1、アンノウン
しばらく寝ていた僕だったが、ようやく身体のだるさが取れて起き上がった。服も、何時の間にか乾いているようで全く問題ない。しかし、コンビニで購入した弁当は駄目だ。ずぶ濡れだった。
かつ丼弁当税込み価格、約510円也。それが、梅雨時の雨によりずぶ濡れに。うへえっ・・・
携帯はまあ良い。防水仕様だから、多少濡れた所で支障は無い。それより、僕は携帯を開いて現在の時間を確認してみる。12:35・・・異世界だから、違うかもしれない。しかし、太陽の位置情報から見てまず間違いないだろう。それくらいの技能は持っている。
・・・しかし、まあ。お腹からぐるる~っと切ない音が鳴った。
お腹をさする。そろそろ空腹を感じてきたな。しかし、手元にある食料はずぶ濡れの弁当のみ。
そっと溜息を吐く。仕方ない、これも是非も無しだ・・・
では、いただきます。僕はずぶ濡れになったかつ丼にかぶり付いた。
・・・当然、ずぶ濡れの弁当はお世辞にもおいしいとは言えない。というか、正直不味い。しかしそれでも僕は我慢して食べる。この程度、空腹よりかは遥かにマシというものだろう。
そう、きっと食事を満足に取れるだけ幸せ者なのだろうさ。きっとそうに違いない。
必死にそう言い聞かせて食べる。うぅっ、不味い。
「もぐもぐ・・・げふぅっ」
・・・しばらくして、ようやく食べ終えた僕は残った弁当の容器を土に埋めた。はっきり言って処理するのが面倒臭いという理由からだ。異世界だから、何とか土の中の微生物が頑張ってくれるだろう。
そう期待して、僕はその場を立ち去った。
・・・・・・・・・
「・・・・・・何処だ、此処は?」
森の中を歩いてしばらく・・・僕は、道に迷っていた。流石に、知らない土地で無計画に歩くのは無謀が過ぎただろうか?少しだけ反省する。いくら空間把握能力の高い僕でも流石に無謀だ。
・・・僕は、僅かに身を逸らして背後から奇襲を仕掛けてきた猿を避けた。一瞬で猿の群れをあしらいそのまま遊んでやる。そして、死屍累々と転がる猿の群れを放置して去っていった。
別に殺してはいない。殺してはいないので、問題はないだろう。それに、何故だか猿達は皆一様に満足そうな顔をしている気がする。本当に、何故かは知らないが・・・
そんな異世界の猿に、軽く戦慄を覚えた僕だった・・・
ああうん。きっと異世界の猿達だから、地球の僕には理解出来ないのだろう。きっとそうだ。
そう、必死に言い聞かせる。言い聞かせて僕は立ち去った。
そんな時、僕は森の向こうに開けた場所を見つけた。其処に何かが居る?不穏な気配を感じ、僕は近くにある木の陰に隠れた。其処には、名状し難い怪物が居た。
「グルルルルルル~~~ッッ」
獣のような唸り声を上げるそれは、黒いモヤのような塊だった。黒いモヤのような塊に、二つの赤い瞳が不気味な輝きを放っている。それは、まさしく怪物だった。
僕は、思わずごくりと唾を飲み込んだ。冷や汗が額を流れ落ちる。自然に、懐に手をやる。
其処にある筈の物を確認する・・・。よし、それはきちんと懐にあるな。僅かに安堵した。
その時———
パキリ!思わず、僕は足元の小枝を踏んでしまったらしい。その音に、怪物が反応した。爛々と輝く赤い瞳が僕を正面から睨み据える。その瞳が睨んだ瞬間、僕の身体が不自然に硬直した。
「っ、しま・・・」
「ギイイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!!」
黒いモヤのような名状し難い怪物は足場の大地を踏み砕き、そのまま勢いよく突進してきた。その勢いたるやまるで弓から放たれた矢。或いは拳銃から放たれた弾丸のようだ。
僕は硬直する身体を叱咤し、無理矢理回避行動に出た。怪物は直線状の木々を軒並み倒し、そのまま地面を踏み締めて急停止する。グルルと唸る怪物。どうやら、睨まれたら身体が硬直するようだ。
こいつの能力か何かか?そんな事を、ふと思考の端で考える・・・
「しかし、まあ流石に放置は出来ないか・・・」
そう言い、僕は懐のソレを抜き放つ。それは、分厚い刃を持つサバイバルナイフだ。サバイバルナイフに魔術的改造を施した一品だと、母さんが言っていた。何者だよ、母さんは?
まあ良い。ナイフを抜いた事で、僕の中のスイッチが切り替わる。自己暗示による戦闘モード。
意識的に、自分自身を変革する・・・
「・・・さあ、殺戮の始まりだ」
瞬間、僕は足元の大地を踏み締めて一足飛びの要領で怪物へと距離を詰める。そして、その怪物へとナイフの刃を振り抜いた。真っ赤な鮮血が飛び散る。
どうやら、黒いモヤのような姿をしてはいても実体はあるらしい。血しぶきが舞った。
しかし、僕が返り血を浴びる事は無い。その瞬間には、僕は怪物から離れている。ナイフの刃にも血は付着してはいない。それ程に神速の斬撃だった。
怪物が、いらだたしげに唸り声を上げた。次の瞬間・・・
「グルル・・・、ギイイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!!!!!」
「吼えるな、怪物っ!!!」
突進してきた怪物に合わせるように、僕は足を踏み出しナイフを振るった。何十にも及ぶ斬撃。
一息に何十閃もの斬撃を放つ。それはまさしく、神域の御業だ。
刃の軌跡が閃光となって閃く。そして・・・
「ギ・・・アア、ア・・・・・・」
黒いモヤの怪物は、そのまま形を崩して消え去った。跡形も残らずに僕の目の前から消滅した。それはまさしく幻想のような有様だった。しかし、僕は確かに感じた。この手で怪物を殺した感覚を。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・はぁっ、またやっちまったよ。僕はそっとナイフを仕舞った。
・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・うわぁっ」
黒い空間。其処に八を異世界に転移させた男が居た。流石の彼も、ドン引きしていた。黒いモヤのような名状し難い怪物を、魔術的改造を施されているとはいえナイフ一本で倒したからだ。
そして、その時の彼はまさしく殺人鬼そのもの。あの殺意と殺気はまさしく殺戮者のそれだ。
いっその事、死神とすら形容しても問題無いレベルの殺意と殺気だった。規模も濃度も別格だ。
まさしく、規格外だった。その技の冴えは神域にも到達しているだろう。流石にこれはどうしようかと感じたその瞬間、背後から声が掛かった・・・
「貴方ですか?私の管轄する領域から人を連れ出したのは?」
「ああ、君か・・・天照」
其処には、太陽のごとき光輝を放つ女性が居た。その女性に、男は親しげに返答する。しかし、天照と呼ばれたその女性は怒りに表情を歪ませている。
・・・それは、自分が神として管轄する領域から人を連れ去られたが故の怒りだ。軽く人攫いだ。
「一体何のつもりですか!一般人を強制的に異世界に転移するなんて!」
「いやいや、俺も別に何の目的もなく転移させた訳では無いんだよ」
そう言って、男は天照を宥める。その表情には、苦笑が浮かんでいる。その返答に、天照もとりあえず怒りを抑え彼の目的を問う事にした。しかし、その表情には未だ不満と怒りが満ちている。
「ほほう?それはどんな目的ですか?」
「石化の王・・・」
「っ!!?」
その一言がトリガーだった・・・
天照の表情が一変する。それは、名を聞く事すらも忌まわしい存在の名だ。その名を聞いただけで世界中の神という神が、異世界の神という神までが、震え慄く程の存在感を持つ。
何故なら、その悪魔はそれ程の強大な力と悪意を持つ怪物なのだから・・・
「どうやら、彼は奴の目を引いてしまったらしくてね。その悪意により人生を歪められたようだ」
男は黒い空間に映し出された八の姿を見ながら、そう呟いた。天照の表情が険しくなる。
それは、ある意味泣きそうとすら言える。悲痛の表情だ。
「・・・・・・っ!では、どうかせめて彼を貴方の手で守ってあげて下さい。世界神ミカド」
そう言って、天照は虚空に消えていった。そして、黒い空間に一人残ったミカドはぽつりと言う。
「・・・ああ、最初からそのつもりだよ。しかし・・・・・・」
しかし、そう言ってミカドは虚空に映し出された八の姿を見た。
「上裂八・・・。果たして、彼は本当に只の一般人なのだろうか?」
そう、疑問の声を漏らした・・・