鞭を持つ右手を強く握り、その動きを強引に止めると、
「つーかまえた」
「この、坊や……!」
振りほどこうと女が身をよじるが、ゼロはその反動を上手く利用し背後に回ると、そのまま両手をねじり上げ動けないようにする。
「ハヤトー!これでいーのかー!?」
「上出来だ。空の詞、4の章。解離せしは調和の理。白紙に乖離し分離を以て分断とせよ」
ハヤトが詞を紡ぎ、左手を女に向ける。特に何の変化も見られないそれは、女を1番近くで見ていたゼロには、すぐにそれが見て取れた。
女の身体がぼこぼこと、まるで内側から何かが沸騰するかのように皮膚が波打ち出し、それとほぼ同時に女の身体から子分の顔や手足が出始める。あまりの気持ち悪さに、ゼロは「げ」と思わず離れてしまう。
しかし女はそれどころではないのか、次々に自身から生み出されていく子分たちに手を伸ばし、あるいは出ないように押さえつけ。それでも子分は生み出されていき、女の身体が元に戻った頃。
「坊やぁぁあああ、よぐも、子供たちをぉおお」
女は忌々しくハヤトを睨む。しかしハヤトは意に介せず、自身の右目を軽く押さえつつ女を冷たく見据える。
「歪な家族愛なら他でやることだ。他人を巻き込まずにな」
さらに詞を紡ごうとするが、ぐらついた身体がそれをさせず。
「ハヤト!?」
「ハヤトくん!?」
ゼロとルエが同時に名前を呼び、そして息を呑む。右目からは血が流れ、それは明らかにハヤトにとってよくないものであることがわかる。
駆け寄ろうとしたゼロの背に、女の乾いた笑い声が向けられ、ゼロは鳥肌が立つと同時に振り返る。
「ほら、やっぱりムリなのよ。視るのも限界でしょう?」
「どういう、意味、だよ……」
「空は空にしか視えない。それを視ようとするからムリがかかるの。ザーンネン」
狂ったように笑い出す女の、その笑い声に呼応するかのように空気が震え出し、それは急速に辺りの気温と、そして酸素を奪っていく。
「……っ、ルー、ちゃ……」
ゼロの視線の先、光に守られたルエが出ようとするのが見え、ゼロは首を出来るだけ大きく左右に振る。しかし自分が意識を失えば、神機の守りも意味を成さなくなってしまう。
ハヤトを見るが、彼も詞を紡ごうにも息がしづらいのか、思うように言葉が出ないようで。駄目かもしれないと意識を手放しかけた時。
夜だと言うのに、空が薄ぼんやりとした紫色に光り。
「放て、淡雲。憐れみを我が手に」
幼い声ではっきりと詞が聞こえた。その光が辺りを照らすと、急に呼吸がしやすくなった。その機を逃すまいと、ハヤトが息を深く吸い、そして吐き出し滑らかに詞をなぞっていく。
「水の詞、5の章。淡い輝き、手に乗せて」
しとしとと。
雨が降り出す。
「行く手数多に誘いでる」
それらは一粒一粒、細やかな結晶へと姿を変え。
「我が声に応え、招き入れん」
結晶は集まり巨大化し、そして笑い続ける女に向けて落ちていく。
「ぁぎゃっ」
潰れた声と共に血溜まりが広がり、ルエは見ていられず目を反らす。が、それは一瞬だけで、ルエは目に焼き付けるようにそれを静かに見つめる。自分の為に、誰かが手を汚し、誰かがいなくなる、その現実から目を背けない為に。
ゼロも呼吸を整えた後、一体何が起こったのかと辺りを見渡して。空から降り立ったそれに、一瞬目を疑った。
背から羽のようなものを生やした、ともすれば人かと疑ってしまいそうになるそれは、まだ幼い少女だった。その少女は、あまり表情を変えずにハヤトに歩み寄ると、手を黙って差し出す。
「……来るならお前だと思っていたよ、クレハ」
「はい、ハヤト様。お久しぶりでございます」
その手を軽く握り返すと、ハヤトは薄く笑いかける。それを遠目で見ていたルエは、ちくりと胸の痛みに顔をしかめつつも、駄目だと言い聞かせるように首を振ると、ゼロの元へ駆け寄っていく。
そんなルエの姿を視界に入れ、少女クレハは感情の余り込もっていない声で、ルエに呼びかけるように言う。
「貴方がルエディア様ですね。西大地国王、レオ・テノ・プリマリィ様からの言いつけにより、お迎えに上がりました908です。お見知りおきを」
控えめに頭を下げたクレハは、壊された箇所を確認するように辺りを見渡す。
「この速さなら、明日の昼過ぎには着くでしょう。西に着き次第、修理に取り掛かります。わたしが見ておきますので、今は身体を休めて下さいませ」
淡々と業務連絡のように告げ、それからクレハはポケットから小さな箱のようなものを取り出すと、それに一言「格納」と声をかける。すると、背中の羽が淡く光り、細かな粒になっていき箱の中へと納まっていった。
それをただぼうっと見つめ、それからゼロははっとしたように、寄り添ってきたルエに視線をやった。悲しげな表情をそれ以上させたくなく、ゼロはルエの頭を強く撫でて顔を上げさせると、疲れを見せないように笑いかける。
「んじゃ、オレらは休もうぜ!もう夜だしさ。ルーちゃんはオレが部屋まで送ってくから心配すんな!」
「ゼロ……、ありがとうございます」
ルエも少しぎこちなさを残しつつ笑い、ハヤトとクレハのほうを見ないようにして船内へと入っていく。あの鈍感野郎と、ゼロがハヤトをちらりと見るも、やはり気づいた様子などなく。
騎士たちに指示を出す姿に、もう少しくらい気を使ってもいいんじゃないかと内心舌打ちしつつ、ゼロも船内へと戻っていった。
それを見ていたクレハは、少し迷うように視線を彷徨わせ、それからハヤトに向き直る。あらかた指示を出し終えた様子で、彼もまた、クレハに用があるのか向き直ってきた。
「ハヤト様、貴方もお休み下さいませ。ルエディア様も戻っていかれたようですし」
「いや、いい。王女にはあいつがついている。それに俺が休むわけには……」
いかないと言いかけて、やはり身体がふらついてしまい、クレハに支えられてしまう。
「貴方は、西へいた頃からですが、ご自分の身体の状態を把握することが苦手のようです。今はお休みになる時かと」
「……クレハには敵わないな。では有り難くそうさせてもらう」
「はい、お任せ下さいませ」
軽くお辞儀をするクレハに、ハヤトもまた薄く笑い、ふらつく足取りで船内へ戻っていく。頭を下げたままのクレハは、誰にもわからないように、小さく口を結んだ。




