5、王と死神
「ひっく・・・っぐ・・・・・・うぇぇっ」
「すまん、そろそろ泣き止んでくれないか?」
ルビの背中を撫でながら、僕はそう言った。しかし、ルビは嫌々と首を左右に振って聞かない。
しかし一体どれくらい時間が過ぎただろうか?軽く三十分は過ぎているのではなかろうか。そろそろ泣き止んで欲しい所だと思う。まあ、ルビが泣いたのは僕の責任だから仕方がないのだが・・・
ルビはぎゅっと更に強く抱き付き僕の胸に顔を押し付けてくる。ああ、もう僕のシャツがルビの涙とか何かで大変な事になってるよ。もうぐしょぐしょだ。うぇぇっ・・・
思わず僕は顔をしかめた。しかし、これも僕の責任ではあるので我慢するしかないのだが・・・
そっと、僕は溜息を吐く。どうした物だろうか?と、その時・・・不意に視線を感じた。
「ふむ、そろそろ良いかな?」
「っ⁉」
「っ、ふぎゅぅっ!!?」
僕は咄嗟にルビを押し退け、飛び起きた。そして、ルビを庇うようにさっと彼女を背後に隠す。ルビは顔を思い切り打ち付けたようで、顔面を押さえて涙目になっている。涙目で、僕を見ている。
・・・しかし、今はそれどころではない。目の前には華美な戦装束を身に纏った男が居た。
ターコイズはその姿を見て、目をこれでもかと見開いている。恐らく、この男が・・・
「貴方が、アルカディア国王か?」
「・・・そうだ、余がアルカディア国王。ラピス=アルカディアだ」
アルカディア国王、ラピスは王者の威風を身に纏い、そう名乗った。ふむ、確かにこの男が国王で間違いはなさそうだ。この覇気はそうそう影武者に真似出来る物ではないだろう。
先程から、肌を刺すような鋭い覇気が僕を突き刺す。空気が少し重苦しい?
ラピスは視線だけでターコイズを見る。その視線に、ターコイズはびくっと震えた。しかし、どうやら部下の粛清に来たという訳でも、ルビの再封印に来た訳でもなさそうだ。
周囲には他に気配は無い。恐らく、国王一人で来たのだろう。わざわざ、此処までだ。
だとすれば、一体何の用だ?僕は怪訝な顔をする。何の為に、わざわざ一人で此処まで来た?
そう訝しんだが、しかし国王は意にも介さなかった。
「・・・部下が先走った真似をして済まなかった。余からも詫びよう・・・」
「へ、陛下っ⁉」
ターコイズが愕然と叫ぶ。しかし、ラピスはそれを意に介さず、静かに頭を下げた。
その姿に、僕は思わず拍子抜けする。思わず、怪訝な顔で問い掛けた。
「・・・一応聞いておくが、ルビを再封印する気は無いのか?一応、貴方は国王でしょう?」
その言葉に、ルビがびくっと震える。そっと僕の背後に隠れ、怯えた瞳でラピスを見た。その姿にラピスは流石に苦笑を漏らした。その姿が、あまりにも弱々しかったからだ。
ラピスは首を左右に振った。そして、穏やかな瞳をルビに向ける。
その瞳は、まるで娘を見る父親のようだ。先程の覇気は既に霧散している。
「こう言っては何だが、余はその娘を封印する事には賛成しておらん。その娘を犠牲にして得た平和なんぞは所詮仮初に過ぎぬのだ。故、むしろそちが封印を解いてくれて感謝している」
「・・・そうか。そりゃどうも」
僕は照れ隠しにそう答えた。そんな僕に、ラピスは微笑みを向ける。実に楽しげだ。
どうやら杞憂だったらしい。国王は当時、民衆の混乱を鎮める為ルビの封印を黙認した。しかし国王本人としてはやはり、封印そのものには反対していたという。裏では、何とか封印を無事に解く方法を模索していたとか何とか。しかし、結局見付からず今に至るそうだ・・・
当然だ。民の為とはいえ、他でもない守るべき民の一人を犠牲にするなど既に破綻している。その時点で何かがおかしいと国王自身、感じていたらしい・・・
「そちも、本当に済まない。民衆の混乱を鎮める為とはいえ、そちを犠牲にして申し訳ない」
「いえ、私も解っていた事ですから。当時は私が封印されれば皆が納得すると信じてましたし。やはりそれでも私は人を信じていましたから・・・」
「そうか、ありがとう・・・」
ラピスはそう言って、優しい笑みを浮かべた。それは、娘を想う父親のような笑みだった。
・・・・・・・・・
・・・と、次の瞬間。一条の光線が奔った。
「ぬぐぅっ!!?」
その光線はラピスの背中から胸を貫通し、心臓を射抜いた。僕とルビ、ターコイズは目を見開く。
直前にぎりぎり気付いた僕は、ルビを庇った。故に何とか僕とルビは助かった。しかし・・・
ラピスはかなりの重傷だ。心臓を貫通し、決して少なくない血を失っている。
見ると、ラピスの背後。遥か彼方にフードを目深に被った魔女の姿があった。その姿を確認するとラピスは目を大きく見開き、叫んだ。その絶叫は、周囲一帯に響き渡る。
「やはり・・・やはり貴様かっ!クリスっ!!!!!!」
その絶叫に、フードの魔女クリスは微笑みを浮かべた。その笑みを見たターコイズの中で、何かが切れるような音がする。それは、果たして何が切れた音か?
ターコイズが天にも届かんばかりの咆哮を上げる。そして、足元の大地を踏み砕かんばかりに踏み締め地を疾走する。残像を置き去りに、駆け抜けるターコイズ。
「っ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!!」
一気に駆け抜け、己の背丈程もある大剣で斬り掛かった。しかし、遠すぎる。
クリスは嘲笑を浮かべ、そのまま消え去った。ターコイズの大剣が虚しく空振る。斬風が空間を撫でて通り過ぎるが其処には既に誰も居ない。魔女の姿は、もうそこに居ない・・・
まるで、最初から誰も居なかったかのように。其処には既に誰も居なかった。恐らく、空間転移。
テレポートの類だろう・・・
ターコイズは、慌てて振り返る。其処には、既に虫の息のラピスが僕に抱きかかえられていた。
その瞳は既に何も映してはおらず、ヒュー、ヒュー、と頼りない呼吸を繰り返すのみ。
「っ、陛下!!!」
「・・・・・・っ、ごふっ‼ターコイズ卿、命令だ。すぐに境界の山脈を越え、魔王領にっ行け。そしてそこに居る・・・っ、二人を連れて、魔王コランを頼るのだ・・・」
「陛下っ‼くそっ・・・どうすれば・・・・・・」
ターコイズは焦る。焦るがばかりで国王を救う方法が浮かばない。そうしている間にも、ラピスの身体は冷たくなるばかりだ。もう、命はあと僅かだろう。
ラピスの胸元から流れる血が止まらない。次第に、その顔から血の気が失せてゆく。それが、更に僕達の焦りを加速させてゆく。しかし、どうにもならない。此処は人気の無い封印の洞窟前だ。
宙をさまよう手を、ルビが握り締める。ラピスは、ルビに微笑み掛けた。
血の気が失せたぎこちない笑み。しかし、その笑みに僕達は笑みを返す。もう理解していた。既にラピスの命は残り僅かだと。理解したからこそ、それぞれラピスに笑みを返した・・・
ルビなんか、涙をぼろぼろと流していたけど・・・
諦める気は無い。諦める訳にはいかない。けど、もう既に気付いていた。もう遅いと・・・
「今まで、本当に済まなかった・・・。これからは、そちも幸せになると・・・良い・・・・・・」
そう言うと、ラピスの瞳から命の炎が消えた。その顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。
アルカディア国王、ラピス=アルカディア。その人生に幕を下ろした瞬間だった。
「っ、陛下っ、国王陛下っ!!!」
「ちくしょうっ‼何で、俺は・・・・・・っ‼」
・・・ルビはラピスの手を握り締めて泣き叫び、そしてターコイズは地面を殴り嘆いた。そんな二人を目の前にして、僕は静かにラピスに誓う。必ず、この報いはあの魔女に支払わせると。
「必ずだ。必ず、この報いはあの魔女に・・・必ず、この死神が支払わせる」
そう言って、僕はそっと王を前に合掌した。きっと、この高潔な魂が天に召されると信じて。